疑惑
先程まで空に向かって枝葉を伸ばしていた巨木は、俺の術によって跡形もなく消え去ってしまった。
俺って凄い才能の持ち主だったんだなぁ。
一人で悦に入っていると、背後から声をかけられた。
「やっと術を教えてもらえたね」
この声は……
「ヒカリちゃん!」
振り向くと、ヒカリが笑顔で佇んでいる。
彼女の隣には、毛むくじゃらの妖怪もいた。
「あっ、そいつ元気になったんだね!」
俺が声を弾ませて駆け寄ろうとしたら、毛むくじゃらの妖怪は唸り声を上げて威嚇してくる。
「何かそいつ……機嫌悪そうだね」
俺が足を止めて妖怪の様子を伺っていると、ヒカリは申し訳なさそうな顔をする。
「この子のことを心配していたから、元気になった姿を見せたくて連れて来たんだけど……ハルト君に封印されそうになったことを覚えていて、怨んでいるみたい。あんまり近付くと頭から齧られちゃうから気をつけてね」
何それ、めっちゃ怖い。
俺は後ずさりしながら毛むくじゃらと距離をとった。
「ハルト君、この女のことを知っているのか?」
ケンジさんが震える声で俺に尋ねる。
彼女です。と言いたいところだが、まだちゃんと付き合ってないからな、と思い直す。
「俺の大切な人です」
とキメ顔をしながら言うと、ヒカリはニッコリ笑い、ケンジさんは顔面蒼白になった。
「この女の仲間だと知っていたら、修行なんて引き受けなかった! 今すぐに全員、俺の前からいなくなってくれ!」
ケンジさんが叫ぶと、ヒカリが静かな声で彼に語りかける。
「私はそれでも構わないんだけど、この子がお腹を空かしているのよね。この子、態度の悪い人間が大好物なの」
彼女は、毛むくじゃらの妖怪とケンジさんを交互に見ながら微笑む。
ケンジさんは歯をカチカチ鳴らして怯えている。
「修行の続き、お願い出来るかしら」
ヒカリの問いかけに、ケンジさんは何度も頷いた。
それからのケンジさんは、別人のような熱心さで俺の指導に取り組んだ。
ヒカリはしばらくその様子を眺めていたが
「三日後にまた来るから、それまでに形にしておいてね」
と言い残して、毛むくじゃらの妖怪と共に姿を消した。
その夜、夕飯の鍋を囲みながら、ケンジさんはヒカリと出会った時の話をしてくれた。
「妖怪退治の依頼を受けて、ある島まで行った時のことだ。ハルト君のところは、妖怪を封印して退治するだろう? だけど俺の一族は違う。うちは代々、破壊と消滅の術で妖怪をこの世から消し去ってきたんだ。仕留め損ねれば報復を受けて命を奪われるから、勝ち目のある妖怪としか戦わない」
そこで一息ついてから、ケンジさんは俺の目を見る。
「うちで手に負えないと判断した場合は、ハルト君の一族に協力を仰いできた。俺達が妖怪を攻撃して、弱らせたところを封印してもらうんだ。その場合は報酬を山分けする。俺達は、それぞれのやり方を尊重しつつ、時々は力を合わせながら、それなりに上手くやってきた。だけどーー」
ケンジさんは周囲を見回し、誰もいないことを確認してから話を続けた。
「あの日、島で俺が体験したのは、未だかつて味わったことのない恐怖だった」
そう言って、ケンジさんは島での出来事を語り始めた。
島に着いたケンジさんが、依頼人に案内されて洞窟の奥へ向かうと、たくさんの御札が貼られた石の棺があったそうだ。
棺は時折ガタガタと揺れ、今にも封印が解けてしまうのではないかと思われた。
これは相当ヤバい奴だ。そう思ったケンジさんは、うちの父さんに連絡して助っ人に来てもらえるよう頼んだ。
父さんは二つ返事で了承したが、どんなに急いでも島に到着するのは明日になる。それまでは何とか一人で持ち堪えなくてはならない。
何事も起こらないことを祈りながら、ケンジさんは不測の事態に備えて、洞窟で一夜を明かすことにした。
不安な夜を過ごし、ようやく夜が明けようとした頃に、静寂の中で微かな音が響いた。
ビリリ ビリリ
目の前で、棺を封じていた御札が一枚ずつ裂けていく。
ケンジさんは覚悟を決めて、何かあったらすぐに術を放てるよう身構えた。
だが、棺に気を取られているうちに背後から何者かに術をかけられ、金縛りのような状態で地面に倒れ込んでしまう。
何者かはケンジさんの横を通り過ぎて、真っ直ぐに石の棺の方へと歩み寄る。
地面に這いつくばったまま、目だけを動かしてそちらの方を見ると、長い黒髪の美しい少女の姿が見えた。
「もしかして……」
俺が話を遮ると、ケンジさんが頷く。
「そうだよ。俺を背後から襲ったのは、さっきハルト君がヒカリと呼んでいたあの女だ。彼女は棺の蓋を杖でこじ開け、中にいた妖怪を解放した。封印されていたのは、無数の目玉と鋭い牙を持つ、恐ろしい姿をした化け物だったよ」
その時のことを思い出したのか、ケンジさんはちょっと身震いをする。
俺はケンジさんの話が長過ぎて眠くなってしまい、そろそろ布団に入りたかったのだが、この話にはまだ続きがあった。
ヒカリが杖で空間を切り裂き、化け物を連れ去ろうとしたところへ、別の妖怪が現れたのだという。
「辺りが靄に包まれたかと思うと、地面から湧き出るようにして天狗が姿を見せたんだ。俺は悪い夢でも見ている気分だったよ。天狗とヒカリは睨み合いながら、化け物を巡って言い争いを始めた。業を煮やした天狗が先に攻撃を仕掛けると、ヒカリは素早く避けながら、石の棺を逆さにして俺にかぶせたんだ」
「俺はさっきまで化け物が入っていた棺に閉じ込められて、気が狂いそうだったよ。棺の外からは激しい物音が聞こえてきたけれど、何が起きているのかは分からなかった」
「気が付くと辺りは静かになっていて、助っ人に来てくれたハルト君の親父さんが、俺を見つけてくれたんだ。一部始終を話すと、難しい顔をして考え込んでいたよ」
「それから少しして、ハルト君の親父さんが亡くなったという知らせを受けた。俺は……あの女が関係しているんじゃないかって疑っている」
ケンジさんの言葉に、俺の眠気は一気に吹っ飛んだ。
「ちょっと待ってよ! 父さんは崖から落ちて死んだんだ。事故だったんだから、ヒカリちゃんは関係ない。彼女は、封印の解けた妖怪を安全な場所へ運んで守ろうとしている、優しい女の子なんだよ」
俺は怒ったように言ったが、ケンジさんは一歩も引かない。
「でも、天狗と言い争っている時の彼女は、封印が解けた化け物のことを『これは我々の僕だ』って言っていたぞ。俺には、妖怪を守るどころか利用しようとしているようにしか思えない。ハルト君の親父さんは、妖怪退治の依頼を受けて山に入っていたんだろう? そこでヒカリと鉢合わせして、争いになったのかもしれない」
「そんなの、全部ケンジさんの勝手な想像じゃないか!」
俺はあまりにも腹が立ったので、食事の後片付けもせずに小屋を飛び出した。
父さんの死とヒカリちゃんは、絶対に無関係だ。
ヒカリが「御札を破いて」と言った時の縋るような目を思い出しながら
「誰が何と言おうと、俺だけは彼女を信じる」
と心に決めた。