31.女神の加護の真実
よろしくお願いします。
王太子の執務室では、金色のカーテンが風に揺れていた。その窓からのぞく青い空には、小さな白い雲がいくつも浮かんでいる。空を見上げるのが久しぶり過ぎて、アリーチェには少し眩しすぎる。
王太子の誕生会から一カ月が過ぎた。
誕生会の日と同じように、今日も空は青い……。
空の青さに気を取られていたアリーチェは、王太子の咳払いでハッとすると、空から王太子へ視線を戻す。今は二人で話をしていたのだ。
びくりと肩を震わせたアリーチェに、王太子が心配そうに声をかける。
「大丈夫か?」
「申し訳ありません。少しぼんやりしてしまいました……」
アリーチェが少し疲れの見える顔で微笑むのを見て、王太子はため息を呑み込んだ。
「後始末がほぼ終わった。忙しい中で時間を取って悪いが、アリーチェには事の顛末を伝えておこうと思ってな」
ウィラードが刺された日から空を見上げる事もなかったアリーチェは、あの事件の後の話を何も知らない。王城の中では噂話でもちきりだったのだろうが、それさえもアリーチェの耳には入らなかった。
「是非とも、お聞かせください」
アリーチェの言葉に、王太子はホッと息を吐いて話し出す。
事の顛末と言っても、予想通りの展開だ。
国王夫妻は国の西にある塔に幽閉され、もう永遠に塔から出る事は叶わない。
多くの貴族が自分に対する不満をぶつけてきたのに、国王は特に何も感じていない。自らの失態を押し付ける息子にさえ、何の言葉もなかった。王妃に至っては、国王以外とは会話が成立しない。
結局二人共、誰に対しても最後まで謝罪をしなかった。きっと二人の世界には、他の人間は存在しないのだ。
一方、二人の被害者であるマデリンは、王太子に「今回の作戦に協力してくれた褒美は何を希望する?」と問われ、北に送られた両親の恩赦を願い出た。今後、実の両親と会うのかは未定だが、気には留めているようだ。
平民となったマデリンに王太子は一代限りの爵位を持ちかけたが、「自分には重すぎる」と言ってマデリンは断った。
今は家庭教師として身を立てるために、シルヴィアの猛特訓を受けている。「あの鬼婆!」とアリーチェに悪態を吐いているが、人が変わったように必死に食らいついている。
イブンセン家は取り潰し。反国王派の主要メンバーも捕らえられた。寝返った者も罪の大きさに応じて貴族籍の剥奪や領地没収など、少し欲をかいたにしては手痛い代償を払う事になった。それも、この国の約半数の貴族が……。それだけ王家への不満が高まっていたのだから、王太子としても反省すべき点は多い。
だが、悪い事ばかりでもない。王太子の改革を邪魔する貴族達がいなくなったので、新しい国造りは着実に進んでいる。既に話をつけていた近隣諸国や、技術を持つ平民達と協力して走り出した。
新しい国造りを支える腹心の部下も、王太子は身分を問わず能力重視で登用した。
この登用方法に関しては平民からは拍手喝采だが、貴族からは不満の声が上がっている。こうなる事が分かっていたのに、王太子が不満は覚悟の上で臨んだのには理由がある。長年ぬるま湯に浸かり続けた貴族は、能力不足が顕著でとても一緒に働ける力が無い者が多数なのだ。
この悲惨な現状を見ると、反王家派が退場してなければ……。と思うと、国の未来が危ぶまれてゾッとする。
だからといって、改革の初期段階で揉め事が大きくなっても困るので、適当に折り合いをつけながら対応している。まぁ、その適当な折り合いが非常に難しいのだが……。そこは折衝能力の高い部下に任せている。
そして驚いたことに、その折衝能力が高い部下がマックスだ。もうすぐ戴冠する王太子の右腕としてその力を発揮していて、早くも次期宰相候補と囁かれているほどだ。
一気に事の顛末を話し終えた王太子は、一番伝えたかったことを口にする。
「国は『星の乙女』に頼る事なく、自分達の力で豊かになろうとしている。だから、どこに行くのも、誰と結婚するのも、アリーチェの自由だ。俺もイーリカも兄妹としてアリーチェの選択を応援する」
その温かい家族の言葉に、アリーチェは静かにうなずいた。
最終的にアリーチェを『星の乙女』から解放する事に繋がるとはいえ、王太子がアリーチェを傷つけ利用した事実は変わらない。
