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20.ランチボックス

よろしくお願いします。

 昨日の不安が頭に残り、あまり寝付けないまま厨房に向かうと、既に料理長達は準備を始めていた。

「私が作るから大丈夫ですよ?」

 まだ日の出前だが、ランチボックスを作る初日だからだろう。みんな気合が入っている。パンを焼いたり料理をしていると、胸に居座っていた重しが少し軽くなってくる。


(こうしてウィラード様を思ってドキドキしながら作っていると、初めてパンとお菓子を渡した日を思い出す。あの時はお菓子全部を同僚に食べられたと怒っていたけど、今日はどうだろうか? あの時みたいに喜んでもらえるといいのだけど……)




「今日の朝食のパンケーキはアリーチェが焼いてくれたんだろ? 凄くおいしい! 俺は嬉しいけど、無理はしないようにな」

 気合を入れて朝早くから作ったために、ランチボックスは早々に完成してしまった。暇を持て余したアリーチェは、厨房に作ってもらったアリーチェ用スペースでお菓子とパンケーキを焼いていた。

 パンケーキは後でみんなで食べようかと思って結構作ったのだが、ウィラードはどんどん平らげていく。

「たくさん食べていただけて嬉しいですが、無理して食べなくて大丈夫ですよ?」

 ウィラードが普段食べている朝食の量は、とっくに超えている。

「アリーチェの手作りだから、他の者にあげたくない。本当はお菓子だって独り占めしたいんだ。だから、パンケーキの残りは昼に食べるから、持っていけるように準備するよう料理長に伝えて」

 大人げない事を言うウィラードは、給仕係にそう指示を出す。厨房に向かおうとした給仕係の一人を、アリーチェが慌てて止める。

「パンケーキは屋敷に置いていってください。ウィラード様のランチボックスは別に準備してあります!」




「お忙しいウィラード様に食べていただきたくて、試行錯誤して作りました。馬上でも書類仕事をしながらでも、お腹いっぱいになれますから必ず食べて下さいね」

 真っ赤な顔のアリーチェがそう言って渡すと、ウィラードは喜びを一杯に「絶対に食べる」と受け取った。そんな二人を遠巻きに見ている使用人達は、二人の目には入っていない。

 ウィラードは喜びのあまり、受け取ったランチボックスを抱きしめている。

「……アリーチェが、俺のために!」

「私一人で作れるようになるまで、料理長を始めたくさんの方に協力してもらいました。クロイツンド家の皆さんは本当に優しくて、毎日楽しく過ごしております。ですが、ですがですね……、ウィラード様のお身体が心配です。ちゃんと食べて、元気にお屋敷に帰って来ていただければ、と思います」

 あまりに恥ずかしくて最後は早口で捲し立ててしまったが、言いたいことはちゃんと伝えられたはずだ。

 耳まで赤くしたウィラードは「毎日元気に帰って来る。アリーチェのために」と呟くと、護衛兵の時と同じ笑顔を見せた。

「絶対に早く帰って来て、感想を言うから! 行ってきます」

 そう言ったウィラードはアリーチェの額にキスを落とした。そして、スキップを踏むような浮足立った様子で馬車に乗り込んだ。


 何が起きたのか事態が飲み込めず無表情のまま額を押えたアリーチェは、感無量の表情で自分を見守る侍女長とシェラに助けを求めた。

「完全に浮かれましたねぇ。いつもの髪にキスを飛び越え、額とは……。坊ちゃんの成長ぶりに、わたくしは胸も躍りました」

 侍女長の答えは、アリーチェの求めた回答ではない。周りを見渡すも、みんなが「大成功!」という表情でアリーチェを見守っている。

 アリーチェは何だかひたすら恥ずかしくなって、全身を真っ赤に染め上げてその場にうずくまってしまった。




 その日ウィラードは、約束通り陽が落ち切る前に帰ってきた。それも馬車ではなく、馬で。一秒でも早くランチボックスを大絶賛するためだ。職場でも相当自慢して歩いていたらしいが、屋敷でも盛大にアリーチェに感謝の言葉を送り続けた。

 アリーチェが「私一人の力ではなく、みんなの協力のおかげです」と伝えても、分かっていると言いながら「でも、アリーチェ自ら作ってくれたのかと思うと美味しさ無限大だから!」とちゃんと話を聞いているのか分からない。

 その後もウィラードは毎日ランチボックスを持って行き、周りの者に「アリーチェが俺だけの為に、美味しく食べやすくと考えて作ってくれた」と幸せを吹聴して回っていた。

 ウィラードがランチボックスを持っていくようになってから七日後、ハンバーガーに関する問い合わせが半端なくクロイツンド家に舞い込んでいる。あまりの多さに、対応するマックスは鬼の形相だ。


「ウィラード様が連日喜んでいるのは分かります。だからって、周りに自慢し過ぎじゃないですかね? 最初は個人からの問い合わせでしたが、今日は遂に騎士団から『希望者に販売してもらいたい』と要望書が届きましたよ? どれだけの人の前で自慢して歩いているのですか!」

