第1章 いつかのGTーR
1.プロローグ
『フォンフォン・・・フォォォォォン』
平成29年、10月の中頃に差し掛かったある金曜日、午後7時半。LEDヘッドライト特有の突き刺すような白く眩しい閃光が路面を照らし、乾いた低音を響かせながら、その白い車体は闇の中から姿を現した。日産R35型GTーR。純国産車としては、間違いなく最高性能を誇るスーパースポーツカーである。
ここは三重県と奈良県を結ぶ自動車専用道路、名阪国道の下り線の終点間近にある高峰サービスエリア。サービスエリアとはいえガソリンスタンドもなく、小さな売店や食堂やトイレがある程度で、むしろパーキングエリアとか道の駅と呼んだ方がしっくりくる。
そんなサービスエリアに停まった、白い、正確にはパールホワイトのGTーRのハンドルを握っているのは、五十嵐良郁、42歳。大阪市内に本社を構える、某IT企業の営業本部長を務める男である。奈良で生まれ育った良郁は、この高峰サービスエリアから見下ろす奈良の夜景を眺めるのが大好きだ。関西には多くの夜景スポットがある。奈良から見える綺麗な夜景と言えば、生駒山系から見下ろす大阪平野の景色が美しいことで有名だ。その明るさ、そして色彩の豊富さ、良郁自身も何度も目にしてきた。特に西の空がまだ薄明るい日没直後、大阪東部へと繋がる阪奈道路を下っていく時に見える夜景は、目が眩むほどに美しく、しばしば見惚れてしまうくらいである。それに比べると高峰サービスエリアから見える奈良盆地の夜景は光量も少なく、色味もほぼ白一色だけと、良く言えば清楚で控え目、悪く言えば地味な印象だ。だが良郁は、そんな光の粒のひとつに、自分の家族が暮らす家の明かりがあると思うだけで幸せな気持ちになれるのだった。
良郁は助手席のシートの上に置いてあった煙草とライター、そして携帯用灰皿を左手でまとめて掴むと、GTーRのドアを開けて車外へと出た。そして一本の煙草を取り出して口に咥え、山合いを吹き抜ける風を左手で遮りながらライターで火を点けた。良郁は決して車の運転をしながら煙草は吸わない。それは車内を汚したくないからというのではなく、純粋に運転を楽しみ、そしてハンドルを握ることに集中したいという理由からだ。そもそもヘビースモーカーではないし、多くても一日に4、5本しか吸わず、全く吸わない日だってある。一箱を空けるのに一週間以上かけることも珍しくはない。未成年のうちから喫煙が習慣になると依存症になりやすいとも言われるが、良郁が初めて煙草を吸ったのは25歳の時だった。その後も嗜む程度にしか吸わなかったので、これくらいで済んでいるのかもしれない。
良郁はこの日、朝一番で大阪市内の本社を出発し、名古屋の営業所へと向かった。得意先からシステムのトラブルに関するクレームがあったのだが、現地のスタッフのみだけでは時間的に対応しきれないようだったので、良郁が陣頭指揮を執るべく自ら出向くことになった。良郁を目にかけてくれている上司でもある専務は、「本社の営業本部長でもある君が直接行くこともないだろう」と渋い表情をしていたが、かつては優秀なシステムエンジニアとして名を馳せた良郁がサポートし、先方へ謝罪することで誠意を見せたかったのだ。それに名古屋営業所の責任者である窪田は、以前は大阪本社で良郁が直々に鍛え上げた信頼の置ける直属の部下だからと、そう説得して名古屋へとGT-Rを走らせたのだった。良郁にとっては、電車や新幹線、タクシーを乗り継ぐよりも、大阪から名古屋くらいの距離ならば、自らGTーRを走らせた方が早く着くことができた。もちろん、途中で事故や渋滞がなければの話だが。この日は幸い名古屋まですんなりと到着し、現地のスタッフと協力してトラブルシューティングを完了させ、先方にもきっちりと謝罪し、午後5時には向こうを出発することができた。朝は名神高速道路を利用したが、帰りは奈良の自宅へと直帰することになっていたので、名阪国道を通った方が都合がよかった。それに、若い頃に走り屋として峠を攻めたりしていた良郁にとって、スピードは出せるが直線の多い名神高速よりも、カーブやアップダウンも多い名阪国道の方が運転していて楽しいものだった。あと30分も走れば家には着くのだが、高峰サービスエリアで一服しながら優しげな夜景を見るこのひと時が、良郁には至福の瞬間だった。
