第十話 オーラを見る練習 ★★
タイトルの★を念のためひとつ増やしました。
ここまで読んでくださった奇特な方は、私が当初、自分はスピリチュアルとは無縁だと思っていた理由が分かってきたんじゃないかと思う。
私の不思議体験は、いわゆる「霊感がある」って人のそれとはなんか違う。
だって霊感がある人って、交通事故現場のそばを通ったら、血まみれのいかにも事故で死にましたって人を見かけたり、「最近肩こりが酷くてさぁ」と嘆く友人の肩に不気味な女がしがみついているのが見えたり……。
そういうのなんじゃないの?
そういう恐怖体験に比べたら、私のなんてたまたま遭遇しただけな感じだし、めちゃ怖い幽霊もほとんど出てこない。
だからノーカンじゃないか?
でも最近になって思うことがある。
私が好きな実録怪談集と、スピリチュアルカウンセラーという肩書きの人が語る不思議体験は、だいぶ違う。
怪談の多くは「幽霊は怖い」や「あちらの世界は危険」って話だ。
一方でスピリチュアルな方は「スピリチュアルな存在は人を助けてくれる」とか「スピリチュアルな存在とは上手くすれば共存可能」的な感じ。
怪談とスピリチュアル話で不思議な存在に対する印象が違うのは、怪談は「人を怖がらせる」のが目的だからだろうと思う。
あえて怖い感じに書いたり、怖い雰囲気にアレンジして、エンターテイメント化されてるんじゃないかな。
まあ、怪談の中にはどうしようもなく怖い話(★5レベル)もあるけど、五十話くらい集めた怪談集の本の中で二話か三話というレベルだ。
そう考えてみると、幽霊やスピリチュアルな存在はそこまで怖いものではないのかも?
だって私が幼女時代に見ていた存在や、これまで「見間違いか?」レベルで見てきた存在の多くは、私に興味がないか、そうでなくても危害を加えようとはしてこない。
ちなみに私がそれらを目にしてしまうのは、私が怖がってる時じゃなくて、だいたいリラックスしてるときに不意打ちでくる。
てな感じで考えていたら、このエッセイを書いている影響もあるのか?
最近、前よりも小さな不思議体験が多くなってきた。
もしかして、昔不思議な存在が見えなくなった時とは逆で、それらを怖いと思わなくなれば、また見えるようになるのかな……?
どんな不思議体験か、二つ紹介する。
朝の通勤時にこのエッセイをなろうで書いていた私。
降りる駅に着いたから、上書き保存ボタンを押して電車を降りる。
そして駅のホームのエスカレーターに乗って、スマホの画面を見ると……。
何かエラーのメッセージが出てる。
上書き保存ができてない。
何だと!?
せっかく書いたのに、消えちゃうじゃん!
そんな感じで慌ててメッセージを消して、もう一度上書き保存を押すも……今度もダメ。
エラーメッセージをよく見ると、
モバイル通信がオフになっています。
え、なんで?
電波がない、とかでなく……?
私のスマホはiPhoneだ。
最初は電車から降りて歩いてる間に、手が触れて操作してしまいオフになったのかと思った。
でも調べた限り、簡単な操作でオフにすることはできないみたい。(機内モードならともかく)
私は過去にモバイル通信をオフにした事があるから、戸惑いつつも設定画面からたどってオンにして、無事に上書きできたけど……。
一体、なぜ?
もう一つ。
これも朝、今度は駅の中を歩いていた時の話だ。
地下鉄の駅で、通路の壁は白くてツルツル。
だから鏡みたいに人の流れが映る。
地上に出る細い階段を上りながら、何気なく階段の先の壁を見ていたら、誰かが傘をさしているのが映った。
もうすぐ地上だから、階段の外にいる人が反射したんだと思う。
階段は途中で一度曲がるから、その先だ。
えっ、雨が降ってるのか!
慌てて折りたたみ傘をバッグから出しながら、階段を上り切ると──。
雨なんか降っていない。
曇ってはいるけど、傘をさしてる人ももちろんいない。
じゃあ、さっき壁に映ってた人は?
