暗黒神と明日
悪神ギカリギ。クラゲと蜂を掛け合わせて無理矢理人型にしたような、醜悪なる悪神は天才と言っていい。
齢八千歳と神々の中では非常に若輩だが、破壊の概念を自由自在に操ることによって、百万年以上生きていた神格だって打ち破ってきた。
尤も狭間の変はギカリギすらも巻き込んでしまった大異変であり、ギカリギはこの世界と密接に関わってしまった。
それ故に暗黒の軍勢が行おうとしている大魔法は看過できず、ギカリギはクラゲのような触腕と、蜂のような足で無理矢理空間をこじ開けて、滅びの塔を破壊するため現れかけていた。
「おいクソガキ。引っ込むなら見逃すが、そうじゃないなら殺すぞ」
「ぼははははは! くっそ上から目線ですな!」
だがそれは、ギカリギの領域にいつの間にか入り込んでいたテネラとブエの声で止まる。
『なぜここにいる!』
「ああ? 説明してやれブエ。アレだってな」
「そうそうアレですなアレ! ところでアレってなんですか?」
「アレっつったらアレだ。お前の権能だろ。俺には訳わかんねえんだよ」
「分かりました! 理屈はさっぱり分かっていませんが説明して差し上げましょう!」
驚愕するギカリギを余所に、蹲踞というには下品にどっこいしょとしゃがみこんだテネラと、変わらずハイテンションなブエが漫才を続ける。
「この道化、どこであろうと楽しく愉快なお喋りをするため、どこでもかんでも入り込むことができるのですよ! その力をちょちょいと使ってこの場に」
『死ね!』
べらべらと話し始めたブエに、ギカリギは付き合うつもりなどなく、千を超える触腕を蠢かして叩きつけた。
「ぼはははは! 話してる最中なのに酷いですな!」
『馬鹿な!?』
しかしブエは無傷。ギカリギが例外などないと自信を持っていた破壊の概念すらブエはすり抜ける。
非常にややこしい話をすると、ブエという存在は以前に彼が言ったことと違い勇者達に敗れていない。だが確かに敗れたとも言えた。
「それは俺とやり合うってことでいいんだよな?」
「ぼははは! ですなあ!」
テネラが俺達ではなく、俺と言った。配下が攻撃されたからではない。
「なら見せてやろう! 俺の真の姿をな!」
「ぼははははははは!」
テネラの宣言と共に、ブエがかつてそうしたように満面の笑みを描いた道化の仮面を外した。
その顔は……テネラと瓜二つ。いや、そのものであった。
色物揃いの暗黒の軍勢にあってなおブエは特殊な存在である。
この世界に最初に誕生したとある存在は孤独に苛まれ、どこを見ても黒一色の世界に飽き飽きして望んだ。無遠慮に話しかけてきてこちらが悪態を吐いても傷つかず、全く空気を読まない者、話し相手を。
結果その存在の一部から分裂して生まれ落ちた。
それこそが何処だろうと入り込んでしゃべり続ける道化ブエであり……だからこそ彼は勇者パーティーに感謝をしていた。
分裂して以降テネラと名乗り始めた男は、善であると自称した神々と人間達との関わりで心を病み始めた。その無聊を慰めるべき役目を担っていたブエですらどうしようもないほどに。
「ぼははははははははは! 勇者パーティーの皆様! 私は叫んでみましょう! あなた方はまさしく偉大だった!光が見えた! なんと輝かしく凄まじき光! 人は人のまま全人類の光を宿した! 全人類の祈りを宿した!」
テネラと同じ顔、同じ声でブエが勇者達を賛美する。
ブエが思い出すのは最後の最後。最終決戦の場で愚かな善神ではなく人類の希望、光、願いを宿し、ただでさえとんでもなかった存在だったのに限界を容易く超えて光り輝く勇者パーティーの姿。
