19.ウィラードへの提案
本日二話目の投稿です。
よろしくお願いします。
ウィラードが帰ってきたのが丁度夕食時だったこともあり、二人は食堂にいた。目の前に出された大量の料理を貪り食うウィラードを、アリーチェは呆然と見ていた。
ウィラードがやつれていた理由は、この三日でほとんど食事していなかっただと分かる食べっぷりだ。
「ウィラード様は身体が大きいのですから、食事を蔑ろにしては駄目ですよ」
アリーチェが注意すると、食事をする手を止めて「早く帰ってアリーチェの顔を見ることが最優先事項だ」と真面目な顔で応えるから困る。
目の前の食欲に押され気味で食べる手が止まっていたアリーチェは、顔を真っ赤にしてナイフとフォークを置いてしまう。
ウィラードが満足するまで食べ尽くすと、二人はサロンに移動した。二人の食後の日課で、アリーチェがウィラードに紅茶を淹れるのだ。
ソファに隣り合って座ると、ウィラードはアリーチェの髪に愛おしそうに触れた。
毎朝見送りの際のウィラードの日課が、一房取ったアリーチェの髪に口づけをする事だ。八日前はそれをせずに出発してしまったので、九日ぶりだ。
「八日もアリーチェに会えなくて、死にそうだった」
ウィラードのストレートな言葉に流されたくないアリーチェは、こうなるといつも自分の気持ちから目を逸らして黙っていた。
しかし、この八日間でアリーチェも、自分の気持ちにはっきりと気が付いた。
(「もう騙されたくない、利用されたくない」と言って、自分の気持ちやウィラード様の気持ちから逃げてばかりいたら駄目だ)
アリーチェは熱が集まる顔を隠すためうつむいたが、身体に力と気持ちを込めて胸の奥にある気持ちを言葉にする。
「……私も、……ウィラード様に会えなくて、寂しかったです……」
アリーチェの一世一代の勇気だったが、ウィラードからは何の反応もない。
(……あれ? 引かれた? やっぱり言わなきゃよかった?)
薄目を開けながら見上げたウィラードは、両手で顔を押さえ身体を強張らせていた。耳も首も真っ赤なので、アリーチェの言葉が届いている事は間違いない。
暫く眺めていると、ウィラードは「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」と深く長い息を吐き出した。脱力してソファに沈み込み背もたれに頭を預けると、顔だけをアリーチェに向けた。
目が合うと、二人共頭から湯気が立ちのぼりそうに真っ赤だ。
ウィラードはアリーチェと向き合うように座り直すと、真っ赤な顔のままアリーチェと見つめ合う。「三日間休まずに馬を走らせて帰ってきた甲斐があった」と、今までで一番甘い笑顔を見せた。
ウィラードは「幸せで顔が緩みっぱなしだから、ちょっと見られたくない」と言って顔を背けた。が、一秒で「せっかくアリーチェがいるのに、顔が見えないのは辛い」と言って体勢を戻した。
「ごめん、嬉しすぎて俺は暴走している。真面目に話し合う必要があるのに、どうしたらいい? アリーチェの言葉が嬉しすぎて、身体中の骨が溶けそうだ」
アリーチェの提案で、窓を開けて夜風を浴びた二人は大きく深呼吸をした。夜の空気は少しひんやりしていて、二人の火照った頬を冷ましてくれる。
「今日は少し雲が多いかと思いましたが、今は一面星空ですね?」
「アリーチェが幸せだと、こうやって星が瞬くんだよ」
「でも、私は『星の乙女』改め、『ゴミの乙女』なんですよ?」
ウィラードはとっくに知っているのだろうが、アリーチェが冗談交じりに新しい名前を報告する。
「俺にとってアリーチェは唯一の存在だから、『星の乙女』でも『ゴミの乙女』でもない。でもやっぱりアリーチェは、『星の乙女』なんだよな……」
さっきまでとは打って変わって真剣な目で、ウィラードが星空を見上げた。
それだけで部屋に漂っていた甘ったるい空気が、一瞬でピリッと乾いたものに変わった。
「昨日礼儀知らずに先触れもなく我が家に現れたのは、イブンセン家の娘だ」
アリーチェが覚えた貴族の家族構成だと、イブンセン家に娘はいないはずだ。
「偽物の第一王女が、城を出る際にイブンセン家の養女になった。昨日来たのは、イブンセン伯爵家の養女マデリンだ」
