故郷
ケンジさんは「風鬼と雷鬼をネタにした動画を撮りたいから、打ち合わせをしよう」と言って、ホノカとレンを連れてリビングへ移動した。
部屋に残された俺に、ヒカリが声をかける。
「ハルト君に見せたいものがあるんだけど、一緒に来てくれる?」
「もちろん行くよ」
俺が答えると、ヒカリは嬉しそうに微笑んだ。
杖で切り裂かれた空間をくぐり抜けた先には、白い砂浜と陽射しにきらめく海が広がっていた。
周囲を見回すと、あちこちで妖怪達が蠢いているのが目に入る。
「ここは昔、私と母が暮らしていた島よ。結界を張ってあるから、普通の人間には気付かれないようになっているの。ここに封印の解けた妖怪達を連れてきて、弱った体を回復させているんだけど、攻撃的な妖怪もいるから私の傍を離れないようにしてね」
俺は猛獣の檻に放り込まれた気分になりながら、歩き出すヒカリの後を追う。
「父の心変わりで天狗の里を追い出された母と私は、安住の地を求めて各地を彷徨った。半妖の私は、人間とは歳のとり方が違うから……人里で暮らすわけにはいかなかったの」
彼女が穏やかな声で昔のことを語り始める。
「南の地へと流れ着く頃には、母の身体は重い病に蝕まれていた。その時、一人の女性が私達に手を差し伸べてくれたの」
「彼女は私が人間ではないことを一目で見抜いた。そして母から事情を聞くと、私達をこの島に住まわせ、強力な結界を張って他の人間に見つからないようにしてくれた」
そこまで話すと、ヒカリは美しい花を咲かせた樹木の前で足を止め、俺の目を見つめる。
「私達を助けてくれた女性は、妖術を操ることの出来る人間だったの。そして彼女は、自分の力を継承する子孫が生まれた時のために、様々な術を書き記していた。ハルト君の部屋に古文書があったでしょう? あれは、彼女が書き残したものよ」
俺はヒカリの言葉の意味を、すぐには理解することができなかった。
「……え? どういうこと?」
「あなたは、私と母を助けてくれた女性の子孫なのよ」
そう言うと、ヒカリは木の根元に目をやり
「この下に、私の母が眠っているの。ハルト君のご先祖様のおかげで、母は穏やかな最期を迎えることができた。とても感謝しているわ」
と呟き、目を伏せた。
憂いを湛えた彼女の横顔はとても美しく、俺はかける言葉もなく、ただ見惚れているばかりだった。
「私ね、父に復讐しようと思っていたの。父が封印されたと知った時も、母と私を捨てた報いだと思ったし、封印が解けたら、集めた妖怪を使って私が父の息の根を止めてやろうと考えていた」
俺が息を飲むと、ヒカリがやわらかな笑みを浮かべる。
「でも、ハルト君に出会って気持ちが変わった。前に『許さないし受け入れないけれど、仕返しはしない』って言っていたでしょう? あれから、あの言葉がずっと頭から離れなくてーー」
言葉を続けようとした彼女を遮って、俺は真相を伝えようとした。
「お父さんは、お母さんとヒカリちゃんを裏切っていなかったんだよ。二人を守るために嘘をついたんだ。正直に言ったら、きっと傍を離れようとしないだろうからって……」
信じてもらえないかもしれないと覚悟していたが、ヒカリは
「分かってる。火の神とハルト君の話を、私も聞いていたから」
と口にした。
俺が驚いていると、ヒカリは申し訳なさそうな表情をする。
「部屋に入ろうとした時に、二人が父の話をしているのが聞こえてきたから、思わず聞き耳を立ててしまったの……ごめんね」
それから俺の目を見て
「私のいない間に、ハルト君は火の神の虜になってしまうんじゃないかと思っていた。だけど全然そんなこと無かったし、私のために怒ってくれたでしょう? 凄く嬉しかったよ」
と言った。
「そんなの当たり前だよ! 俺は、本気でヒカリちゃんのことが好きなんだから!」
勢いで告白してしまった俺は、何だか急に恥ずかしい気持ちになり
「そろそろ帰ろうか」
とヒカリに声をかける。
すると、彼女は俺の首に腕をまわして優しく引き寄せ、唇を重ねた。
それは一瞬の出来事で、ヒカリはすぐに体を離すと
「そうね、帰りましょう」
と言って杖で空間を切り裂き、中へと足を踏み入れる。
俺は夢見心地のまま、彼女の後に続いた。
部屋に戻ったヒカリは
「火の神と話してくるね」
と言って、すぐに立ち去ってしまった。
俺が一人でさっきの出来事を思い返していると、キッチンの方から
「ハルト! 夕飯の支度をするから手伝ってくれ」
というレンの声がする。
キッチンでは、レンが野菜の皮を剥いているところだった。
ヒカリと話をしたくてリビングを覗いたが、誰もいない。
「ヒカリちゃんは?」
俺が尋ねると、レンは手を休めずに答える。
「神社の近くに火の神の住処を用意したみたいで、ホノカを連れて行ったよ。ケンジさんも、風鬼と雷鬼の話を聞きたいからって言って、二人について行ったんだ」
レンは皮を剥き終えた野菜を水洗いしながら
「どうしたんだよ。やけにボンヤリしているな」
と言って、心配そうな顔をする。
「あのさ、俺……ヒカリちゃんと結婚する」
突然の結婚宣言にも、レンは全く動じる様子はなかった。
「あっそう。そんなことより、これを切っておいて」
と言ってザルにあげた野菜を指差すと、俺に包丁を手渡す。
「真面目に聞いてくれよ。真剣に考えているんだから」
不満そうな声を上げる俺を見て、レンが呆れた顔をする。
「それじゃあ言わせてもらうけど、半妖のヒカリと結婚なんか出来るわけないだろ? 大体、戸籍も無い相手とどうやって入籍するんだよ。馬鹿なことを言ってないで、いい加減に目を覚ましてくれ。ハルトが一人でのぼせあがっているだけで、ヒカリは君のことなんか何とも思っていないんだから」
レンは早口でまくしたてると、不機嫌な面持ちで鍋に油をひき、肉を炒め始める。
「俺とヒカリちゃんは、間違いなく両想いだよ」
俺が野菜を乱暴に切りながら言い返すと
「いいや、間違いなく利用されているだけだ」
とレンが冷たく言い放つ。
俺達はそこから一言も口をきかずにカレーを完成させ、気まずい空気に耐えられなくなった俺は、外を散歩して頭を冷やすことにした。




