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結月ゆかりの奇妙な食卓

ンヌグァイホの茶漬け

作者: 赤島

気がつくと私はホテルのロビーにいました。


見渡してみるとここはどうやらビジネスホテルのようで、正面にフロント(人は居ない)、左手には恐らく食堂に繋がっているであろう引き戸、また右奥にはエレベーターが1つあります。


広すぎずこざっぱりとした内装だな、という印象を受けました。


なぜ自分がここにいるのかは思い出せませんが、ひとまずチェックインをしなければなりません。

フロントの呼び鈴を押します。


しばらくの間音沙汰がありませんでしたが、寸刻ほど待っていると左奥の暖簾からぬうっ、と人影があらわれました。






……果たして、人がこんな姿をしているでしょうか。


私の前に現れたのは、視界全てを覆うほどのピンク色でした。


図体はゆうに3mはありそうです。ずんぐりとした躰、生まれたてのパンダのような薄桃色の肌、そしてたるんだ皮膚には毛が一切見当たりません。


それは体を丸めるようにして、窮屈そうに奥の扉からゆっくりと這い出てきました。


蛍光灯の光にわずかに照らされた顔には本来あるべき器官はなく、代わりにひょろひょろとした細長い管のようなものが5本伸び、まるで情報を求める触角のように蠢いています。