二人の仲は相変わらずギクシャクしているが、今は王太子が必死で歩み寄って溝を埋める努力をしている。家族と呼ぶにはまだまだだが、イーリカが間に入ると穏やかな時間を過ごせるようになってきている。
王太子は無意識に一番守りが厳重である自分の執務室を見渡して人がいないのを確認すると、「他言無用の話をする」と言っててソファに座り直した。
新しい国造りについて楽しそうに話していた表情から一転して、かつての冷たい表情に戻っている。
良くない話なのだと感じたアリーチェも、緊張してゴクリと唾を呑み込み、王太子の赤い目を見返した。
「『星の乙女』には、過去に子供を産んだ者がいる」
「!」
アリーチェは驚きながらも、目を逸らさずに王太子を見ていた。だから王太子がバツの悪そうな顔をしているのが分かる。
本来であれば、この話は王家にとって隠しておきたい類のものなのだろう。アリーチェが知るはずのなかった真実なのだ。
「『星の乙女』が産まれるのは、アーバスノット国の王家にだけだ。別の国に嫁いだ王女やその子孫から『星の乙女』は産まれない。だが、『星の乙女』が産んだ子供なら、女神の加護を受けた子供が産まれるかもしれない。その心配があるからこそ王家は、絶対に裏切らないクロイツンド家に『星の乙女』を嫁がせると決めたのだ」
(何それ? クロイツンド家が裏切ったと言うの? 何よりも国を優先にしてきたクロイツンド家に限って、絶対に有り得ないに決まってる!)
アリーチェの心の声は顔に出ていて、クロイツンド家へ向けられるその絶対的な信頼を王太子は羨ましく思ってしまう。
「裏切ったのはクロイツンド家ではない。その時の『星の乙女』だ。クロイツンド家とは関係のない男との間に子供が産まれた」
その『星の乙女』から産まれた子供の子孫は、星の女神からの加護がないかと常に王家から見張られている。
そこまで手間をかけるのは、『星の乙女』が「王家が星の女神の加護を受けている」と証明する存在だからだ。
星の乙女の加護を持つ人間が王家以外から産まれたら? 「自分達は神に近い存在だ」と言っていた言葉が偽りとなる。自分達を神格化することで、周りからの尊敬を得ていたのに。それができなくなっては、国を統治などできない。
「『星の乙女』は王族の中から選ばれないと、王家が女神の加護を受けている証明にならず意味をなさない。自分達の存在意義が失われると恐れた王家が、自分達を守るために、『星の乙女』には子供を産ませないと決めたんだ」
『星の乙女』は、王家から差し出された生贄だ。望まないのに神に近いと崇められながら、人間らしい生活を奪われた。
「『星の乙女』に頼りきりで、自分達の力で国を引っ張る力が無いと認めたも同然のみっともない話だ。だから王族の中でも、国王になる者しか知ることが許されなかった。もちろんウィラードも知らない。あいつが知っているのは『『星の乙女』は人より神に近い存在だから子供を成したりはしない』という、王族が自分勝手に作り上げた話だけだ」
アリーチェが呆れ果てた顔を向ける。結論がこれでは、悩んでいた自分が馬鹿らしくなってしまう。
「アーバスノット国の王族は自分では何もしないで、『星の乙女』に頼りすぎだわ。今まで滅びなかったのが嘘のようです」
「俺もそう思うよ。それに、過去の歴史を見返すと、父上がずば抜けて愚かだった訳ではないんだ。今回無能さがいつも以上に表に出たのは、クロイツンド家前当主に見放されたからだ。残念なことに歴代の王は、みな能力に欠けている。それを補っていたのがクロイツンド家で、彼等がいなければ国はとっくに滅びていたはずだ」
(えっ? あの国王陛下が標準仕様ってこと? 王家とクロイツンド家のどっちが国王に相応しいんだか……)
「大昔に女神の加護を受けたのは、クロイツンド家の先祖だったと俺は思う。俺の祖先が馬鹿で自分が加護を受けたと勘違いしたのか、クロイツンド家が王になるのを拒んだのか、今となっては分からないけどな……」
(そうなのかもしれない。クロイツンド家があそこまで血にこだわる理由も、それなら納得できる。だけど、今、国が動き出す舵取りをしているのは王太子殿下だ。周りも王太子殿下だから、ついてきている)
「『星の乙女』が不要になる未来がくるなら、女神の加護を受けた先祖を持つのが誰でも構わないはずです」
アリーチェの言葉で、王太子は厳つい顔をクシャクシャと歪めた。
(え? もしかして、笑った?)
