12.アリーチェ逃走する
本日二話目の投稿です。
よろしくお願いします。
その足で干し場に着いたアリーチェは、干してある洗濯物の中からお仕着せを一着拝借した。そのまま洗濯場に行き、自分と足の大きさが近い洗濯係に声をかけ靴を交換するとその場から消えた。
洗濯係達は突然現れた美しいドレスを着た女性の行動に目を奪われ、全員が暫く言葉を失っていた。
庭師の小屋で着替えをしたアリーチェは、以前同様に目が隠れるように前髪を水で濡らした。だが、癖がついてしまった前髪は、押さえていないとすぐに真ん中で分かれて桜色の瞳が見えてしまう。
以前の様に戻らないことが、アリーチェを苛立たせた。心はこんなにも王族を嫌悪しているのに、髪の毛はこの生活に染まってしまったのかと思うと腹が立つ。悔しくて恥ずかしくて叫び出したい気分だった。
メイドのお仕着せをきて、前髪で顔を隠し、ピンクブロンドをお団子にした。アリーチェは、誰に咎められることなく王城から出て行った。
(何これ? 拍子抜けするほど簡単じゃない。こんなことなら我慢なんてしないで、もっと早く逃げておけば良かった。そうすれば、こんな思いしなくて済んだのに)
あれだけ縛り付けられていた王城から、あっさりと出られてしまった。アリーチェは何だか不安に駆られて、息が続くまで舗装された石畳の上を走った。
この四か月間忙しく過ごしてきたが、所詮は椅子に座って頭を使うことばかり。四カ月前の必死に生きていたアリーチェからは考えられないほど体力が落ちていた。それがまた悔しくて、もう走れないと悲鳴を上げる自分の足と息が止まりそうな胸を何度も何度も叩き走り続けた。
もう動けなくなり道端にへたり込んだアリーチェが後ろを振り返ると、青い空に突き刺さるように白亜の城が聳え立っている。
ついさっきまで、あの城の中にいたのが嘘のようだ。
城壁と同じ色だった石畳も、いつの間にか別の色に変わっていた。そう思うと、王城の支配から逃れた、あの場所から抜け出せたという解放感で満たされる。これでまた疲れ切った足が動かせそうだ。
(元々私には関係のない場所だった。眺めて美しいなと憧れていればいい場所だったのに、下手に中に連れ込まれたから見るとはらわたが煮えくり返る場所になってしまったのよ! あそこに私の居場所はない。自分がいるべき場所に帰ろう)
心の軽くなったアリーチェは、平民街に向けて歩き出した。
平民街ではすれ違う人がアリーチェを振り返る気がするが、一秒でも早く自分の居場所に辿り着きたいアリーチェは気づかずに前に進み続けた。
やっと辿り着いたアリーチェの小さなパン屋は、いつも通り開店していた……。
そう、アリーチェが居ないのに、お店が開店している。
両親のはずがない。王女を入れ替えたのだから、無罪放免とはいかない。この場所に戻って来られるはずがない。そもそも、今更パンを作れないだろう。
なら、誰が?
