13.敵か? 味方か?
本日三話目の投稿です。
よろしくお願いします。
混乱しきっているアリーチェは、ウィラードの膝の上に抱えられたまま馬車が動き出したことにも気が付かない。
悪夢のような昼食会、平民街にも居場所がない、好意を寄せていた護衛兵がウィラード・クロイツンドだった、アリーチェにはどこにも行き場がない。考えたくもないのに、逃げられない問題が山積みだ。一体何から嘆けばいいのか分からない。
人形のように無表情で動かないアリーチェに、ウィラードはあえて声をかけた。
「昼食会のことは、聞きました」
耳に直接響いてくる声に驚いたアリーチェは、ようやく自分がウィラードの膝の上にいる事を知った。慌てて降りようとするも、転がり落ちそうになる。しっかりウィラードに支えてもらいながら、何とか膝から降りて向かいに座る。なんとも情けない……。
ウィラードの腕の中は心地良くて、離れると寂しく感じてしまう。そう思ってしまう自分に、アリーチェは愕然とした。これからは一人で日々を生き抜かないといけないのに、こんなにも弱くなってしまった自分が信じられない。しかも、ウィラードは、自分を騙していた相手だというのに!
(思い出せ! 家族ごっこは、終わったんだよ? 家族になろうと、声をかけてもらおうと、必死に頑張ったけど、平民の私は王家の汚点にしかならないって言われたんだよ? 何も期待したら駄目だ! 目の前のこの人も、私に嘘をついていた。信用したら駄目だ!)
混乱の中で忘れかけていた、苛立ちと羞恥と怒りが身体中に舞い戻って来た。
「城には絶対に帰りません!」
静かにそう宣言したアリーチェは、スッと右手を伸ばすと馬車の閂に手を掛ける。このまま城に連れて行かれるくらいなら、怪我をしてでも馬車から逃げるつもりだ。幸い街中を走っているから、馬車の速度は遅い。いける!
二度目の逃走に気づいたウィラードが、アリーチェの手を取り扉の前に立ちはだかった。
予想外の行動に焦ったウィラードは「まぁ、待て。城には連れて行かない。約束する」と敬語も忘れて言うと、何をするか分からないアリーチェの両手を握ったまま隣り合って座らせる。
アリーチェが諦めたのを確認すると、アリーチェには聞こえない声で「何だよ? この土壇場の行動力……」と呟いた。
逃走を邪魔されたアリーチェは、下唇を噛みしめてこぼれそうな涙を堪えてウィラードを睨みつけている。
(この人は王家の一番の臣下、一番の手下ってことだ。信じたら駄目だ。私に優しくしてくれたのも、全部嘘だったんだから! お互いに特別な存在だと感じていた時間は作り物だったんだ! それにショックを受けたらいけない。王族や貴族なんて信じた自分が、馬鹿だったんだ。
泣いたら自分が惨めになるだけだ、弱さを見せたら付け込まれる。そういう人達を、今まで散々見てきたじゃない! 嘘をつかれるのも裏切られるのも慣れている。この人にも、王族にも、期待した自分が馬鹿だったんだ。反省して、次に生かそう。城で偉そうにふんぞり返っている奴等もこの人も、誰も信じない!)
