生贄
妖怪達がヒカリの仲間だと分かって安心したが、出来れば彼らにはお引き取り願いたい。
「あの……ヒカリちゃんのことは大歓迎なんだけど、他の妖怪達には帰ってもらえないかな」
俺が頼むと、ヒカリは悲しそうな顔でうつむく。
「いや、俺は全然大丈夫なんだけど、姉ちゃんと母さんが怖がっちゃうんだよね。ほら、二人は妖怪に免疫が無いからさ。いやホント、俺は全然平気なんだけどね。姉ちゃんと母さんがね……」
ヒカリに嫌われたくなくて、俺は必死に言い繕った。
「この子も二階にいる妖怪達も、私の大切な仲間なの。むやみに人を襲ったりしないし、お行儀だっていいのよ」
ヒカリは切々と俺に訴えてくる。
どうしたものかと頭を悩ませていると、メールの着信音が鳴った。
携帯を見ると、姉のユカリからだ。
俺を囮にして逃げた後、母さんを連れてタクシーで婆ちゃんの家まで行ったらしい。
携帯しか持っていなかったユカリは
「パジャマで出てきちゃったし、お婆ちゃんにタクシー代を立て替えてもらったから、無事なら財布と着替えを届けて」
と連絡してきた。
「俺は無事だけど、妖怪はまだ家に居座っている」
と送信したら
「妖怪がいなくなるまで帰らない」
と返信がきた。
メールの内容を伝えると、ヒカリは嬉しそうに俺の手を握る。
「それなら、このまま妖怪を家に置いておけば、ずっと一緒に暮らせるね」
女の子から手を握られるなんて、幼稚園の遠足以来だったから、俺はすっかり舞い上がってしまった。
ヒカリは可愛いし、妖怪達も害は無いと言っていたから、しばらく同棲生活を楽しもうかな。
能天気な俺は、早くもこの状況に順応しようとしていた。
俺がヒカリとの甘い生活を想像してニヤけていると、玄関のチャイムが鳴った。
時計の針は七時半を指している。幼馴染のミサキが迎えに来る時間だ。
ヤバい。まだ着替えてすらいないぞ。
俺が焦っていると、玄関のドアが開いてミサキの元気な声が耳に飛び込んでくる。
「早くしてよ! 遅刻しちゃうじゃん」
俺は走って玄関まで行き、しどろもどろで言い訳をした。
「悪いんだけど今日は先に行ってて。寝坊しちゃってさ」
「は? あんた、今度の定期テストでも点数取れなかったら留年だよ? バカなんだから授業くらい真面目に受けて、先生に『頑張ってますアピール』しなさいよ。遅刻とかしてる場合じゃないから!」
ショートカットでボーイッシュなミサキは、顔だけ見れば可愛い方だ。でも、とんでもなく気が強い。
ミサキに怒られながら俺が項垂れていると
「その人、誰?」
とヒカリが顔を見せた。
ミサキの顔が急に険しくなり
「あんたこそ誰よ」
とヒカリに尋ねる。
ヒカリは
「怖ぁい」
と言って俺の背に隠れた。
ミサキがカッとなって大声を出す。
「はあ? 何なのそいつ! ハルトから離れなさいよ!」
ミサキは今にもヒカリに掴みかかりそうだったが、俺達の背後に目を向けた途端、悲鳴を上げて逃げ出そうとした。
よほど慌てていたのか、ミサキは凄い勢いで閉まっている玄関のドアに激突してしまい、気を失って床に倒れこむ。
振り向くと、ユカリの部屋にいた巨大なムカデがウネウネと蠢いていた。
全身に鳥肌が立ち、悲鳴が喉まで出かかったが、ヒカリの前でカッコ悪い姿を見せるわけにはいかない。
俺は必死に平静を装った。
ミサキをそのままにしておくわけにもいかず、抱きかかえてリビングまで運び、とりあえずソファに寝かせる。
何だか朝から疲れてしまって、学校へ行く気力が湧かない。
今日は数学があるんだよなぁ。
テストに出す単元をやるって言ってた気がする。
休んだらまずいよなぁ。
まぁ、授業受けてもよく分かんないから同じか。
よし! まずは朝ごはんを食べて落ち着こう!
俺の長所は切り替えの早さだ。
ヒカリに、トーストと納豆ごはんのどちらが良いか聞こうとしたところで、携帯に着信が入る。
誰かと思ったらレンだ。
電話に出た俺に、レンはいきなり尋ねた。
「あの後どうなった?」
妖怪屋敷と化した家で、ヒカリと同棲することになったと告げると、レンは黙り込んでしまった。
電話の向こうから、駅のアナウンスが聞こえてくる。
きっと学校へ行く途中なのだろう。
俺は早く朝ごはんを食べたかったので
「それじゃあ、また」
と言って電話を切ろうとした。
「待って! 今からそっちに行くよ」
レンはそう言って家の住所を聞いてきた。
何しに来んの?
と思ったけれど、レンは賢そうだから、ムカデと一つ目の一角獣を追い出す知恵を貸してくれるかもしれない。
難しいことはレンに考えてもらおう。
そう思いついた俺は、彼に家の住所を教えて来てもらうことにした。
レンを待っている間にパンを焼き、ミルクを温める。
ヒカリとトーストをかじりながら、俺は新婚気分を満喫した。
しばらくしてレンが到着すると、玄関にいたムカデが俺より先にお出迎えしていた。
レンは顔をひきつらせながら後ずさりしたが、深呼吸を一つすると、覚悟を決めたように靴を脱いで家に上がった。
二階にいる一つ目の一角獣と、俺の部屋にぶら下がっているミノムシっぽい奴、それからソファに横たわるミサキを見てまわるうちに、彼の顔色はどんどん悪くなっていく。
貧血気味なのかなと思った俺は、レンに椅子を勧めた。
「レバーを食べるといいよ」
とアドバイスしてやったが、俺の言葉など耳に入らない様子で頭を抱えている。
スーパーの惣菜コーナーでレバニラでも買ってきてやろうかと考えていると、レンが顔を上げてヒカリに話しかけた。
「目的は何?」
レンはヒカリを真っ直ぐに見つめている。
何だこいつ?
いきなり人の家に来て、お前の目的こそ何だよ。
俺の将来の嫁に、馴々しくしないで欲しい。
俺は二人の間に割って入ろうとしたが、ヒカリはそれを手で制した。
「もうすぐ、ある妖怪の封印が解けるはずなの。だけど、時間も場所も正確には分からない。私は、彼のことを誰よりも先に見つけなければならない。再び封印されることがないように。そして……彼の命を狙う者に、先を越されることがないように」
何か、ややこしい話になってきたぞ。
しかも「彼」って言ってる。
まさか……元彼?
不安に思っていると、レンが俺の知りたかったことを聞いてくれた。
「その彼っていうのは、何者?」
「私の父親」
ヒカリの答えに、俺は心底ホッとした。
「ヒカリちゃん! 頑張って一緒にお父さんを探そうね!」
晴れやかな笑みを浮かべる俺とは対照的に、レンの顔は曇ったままだ。
「ありがとう、ハルト君。早速なんだけど、私のお願いを一つ聞いてくれる?」
「何でも言って!」
「父の復活に備えて、生贄がたくさん必要になるの。だからそこにいる女の子を、生贄の一人として使わせてもらってもいいかしら?」
ヒカリはミサキを指差しながら妖しく微笑んだ。