GTーRの運転席のドアの脇に立ち、煙草の煙をふーっと吹き出しながら、良郁はふと駐車スペースの3台分隣に停まっている軽自動車に目をやった。
「セルボモードか、懐かしいな」
そこに停まっていたのは、20年以上前に販売されていたスズキのセルボモードSRーFOUR、CP32S型だった。セルボモードは当時の軽自動車としては珍しく、プレミアム感を全面に押し出した丸みのあるボディーラインが特徴的な愛らしいスタイルをしている。その中でもスポーツグレードとして設定されていたSRーFOURはターボエンジンで武装されており、700kgちょっとの小さくて軽量な車体は、ちょっとした普通車ならばカモれる性能を持っていた。しかし当時の走り好きの若者は、よりスポーティーなスズキのアルトワークスやダイハツのミラターボTRーXXを選ぶ人が圧倒的に多かった。そのためセルボモードは高性能だった割には不人気で、いわゆる走り屋からはそれほど人気や支持を得られなかったのが事実である。良郁自身も若い頃、今目の前に停まっているのと同じ型のセルボモードに乗っていた。ボディーカラーはブラックで、これもまた同じ色だった。
「こんな古い車に乗ってる人が、まだおるんやなぁ」
携帯灰皿の中へ煙草の先端の灰をトントンと落とし、昔を思い返しながら微笑んだ。
良郁の脳裏に、学生時代の記憶が鮮やかに甦ってきた。10月の冷たい風が、スーツの裾をひらりとなびかせた。
2.ガソリンスタンド
「今日からこちらで働かせていただくことになりました、五十嵐良郁です。よろしくお願いします」
平成5年1月、奈良県内でも大阪寄りに位置するありふれた田舎町のガソリンスタンドに、ほんの少し緊張した面持ちの良郁の姿があった。県内の公立高校に通う二年生の良郁にとって人生初のアルバイト、その初日の朝だった。
良郁は小学生の頃に地元の少年サッカーチームに入部したことがきっかけになり、中学、高校へと進んでからもずっとサッカー一筋で頑張っていた。ポジションがディフェンダーだったので特別派手で目立つ存在とは言えなかったが、それでも誰にも負けないくらい練習を積んできたという自信はあった。しかし高二の夏休みに入って間もない頃、同じ県内の高校のサッカー部との練習試合に途中出場した良郁は、激しい接触プレーの際の転倒で、左膝の十字靭帯の断裂という大ケガを負った。すぐに救急車で病院に運ばれ、手術をした。結局その年の夏休みの大半は入院生活となり、退院後も苦しく辛いリハビリが続いた。
それでも17歳という若さもあってか、膝の回復は思いの外早く、秋が終わりを迎える11月の末頃には、短い距離であれば軽いジョギングができるようまでになっていた。回復の状況をサッカー部の監督に報告しようと久し振りにグラウンドに顔を出した良郁だったが、そこで目にした現実は、彼にとってとても残酷なものだった。毎年冬に行われる全国大会出場へ向けての県の予選で早々に破れてしまっていた良郁の高校のサッカー部では三年生が既に引退しており、今はもう最上級生となった二年生による新チームが始動していた。1学年あたり20人程の部員がいるこのチームの中に、順調に回復しているとはいえ、半年かそれ以上のブランクが確実となった良郁が戻るポジションは用意されていなかった。事実、この日グラウンドの片隅に現れた良郁の姿に気付いていた部員は誰一人としていない。翌日、良郁は退部届を提出した。
サッカー部を辞めてからしばらくの間は何をする気も起こらず、燃え尽きたかのようにただぼーっと過ごす日々が続いていた。しかし12月の中頃、そんな姿を見るに見かねた父親から、