「あなたも祈ってはいかがか! 聖女殿のように!」
そして勇者パーティーが大魔王に勝利した要因。
伝説の聖女にして人工聖女計画成功例第一号ミフィーナ。
言葉通り人が人を作り出す禁忌の計画によって生み出された女は、砂糖と塩も区別もできない世間知らずだったが、まだ勇者と呼ばれる前の男に鳥籠から解き放たれ世界を知った。
悲しみを知った。怒りを知った。憎悪を知った。
「命の光を!」
その上で人の光を信じて、勇者パーティー全員に人類の光を宿すという奇跡を起こした。
それに道化は感謝した。
主を笑わせる仕事をできなかった愚かな道化の代わりに、確かに勇者パーティーは大魔王テネラの心に光を差し込んで見せたのだ。
だからこそ借りは返しておく必要があった。
「闇よあれ! ぼはははははは!」
勇者達が守った世界を守るという形で。
ブエの形がどろりと崩れ、分裂していた二人が勇者達に打ち取られた時と同じように混じり合う。
黒く輝き一塊になる。
どこまでも黒く黒く黒く宇宙よりもなお暗い暗黒の人型。
どこまでも大きい大きい大きい深淵の人型。
ただ黒で形作られた星を見下ろすほどの神威。
それこそが世界が誕生した瞬間に零れ落ちた概念の一つ。
始まりの神々の一柱。
暗闇。暗き黒き者。光と別たれし闇。神々の敵対者。
『さあ人がちっぽけであると弄んだのならやってみろ! 聖女が! 剣聖が! 魔女が! ビーストマスターが! モンクが! 竜騎士が! 暗黒騎士が! シャーマンが! 狩人が! なにより勇者がやってみせたように!』
なにより勇者達の宿敵、大魔王の正体。
『この最初の闇、テネブラエを倒してみせろ!』
古き言葉で【闇】を意味する世界最初の種子の内の一粒。
暗黒神テネブラエ。
否。
敗者テネブラエが現れた。
『おおおおおおお!?』
敗者如きに恐怖したギカリギが、破壊の権能だけではなくありとあらゆる力を振り絞ってテネブラエに攻撃する。
『それになにが篭ってる! あいつらなら誰も当たらんし、万が一勇者に当たろうとなんの意味もないぞ!』
万を超える色とりどりの攻撃。その全てが山を吹き飛ばし都市を消滅させるだろう。しかし暗黒の神はなんの痛痒も感じていなかった。
全人類の祈りを宿した勇者パーティーに比べると密度が薄いのだ。
テネブラエは聖女の光消滅魔法で両目が消失した。
ビーストマスターの牙と狩人の矢が全身に深々と突き刺さった。
暗黒騎士の呪詛で全身が爛れた。
右手は魔女に燃やされ、左手は剣聖に斬り落とされた。
右足は竜騎士の槍で貫かれ、左足はモンクの拳で潰された。
そして頭は勇者の剣でカチ割られた。
それに比べたらギカリギの攻撃のなんと薄いことか。
『最初の闇よ!』
『ひ!?』
世界に存在する全ての闇を凝縮したような力がテネブラエの右拳に宿ると、ギカリギは自分の知覚を容易く超えたエネルギーに恐怖の声を漏らす。
『なに悲鳴を上げてやがる! 勇者のアホは耐えるどころか剣をカチあげてきたぞ!』
それが気に入らないテネブラエが怒りの声を発した。
伝説の勇者が暗黒の軍勢から恐れられたのはその精神性だけではなく、彼ら超越者から見ても異常な頑強さと力にある。尤もその代わりにできたことは基礎的な剣の振り下ろしと、盾の構え方だけという有様だったがそれで十分だった。
フェンリルの爪と牙を耐えて剣を振るい。
トゥーラが描き出した魔物の群れの攻撃を耐えて剣を振るい。
ソナスの極大音波攻撃を耐えて剣を振るい。