アリーチェの両手が軽くなった。両手を解放したウィラードは向かいの椅子に置いてある、袋の前でごそごそとしている。すぐに戻ってくると、アリーチェの手に座り香ばしい匂いのするパンを置く。
「料理長から預かってきました。今までの試作品で一番の出来だから、是非殿下の感想を聞きたいって言っていましたよ」
アリーチェは冷たくなった茶色く丸いパンを両手で持つ。
昼食会ではパンも自分も否定され、唯一の居場所だった大切なパン屋は他人の物になっていた。
正直に言って、今日はもうパンを見たくない。
(私がパンを見たくないと思う日が来るなんて、思いもしなかった……)
アリーチェが手にしているパンは、昼食会で出された高級パンとは違う。
王族が食べる柔らかいパンを、平民街でも売れるコストするべく開発したものだ。料理長達の協力を得て代替の材料で味や柔らかさを、夜な夜な試行錯誤していたのだ。今までの結果としては、相変わらずの固さだったり、不味かったり、パッサパサだったりと失敗の連続だ。
パンを真ん中で割ると、ふんわりした生地の感触と食欲を誘う甘い香りがした。ウィラードが半分寄越せと手を出すので、出された手にパンを置く。
淑女としては手でちぎるべきだろうが、アリーチェはあえて噛り付いてやった。
「!……美味しい!」
程よく柔らかくもっちりとしていて、美味しい。貴族と違い平民はパンだけでも腹を満たす必要があるため、柔らかさを追求すると共に腹持ちにもこだわったのだ。料理長が言う通り、今までで一番だった。
このパンの完成度が高ければ高いほど、アリーチェの心の穴が真っ黒く広がっていく。
「せっかくこんなにも美味しいパンが完成したのに、このパンを売る店を私は失ってしまった。王族はもちろん、平民街だって私を受け入れてくれない。どうして、こんな目に……」
涙を堪え声が震えるアリーチェは、涙をこぼすまいと歯を食いしばり黒い天井を見上げる。
目の熱さと鼻の奥の痛みを感じていると、ウィラードの右腕が背中に回って大きな掌がアリーチェの頭を包んだ。驚いたアリーチェが身体をよじろうとすると、力強い腕がそのままウィラードの胸にもたれかからせてくれる。
ウィラードの温かい手がアリーチェの頭を優しく撫でるから、直接伝わってくる鼓動の速ささえ居心地の良く思えて今まで我慢し続けてきた涙が溢れた。一度流れ出した涙は止まらず、止めることを諦めたアリーチェは子供のように声を上げて泣いた。
アリーチェの我慢は、既に溢れ出す寸前だった。十六年もアリーチェの我慢を支え続けてきた堤防は、度重なる大雨に完全に疲弊していた。猛烈に溢れ出す勢いに敵う訳もなく、呆気なく決壊してしまった。
我慢も不満も怒りも悲しみも、全てが一気に溢れ出した。それはアリーチェ一人で受け止めきれるものではない。側にいた護衛兵さんという特別な存在に、溢れ出た思いをぶつけてしまうのも仕方がない。
「誰からも必要とされない私が、唯一人から必要とされるのはパン屋をしている時だけだった! だからパン屋だけは、私の居場所なんだと思いたかった! なのにもう私が居ていい場所じゃなかった……。だったら、私はどこに行けばいいの? 大事なパン屋も無くなって誰からも必要とされない私は、どこに居ればいいの? 私を人間扱いせずに、『星の乙女』という道具としか見ていない人達のところに行かないといけないの? 私を知ろうともせず、私が必死で生きてきた証を踏み躙った人達の下に戻らないといけないの? どうして? 育ての親にも生みの親にも見放されるくらいなら、最初からいなければ傷つかずに済んだのに!」
アリーチェの嘆きと怒りを受け止めたウィラードは、優しくアリーチェの頭を撫でている。
「私のところに居ればいいです。私がずっと、殿下をお守りします」
ウィラードの甘く優しい言葉に縋り付きかけたアリーチェは、ハッとして「騙されるか!」と腕から抜け出した。
飛ぶように向かい側の椅子に座ったアリーチェは、手負いの小動物が毛を逆立てているようだ。
「貴方達にとって『守る』という言葉と『利用する』という言葉の意味が同じなのは、十分過ぎるほど教えてもらいました」
その言葉にウィラードは悲しそうに顔を歪める。何か言いかけても、言葉にならない。何を言ったところで、自分の言葉も気持ちもアリーチェには偽りとして届く。それだけの心の傷をアリーチェに負わせたのだ。