 騎士団からの要望書は無視できない。無視できないどころか、騎士団の要望書は指令書と言っても過言ではない。販売しない訳にはいかない。

 個人ではなく騎士団から直々に要望が届いている時点で、希望者の数が大量だということは分かり切っている。クロイツンド家の厨房で、騎士団員分のランチを作ることは不可能だ。

 さすがのウィラードもそれが分かっているから、渋い顔をしている。それは自分の行動がマックスに迷惑をかけたと反省しているのではない。アリーチェが作った自分だけのメニューが、世に流出することに苛立ちを抑えられないのだ。


「書類仕事をしている時は部屋から出ていないから、俺の執務室にいる者だけにしか自慢してない。演習中や訓練中は馬に乗って、そこら中に自慢して回った。当然だろう? 俺の体調を心配したアリーチェが、俺のために考えて作ってくれたんだぞ? どうして自慢しない?」

 呆れを通り越して遠い目のマックスが、「で? 騎士団からの要望はどうするつもりですか?」と面倒くさそうに聞いた。

「無視、は、できないな。でも、絶対にアリーチェには作らせない。アリーチェが作るのは、俺の分だけだ!」

 百歩譲ってメニューは提供しても、アリーチェが作ることは許さない。本当はメニューの提供だって嫌なのだから、ウィラードからしたら大譲歩だ。


 予想はしていた返答だが、マックスの表情は疲労感が増していく。

 そんなに簡単に騎士団員分を準備できる訳がない。様々な準備が必要だ。

 作る場所の確保、食材の確保、料理人の確保に教育と、少し考えただけでもキリがない。それを短時間で準備して、早々に騎士団にハンバーガーを納めないといけないのだ。それを自分の手で全て行うのかと思うだけで、マックスは気が遠くなる。


 マックスの魂の抜けきった白い顔に向けて、アリーチェがおずおずと手を挙げる。

「あの、ハンバーガー専用のお店を作るのは駄目ですか?」

 アリーチェの提案に全員の視線が集まる。

 食堂にはウィラードとマックスだけではなく、アリーチェと料理長を始めとした厨房の料理人も集まっていた。突然の騎士団からの依頼に対する今後の対応を相談するためだ。


「クロイツンド家のみで対応するのは無理ですから、専用のお店を作るのも一つの手だと思うのです。ハンバーグの作り方を指導してくれたグイドさんは、ハンバーガーを商品化したがっていました。話をすれば、乗ってくれるはずです。それにグイドさんに協力してもらって共同でお店を作れば、ハンバーグに関しては一から指導する必要がないので早い段階で販売が可能になりますよね?」

 ウィラードのために作ったハンバーガーはコスト度外視だ。騎士団に販売するなら、具材もパンもコストを抑えたものに作り替えなくてはならない。


「グイドさんは食材のコストを下げる知識も持っていますから、開発費も開発時間も抑えられます。食材を仕入れルートだって既にあります。騎士団に販売する以外に余力が出てきたら、いずれ一般にも販売できるので商売として成り立つのではないかと思います」

 全員がポカンとした顔でアリーチェを見つめている。まさかアリーチェが商売を始めたいと言うとは、誰も思っていなかった。


 ウィラードとマックスはアリーチェの考えを頭の中で現実化しているが、料理長には迷いがあるようだ。

「確かにハンバーグに関しては、グイドにレシピを教えてもらうなど協力してもらいました。ですがパンに関してはアリーチェ様がお考えになったものです。今までにない素晴らしいパンです。それをいとも簡単に手放してしまうのは……」

 料理長の言う通りで、腹持ちするように噛み切れるようにと試行錯誤の結果、できたのが今使っているパンだ。アリーチェが相当工夫を重ねて作り出したのは間違いない。その工程を間近で見てきた料理長としては、アリーチェの努力の結晶を他人に渡していいものかと悩んでいたのだ。


「ハンバーグと違って、パンは他の誰かがそう簡単に作れるものではありません。このハンバーガーにおいて、一番重要なのはパンです。そのパンのレシピまで譲り渡して、本当によろしいのですか?」

 料理長の意見はもっともだ。このパンのレシピだけでも、相当お金を稼げるはずだ。

 だがアリーチェは迷うことなく、うなずいた。

「王城の厨房から始まり、クロイツンド家で料理長達に助けてもらって完成したパンです。もちろん思い入れはあります。でも、私はパン屋でしたから、自分が作ったパンが世に出るのは嬉しいです。それに、このパンを作ろうと思ったきっかけは、平民街の人達に柔らくて安いパンを提供したいと思ったからです。平民街のみんなが食べてくれるのであれば、私は満足です」

 アリーチェの言葉に料理長は安心し、「アリーチェ様のお考えが分かれば、我々は協力を惜しみません」と微笑んだ。

読んでいただき、ありがとうございました。

まだ続きますので、よろしくお願いします。

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