てっきり店は閉まっていて、お店の中で思い出に浸れると思っていただけにショックだった。自分の居場所だと思っていた唯一の居所が、もう他人の物になっているのだから……。
店の前で呆然と立ち尽くすアリーチェに、「えっ? アリーチェ? 嘘だろ?」と声をかける者がいた。
振り返るとカイルが驚愕の表情で立っている。カイルの後ろにいる取り巻き娘達も、アリーチェを見て色々驚いている。
「アリーチェ? 随分とあか抜けたけど、アリーチェよね?」
「まさか、綺麗になって、私達に復讐しに来たの?」
「アリーチェがカイルの側にいるから、少し嫉妬しただけじゃない。権力を持ったからって、仕返しするような事でもないでしょう? もっと大きな幸せを掴んだんだから!」
「お城でいい暮らしをしているのでしょう? 服は……少し地味だけど、化粧までして綺麗に着飾っているんじゃない。平民相手に何をしようっていうのよ?」
「数カ月前まで、陰気だったくせに! 綺麗になったからって見せびらかしに来たの?」
「ここはあんたみたいな高貴な人が居る場所じゃないのよ、さっさとお城に帰りなさいよ!」
「ちょっと、アリーチェは王女様なんだから、滅多なこと言ったら駄目よ。誰か聞いていて不敬罪に問われるかも!」
「! ちょっと、冗談じゃないわよ。さっさと城に帰れ、じゃない。お帰りになれば?」
取り巻き達は怯えた顔でアリーチェを見ると、一歩二歩と後ずさり逃げ出した。
アリーチェの頭の中はお店の事だけで、彼女達の茶番は目にも耳にも入ってこない。
中心にいくにつれ赤が濃くなる桜色の瞳をさらけ出し、背筋をピンと伸ばしたアリーチェ。この瞳を見たいと、いつも願っていたはずなのに。目の前のアリーチェは、カイルの目には以前とは別人に映る。話しかける事も叶わない高貴な女性に見えるのだ。
そのアリーチェが傷一つない白い手で店を指差し、「……あの、私のお店は……?」と以前と変わらない優しい声を震わせる。
カイルが伝えようとすると店の扉が開き、三十代前半の小柄な男性が出てきた。カイルに気が付いた男性は、「こんにちは、今日はどうしたのですか?」と人懐っこい笑顔を見せた。そうなればカイルも、商会長の息子として対応する。
「うん、第三街に用事があってね。どう? お店は順調?」
男はつぶらな瞳でニッコリと笑うと、誇らし気に店を指差す。
「前の店主が固定客をガッチリ掴んでいてくれたおかげで、変わらず通ってくれる方が多いんですよ。以前と同じパンを出せと言われて困ってるけど、何とか今日も完売しました」
男性がニコニコと嬉しそうに報告する途中に店の扉が開き、お腹の大きい女性が出てきた。看板をしまいに行った主人の声が、外から聞こえてきて気になったのだ。お腹を抱えながらゆっくりと歩き、カイルとアリーチェを見ると驚いた顔をした。
「あら、カイルさん。押しかけ女房候補達がひっついていないなんて、珍しいですね? まぁ、こんなに綺麗な人を連れていれば当然か」
茶目っ気たっぷりに微笑んだ女性と男性が、嬉しそうに微笑み合う。
「カイルさんも、そろそろ身を固めないと。ずっとあの娘達につきまとわれるのは、嫌でしょ?」
「あら、私達が心配する必要ないわよ!」
女性が意味ありげにアリーチェを見ると、男性も「そうだな、もう相手はいるんだもんな」と納得顔だ。
二人は「では、今度は二人でパンを買いに来てくださいね」と言うと、男性は女性を労わりながら店に戻って行った。
アリーチェは店の扉が閉まった後も、かつて自分が働いていたパン屋を見つめていた。
夫婦とカイルの会話は耳に入っていないのか、全く気にしている様子がない。唯一の自分の居場所がなくなってしまったのだから、それどころではないのだ。
切なげに店を見上げるアリーチェを前に、一人だけ頬を赤らめたカイルは慌てて顔を引き締めた。
「……アリーチェの両親だと思われていた人達、アリーチェに内緒で借金をしてたんだ。借りた相手が悪くて膨大な額になっていた。気が付いた時には遅すぎて、店ごと取られていたんだ。親父も間に入ったんだけど、もう全てが終わった後だったからどうにもできなくて……。アリーチェの店を守れなくて、ごめんな」
(あの人達は、どこまでも……。血が繋がっていてもいなくても、私にとって『家族』は枷でしかない……)