名前を変えたのは、王女と同じ名前という訳にはいかないからだ。
「陛下はマデリンの処遇に頭を悩ませた。平民の出だったとはいえ、今まで王女として贅沢の限りを尽くしてきたのだから、今更平民にはなれない。貴族の養女にしようにも、偽王女はあの性格と素行の悪さだ。どの貴族も養女にする事を拒否した。前イブンセン伯爵の娘がマデリンの乳母兼家庭教師だったからと、陛下が無理矢理イブンセン家に押し付けたんだ」
伯爵家と言っても、イブンセン家は代々宰相を務める名門の家柄だ。政治的にも王家に恩が売れると踏んだのだ。
「マデリンはイブンセン家でも我が儘放題で、本家からは追い出された。それにイブンセン家の養女とはいっても、前伯爵の養女だ。別邸で前伯爵と共に暮らしているが、そこでも評判は良くない」
イブンセン家の当主は、十年前から息子に代替わりしている。もちろん宰相職も。
当主ではなく前当主が養女を取る? 前当主の子でも伯爵家は名乗れるが、財産や待遇など様々な点で現当主の養女となるより劣るのに。
わざわざ現当主ではなく前当主の養女となったのは、現当主の家族が拒否しただけではない。王家に対する不満を露わにしたと、世間では噂されている。宰相家として長く王家に仕えてきたイブンセン家がこの態度なのだから、王家の求心力の低下具合は推して知るべしだ。
「そのマデリン様が何をしに来たのでしょうか?」
「マックスとシェラの話だと、マデリンと侍従の二人で来たそうだ。わざわざ俺が不在なのを狙ってきたのだから、アリーチェに八つ当たりをしに来たのだろう」
アリーチェとマデリンに面識はない。アリーチェからすれば、八つ当たりされる心当たりがないのだ。なのに何故わざわざ訪ねてきたのか? アリーチェの考える二人の共通点と言えば、マデリンの実の親だ。
「実の両親の話を聞きに来たのかもしれませんし。入れ替わった私達にしか分からない理不尽さがありますから、気持ちが分かる者同士で話をしに来たのかもしれません」
(私に耐え難い事態が襲い掛かってきたように、マデリン様にも同じような事があっただろう)
ハッと見上げると、自分にウィラードの冷たい目が向けられていて、夏とは思えない肌寒さを感じさせられた。
「戴冠式での暴言や態度だけでも分かるけど、奴はアリーチェとは真逆の人間だ。我慢したり相手の事を考えて行動するなんてできない。自分さえ良ければ他人はどうなっても構わないって奴だ。自分の事しか考えてないから、アリーチェに王女を奪われたと逆恨みしている可能性が高い」
(奴って……。女の子相手に奴って、どんだけ嫌いなの?)
「自尊心を満たすためなら手段を択ばない狡猾な奴だ。イーリカ殿下の事だってあるのだから、頼むから油断しないで欲しい」
(そうだった……。妹だと思っていたイーリカ様を殺そうとしたんだった。ウィラード様が、こんなにも鬼気迫る顔をするのも納得だわ)
アリーチェが「分かりました」と言ってうなずくと、ウィラードはやっと表情を緩ませた。しかし、その安心も長くは続かない。
今度はアリーチェが決意を新たにしたからだ。
「王家のいざこざを他人事のように見ているのは、もうやめようと思います」
今までは王家の威信なんてどうでもよかったし、道具として使うなら勝手にすればいいと思っていた。
ウィラードを侵入者と勘違いして、自分が襲われるのだと思い、アリーチェには分かった事がある。
自分で自分の身を守れないアリーチェは、周りの人間を巻き込んでしまうのだ。敵がアリーチェに辿り着くまでに、多くの人が犠牲になる。
ウィラードはもちろん、ウィラードの意を汲んだクロイツンド家の者達は、何があってもアリーチェを守る。自分のせいで犠牲が出るのは、アリーチェには耐えられない。
(私のせいで人が罰せられ、私のせいで傷を負う者がいる。それなのに、私は何の役にも立っていない。これだけの人を犠牲にしているのだから、この人達のためにも国のためにも、私は戦力にならなくてはいけない。この争いを一日でも早く終わらせ、もっと豊かな国に変えるために)
「『星の乙女』の仕事が囮なのであれば、私を隠しておくのではなく、道具として使うべきです」