こうなる事は分かっていたのに、自分だけには心を預けてくれるのでは? と自惚れていた。自分の考えの甘さを、アリーチェの負担を甘く見て王太子の計画に乗った自分の愚かさをウィラードは呪った。
「確かに殿下の仰る通りの行動を、私は取ってきました。ですが、これからの私は、殿下を利用する気は一切ありません。今すぐ信じて欲しいとは申しません。どうか、これからの私の行動を見て、私が信用に値するか決めて頂けませんか?」
そうウィラードは懇願するが、アリーチェにはそれが演技なのかどうか分からない。騙されて踏み躙られるのは、もうご免だ。分からないのなら演技と判断する。
(護衛兵さんは私にとって、間違いなく特別な人だった。なのに今は、一緒にいられる時間を心待ちにしていた日々を消し去ってしまいたい……)
向かいの席から、白い軍服を完璧に着こなしたウィラード・クロイツンドを観察する。
当たり前だが、見慣れた紺の軍服は着ていない。
二十二歳と若いが剣の腕前は飛びぬけており、多くの功績をあげており胸に輝く勲章の数は多い。ダークブロンドのフワフワと揺れていた髪は、ぴっちりと整えられている。だけど、クリッとした琥珀色の瞳もスッと通った鼻筋も薄い唇も、ダークブロンドの護衛兵と同じだ。あの親しみやすい人懐っこい印象しか感じられない。
今アリーチェの前にいるのは『白い冷徹』ではなく、心の支えだった護衛兵さんに見える。
見た目までも変えて騙す手の込みように、アリーチェの言葉も厳しくなる。
「貴方は『白い冷徹』なのですよね? すっかり騙されて、全く気が付きませんでした。偽りの優しさで私を懐柔するのは、貴方にとっては何でもない行為なんでしょうね……」
ウィラードは突然ぶん殴られたような驚いた顔をしているが、その表情だって信じてはいけない。
(自分の心だってぐちゃぐちゃだ。自分もこの人も何が本心なのかも、何を信じればいいのかも分からない)
「殿下に見せていた顔が、私の素の顔です。この顔は幼く威厳に欠けていて、基本的に舐められます。騎士団みたいな場所は、舐められたら終わりです。それに何より私はクロイツンド家の当主として、他を圧倒する存在でなくてはならない。身体は鍛えられるけど、顔は鍛えられない。だから、対処策として外では舐められないように顔を作って、人を寄せ付けないようにしたのです。そうしたら『白い冷徹』なんて意味不明の通り名がついて困っていますが……」
確かにウィラードの見た目は、生き馬の目を抜く騎士団では足を引っ張るだろう。貴族社会が足の引っ張り合いなのは、この四か月間でアリーチェも嫌と言うほど理解した。そして、見た目がものを言う事も、アリーチェ自身が身をもって経験した。
「見た目のことは、よく理解できました。ですが、どうして紺色の軍服を着て、髪型を変えて、護衛兵を装う必要があったのでしょうか?」
当然の疑問過ぎて、質問をするアリーチェの声も尖ってしまう。
護衛兵に成りすます理由が、アリーチェにはさっぱり分からない。ウィラードを睨む目も、余計に疑り深くなる。
ウィラードは両手で顔を押さえて、ため息を漏らす。そして「何を言っても信じていただけないと思いますが、それでも私の真実をお伝えします」と前置きをした。
「殿下はいきなり城に連れて来られて、酷く怯えていました。誰だって『今日から王族だ』と言われ、城に軟禁されれば怯えます。だからこそ、城の象徴である白い軍服の近衛に見張られるより、街で見慣れた紺の軍服の護衛兵に警護される方が気持ちの上で楽だと思ったのです」
(それは、否定できない。遠くから眺めているだけだった王城に、いきなり王族になれと投げ込まれた。使用人や貴族達、私を無理矢理連れてきた王族にまで心ない言葉を投げつけられた。そんな環境で、貴族ばかりのエリート集団である近衛騎士に護衛をされていたら、洗濯に行きたいとも厨房に行きたいとも言い出せなかったと思う。
でも、逆にこうも思ってしまう。怯え切り周りから白い目で見られた平民娘を手懐けるのは、楽な仕事だったのだろう、と……)
読んでいただき、ありがとうございました。
まだ続きますので、よろしくお願いします。