リブリートが呼び出した他のパーティーメンバーの師匠の攻撃を耐えて剣を振るい。
セルパンスの巨体攻撃を耐えて剣を振るい。
ドリューの火球を耐えて剣を振るい。
乙女達の連携攻撃を耐えて剣を振るい。
眠りのミリーナによる権能を耐えて剣を振るい。
生命のルーシーによる権能を耐えて剣を振るい。
炎のイグナによる権能を耐えて剣を振るい。
果てには機械神ナルヴァスの副砲を一番前で防ぎ、彼にこいつ本当に有機生命体か? と真剣に疑われたこともあった。
とはいえ機動力がなかったため、常に先手を取れる最速騎士エリウスだけは天敵だったが、逆を言えばきちんと攻撃を当てられる相手なら勇者はどんな存在だって相手にして見せた。暗黒神テネブラエにすらだ。
それは最早、最強や無敵でこそないものの、限りなく類似する存在と言っても過言ではなかった。
『死ね!』
暗黒と闇が凝縮したテネブラエの右拳が解き放たれた。
神秘が満ち溢れていた神の時代も遥か彼方に去り、テネブラエの力も劣化して原初の理と呼べる威力にこそ至っていなかったが、それでも最初の闇の概念がギカリギの領域に溢れ……。
なにもかもを覆いつくして問答無用に消し飛ばした。
『この程度! この程度か! 勇者はぴんぴんしてたというのに!』
またしてもテネブラエが勇者を想い叫ぶ。
最終決戦で光の化身となった勇者は、最初の闇の概念すら真っ向から防ぎ切り、お返しとばかりに光で刀身が伸びに伸びた聖剣をテネブラエに叩き込んでいた。
そしてギカリギが消滅したとほぼ同時に、滅びの塔で編まれていた術式が発動した。
「今回は発動しましたね」
滅びの塔から聳える光の奔流を見ながら、ミリーナが今度こそ発動した塔の力に対して感慨深げに呟く。
「うむ。暗黒騎士辺りは化けて出てきそうな気もしてたが」
「暗黒騎士にやられたルーシーが言うと説得力があるよ」
そしてルーシーは、自分の権能が通じなかった死者、暗黒騎士なら化けて出るのではないかと冗談めかし、イグノがニヤリと笑った。
滅びの塔、かつての名を願いの塔。神々が理想世界を作り上げるために作り上げたこの神器は、大魔王テネラが占拠して滅びの塔と呼ばれ始めた。
効果はいたって単純。魔力に応じてその分の願いを叶える。とされているが、神々ですら力が及ばない過去の改編や死者の蘇生には使えないなど欠点もある。しかし今回は十分だ。
今滅びの塔には世界の地脈、星の地脈が流れ込み、その膨大な魔力を用いて一つの願いを形作ろうとしていた。
『よしやるぞ!』
テネブラエという人間世界創生に僅かながら関わった神が、己を核として狭間の変で無数の次元と絡まり合ってしまった人間世界だけを固定する。
『ぶっ飛べ!』
そして願いの塔は、暗黒の軍勢に叩きのめされた9種族と彼らのいる地が、この世界の種と領域での格が揺らいでいると無理矢理定義して弱め、狭間の変で接合された9種族の地を引き離そうとする。
「な、なんだ!?」
異変はようやくブエから解放された獣人の王、レ・ガオルも感じ取れた。
塔の魔力は獣人たちがいる領域にも作用して大地を大きく揺らし、途方もない大きな竜巻があちこちで発生して、雷が常に光り続ける天変地異が起こる。
「お兄ちゃん! あれ!」
「と、塔から光が!?」
だがルーカスとリアンの兄弟、村人が呑気に光り輝く塔を指さすように、人間の領域で天変地異は起こらず、ただ不可思議な現象に驚いているだけだ。
そして……。
世界は人間世界だけが残り、9種族の地は狭間の変のように異なる次元に吹き飛ばされた。
そのせいで天変地異はさらに酷くなる。