「良郁、好きやったサッカーを続けられんかった悔しさもわかるし、辞めて気が抜けてるんもわかるけど、いつまでもそうはしてられへんやろ。学生らしく勉強に打ち込むか、バイトでもするか、とにかく何かせい」
と諌められた。良郁は元々大学に進学する気はなかったが、だからといって勉強をおろそかにすることもなかった。高校卒業後は、今後ますます発展していくであろうコンピューター社会の未来を見据えて、システムエンジニアになるための専門学校へ進もうと考えていた。学校の授業もそれなりに真面目に受けていたし、焦らなくても現時点で十分に専門学校へ進む程度の学力はあると思っていた。そこで良郁は勉強ではなく、アルバイトを始めることに決めた。
早速日曜日の新聞の折り込みチラシの求人広告に目を通し、家から自転車で5分ほどのところにあるガソリンスタンドに問い合わせの電話をかけた。未経験の高校生でも応募可で、時給は800円。条件は悪くないと思った。生まれて初めて受けた面接はかなり緊張したが、元来人見知りしない性格の良郁はすぐさま面接官であった店長にも気に入られ、採用が決まった。しかし年末は洗車の客が押し寄せ、とても新人教育などをしている余裕はないと言われ、初出勤は年が明けてからということになった。
そして初出勤の日、正社員や先輩のアルバイトスタッフに自己紹介の挨拶を済ませた良郁の隣には、もうひとりの新人の姿があった。彼の名前は片岡一憲、良郁より3歳年上の20歳で、1年浪人して進学した大学一年生だった。
「片岡さん、よろしくお願いします」
良郁は最初、20歳の片岡に対して敬語で話しかけていた。しかし片岡の方から、
「年の差はあるけど仕事では同期やねんから、俺には敬語なんか使わんでええよ」
と申し出てくれた。今まで上下関係の厳しい体育会系の世界で育ってきた良郁にとって、片岡のこの言葉はある意味衝撃的だった。特に高校のサッカー部では先輩の言葉には絶対服従がルールで、一年上は親同然、二年上は神と思え、そんな環境で暮らしてきたものだから、三年上の片岡なんて良郁にしてみれば神をも超える存在だった。タメ口でいいとは言われたものの、やはり初めのうちはよそよそしい話し方で接してしまっていた。しかしお互いの希望する勤務シフトがよく似ていたことから一緒に働く機会が多くなり、それにつれて良郁と片岡はどんどん打ち解けていった。良郁の性格上100パーセントタメ口で、とまではこの後もなることはないのだが、片岡への敬語も徐々に砕けたものになっていき、ふたりが年の離れた友人のような関係になるまで大した時間は要しなかった。2月に入った時には、「カズさん」「ヨシフミ」と、名前で呼び合うようにもなっていた。
3月も終わりに近付いて暖かい日が多くなってくると、良郁は膝の様子を確かめながらアルバイト先のガソリンスタンドまでランニングで通うようになった。およそ10分程度ではあるが、ずっと体育会系だった良郁にとって、こうして走れることは楽しく、嬉しく、そして幸せなことだった。
良郁の勤務シフトは、学校がある日は夕方の6時から閉店の午後9時まで、学校が休みの日は開店の朝7時から閉店時間までのうちで、店長が他の従業員との兼ね合いも考慮してシフトを組むことになっていた。良郁と片岡の仲がいいこともあり、店長はふたりのシフトがなるべく同じになるような配慮もしてくれたようだった。
「ヨシフミ、今日バイトが終わったら送ったろか?」
そう言って、片岡が良郁を家まで送ってくれることもよくあった。そんな時は遠慮なく助手席に乗せてもらうのだった。まだ高校生で運転免許も車もない良郁と違い、20歳の大学生の片岡は既に自分の車を所有していた。片岡の車はスズキのアルトワークスRS/Xという軽自動車。大学の合格を機に、中古車ではあるが親に買ってもらったのだという。ガソリンスタンドで働いてはいるものの、車のことをまだほとんど知らない良郁にとって、アルトワークスがどんな車なのかはわからなかったし、興味もなかった。それどころか正直に言えばまだこの時点では、どの車を見てもどれも同じに見えてしまうというレベルだった。
