神頼み
今、生贄って言った?
確か、神様とかに捧げるアレだよね。
「生贄にされるとどうなるの?」
俺が尋ねると、
「妖怪と一体化して、妖力の増強に貢献することになるわ」
ヒカリは、さも名誉なことであるかのように言った。
すると気を失っていたはずのミサキが飛び起きて、俺達に怒鳴り散らす。
「ふざけんなよ! さっきから妖怪だの生贄だのバカみたいなことばっかり言いやがって!」
いつの間にか気がついて、寝たふりをしながら話を聞いていたようだ。
「生きがいいわね」
ヒカリが杖を振り上げる。
レンは咄嗟にその杖を掴み、俺に向かって叫ぶ。
「その子を連れて逃げろ!」
ヒカリは凄い力で杖を振り回し、レンを投げ飛ばした。
ミサキの悲鳴が部屋に響き渡る。
何この展開。
ヒカリちゃん、めっちゃ強いし。
俺は動揺しつつも、ミサキに近付こうとするヒカリの前に立ち塞がった。
「邪魔する気?」
ヒカリが鋭い目で俺を睨む。
怒った顔も可愛いなぁと思いつつ、俺はヒカリの問いかけを否定した。
「違うよ。でも、ミサキを生贄にはさせられない。他の方法を探そうよ」
「やっぱり人間の味方なんだね」
ヒカリが唇の端を歪める。
「そういうわけじゃないよ。ただ、誰かを犠牲にするようなやり方で願いを叶えても、いつかきっと後悔するんじゃないかな。俺は、ヒカリちゃんにそんな思いをしてほしくない」
俺には、ヒカリが本気で人の命を奪おうとしているようには思えなかった。
初めて会った時だって、俺を追い払おうとしただけで、危害を加えることはなかった。
ヒカリはじっと俺の目を見つめている。
我ながら良いことを言った気がするから、惚れ直したのかもしれない。
「ハルト君って、本当に変わっているね」
彼女はそう言うと、リビングを出て俺の部屋へと入っていく。
「少し、一人にさせて」
扉を閉めるヒカリの目には、涙が光っているように見えた。
惚れ直すどころか、変人扱いされてしまった。
ヒカリの反応にショックを受けていると、レンが手招きをしてミサキと俺をキッチンの方へ呼び寄せる。
「小松君、ここから脱出しよう」
名字で呼ばれてビックリした。
そういえば俺、レンとはまだそんなに親しくないんだっけ。
「ハルトでいいよ。俺もレンって呼ぶから。それより、脱出ってどういうこと?」
俺が聞くと、レンは早口で説明した。
「ヒカリの話を聞いただろう? 彼女は、僕達を利用して父親の妖怪を復活させようとしている。なんとしても阻止しないと」
「何で? 協力してあげればいいじゃん」
「馬鹿なこと言わないでくれよ。ヒカリの放つ禍々しい妖気を感じないのか? 彼女の父親は、きっともっと恐ろしい妖力の持ち主だぞ。そんな妖怪を解き放つわけにはいかない」
レンと俺が話していると、今まで黙って聞いていたミサキが口を挟んできた。
「この人の言う通りだよ。私もあの女はヤバいと思う。早く逃げようよ!」
「何だよ、さっきは妖怪とかバカなこと言うなって怒っていたくせに」
俺が文句を言うと、ミサキはレンの制服を見ながら言った。
「だってレン君、あの高校の生徒だよ」
制服だけでは分からなかったが、ブレザーの胸元に刺繍された校章を見て気が付いた。
レンは有名な進学校の生徒だったのだ。
「こんな賢い人が言うことなら、信用できる」
ミサキは偏見に満ちた意見を堂々と述べる。
「あの高校かぁ。頭いいんだな。俺の友達にも同じ高校に進学した奴がいるんだけど、知ってるかな。高橋っていうやつ」
俺は中学時代の親友について尋ねたが、レンに冷たくあしらわれてしまった。
「君の友達の話は後にしてくれ」
レンはそう言って、通学カバンから数枚の御札を取り出す。
「ヒカリちゃんに頼まれるまでは御札を書かない約束だろ」
俺が注意したら、レンは少し怒ったような口調になった。
「これは、ヒカリと会う前に書いてストックしていた分だよ。ファミレスで彼女が僕達に要求を突きつけた時、僕は返事をしなかったのに……。君が受け入れてしまったから、僕まで了承したとみなされたようで、新たに御札を書くことが出来なくなった」
「口約束なのに書けなくなったの?」
俺は驚いて尋ねる。
「それだけヒカリの妖力が強いってことだよ。彼女は確か、『二人にお願いがあるの』と言ってから話し始めた。僕達のうち、どちらかでも了承すればいいようにしてあったんだ」
レンは俺の質問に答えると、ここから抜け出す計画を語った。
「家から脱出しても、気付かれて連れ戻されたら意味がない。僕達が安全な場所に逃げ切るまで、ヒカリを足止めする必要がある」
レンは御札を指差しながら俺の目を見る。
「この御札を使って、ヒカリに封印の術をかけてほしい。彼女は妖力が強いから封じきれないと思うけれど、しばらくは時間を稼げるはずだ。その間に僕の父さんがいる寺まで逃げよう」
レンの話に、ミサキが大きく頷く。
だが、俺はキッパリと断った。
「脱出したいなら、二人だけで行ってよ。俺はここに残るし、ヒカリちゃんのお父さんを一緒に探すから」
レンは信じられないという顔で俺を見ている。
「ヒカリは、妖怪どもを手懐けるほどの力を持つ、恐ろしい妖術使いなんだぞ。彼女の父親が復活したら、人間界だって危険にさらされるかもしれない。ハルトは妖怪と人間、どっちの味方なんだよ」
「どっちの味方でもないよ。強いて言うなら、俺はヒカリちゃんの味方だ」
俺がそう答えた時、キッチンの扉が開いてヒカリが現れた。
レンとミサキが顔色を変える。
「私の味方なら、今すぐにその御札を全部破いて」
ヒカリに言われて、俺は少し迷った。
さっきの言葉に嘘はなかったけれど、レンがせっかく書いた御札を破るのは、何だか悪いなと思ったからだ。
破るのはちょっと……そう言おうとしてヒカリの顔を見ると、今にも泣き出しそうな目をしている。
まるで、信じていた飼い主に捨てられてしまった子猫みたいだ。
ヒカリの目を見ていると「裏切らないで」っていう心の声が聞こえてくるような気がした。
だから俺は、レンには申し訳ないと思いつつ、御札を全てビリビリに破いてしまった。
呆然とするレンと、口をあんぐりと開けたミサキの横で、ヒカリはなんとも言えない表情を浮かべている。
それは、安堵と後ろめたさが混ざったような、不思議な表情だった。
「御札を破いてくれたから、その女の子を生贄にするのはやめるわ。その代わり、ハルト君とレン君にお願いがあるの。神から妖怪になった者達のところへ、私と一緒に行ってくれる? 神々の協力があれば、生贄を用意する必要はなくなるわ」
ヒカリの提案に、俺は張り切って協力を申し出る。
「もちろん一緒に行くよ!」
俺とヒカリのやり取りを聞いていたレンは、深く長いため息をついて、キッチンの壁にもたれかかった。