そう思ったのは一瞬の事で、王太子は再び苦しい真実を告げる。
「マデリンの戴冠式の日に、ティアラを光り輝かせたアリーチェがいた。アリーチェの登場に沸く民衆を見て、俺は『これで俺の計画が上手く動き出すかもしれない』と思った。俺は最初からアリーチェを道具として見ていたんだ」
知っている事だけれど、改めて言われるといい気はしないものだ。
「でも、ウィラードは違った」
ため息をつきかけていたアリーチェの両肩がピクリと揺れた。話の続きを求めて、王太子を見てしまう。
「俺の計画が本格的に動き出すというのに、一番の側近であるウィラードがアリーチェの護衛をすると言い出した。悪意の塊である王城に放り込まれて、俺の道具にされるアリーチェに対する同情が始まりだったと思う。だけどアリーチェと接している内に、あいつの表情が気持ち悪いくらい変わっていった。アリーチェの望むことを叶えたいと根回ししたり、ずっと支え合ってきたはずの俺の言動にも嫌味の連続で批判しかしなくなった」
アリーチェは護衛兵さんの時のウィラードを思い出す。いつも優しく、アリーチェに寄り添っていてくれた。
「極めつけが、『俺はアリーチェを神として扱う気はない。クロイツンド家当主として、『星の乙女』だから娶る気もない。王家との約束事ではなく、俺がアリーチェを愛しているから結婚する。邪魔をするなら、容赦しない』だからな。王家の懐刀が、俺相手に剣を抜くってどういうことだ!」
王太子は当時を思い出して腹を立てているが、アリーチェには嬉しい言葉だ。
(最初に「貴方は神同様の存在だから、人と同じ生活は送れない。貴方が心乱さずに幸せでいないと、国に幸せは訪れない」と言われていたら、私はどうしたのだろう? 仕方がないと諦めて不満を呑み込んだかもしれない。「自分が我慢をするだけで、平民街が孤児院のみんなが幸せになれるのなら」と受け入れたかもしれない。だって、私には執着するものが何もなかったから……。だから、ウィラード様は私に何も言わなかったんだ。私が大事なものを見つけて、ちゃんと自分で選べるようになるまで、言わないつもりだったんだ……)
「……本当に、ウィラード様は……。優しさなのでしょうが、言葉が足りないとも言えます」
アリーチェの独り言を、王太子は自分への言葉と勘違いした。
「アリーチェには優しいのだろうが、俺には迷惑しかかけな……。どうした? とりあえず、これを使え」
ウィラードの優しさを感じて涙が零れるアリーチェに、王太子がハンカチを差し出してくれた。
(王太子殿下は私の事を、使い捨ての道具としか見ていないと思っていた。卑しい平民に自分と同じ血が流れているのが許せないのだと思っていた。確かに私を利用したのは間違いないけど、あの両親の下で腐っていく国を見ていた殿下の気持ちを思えば、それも仕方がない事なのだと今なら思える)
「王太子殿下は、最初から私を道具だと思っていたと仰いました。ですがマデリン様の戴冠式で、育ての親の暴言が聞こえないように私の耳を塞いでくださったのは王太子殿下です」
涙を流したアリーチェが微笑むと、王太子はふいっと顔を横に向けて「聞くに堪えない言葉を聞かせたくなかっただけだ」と照れている。
王太子が今まで見たことのない表情を見せてくれる度に、二人が家族として歩み寄っているのが見て取れる。厳めしい顔で冷酷無比だと思った王太子にも、家族に見せる温かい表情があるのだ。
良い仲間に囲まれて、王太子にもそういう表情を見せる余裕ができた。歴代の王族が残した負の遺産を背負っていく王太子にも、少しでも温かさが戻ったのかと思うとホッとする。
今までの二人の間にあった刺々しい茨の森は消え去っていた。
和やかな空気の執務室だったのに、扉がガタガタと揺れ出した。王太子は揺れる扉を見て、思いっきり顔を顰める。
読んでいただき、ありがとうございました。
あと残り一話で完結です。