3.免許を取るぞ
春休みが終わろうとしている4月初めのある日の夜、ガソリンスタンドの正社員でサブマネージャーでもある前田が、閉店作業の後片付けをしている良郁に声をかけた。
「良郁ぃ、今晩ヒマか?」
「え、まぁヒマといえばヒマですけど。何かあるんですか?」
「ああ、俺らこれから『山』に行くねんけど、よかったら良郁も一緒に行かんか?」
「山?!山ですか?」
いったい何を言っているのか全く訳がわからないという感じの困惑の表情をしている良郁を見て、前田は笑いつつ慌てて言葉を足した。
「すまんすまん、そら訳わからんよな。山に行くっていうのは、車で峠を走りに行くって意味な。おまえ明日休みやし、まだ学校も始まらへんし、車のことをいろいろ教えたろうと思ってな」
なるほど、と良郁は思った。この当時、ガソリンスタンドの店員といえば、もちろん例外が多数あることを承知で言わせてもらうと、とにかく走り屋がすごく多かった。ガソリンスタンドで働けば燃料代やオイル交換、タイヤ交換等に社員割引が適用されるし、仕事に差し支えない範囲で車の整備に必要な工具やオートリフトを備えた作業ピットが無料で使えるといった恩恵が受けられたので、ガソリンスタンドの求人が入ると、お金のない走り屋が我先にとアルバイトに応募したものである。現にこの店舗でも前田がR32型スカイラインGTーRに乗っているのをはじめ、R31型スカイラインの尾崎、S13型シルビアの中本、AE86型レビンの山田、EG6型シビックの森田など、全従業員18人のうち11人が走り屋として腕を競っていた。その11人全員が同じグループとしてつるんで走っているわけではなかったが、前田が中心となっているグループではいつも、5台から7台くらいで峠に繰り出していた。
「でも僕、車ないですよ。免許も」
「そんなんわかってるわ!俺が横に乗せていったる」
「遅い時間に出掛けて、親に怒られませんかねぇ」
「ほな俺が話つけたるよ。良郁くんをご飯に連れていきます、酒や煙草は決してやらせません、なるべく早く帰らせます、ってな感じで」
「はぁ、わかりました」
という訳で、一度帰宅して着替えた後、午後9時半過ぎくらいに前田が良郁の家まで迎えにきてくれるということになった。
この日も片岡と一緒に働いていたので、
「カズさんも一緒に行きましょうよ」
と誘ってみたが、
「いや、俺はいいよ」
と断られたのは良郁にとっては残念だった。
仕事帰りに片岡は良郁をまた送ってくれたので、少しの時間だったが車の話をした。
「カズさんは前田さんとかと走りに行ったりしないんすか?」
「せぇへんよ、俺は走り屋やないからな」
「俺はまだあんまり車のことわかってないんすけど、カズさんの車も速そうですやん」
片岡はハハハッと小さく笑い、
「そらこのアルトワークスも軽四やけどターボやから、アクセルを踏み込んだらそれなりに速いんは速いけど、走り屋はただ速かったらええっていう訳やないしな。走り屋を悪く言うつもりは全くないけど、俺の趣味とはちゃうっちゅうこっちゃ」
「そんなもんっすかねぇ」
わかったようなわからないような曖昧な返事をしたところでちょうど家に着いたので、良郁は片岡に礼を言って頭を下げた。去り際に片岡は、
「まぁ気楽に楽しんでおいでや」
と、パワーウィンドウを下ろして言った。
それから30分ほど経って、五十嵐家の前に1台の車が停まった。チャイムなんて鳴らされなくても、室内まで響いてくるマフラーからの重低音が、前田のスカイラインGTーRの訪問を告げていた。良郁は母親を玄関まで連れていき、
「いつもお世話になってる、社員の前田さん」
と言って紹介した。前田はこの時28歳だったが、高校時代のアルバイトを含めると接客業を既に10年以上続けていることもあり、良郁の母親にも恭しく頭を下げ、
「息子さんをお預かりします、きちんと送り届けます」
と、丁寧な言葉遣いと爽やかな笑顔で力強く約束した。この態度がとても好印象を与えたようで、良郁の母親は前田を、
