妖怪屋敷
ヒカリは俺の部屋の中をぐるりと見回し、本棚に目を留めると上から下まで素早く視線を動かした。
本棚にはほとんど漫画しか並んでいなかったが、彼女は迷いなく端の方にある古文書に手を伸ばす。
父親の遺品を整理している時に見つけた古文書で、妖怪退治に役立ちそうだからと俺が譲り受けたものだ。
そこには、結界の張り方や術のかけ方などが書かれているらしいのだが、文字があまりにも達筆なので俺には何となくしか解読出来ない。
「欲しかったらあげるよ」
俺が言うと、ヒカリは驚きの表情を浮かべる。
「……どうして?」
「読んでもよく分からないんだよ」
俺の言葉に、ヒカリは突然笑い出した。
「だから封印の術が中途半端だったんだね。レン君の御札には強力な念がこもっていたから、もし封印の術が成功していたらあの妖怪は助けられなかったもの」
ヒカリに痛いところを突かれて、俺は恥ずかしくなってしまった。
そう、俺は自他ともに認めるポンコツなのだ。
父さんがこんなに早く死んでしまうとは思わなかったから、きちんと仕事を引き継いだわけではないし、まともな修行なんかしたことがない。
封印の術は、父さんの助手として妖怪退治を手伝った時のことを思い出しながら、見よう見まねでやっているにすぎない。
古文書なんて、ほとんど内容を理解できていないから、何となくこういうことだろうと適当に解釈しているだけだ。
だから、妖怪退治のふりをするだけでいいというヒカリの提案は、俺にとって渡りに船だったわけである。
それに、人間の都合で一方的に妖怪を封印するやり方には、ずっと疑問があった。
それぞれの世界で棲み分けが出来るなら、最高ではないか。
「そういえば、あの毛むくじゃらの妖怪は大丈夫だった?」
俺が封印に失敗した妖怪について尋ねると
「かなり弱っていたけれど、たぶん大丈夫。今いる場所にはエネルギーが満ち溢れているから、そのうち回復すると思う」
ヒカリは静かな声で答えた。
さっきまでの媚びた態度は影を潜め、今の彼女からは落ち着いた雰囲気が感じられた。
こちらがヒカリの本来の姿なのかもしれない。
「ハルト君て不思議な人だね。妖怪退治の仕事をしているのに弱った妖怪の心配をするし、私みたいな半妖とも普通に接してくれる。……どうして?」
ヒカリに聞かれた俺は、懸命に頭の中で答えを探した。
昔から物事を深く考えずに生きているから、突然「理由を述べよ」みたいなことを言われると困ってしまう。
「何だろう……上手く言えないけど、俺は妖怪が嫌いなわけじゃないし、仲良く出来るならそれが一番いいなって思っているだけだよ」
アホな小学生男子みたいな答えになってしまったけれど、ヒカリは微笑んでくれた。
「私、ハルト君のそういうところ、好きだな」
彼女はそう言うと古文書を本棚に戻し、杖で空間を切り裂いた。
俺の目を見て
「また来るね」
と笑顔を見せ、ヒカリは切り裂かれた空間の中へと姿を消した。
残された俺は、
今の告白?
好きって言ったよね?
聞き間違いじゃないよね?!