世界の地脈が崩れたことによって、吸血鬼と悪霊、悪魔にとって天敵である光の魔力が溢れるときもあれば、獣人や蟲人どころか機械文明にとっても天敵である強酸の魔力を含んだ雨が降る。
ドラゴンを打ち落とす雷が絶え間なく落ち、巨人も耐えられない寒波が広がり魚人の故郷である海は凍り付く。
人を滅ぼそうとした9種族は、いつか滅びるその時まで、長い長い苦難の時を歩むことになる。
『人よ! お前達はこの大魔王が滅ぼすまでもない!どうせいがみ合って憎しみあい、勝手にくたばるのが目に見えてるからな! だからつまらん存在がいる世界にいても面白くないから、俺達は余所に引っ越しさせてもらおう!』
人間界に存在する結界が破られた直後に暗黒の軍勢が介入したため、近年は比較的落ち着いていた人間達にテネブラエが語り掛ける。
『違うというなら証明して見せろ! できるもんならな! はっはっはっはっ!』
捻くれた物言いだが、それはテネブラエが人類に送ったエールなのだろう。
なぜならテネブラエは人間にこれ以上関わるつもりがない。確かに勇者達はテネブラエに光を差し込んで見せたが、必ず負の側面を見せだすことも分かっていた。その時、テネブラエは自分でもまた人に失望して消そうとする可能性を把握していたため、この世界を去る決心をしていた。
「塔が……」
ルーカスとリアンが、霞のように消えゆく滅びの塔を見届ける。
「あ、ありがとうございます!」
「ありがとうございます!」
兄弟はなにが起こっていたかを全く知らない。しかし、お礼を言うべきだと思って感謝の言葉を送る。
「消えちゃった……」
そして塔が完全に消え去り呆然としていた二人だが……。
「お兄ちゃん。あの麦育てないと」
「うん。そうだね」
テネラが耕しこっそり麦を育てようとした畑に向かい、明日のために一歩進もうとした。
◆
それは暗黒の軍勢も同じだ。
「ああ疲れた。じゃあ後全部よろしくなブエ」
大魔王テネラも。
「なんですと!?」
道化師ブエも。
「とりあえず適当な次元を見つける必要がありますが……」
「ぐうたら亭主に戻ったな」
「いつものことさ」
三女神ミリーナ、ルーシー、イグノも。
「さて、庭仕事に戻るかね」
「そうじゃの」
「わん!」
三大怪物ドリュー、セルパンス、フェンリルも。
「婚活しようとした矢先にこれである」
「訴訟も辞さない」
「ぶー!」
「スーパーイケメン育成計画がああ!」
乙女達も。
「おーい油切れたんだけどよー」
滅びの船ナルヴァスも。
「ちょっと馬具の手入れが必要か……」
最速騎士エリウスも。
「ぬおおおおおお!テネラちょっと待たんか!? まだ買ってない本がああああ!」
司書リブリートも。
「私は作曲してるので邪魔しないでくださいね」
音楽家ソナスも。
「私も絵を描いてるから絶対に、ぜーったいに邪魔しないでよね!」
絵師トゥーラも。
そしてゴブリンやオーク達暗黒の尖兵すらも。
次を歩み始めるのであった。
-明日は明日来る。そうしてみせる-
伝説の勇者の決意 名は失伝
光り堕ち大魔王伝、完
皆様、拙作をお読みいただき誠にありがとうございました。
大分駆け足でしたが、サボる前に書いていた通り、あくまでこいつらを倒した勇者達とは……がコンセプトの作品のため、これにて完結とさせて頂きます。
思えば素直に勇者を称賛する作品では面白くないなと考えて書き始めた捻くれ者の作品ですが、もし面白かったと思っていただけたらこれ以上の喜びはありません。
再びになりますが、皆様本当にありがとうございました!