(ウィラード様が王家のために動いているのなら、私を大事に守る必要はないんだ。こんな鉄壁の守りの屋敷にいたら、反国王派が手を出せる訳がない。王城でやったみたいに、私を貴族の中に放り込めばいい。それなのにウィラード様は、ただの道具である私の我が儘を聞いて自由にさせてくれている……)
「私が隠れていたら、事態は何も変わりません。クロイツンド家の使用人達を、いつまでも危険に晒したくありません。ウィラード様達なら、私を囮にする計画なんてすぐに立てられますよね? それをすぐに実行しましょう」
「アリーチェを囮になんてしないと言ったはずだ! 俺にとってアリーチェは、道具なんかじゃない! まだ俺を信用してくれないのか?」
部屋の空気が、いや、屋敷全てが凍り付くような、冷たく厳しい声だ。こんなにも苛立ったウィラードを見たのは初めてだが、アリーチェだって引き下がれない。
「ウィラード様を信用しているから、言っているのです! 信頼するウィラード様だから、お願いしています! クロイツンド家は王家の懐刀ですよね? 誰よりも王家を優先する家のはずです。王家が私を道具として使いたいのに、ウィラード様が躊躇ってどうするのですか?」
(そんな事をしていたら、ウィラード様の名誉に傷がつきます! クロイツンド家にも泥を塗る事になります! 『白い冷徹』という変な通り名までつけられて、舐められない様にと顔つき変えるほど努力してきたのに! それが全て水の泡ですよ? そんなのは、絶対に駄目です!)
「クロイツンド家の立場なんてどうでもいい!」
「よくありません! クロイツンド家に仕える者達は、ウィラード様を信じて、クロイツンド家を守るために命を賭けているのですよ? みんなの期待を裏切らないで下さい」
(だからこそ、私みたいな中途半端な『星の乙女』のために身体を張ってくれている。ウィラード様が守るべきなのは、私ではないんだよ)
「クロイツンド家の者なら、俺の気持ちを理解している。その上で、俺についてきている」
「私が『星の乙女』という道具としての役割を全うすれば、国は生まれ変わるのですよね? 王家の愚策に振り回されて、平民が疲弊することも無くなるのですよね? ただ明日を迎えるだけではなく、今日より豊かな明日を望める国を、ウィラード様達が作って下さるのですよね?」
(人のために何もできない私が、唯一できることが囮なら、囮になる。私が囮になって、国が上向くなら。それが、私のために犠牲になろうとしてくれている人達にできる、たった一つの恩返しだ)
以前に『星の乙女』の立ち位置は、崖の上すれすれに立っているようなものだと言われた。
反国王派を倒した王家が威信を取り戻さない限り、『星の乙女』の役目は終わらない。国も時代に取り残されたまま、本来得られるはずの豊かさを手にできない。
このまま崖の上に立ち続けて、毎日明日が来るとは限らない。既に足元は緩んでいるのだから、何もしないまま崩れ落ちる事だってあり得る。
度重なる国王の愚策と無策に、国民の我慢も限界だ。早急に手を打たなければ、国としても立ち直れなくなる。
王太子の側近であるウィラードなら、そんな事は誰よりも理解している。それでもアリーチェを傷つけたくないし、危険に晒したくないのだ。
「俺にとってアリーチェは『星の乙女』ではない。俺の大事な妻だ。妻を守り、妻が毎日笑顔で暮らせるように力を尽くすのは夫として当然だろう?」
「……………………」
(こんな事を言われて嬉しくない訳がない。一応王女な訳だし、一生懸命頑張れば公爵夫人としてウィラード様の隣にいられるのではと期待してしまう。役目を終えて平民になっても、ウィラード様なら何とかしてくれるのではないかと愚かにも望んでしまう……)
難しい顔をしたウィラードは「アリーチェの気持ちは分かったし、アリーチェも俺の気持ちを分かってくれたと思う。これからどうするかは、もう少し考えさせてほしい」と言った。
アリーチェの心は「このままでは、ウィラードの立場が危ういのでは?」という不安が影を落とす。その小さな不安がアリーチェの心を黒く塗りつぶすのは、あっという間だった。
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