たぶん五秒も経ってないと思うけど、見当たらない。
縁に柄のある女の人っぽい大きな傘で、日傘じゃなさそうだった。
ぜんぜん幽霊とかそういう感じじゃなかったんだけど……。
この二つの体験は別に怖くない。
なんかの偶然か見間違いとかの可能性もあるし。
でもだからって、不思議な存在が全く怖くないかというと、そう考えるのは危険な気がする。
そう思わざるを得ない不思議体験を、経験したことがあるからだ。
最後にそれを書こうと思う。
てか、それが今回のタイトル。
前置き長すぎ!!
私は数年前、スピリチュアルカウンセラー的な人に会う機会があった。
ちなみにスピリチュアルカウンセラーを信じない人は、占いと同じで統計学だとか色々言うけれど、そういうのでは説明できない何かがあると思ってる。
まあ当たり外れがあるし、特に未来のことは外れやすい。
それに本物の能力を持ってる人はあまり表に出てこない印象だ。
知る人ぞ知るって感じで、ひっそり活動してる人の方が信頼できる。
そういう人に会って話を聞いて、私も「オーラを見てみたい!」と思った。
そしてその人に「どうすればオーラが見えるようになりますか?」と聞いてみた。
それで返ってきた答えは、
「オーラが見えるようになるセミナーに行ってみるのがいいかもしれない。ただし高額なところは偽物だから、あまり高くないところ」
なんでもその人も昔、そういうセミナーに潜入(?)したことがあるらしい。
しかしなぁ、セミナーかい!
ハードルが高いな……。
そう思った私は、ネットで調べて自己流で頑張ってみることにした。
いい大人が何してんだって感じだから、誰にも言わずに始める。
それは薄暗い部屋で手のひらや指先をぼーっと見るというような方法だった。
まあ、やってみるとなんか見えるような気がするけど、単なる目の錯覚というか……オーラではないような?
それでも「継続は力なり」で毎晩寝る前にやっていた私。
相当な暇人だ。
でも長くは続かなかった。
あれは初めて1週間経ったか経たないかという頃かな?
その頃はまだ結婚前で実家に住んでいた。
私はロフトベッドで寝ていたから、寝転んでも手を伸ばせば天井に届く距離だ。
そのベッドに寝転がり、いつものようにオーラを見る練習をしていた私。
部屋は常夜灯がついていて、すぐそばの壁にはかかげた私の手の影が映っている。
その影が、私の視界の隅でゆっくりと動いた。
ビックリして壁の影を見る。
特に異常はないような……。
でも私の手は絶対に動かしていない。
だってオーラを見るべく見つめていたから分かる。
勘違いかもしれないけど、その日は何だか怖くなってしまってオーラを見る練習は打ち切り。
さっさと寝た。
その二、三日後。
また寝る前、惰性的な感じでオーラを見る練習をしていた私。
あの手の影が動いて以降、特におかしなことは起こっていない。
だからリラックスして手をぼーっと見ていたら。
「うおぉ……」
直ぐ横の壁の方から、男の人の唸るような声が聞こえた。
ビックリした。
私の部屋は二階、家は角地で壁の向こうは何もない。
下に人通りの少ない細い道があるだけ。
しばらく固まる私。
もう何も聞こえなかったけど、今度こそゾッとしてしてしまい、オーラを見る練習はやめた。
そしてもう二度とやることはなかった。
実はネットでオーラを見る練習方法を調べていたときに、気になる話を見かけていた。
それは、オーラが見えるようになると、あちらの世界のものたちも見えるようになるというものだった。
そして見えるようになると、相手もこっちに興味を持って近づいてくるから危険だ、と。
あまり気にしてなかったけど、日を空けずにそんな不思議体験をしてしまった私は信じざるを得ない。
このままオーラを見る練習を続けたら、今度は何が起こるのか……怖すぎる。
ということで、オーラは諦めた私。
まあ実家はいろんな不思議体験があったし、あの家が良くなかったのかもしれないけど……。
怖がりな私は、もうオーラを見る練習はできない。
でも勇気のある方はぜひ試していただいて、あちらの世界を覗いてみて欲しいと思う。