「カイルが謝ることじゃないよ。むしろ関係ないのに、ありがとう。……幸せな家族の店に生まれ変わってくれて、店も喜んでいると思う……」
「アリーチェ……」
アリーチェは絶望した瞳で、かつて自分のお城だった店を見る。
ずっとアリーチェの居場所だったのに、もうアリーチェを受け入れてくれる事はない。この扉を開いて中に入って、パンを作る日は永遠に来ないのだ。
アリーチェはたった一つの宝物さえも、失ってしまった。
(この店だけは、この店だけが、私の居場所だと思っていたんだけどなぁ……。
『星の乙女』の役目を終えたら、ここに帰ってくる。そうすれば、いつもの毎日が始まる。もしかしたら、護衛兵さんがパンを買いに来てくれるかもしれない。馬鹿みたいにそんな未来を夢見てた。夢なんて見たって、叶いっこないのに……)
呆然と立ち尽くすアリーチェ、誰も連れず一人にしか見えない。平民であっても、王族が一人で平民街を歩いているのが異常なのはカイルにも分かる。
何度も周りを見回しても付き添いがいるように見えず、カイルは不思議そうに首をひねる。
「アリーチェ、周りに誰もいないみたいだけど、一人で来たの? どうしたんだ? 何かあったのか? 俺は平民だし、頼りないだろうけど、ずっとアリーチェの味方だよ」
味方と言われ、アリーチェの頭に浮かんだのは、ダークブロンドの護衛兵だ。
(護衛兵さんに会いたい。会って話を聞いてもらいたい……。)
今まで誰かに不満や不安をぶちまけるなんて考えたこともなかったのに……。ダークブロンドの護衛兵に甘えている自分に驚いてしまう。
「ありがとう、カイル。何でもないんだ。ここに来れば、この場所は私を受け入れてくれると思ったんだ。そんな場所、ないのにね……」
桜色の瞳に入りきらない悲しみを抱えて、アリーチェが笑顔の成りそこないを作る。
儚くて消えてしまいそうなアリーチェに伸ばしかけたカイルの手を、白い軍服の大男が叩き落とした。同時にアリーチェも白い軍服の腕の中に抱え込まれていた。
背の高いがっしりとした身体は、壁のように固い。だが、心臓の音がビックリするほど早くて、息が上がっているのが分かる。
(走ってきたのかな? ってことは、私は確保されたのね……。大事な道具だもんね。人とも思われていない私が、何を吠えたってあの人達相手に響く訳がない。使える者は、擦り切れるまで使うんだ。私とあの人達、どっちが人じゃないんだか……)
「一人で城を抜け出すなんて、大胆な行動をとらないで下さい。せめて俺を頼ってもらいたかった!」
「!」
頭上から聞こえた声は、いつも助けてくれるダークブロンドの護衛兵の声だ。
(護衛兵さん? 護衛兵の軍服は紺色。この軍服は白、近衛騎士の軍服だ。どういうこと?)
疑問だらけのアリーチェは自分の目で事実確認するために、薄目を開きながら恐る恐る顔を上げる。
飛び込んできたのは、アリーチェを心配そうに見下ろす琥珀色の瞳だ。いつもは前髪で見え隠れしているのに、今日は金色に近い琥珀色の瞳がはっきりと見える。いつもはフワフワなダークブロンドの前髪が後ろに流され、おでこは全開になりきっちりと整えられているからだ。
彼がダークブロンドの護衛兵であることは間違いない。
白い軍服に付けられた色とりどりの勲章の数々、その中でも目を引く金色のバッジはクロイツンド家の証だ。この国のナンバー2である証明だ。ならば、この人にはもっと有名な通り名があると、世間に疎いアリーチェでも知っている。
『白い冷徹』だ。近衛騎士である、ウィラード・クロイツンドだ。偽の第一王女の婚約者だった、若干二十二歳の公爵家の当主だ。
「……ご、えい、へい、さん?」
アリーチェの問いかけに「気づいていただけて、ホッとしました」とウィラードは、いつものようにニッコリと微笑んで答えた。
(おでこ全開の護衛兵さん?)
一転して氷のような冷たい瞳でカイルを見たウィラードは、「騒がせたな。もう帰る」と言って歩き出した。引きずられ足がもつれるアリーチェを抱きかかえると、平民街に似つかわしくない四頭立ての大きな馬車に向かって行く。
睨まれた恐怖でカイルは何も言えないまま、ウィラードの背中を見送った。
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