私は言葉に詰まっていましたが、眼前の生物はそれを気にする素振りもないようでした。


やがて肉塊の一部を触手のように変形させると、机の下から何枚かの書類を取り出し、私の方に差し出します。






「お客様、当館のご利用は初めてでしょうか」


その口調や声色は、余りにも人間的で自然すぎました。


「...お客様、どうかなさいましたか?」


「あ、いえ......ええと、初めてです」


「かしこまりました。では手短にご説明致します」


どうしたことか彼(?)の所作や口調は実に丁寧で、テキパキとそつがありません。


そのホテルマンらしい誠実さに、私はそこはかとない好感さえ覚えました。


人は見かけで判断してはならないとはこのことを言うのでしょう。


一通り説明が終わると、彼は私を部屋に案内すると言いました。わざわざそこまでしなくても自分で行くと申し出たのですが、


「迷いますので」

の一言で片付けられてしまいました。






エレベーターを抜けるとそこはアマゾンでした。


無秩序な木々の群落。べったりと纏わりつくぬるい空気。


お互いを覆い隠すように鬱蒼と繁った木立の間を、獣道とも呼べない細道がどこまでも伸びています。


むせかえるような草いきれをものともしないホテルマンの後に、身を隠すように続きます。


しかし部屋のドアはおろか、樹海の終わりすら見えず、

徐々に私の足取りは重たくなっていくばかりでした。


どこからか、何者かの威嚇とも悲鳴ともつかない鳴き声が絶えず聞こえてきます。



「...あと、部屋までどのくらいですか」


「もう着きます」


といった会話を3度ほど繰り返した頃でしょうか、ふいにホテルマンの足が止まります。


「こちらです」







見ると前方に金属製の黒色のドアが、無機質にぽつんと立っていました。


後ろに壁や部屋があるわけではなく、本当にそれだけが急に道端に置かれているのです。


もちろん部屋番号も書いていません。


「『アリゾナ』です。こちらがお客様のお部屋になります。外出の際はルームキーと■■■(解読不能)を忘れずにお持ちになるよう願います。」


彼はそう言うと、鍵とティーカップを差し出しました。


中ではやや粘度のある青白い発光体がひそかに蠢いていました。






さて、『アリゾナ』は至って普通のシングルルームです。


きちんと手入れされたベッドと冷蔵庫、旧式のテレビ、湯沸し器なども備えており

広くはありませんが一人で泊まるには十分快適だと感じます。


また部屋には備え付けの小さな三角形の水槽があり中にはやや粘度のある水が満ちていました。


私はどことなくそれが先ほどの青白い物体を入れるためのものだと感じました。



そこで、ティーカップを水槽に傾けるとそれは自ら飛び込むように

水槽の中にするりと滑り落ちていきました。


しばらく歩いていたこともあり、ベッドに腰を下ろしてしばし寛いでいると、ドアがノックされます。


「ルームサービスです」


そう言って先ほどのホテルマンが持ってきたのはビニール袋に入った温かい食事でした。


袋から漂う香ばしい香りが鼻腔をくすぐります。


「食事は頼んでいませんが」


「ですから、これはサービスです。遠くからお越しでお疲れのようですから

今日は部屋でゆっくりされてください」


なんと気の効いたビジネスホテルだろう、と内心感動しつつ

私は食事の支度にとりかかることにしました。


彼が持ってきてくれたのはお弁当で袋の中にはプラスチック性の容器が2つ、入っていました。






『ンヌグァイホ』


丸い丼型の容器に入っていた食べ物。


ホテルマンが名前を教えてくれたが、正直なところ何と言っているかわからなかった。


何かの肉と柔らかくプニプニしたものとを炒め合わせた料理を、

おそらくの上に乗せたもの。香りを嗅ぐたびに匂いが変わる。


横に添えられているのはクァイというらしい。



『ト・ト・スウプ』


長方形の容器に入っていた食べ物。発音は割りと聞き取りやすかったが、どう見てもスープではない。


ここではスープという単語は別の意味を持つのだろうか。


極彩色の野菜のようなものを適当な大きさに切り、上からタレをかけたもの。やや粘りけがある。







「いただきます」


まずはンヌグァイホ。


重たい。


見た目は完全に米なのに、持ったときの重量が想像の3倍くらいあります。


それだけ密に栄養が詰まっているということでしょうか。


肉と共に口に運びます。


「ウッ...」


これは...獣臭い。恐らく肉が原因のようです。


ちゃんと下処理はされているのでしょうか。


噛んでも噛んでも噛みきれないし、いやな後味が残ります。


これは...ちょっと遠慮しておきましょう。


一方、プニプニとしたなにかは味がしっかり染みていて悪くありません。


これだけ別に味付けしていたようです。


重量3倍米と合わせて食べるとちょっと甘さの効いた中華料理のような味がしてなかなか美味しい。


「うん、意外といけます」



そして、ト・ト・スウプ。


一見独特の粘りがあるので口に運ぶのは躊躇われますが...。


「え、なにこれ」


極彩色の食材は今まで食べたどの野菜よりも新鮮で、

噛むと甘さの中に野菜の濃厚な旨味が広がります。


そしてこの歯触り。シャキシャキ。ボリボリ。


食感の良さがこの料理の美味しさを引き出しているのでしょう。


かかっているタレも独特の酸味があるものの案外あっさりとして、素材の味を邪魔していないのです。




一通り食べ進めましたが、やはりンヌグァイホが少し残ってしまいます。


先ほどの獣臭を思い出し閉口していると、ふとご飯の横にある付け合わせに目が留まりました。


「そういえば、クァイって何でしょう」


少し齧ってみると魚介系に近い強い旨味を感じます。


「塩味が強い...これは、燻製?」


アイデアが浮かびます。


部屋にあった湯沸し器でお湯を沸かし、これまた部屋にあったティーバッグに注ぎます。

香ばしく炒ったお米の香りです。


「これを器に注いで...」


ンヌグァイホのお茶漬けの完成。


お湯を注いだクァイは花開くように膨らみ、湯気と共に芳醇な香りを辺りに漂わせます。


「あ、でも肉はのけてても良かったな...」


先ほどの臭みを思いだしましたが、ひとまず一口。ええいままよ。





しかし、これは。


「臭みが全くない...?」


驚くことにお茶を注いだンヌグァイホの肉からは先ほどのような獣臭さは感じず、

さらに固かった食感もホロホロとほどけるように柔らかくなっていました。


まるで食材に感情があり、バラバラだったルービックキューブの面を合致させるかのように、

深い旨みとまとまりのある味へと変化していたのです。


そこで、私は気づきます。これが肉というよりは魚の風味に近いことに。


「もしかしてこの肉、クァイを燻製にする前のものなのでは...」


思わぬ発見に胸が小躍りします。


結局私はどちらも完食してしまいました。








くちくなった腹を擦りながら、ベッドに体を預けます。


あのホテルマンにはまた改めてお礼を言わないといけません。


私は得体の知れない奇妙な満足感を味わっていました。


セブンスターの仄甘い煙を吐き出しながら、私はふと簡易ドリップ式のコーヒーを

持ってきていたのを思いだし、食後にと一杯淹れることにしました。




まだ湯気がもうもうと立ち上るブラックを啜りながら、カーテンを開けます。


眼前には赤茶けた大地がどこまでも続いており、風は無く、

地平線からは今まさに3つ目の太陽が登ろうとしていました。


これがこの国の朝なのでしょうか。


どこか滑稽で、ラクガキじみた風景でしたが、不思議なことに私はある種の郷愁を感じていました。


蜃気楼のようにゆらゆらと揺れる太陽に目を奪われていると、

後ろで聞こえた水音で我にかえります。


振り返ると、水槽の中のイキモノが窓から差し込む光を受けていました。


太陽を一身に浴びながらくるくる、ぽしゃん。くるくる、ぽしゃん。と踊るそれは、

朝の日差しを受け、ひときわ輝いているように見えたのです。




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― 新着の感想 ―
[一言] 動画で見た時から、絶対にどこかで小説を書いている方の文章だと思っていました 読み上げなしの文で読んでも不思議な雰囲気の伝わるキレイな文章ですね。なんだか憧れます。
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