16.ウィラードの不在
本日二話目の投稿です。
よろしくお願いします。
前日帰りが遅くて会えなかったウィラードは、食堂に雨が吹き込んでいるようなジメジメとした悲壮感を漂わせていた。朝からこれでは、今日一日持つのだろうか?
アリーチェが思わず「……何かありましたか?」と聞いてしまうほどだ。
机の上で組んだ両手に顎を載せ、上目遣いにアリーチェを見たウィラード。琥珀色の瞳に冷徹さは欠片もなく、アリーチェへの愛情で溢れている。
(直視できない……)
「……急なんだけど、今日から十日程留守にしてしまう。サルザード国に行く王太子殿下に、急遽ついて行かなければいけない」
アリーチェがクロイツンド家に来て一カ月が過ぎたが、ウィラードが留守にするのは初めてだ。
サルザード国はアーバスノット国の東に位置する友好国で、イーリカの嫁ぎ先だ。身の危険があるような関係ではないはずだ。
だが、苦しそうなウィラードを見ていると、自分が知らないだけで何か危険な事態になっているのでは? とアリーチェも不安になる。
だからといって、王太子が絡むような国の機密事項に、アリーチェが立ち入れるはずがない。
ゴクリと唾と不安を呑み込んだアリーチェは、無事を祈って微笑むしかできない。
「そうですか。お気をつけて行ってきて下さいね」
アリーチェの言葉に、ウィラードは酷く傷ついた顔を見せた。だが、アリーチェには、自分の言葉がウィラードを傷つけた自覚がない。
静かに嵐が吹き荒れる食堂で朝食を終えたウィラードの出発を見送ったアリーチェは、朝とは思えないほどにぐったりと疲れ切っていた。
そんなアリーチェに「朝の日課がなかったですが、何かあったのですか?」と、マックスとシェラと侍女長がバタバタと駆け寄ってきた。
何があったのかアリーチェが聞きたいくらいだ。三人に相談する形で、朝の出来事を根掘り葉掘り聞き出されるためにサロンに移動した。
クロイツンド家は古い物を大事にする家だ。
建物は戦争などで被害にあう事が多く、何度も建て直してきた。その度に、以前の屋敷と同じように作られる。建物が壊されても守られた調度品は、高級かどうかに関係なく丁寧に磨き上げられそこかしこに飾られている。古き時代より多くの争いごとを乗り越えてきた物は、クロイツンド家では縁起物として大切に扱われるのだ。
人が多く集まるこのサロンにも、多くのアンティーク家具や美術品が飾られている。サロンはクロイツンド家の歴史が詰まった場所なのだ。
そんなクロイツンド家の象徴とも言える部屋で、マックスもシェラも侍女長もアンティーク家具に負けない渋い顔を見せて深いため息を吐き出していた。
シェラがガックリとうなだれて、ウィラードが出て行った先を遠い目で見る。
「自分は十日も会えない事が悲しくて仕方ないのに、アリーチェ様にあっさりと笑顔で送り出されてしまい、へそを曲げましたね……」
「大人げない。坊ちゃんはアリーチェ様の事になると恐ろしく心が狭くて、先が思いやられます!」
「やっぱり、私がいけなかったのですか……。心配しなかった訳ではないのですよ? でも、王太子殿下との仕事の内容を聞く訳にはいかないじゃないですか! だから、サルザードなら身の危険はないと判断したのです。やっぱり、危険な任務なのですか?」
真っ青な顔で三人に聞くが、誰も何も答えてくれない。
その沈黙を肯定と取ったアリーチェは、勝手に一人で不安に囚われてしまう。
「命に係わる任務だったのですね? もう、会えないかもしれないのに、私がそれに気づかずに普通に送り出したから不機嫌に? 任務の話をウィラード様が言えるはずがないのに、私が気持ちを汲めなかった。私の無神経さに腹が立ったのですね? どうしよう? ウィラード様は、とても腕が立つ騎士様ですから、無事に帰ってきますよね?」
得体の知れない不安に押し流されているアリーチェは、ウィラードの無事を確認したくて三人に助けを求める。その様子を見ていた三人は、アリーチェの気持ちが分からないのか笑い出した。
(えっ? 笑う? ウィラード様が死ぬかもしれないのに?)
