6.漆黒の檻
アイザックは15歳の時に父に呼ばれ地下室へと赴いた。
大きく重い扉を開ければ、贅を凝らした部屋がありそこには漆黒の瞳を持つ美しいドレス姿の女性が佇んでいた。父はアイザックにその女性と話すことを許さなかった。会うのもこの一度限りだと言われていた。
アイザックはその漆黒の瞳に一瞬で魅せられ恋をした。だが次の父の言葉に衝撃を受ける。
「お前の母親だ」
自分の母親である王妃は出産と同時に亡くなったと聞いている。この女性が自分を産んだ母親ならば今まで母親だと思っていた肖像画の王妃は他人という事になる……。
衝撃的な話は続いた。王家の男子は黒い瞳の女性しか愛せないことを聞かされる。
何と恐ろしい呪いなのだろう。そうとしか思えない。この大陸では黒い瞳は忌み色として迫害される。見つけることは困難だ。そして見つけてもどれほど愛していても公に妃として迎えることは出来ない。
その後もアイザックは一度だけ会った母の漆黒の瞳が忘れられなかった。どれほどの美貌の女性を見てもアイザックが心を動かされることはなかった。もう一度、漆黒の瞳が見たいと心が渇望していた。そして父の言う通り、自分は黒い瞳の女性以外を愛せないことも理解した。
そんな自分の婚約者を決める条件はメリットがあるかどうか。
オリビアは公爵令嬢で美貌も教養も地位も問題ない。留学を望んでいるのでその間、婚約者として振る舞う必要もない。そして公爵家では長年小麦の交配を研究している。我が国では小麦を輸入に頼っている。自国で生産し賄うことは悲願だ。研究は順調なので完成すれば特許を王家が管理できる。あらゆる面で利用できる娘だった。
アイザックは愛する人を手に入れられないことを仕方がないと半ば諦めていた。黒い瞳の女性を探すのはほぼ不可能だ。それでもやはり諦めることが出来ずに部下に命じて探させた。スラムも国外も。いい結果は得られなかった。そんな時、ある男爵家で黒い瞳を持つ娘を隠して育てているという情報を得た。家に忌み色を持つ子が生まれたと知られれば貴族として致命的だ。貴族も商人もその家との交流を断つだろう。それでも娘を殺さず育てているとはアイザックは幸運だった。
秘密裏に男爵と交渉し黒い瞳の少女を手に入れた。名前はエリーという。アイザックは一目でエリーを愛した。
彼女を手に入れるには条件があった。エリーの双子の姉のアニーを王太子妃にすることだ。アイザックはエリーを手に入れるために愚かな流行の恋愛小説を利用した。男爵令嬢では身分に問題があり簡単には妃に出来ない。
馬鹿馬鹿しいがそれで民衆から支持を得られ、婚約者の変更を速やかに行うことが出来る。
オリビアを利用し切り捨てることに何の躊躇いもなかった。
エリーは生まれて一度も外に出たことがない。肌は抜けるように白く、外に出すことがないはずの娘だからか最低限の教養と食事しか与えられていなかった。体はやせ細り折れそうだ。会話は幼子としているようだった。面差しは平凡だがアイザックにはその漆黒の瞳の美しさだけで十分だった。
エリーを手に入れたアイザックは王城の地下室に自分とエリーが過ごす為の部屋を作った。エリーの為の宝石やドレス、高価な家具を入れ父王が母に与えたものと同じように贅を凝らした部屋を用意した。
世間の常識を知らずに育ったエリーは素直に喜んだ。大きく改善された生活、美しい男性が夫となったこと。一つの疑問も抱くことなく豪華な檻の中でアイザックと幸せに生きる。
アイザックはエリーに関しては盲目的になるが王太子としての責務は疎かにはしていない。公務をこなして国を守らなければエリーとの生活が破綻してしまうからだ。
「エリー。元気に過ごしていたかい? 体調は?」
アイザックは地下室の重厚な扉の鍵を開け中に入るとエリーを抱き締める。
「アイザックさま。げんきにしていました。おなかのこもげんきにうごいています」
ニコニコと拙く話すエリーは俗世の汚れを知らずとても可愛らしい。年齢よりも幼く見える。
漆黒の美しい瞳はアイザックを魅了し、欠点全てを凌駕する。エリーを愛しているという感情が体中を支配する。
エリーは逃げ出すということすら考えたことがない。外に広い世界があることすら知らないのだ。
アイザックはエリーを引き取ってからも特に勉強などさせなかった。エリーは公に出来ない存在だ。アイザックの為だけに生きるお姫様は純粋無垢なままでいい。
産み月が近づき大きくなったお腹をアイザックは愛おし気に撫でる。
王家の男子は黒い瞳の女性としか子を生さない。ならば王家に黒い瞳の子が生まれてもよさそうなのに決して生まれない。理由は分からないが、それこそが黒い瞳を求める理由にも感じられた。
エリーの姉、王太子妃であるアニーは妊娠して体調を崩し後宮で安静にしていることになっている。実際は国に恥をかかせる妃など不要だと後宮に厳重に閉じ込めている。さっさと別の場所に幽閉したいがエリーが子を産むまでは王宮にいてもらう必要がある。
アニーは出産後に体調を崩し離宮で療養していることにして幽閉する。そして一生そこから出ることはない。
エリーの産んだ子はアニーが産んだことにして正式にアイザックの子として王位継承権を与える。これで世継ぎの心配はなくなる。
ローラは王太子妃の補佐役として妃の公務を代行させている。いずれ自分が王太子妃になれると思ってよく働いている。アイザックはローラを妃にするつもりはなかった。アニーはエリーを手に入れる手段の一つだと思い妃にすることを許容できたが、ローラは無理だ。真実に愛する女性を手に入れた今、偽りの妃など置きたくない。公務を滞らせないために代理が必要だから側に置いているが、エリーを差し置いて正式な妃として隣に立たせることは許せない。
いずれローラが不満を漏らし妃になりたいと言い出すだろうがそうするつもりはない。その時は…………。
研究三昧で可愛げのないオリビアを排除して研究の成果を手に入れることが出来た。
まだ栽培試験の段階だが実用できれば近い将来長年の小麦の懸念が消える。アイザックとエリーの間に生まれる愛しい我が子がこの国を継ぐ頃には、国中に美しい金色の豊かな小麦畑が広がっているはずだ。
エリーの子が生まれればアニーは表舞台から完全に去る。煩わしい存在がいなくなり世継ぎの問題もなくなり愛しいエリーを独り占めできる。ああ、なんて素晴らしいことだ。
アイザックは満足していた。すべてが望み通りに上手くいっている。
漆黒の瞳を囚えたのは自分なのか、それとも漆黒の瞳にアイザックこそが囚われたのか……。
確かなのはアイザックの幸福はそこにしか存在しないという事だ。