0.公爵令嬢の逃亡
オリビアはみすぼらしい馬車に揺られ窓から外を見た。そこには静まり返った漆黒の闇が広がるばかりで、馬車のガタゴトという音が響く。夜盗を避け追手を気にしながら国境を越える。自分が以前この道を進んだ時は留学のためだった。乗り心地のいい馬車に護衛を連れた快適な旅。今は粗末な馬車で激しい揺れに耐えなければならない。
どうしてこんなことに……。恐怖と心細さに瞳には涙が滲む。果たして目的の国まで無事にたどり着くことが出来るのだろうか。
馬車の中には両親が一緒にいるが誰も言葉を発しない。一様に顔色は悪く今は何も考えられないことが見て取れる。突然の状況を皆が受け入れられずにいた。
オリビアはこの国の公爵令嬢であり父は植物研究の権威であった。オリビアもまた国の為に民の為にと誠心誠意、父と共に研究に打ち込んできた。また王太子殿下の婚約者として妃教育・社交にと精一杯励んできた。
それなのに、自分たちの何が一体いけなかったというのか? どうすればよかったのか?
オリビアは身分の低い男爵令嬢にひどい仕打ちをしていると非難された。そんなはずはない。彼女とはまともに話したことすらないのに、心当たりのない罪で責められた。父も王家に対し謀反を企んでいると噂された。研究以外に興味のない父にそんなことが出来るはずもない。
だからオリビアも両親も冤罪であればいずれ疑いが晴れると信じていた。それが晴れるどころか調査も裁判もなく捕縛命令が出てしまった。追いつめられ着の身着のまま全てを捨てて国を出る決断をした。オリビアたちには他の選択肢は存在しなかった。
国を民を思い研究に捧げた時間も、王太子妃になるための努力もすべて踏みにじられた。まるで道端の花を何の感情も抱かず踏み潰すかのように容易く。
旅を進めていく中で最初は悲しみと絶望が、あとから行き場のない怒りと憎しみが去来した。
国にとって王族にとってのオリビアという一個人は守るべき民ではなく利用価値のなくなった人間……これほど軽い存在なのだ。
たとえ逃げ延びたとしても生まれた時から貴族であった自分たちが自力で生きていけるのだろうか。今着ているものも着慣れぬ平民が着るような服だ。そして持ち出すことの出来た財産はそれほど多くない。
これからを思うと不安に胸が押し潰されそうになる。
今のオリビアに出来ることはただ神に祈ることだけだった……。