不安で青い顔をしていたアリーチェがムッとして顔を顰めると、一番笑っていたマックスが「アリーチェ様の勘違いです」と息も絶え絶えに教えてくれた。
シェラも満面の笑みで、マックスに同意した。
「ウィラード様の任務は、アリーチェ様が考えた通りで安全です。あの態度は気にしないでやってください。アリーチェ様と毎日話せる生活をやっと手にして、幸せの絶頂だったのですよ。それを王太子殿下に邪魔されて、気が立っていただけです」
「アリーチェ様に悲しまれたら辛くて絶対に出発できなくなるはずなのに、自分と同じように『離れたくない』と言って欲しかったのです。まぁ、これも、男のロマンですかね?」
そう言ったマックスは、シェラと侍女長にギロリと睨まれ身体を縮こませた。
ウィラードの乳母でもあった侍女長が、母親のような慈愛に満ちた表情で言う。
「アリーチェ様は面倒くさいでしょうが、私は何だか嬉しいのですよ。坊ちゃんは前の婚約者には何の興味もなく、全く感情が動かされることがありませんでした。それが、今はアリーチェ様の一言で笑ってしまうほど右往左往して。坊ちゃんに幸せが訪れるなんて、夢のようです」
ウィラードが安全と聞きホッと胸をなでおろすも、三人の話と自分の気持ちがくすぐったくて心が全然落ち着かない。
(はぁ、困った……。ウィラード様の気持ちは純粋に嬉しい。私も護衛兵さんの時から、ずっとウィラード様は特別だ。でも、私は道具としての用が済めば、平民に戻る身。両親だって外には出せないと言う出来損ないの王女だ。公爵家の妻になど、なれるはずもない)
アリーチェへの好意を伝え続けるウィラードに対し、アリーチェはずっと一線を引いている。主を応援しているクロイツンド家の使用人には、それはとてもはがゆい光景だ。
それが今、ウィラードに対するアリーチェの想いが垣間見られ、三人は飛び上がらんばかりに喜んだ。だが、再び曇ってしまったアリーチェの表情を前に、ウィラードが越えなくてはならない山は高いと知った。
その日の夕方はいつものように、アリーチェは厨房にいた。本格的にランチボックスに使うパンにはさむ具材について、使用人達から意見を募ることにしたのだ。
そもそもランチボックスを作ることになったのは、ウィラードが一秒でも早く屋敷に帰ってくるために、食事の時間を削って働いていると言ったからだ。
ウィラードの身体を心配したアリーチェは、「身体が大事ですから、昼食をちゃんと食べて下さい」とお願いした。だが、ウィラードは「アリーチェと過ごす時間の方が大事だ」と言って、一歩も譲らない。
話し合いの果てに、「書類仕事中でも馬上でも片手で腹一杯になるご飯をアリーチェが手作りしてくれれば、喜んで食べる。それならアリーチェと俺の意見が両方叶えられる」とウィラードがとんでもない提案してきた。
その場にいたシェラは「アリーチェ様の手作りランチが食べたいだけだ」と呟き、マックスも「やり方が汚い!」と激しく同意していた。
だが、みんなの胃袋を満たすために試行錯誤してきたパン屋のアリーチェとしては、ウィラードの無理難題に「パン屋魂」を掻き立てられた。それ以来試行錯誤を繰り返し、パンに関してはほぼ完成させた。後は具材がなかなか決まらない。
片手で食べられお腹が一杯になる具材は、なかなかに難しいのだ。
王家の懐刀であり代々優秀な騎士を輩出しているクロイツンド家は、元騎士だった者が多く勤めている。アリーチェはその者達を厨房に集めて、ちょっとした会議を開いていた。
アリーチェが「馬上で食べられお腹が満たされる、サンドウィッチの具を考えて欲しい」と言えば、みんな悩みながら意見を出してくれる。
「やっぱり、肉ですね。厚い肉です。腹を満たすのに、卵やトマトでは無理です」
「厚い肉には賛成ですが、嚙み切れないのは困ります。片手でも嚙み切れる肉が必要です」
「肉だけではなく、パンも噛み切れないとですね。固すぎてもそもそするパンでは難しいかと……」
「となると、ステーキとかの塊は噛み切れないから難しいですね」
「肉を千切りや、一口大に切りますか?」
「うーん、そうなると、パンからボロボロこぼれて食べにくそうですね……」
肉がいいのは分かっているのだが、なかなかに難しい条件なのだ。
「難しい……。でも作るからには、お肉だけではなく野菜もバランスよく食べてもらいたいです……」
アリーチェの言葉に、全員が眉間皺を深くしてまた考え込む。
重苦しい空気の中、見習い料理人がおずおずと手を挙げた。
「平民街の食堂で食べたのですが、丁度良さそうな食べ物がありました」
彼の話に、厨房が一気に沸き上がった。まるで世紀の大発見でもしたような騒ぎだ。
とりあえず食堂に行って食べてみるのが一番となり、「これはいけるかも?」と期待感にみんなの気持ちが高揚している。
明日はちょうど、シルヴィアの授業が休みだ。アリーチェはもちろんお店に行くつもりだった。
腕を組んだ渋い顔のマックスが、アリーチェの前に仁王立ちしている。
「何をどうして外出許可が下りると思ったのか、教えて欲しいくらいです」
「お願い! マックス。ウィラード様が帰って来るまでに、ランチボックスをどうしても完成させたいの!」
(私だってウィラード様に会えなくて寂しいのは同じ。ウィラード様が帰って来ても、気まずいままなのは嫌だ。ランチボックスを完成させて、喜んでもらいたい!)
「お気持ちは分かりますが、駄目です。ウィラード様からアリーチェ様の安全を守るよう、きつく指示されております。それなのに、アリーチェ様を平民街に連れて行くなど、できるはずがありません」
今朝とは打って変わって家令らしい厳しい表情のマックスは、取り付く島もない。
「……私は一応王女だから、マックスに命令すればどうかしら?」
この弱々しい命令は、もちろん一瞬で却下される。
「アリーチェ様は王女ではなく、クロイツンド家の使用人でしたよね? 使用人としては、当主の命令は絶対のはずですが?」
確かに自分でそう宣言したのだから、マックスの言う通りで何も言えない。
アリーチェが萎れた花の様にガックリとうなだれてしまったので、使用人達のマックスを見る目は刺すように厳しい。
「マックス、お願い。ウィラード様との仲直りのきっかけが欲しいの」
そんな事をしなくても、この話をするだけでウィラードの気持ちなんて天に昇る。マックスはそう思うが、アリーチェの歩み寄る気持ちを摘んでしまうのは忍びない。
アリーチェの横に立ったシェラも、マックスに頼み込んでくれた。
「私が必ず側にいるし、店の周りも警護させる。アリーチェ様は、今までずっと我慢してきたんだもの。アリーチェ様にだって、多少の息抜きが必要よ!」
ウィラードとマックスとシェラは幼馴染だ。三人は仲が良いし、信頼し合っている。だからマックスはシェラのお願いには弱い。
他の使用人達からの後押しもあり、シェラの「命に代えてもアリーチェ様を守る!」の一言で、アリーチェの外出が許された。
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