10.王太子の執務室
本日四話目の投稿です。
よろしくお願いします。
晒したことのない額が現れた顔は、新しく侍女になったルイーザがあれやこれやとローションやらクリームやらを塗りたくってくれるのでツヤツヤだ。
初めて顔をいじられた時は、「えっ? 眉毛って切るんですか? 自分の顔ですから自分で塗れます。 えっ? マッサージ? 顔にする必要あります? これが化粧ですか? 初めてしましたが、お絵かきの要領ですか?」と驚きっ放しだった。そんなアリーチェも、今は顔を触られることに多少は慣れた。
マリーがいなくなってからのアリーチェは部屋の掃除も洗濯も禁止され、それらの仕事はメイドが行っている。唯一の息抜きである三日に一度の洗濯だけは残して欲しいとお願いしたが叶わず絶望したが、今は朝の散歩と姿を変えた。
「とまぁこんな感じで服やら髪やら化粧やらと時間ばかりかかって、パンを捏ねる時間が無くなりそうで困っています。それに前髪で顔を隠せないから恥ずかしくて、ついうつむいたり猫背になってしまうんですよね。そうするとシルヴィア先生の『減点です!』が飛んできて……」
アリーチェは庭園をゆっくり歩きながら、ダークブロンドの護衛兵に日々の出来事を話す。三日に一度の一番幸せな時間だ。
「先生の『減点です!』は扉の外にも聞こえてきますからね。第二王女殿下も同じように怒られていたと、近衛兵から聞いた事があります」
「イーリカ様もですか、少しホッとしますね。イーリカ様と言えば、私を『お姉様』と呼んで下さるのです。恐れ多いとは思うのですが、今まで家族というものに縁がなかったから。嬉しくてそのままにしているのですが……」
「第二王女殿下も喜んで呼んでいるのだから、いいんじゃないですか? それなら敬語を止めて欲しいとも言われているのでは?」
アリーチェが良く分かったなと驚きの表情で見上げると、護衛兵はスッと顔を逸らした。ここ最近こうやって護衛兵から顔や視線を逸らされることが増えていて、アリーチェは少し胸が痛んでいた。
アリーチェは自分で思っているより、気持ちが表情に出る。瞳が露わになってからは、特に分かり易い。
傷ついたアリーチェの顔に気づいた護衛兵が、慌てて理由を説明し始めた。
「第一王女殿下の桜色の瞳は、本当に美しいです。この短期間で殿下の美しさが広まり、喜ばしいのですが……。いや、やっぱり、殿下の美しさが他の者に知られ、みんなが目にするのは腹が立ちます。俺だけが知っていられれば良かったのに、と思ってしまう」
そう言った護衛兵の真っ赤な顔に負けず劣らず、アリーチェも茹蛸のようになっている。
護衛兵の言葉はとても嬉しいけれど恥ずかしく、鼓動が耳を打ち付けていて身体中が沸騰状態だ。
だが中途半端な立場の自分が、嬉しい気持ちを伝えても迷惑にならないのか分からない。
(私と、同じ気持ちなんだろうか? 他の人とは違い、特別に想っていてくれている?)
中庭から少し外れた並木道は木陰が多い分涼しいはずなのに、二人だけが真夏の様にゆだり上がっている。湯気が出そうな二人を冷ます様に、ひんやりとした風が吹くのが心地よい。
星の形をした小さな白い花が風にふわりと揺れながらくるくると回り、アリーチェのピンクブロンドの髪に落ちた。エゴノキの花は小さいので、アリーチェは自分の髪に花が付いている事には気付けない。
アリーチェの喜ぶ顔、恥じらう顔、困った顔を全て見ていた護衛兵は、すぐに花に気が付く。
「殿下、花が髪に付いているので取りますね」
二人が立ち止まった場所はエゴノキの真下だ。
三メートルほどの木には、爪の大きさ程の小さな白い花が咲いている。鐘が吊り下がるように下を向いて、星型の形のままくるくると下に舞い落ちる。緑の小さな葉を隠すように咲いた白い花が風に揺れていている姿は、派手さはないが清涼感があり見ていると気持ちが和む。
髪に付いた花を取りながら、「この清楚で可憐な花は、殿下のようです」と護衛兵は開き直ったように伝えてくる。
アリーチェは猛スピードで駆け回る血流が顔に集まるのを感じ、赤くなり過ぎた顔を両手で覆った。
葉も花も小さく地味だが、太陽の光を受けようと空へと高く伸びていく強さがあるエゴノキがアリーチェも好きだ。薔薇や百合のような派手で手入れが必要な花ではなく、可憐だけど人の手を借りないエゴノキに例えられたのが、自分を理解してもらっているようで嬉しかった。
空気に溶け込みそうな小声で「ありがとうございます」と言うと、護衛兵は耳まで真っ赤なアリーチェを愛おしそうに見つめて微笑んだ。
二人の足元はくるくると舞い落ちた星型の白い小さな花で埋め尽くされており、まるで雪が降り積もっているようだった。
王太子の執務室に『白い冷徹』が入ってくると、中にいた誰もが慌てた様子で部屋から出て行く。それが当たり前の習慣なのか、王太子も出て行く部下達に何も言わない。