と一人で興奮していた。
風呂へ入って布団の中に潜り込んだ後も、先程のヒカリの言葉が頭から離れなくて、なかなか寝付けない。
ヒカリと付き合って結婚して、子供が生まれれたら名前は何にしよう、などと妄想を膨らませているうちに、夜が明けてしまった。
徹夜で学校はキツいなぁと思いつつ起き上がると、上の方からスーッと茶色の物体が降りてきた。
「ひいっ」
思わず変な声が出る。
そいつの大きさは俺の顔と同じくらいで、枯れ葉や木の枝で全体が覆われていた。
宙に浮いているのかと思ったら、透明な糸のようなもので天井からぶら下がっている。
ミノムシみたいだなと思いながら指先でつつくと、中から牙をむき出しにした大きなイモムシが顔を出す。
俺が悲鳴を上げながら部屋を飛び出した時、二階の方で姉のユカリらしき叫び声がした。
急いで階段を駆け上がり、部屋のドアを勢いよく開けると、携帯を握りしめたユカリがベッドの上で仁王立ちしている。
「ドア……後ろ……」
震える声で言いながら、彼女は俺の背後を指差す。
おそるおそるドアの裏側を覗き込むと、壁とドアの間に二メートルくらいのムカデが挟まってグッタリしていた。
デカいしキモいし、俺はもう泣きそうになりながらユカリを部屋から連れ出して、母さんのいる寝室へと向かう。
寝室の中には、部屋の半分を埋め尽くすくらい大きな妖怪がいた。
巨大な犬のようにも見えるが、額からはツノが突き出し、目玉は顔の真ん中に一つしかない。
そいつは床にへたりこんでいる母さんに鼻先を近づけて、クンクンと匂いを嗅いでいる。口からはよだれがダラダラ流れ出ていた。
母さんは真っ青な顔をして身を固くしている。
何これ絶体絶命の大ピンチじゃん。
一夜にして妖怪屋敷と化してしまった家の中で、俺は途方に暮れていた。
「あんた、何とかしなさいよ!」
冷や汗を流している俺の横で、ユカリが無茶を言う。
「御札もないし無理だよ! 囮になるものでもあれば、気を逸らしているうちに母さんを連れ出せるかもしれないけど……」
俺は周りを見回しながら、妖怪の気を引けそうなものが何かないか必死に探した。
「囮……」
ユカリはそう呟くと、思いきり俺を突き飛ばした。
不意を突かれた俺は、妖怪の前に倒れ込む。
その隙にユカリが母さんの手を取って部屋から逃げ出した。
「ごめん、ハルト! あとは任せた!」
ユカリは泣きながら母さんを連れて階段を駆け降りて行く。
酷いよ姉ちゃん!
俺が心の中で叫びながら顔を上げると、一つ目の獣と目が合う。
ああ、今日が俺の命日か。
こんな訳の分からない妖怪の餌になるなんて……。
そこまで考えたところで、ハタと気付いた。
こいつ、デカいよね。
デカすぎるよね。
部屋の入口、通れないんじゃない?
俺は素早く立ち上がると、一目散にドアの向こうへと駆け抜けた。
妖怪は追いかけてきたが、体がつかえて部屋から出てこられない。
助かった!
俺は階段を転がるように走り降り、玄関へと向かう。
「ハルト君」
サンダルを足に突っかけて、まさに玄関のドアを開けようとしたその時、後ろから呼び止められた。
振り返ると、ヒカリが笑顔で立っている。
「邪魔者はいなくなったし、今日から私、ハルト君と一緒にここで暮らしてもいいかな?」
こんな可愛い女の子と同棲できるなんて、夢みたいだ。
でも、今はそれどころではない。
「すっごく嬉しい申し出なんだけど、今ちょっと大変なことになっていてさ。とりあえず、外に出ようか」
俺は早口で言うと、ヒカリ連れて家の外へ出ようとした。
だが、彼女は俺の言葉など聞こえなかったかのように踵を返し、俺の部屋に入っていく。
慌てて後を追うと、部屋の中央には先程と同じようにミノムシっぽい妖怪が天井からぶら下がっていた。
ヒカリはそいつを優しく撫でながら言った。
「この子はね、封印の解けそうな妖怪を察知して知らせてくれるの」
「……もしかして、二階にいる妖怪もヒカリちゃんが連れてきたの?」
俺の問いかけに、ヒカリは頷いた。
「何だ、ヒカリちゃんの仲間だったのかぁ」
俺は安堵のあまり、腰が抜けて床に座りこんでしまった。