9.大公夫妻の幸せな日々
ライラは帰国して暫くすると妊娠が判明する。
ジョシュアは大袈裟に心配してライラをそれはそれは大事にしていた。周囲の人間があきれるほどに。
その日、ライラはジョシュアに寄り添い暖炉にあたりながら心配事を思い切って打ち明けた。
「ジョシュア様。もし生まれてくる子が私にそっくりの地味顔でも愛してくださいますか?」
ジョシュアは何を言われたのかとぽかんとする。ライラは真剣であり思いつめた表情で体を硬くして返事を待っている。その姿がなんともいじらしい。
「当たり前だ。愛しいライラにそっくりな娘だったら最高じゃないか。まあ、絶対に嫁には出せないが。何故そんな心配をしているんだ?」
ライラそっくりの娘……小さなライラ……その子をこの腕に抱けるのか……想像するだけで幸せだ。
「あの国を出た時に『美しい淑女になる化粧』の道具や教本を置いてきてしまったのです。あれがないともう、あのお化粧は出来ないと思うのです」
ライラの表情は沈んだままだ。ジョシュアはいまいち彼女の不安が理解できずに首を傾げる。
「別にできなくても問題ないだろう?」
「ですが、……社交界では私のような地味な顔の女が妻ではジョシュア様が気の毒だと、生まれてくる子が不憫だと言われています……」
ジョシュアは手に持っていたグラスをあやうく怒りで握り潰すところだった。グラスを割ってライラに怪我をさせてはいけないと心を落ち着かせる。妊婦に向かって何てことを言うのだ。あとでライラに余計なことを言った者どもを調べそれ相応の報いを与えなければ。ジョシュアは心の中で報復を思い巡らす。
ライラは自分を美しくないと思っているがジョシュアは涼し気な目元も可愛らしい低い鼻も大好きだ。派手さはないがライラの穏やかな笑顔はジョシュアの心を満たしてくれる。何故まわりの人間がライラを美しくないと言うのか理解に苦しむ。あいつらは目が腐っているのか? いや、それよりも今は愛する妻の心を穏やかにしなければならない。
「ライラ。私はライラを誰よりも美しいと思っている。顔も姿もだが、それだけでなくその心根もだよ。何事にも一生懸命なところは尊敬している。上手く言えないが……とにかく他人の言葉より私の言葉を信じて欲しい。ライラの美しさを理解しない者のことなど放っておきなさい」
ジョシュアは両手で俯くライラの頬を包み込むと自分の方を向かせる。
「ライラ。私の一番の好きな花を知っている?」
「? いいえ」
ライラは彼が突然何を言い出すのかと困惑する。そういえば彼の好きな花を聞いたことがなかった。これは妻失格かも知れない。ジョシュアは俯きそうになるライラに笑いかける。
「ライラックの花だよ。初めて君を見た時ライラックの妖精かと思ったな。紫色の髪に紫色の瞳が可愛らしくて。もしかしてあの時から無意識に惹かれていたのかもしれないな」
「妖精? でもあの頃は『美しい淑女になる化粧』をしていましたわ。今の私は……」
「今でも私にとって君はライラックの妖精だよ。素のままで十分可愛いのに卑下してほしくない。私の妖精にはいつでも笑顔でいてほしい」
ライラはその言葉にようやく笑顔になった。
「ジョシュア様。もしかしてライラックの花から私の名前をつけたのですか? ライラと」
「ああ、実はそうなんだ。何だか恥ずかしいな。似合っていると思っているが気に入らなかったか?」
「いいえ! ジョシュア様の好きな花と同じ名前で嬉しいです」
ジョシュアは目元をほんのり赤くすると照れくさそうに目を逸らした。愛しい夫はロマンティストだったらしい。
ライラは自分の名前が一層大好きになった。
二人は目を合わせると微笑み、そっと顔を寄せ唇を合わせた。
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