天井が高く広い部屋には臙脂色の絨毯が敷かれ、使い込まれ美しい艶を見せるマホガニー材の家具が重厚さを出している。その部屋の真ん中に立ったウィラードは、言葉を発することなく冷たい視線を王太子に向ける。珍しく困り顔の王太子は、「まぁ、座れ」とソファを指差す。マスタード色の生地に銀糸の刺繍がされたソファで二人は向き合うが、相変わらずウィラードの視線は冷たく厳しい。
西日が差し込むため厚いカーテンを閉めているのと、ウィラードの持ち込んだ寒々しい空気のせいで部屋がとても暗く重く感じられる。
王太子はため息を吐きながら、「そう怒るな。お前の手を煩わせるのは悪いと思っている」と眉間に皺を寄せた。
「そういう問題ではない。なぜ急に計画の変更をしたのかを聞いているのだ!」
建国の祖である王家と、それを同志として支え続けてきたクロイツンド家には昔から強い絆がある。それに加えて王太子とウィラードは歳も同じで子供の頃より仲が良く行動を共にしてきたため、二人の時の言葉遣いはくだけている。今はくだけているというより、完全に叱責しているのだが……。
「俺としてはもう少し反王家派を自由にさせ、黒幕が出てきたところで一網打尽にする予定だった。だが、痺れを切らしたイーリカが、勝手にマリー・スコットを地下牢送りした。おかげで黒幕はスコット家を差し出すことでトカゲの尻尾を切り、自分は身を潜めてしまったという訳だ」
王太子の声には悔しさが滲み出ている。あと一歩でこの国の毒を絞り出せるはずだったのに、その機会が失われてしまったのだ。また黒幕を引っ張り出すには、時間と大きな労力が必要だ。
イーリカへの不満を滲ませる王太子に、ウィラードは呆れて目を細めた。
「お前と違って第二王女は、第一王女を大事な家族として見ているようだからな。囮としてあれだけ酷い目に遭わされている姉を見れば、助けたいと思うのが普通だろう。飢えた野犬の群れに子ウサギを放り込んで、死ぬ直前まで見て見ぬ振りできる兄が異常だ」
噛み切るくらいの力で下唇を噛んだ王太子が、むっとしたままソファに沈み込む。ウィラードの言葉が的を得過ぎていて、何も言えないのだ。
イーリカの勇み足は王太子には予想外の出来事だった。掴みかけていた黒幕の尻尾を逃がしてしまった今、アリーチェを餌に再度のんびり構えている余裕は無くなった。
急な事態の変化によって身の危険が迫ったアリーチェを守るためにも、早急に手を打つ必要があるのだ。
王太子だって今回の計画が、アリーチェを今まで以上に辛い状況に落とす事になるのは分かっている。だが、王太子という立場上、家族よりも国を優先しなくてはならない。王太子の中では、国とアリーチェを守る最善の策なのだ。
ずっと王太子を支えてきたウィラードだって、それが分からない訳ではない。だが、全身から発せられる怒りは、王太子がこれからしようとしている事を許していないと叫んでいる。
「お前がしようとしていることは、身体は生きていても心は殺しかねないんだぞ? お前だって知っている通り、アリーチェは今まで散々苦労してきた。それなのに会おうともしない両親の尻拭いをさせるだけでなく、この問題から目を逸らしてきた王族やクロイツンド家のツケまで彼女に払わせる気か?」
「アリーチェが『星の乙女』から解放されるには、それしかないだろう!」
声を荒げた王太子とウィラードが睨み合う。
部屋の空気は引火直前のようにピリピリしていて、もし部屋に誰かいたのなら耐えられずに倒れているはずだ。
冷たい怒りを発したウィラードは、酷く冷めた声で王太子を追い詰める。
「『国のためには、それしかない』っていうのは、お前の都合だ。アリーチェのためなら、『星の乙女』を知らない別の国に逃がしてやる選択肢だってあるだろう? 王女を慕う護衛兵をつけてな」
王太子は赤い瞳を怒りで燃やし、よく磨かれた固いテーブルに右拳を打ち付ける。鈍い音と共に、王太子が舌打ちをする。
「薄情なお前は、国も家もどうでもいいのかもしれない。だが、俺は違うんだ! 道を誤ったこの国を、正しい道へと導かなければならない! お前にとっては詭弁だろうが、この国が正しく生まれ変わらなければ、アリーチェは解放されないのだ」
真っ赤に燃え盛る炎と、静かに全てを凍てつかせる冷気。どちらも一切引く気がない禍々しい雰囲気の中、二人は睨み合っていた。
先に目を逸らしたのは、意外にもウィラードだ。かといって、同意した訳ではない。
「今回のお前の策には納得していない。だが、これがアリーチェを解放する一番の近道だと言う言葉を信じて、仕方なく協力はしてやる。だが、やり方と匙加減は、くれぐれも慎重にしろよ」
獰猛な目で王太子を威嚇したウィラードは、そう言い捨てると白い軍服を翻して部屋から出て行った。
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まだ続きますので、よろしくお願いします。




