なゐの神
しばらく外をぶらついてから戻ると、ケンジさんが帰ってきていた。
「ヒカリちゃんとホノカさんは?」
俺が尋ねると、ケンジさんは夕飯のカレーを頬張りながら答える。
「ホノカちゃんは新しい住処が気に入ったみたいで、今日から向こうで暮らすんだってさ。ヒカリはあっちの部屋でレン君と話しているよ」
レンとヒカリが二人きりで話していると聞いて、俺は急いで二人の元へ向かった。
ホノカが使っていた部屋のドアが開け放してあり、廊下に明かりが漏れている。
部屋を覗き込むと、放心状態のレンが床に座り込んでいた。
「レン、ヒカリちゃんは?」
俺の問いかけに、レンが声を震わせて答える。
「ヒカリはまだ妖怪の島にいる。僕もついさっきまでそこにいて……先に帰されたんだ」
レンもあの島に行ったと聞いて、俺は複雑な気持ちになった。
ヒカリちゃんが俺にしたのと同じことを、レンにもしていたらどうしよう。
「もしかして、ヒカリちゃんとキスした?」
不安になった俺はレンを問いただしたが、彼は
「は?」
と言って呆気にとられた顔をする。
「いや、二人きりであの島に行ったんだろ? その……いい雰囲気になったんじゃないかなと思って……」
俺がモゴモゴ言うのを聞きながら、レンは眉間に皺を寄せた。
「いい雰囲気だって? 冗談じゃない! ヒカリは僕を妖怪のエサにしようとしたんだぞ!」
よほど怖かったのか、レンの目には薄らと涙が滲んでいる。
「何があったんだよ」
俺が尋ねると、レンは島での出来事を話し出した。
「ヒカリが言うには、彼女の父親を封印したのは僕の先祖だったらしい。それで、僕のことも敵対する天狗の仲間なんじゃないかと疑っていたみたいなんだ」
「え?! レンは俺達の敵なの?」
俺が口を挟むと、レンは苛立った声で否定する。
「そんなはずないだろ! だけどヒカリは僕のことをスパイ扱いした挙句、金縛りの術をかけて、妖怪の前に放り投げたんだ」
レンは整った顔を歪めながら、話を続けた。
「『真実を口にしなければ妖怪のエサにする』って脅されたけど、僕は先祖のしたことなんか知らなかったし、スパイでも何でもないから、そう言ったんだ。でも信じてくれなくて、バカでかい口を開けた食虫植物みたいな妖怪に丸呑みにされた」
え? と思ってレンの体をよく見ると、全体的に湿ってベトベトしている。
「そのまま妖怪の体内で気を失って……気が付いたら、ヒカリに助け出されていた。彼女は『どうやら嘘はついていないみたいね』って言って、僕をこの部屋に帰したんだ」
話し終えると、レンは大きなため息をついた。
俺は、ヒカリがレンにキスをしていなかったことに安堵して
「良かった…!」
と、思わず声を漏らした。
「何が良かったんだよ! 僕は死にかけたんだぞ!! ……そういえばさっき、ヒカリとキスしたのかって聞いてきたよな? そんなことを聞くってことは、君まさかーー」
レンが言い終わらないうちに、空間を切り裂いてヒカリが姿を現した。
「二人とも、今すぐ一緒に来てちょうだい。『なゐの神」の封印が解けそうなの」
彼女の深刻な表情を見て、レンは只事ではないと察したのだろう。
すぐに隣の部屋へ荷物を取りに行き、走って戻ってきた。
「『なゐの神』って何の神様なの?」
俺が尋ねると
「地震の神よ」
ヒカリは新たに空間を切り裂きながら答えた。
俺とレンはヒカリの後に続いて、薄闇に包まれた場所へと降り立つ。
ヒカリは地面に這いつくばりながら、何かを探しているようだ。
そして
「あったわ」
と声を出し、俺達を手招きする。
彼女の足元には、地面に埋まった岩が少し顔を出しており、何やら文字のようなものが刻まれている。
「これは要石よ。地震の神を地中に封じるためのものなの。ここの他にも、日本各地に要石はいくつかあるけれど、それらは全て手下の妖怪よ。本物の『なゐの神』は、人間が近寄ることのないこの禁足地に封じられているの」
ヒカリは話しながら要石に触れる。
「地上の要石には異常がないわ。地中も確認した方が良さそうね」
そう言うと、彼女は杖を地面に突き刺して
「なゐの神の元へ導きたまえ」
と声を発した。
ズンッと地鳴りがしたかと思うと杖の周囲に円形の穴があき、ヒカリは
「ついて来て」
といい残して穴の中を滑り降りていく。
いやいや、無理でしょ。
この穴、深そうだもん。
大怪我しちゃうよ。
俺が怯んでいるうちに、レンはサッサと穴のふちに腰掛け
「先に行くぞ」
と言って滑り降りてしまった。
俺は冷や汗を流しながらしばらく穴の周囲を歩き回ったが、どうしても勇気が出ない。
よし、ここで二人の帰りを待とう。
そう心に決めた時、突風に煽られた俺はバランスを崩してしまい、そのまま穴の中へと転げ落ちた。
あちこち体を打ちつけながら底へ辿り着くと、巨大な黒い物体の前でヒカリとレンが立ち尽くしている。
思ったよりも深い穴ではなかったのが幸いしたのか、骨折などもしていないようだ。
俺は痛む体を引きずるようにして二人の方へ近寄った。
黒い物体はつるつるとした皮膚をした細長い体型で、巨大なウナギのようにも見える。
「地震の神様って言うからナマズなのかと思ったら、ウナギみたいな姿なんだね」
俺の言葉に、ヒカリが切羽詰まった声を出す。
「人間が勝手に似た生き物に当てはめただけで、『なゐの神』はナマズでもウナギでもないわ。そんなことより、要石にヒビが入っているから塞がないと」
見ると、なゐの神の頭には、石の杭のようなものが突き刺さっていて、亀裂の入っている箇所があった。
地上に出ていたのは、この杭の一部分だったようだ。
「封印を解いて協力してもらうんじゃないの?」
と尋ねる俺に、ヒカリが緊迫した声で答える。
「なゐの神は非常に危険な神で、手下の妖怪が暴れただけでも大きな地震がおきるの。なゐの神そのものを目覚めさせてしまったら、大変なことになるわ」
それから彼女はレンの方を向くと
「あなたの出番よ。ありったけの念を込めて御札を書いてちょうだい」
と言った。