「しっかりした人やわぁ」
と、すっかり気に入ってしまった。その後も良郁が夜遅くに出掛けるとしても、
「前田さんと一緒やから」
と言いさえすれば、すんなり送り出してくれるようになったほどだ。『おかあさんといっしょ』ならぬ『まえださんといっしょ』は、魔法の言葉になった。身長が180cm近くあり、細身で足も長く、今で言うイケメンの部類に入る前田は、ガソリンスタンドにやって来る妙齢の女性客からの人気が特に高かった。良郁の母親も、そんな前田のファンのひとりになってしまったのだろう。
GTーRの助手席に良郁を乗せ、前田は他の仲間たちと待ち合わせをしている近所の24時間スーパーの駐車場へと向かった。そこには先に、あからさまにそれとわかる何台かの走り屋の車が停まっていた。良郁が働くガソリンスタンドの現役の先輩スタッフだけでなく、良郁とは全く面識のない元アルバイトだったOBという人もふたりいた。前田が良郁を連れてくることはサプライズだったので、他のメンバーは、
「おっ、良郁やん」
「覚悟しとけよー」
「かわいがったるからなぁ」
などと声をかけてくれた。ずっとサッカーというチームスポーツをやってきた良郁にとって、この空気はどこか懐かしく感じられ、そしてとても心地いいものだった。この日は全部で6台の車が集まり、奈良と大阪の県境に近いところにある某K峠へと連なって移動した。K峠は奈良や大阪の走り屋にとって聖地ともいえる場所になっていて、前田たちのグループも4回中3回はここに来ていたほどだ。
K峠に着くと、メンバーはそれぞれ曲がりくねった道を走り始めた。それに続くようにして、前田も良郁を横に乗せたまま走り出した。
「最初はゆっくり流すように走るけど、もし怖くなったらちゃんと言うてや」
と前田は一言口にすると、どこがゆっくりなん?と良郁がツッコミを入れたくなるようなスピードでGTーRのアクセルを踏み込んだ。硬めの座り心地ながら体にフィットするシートに腰を沈め、しっかり締めたシートベルトをギュッと握り、良郁は訳のわからない方向へと流れていくフロントガラス越しの風景を眺め、とんでもないとこに来てしもうたな、と少し後悔するのだった。
何本か上りや下りを繰り返すうちに徐々に慣れてきた良郁は、他のメンバーからも、
「俺の車にも乗ってみろよ」
と誘われた。シルビアの中本からは、4WD(四輪駆動)のGTーRとFR(後輪駆動)のシルビアとの違いを教わったし、シビックの森田からはFF(前輪駆動)の乗り方と魅力を説かれた。まだそれぞれの差や違いなんてわかるはずもない良郁にとってはまさに異次元の話のようだったが、こういう世界もいいな、と思うようになっていった。
もう何十本走ったのかさえわからなくなってきた頃、一度全員が集合する場面があった。車から降りてきたメンバーを見て、良郁は驚いた。ひとり残らず全員の呼吸は荒くなり、肩を上下させている人もいた。額から流れる汗を、首にかけたタオルで拭いている人もいた。4月とはいっても深夜の峠道はまだまだ冷え込みが強く、体中から白い湯気を発している人もいた。まるでサッカーの試合のハーフタイムを思い出させるその光景に見入っていた良郁だったが、助手席で踏ん張っていただけの自分自身の両脚も、疲れて小刻みにぶるぶる震えているのにしばらく気付かなかった。
時計を見ると、午前0時45分になっていた。
「どうする?今日はそろそろお開きにしよっか?」
「そやな」
「帰ろかー」
前田が提案すると、この日は全員それに従った。日によっては、帰る人とまだ走りたい人とに分かれることもあるのだという。メンバーの車はまた一列に並んで帰途に着き、その途中でそれぞれの家が近付くと、短くクラクションを鳴らして道を曲がって帰っていった。
「良郁、今日はどうやった?」
前田が尋ねると、
「めっちゃ楽しかったです、最初は怖かったけど」
と、良郁は笑って答えた。
「みんなめっちゃ疲れてましたよね、前田さんも含めて」
「そうやな、いっつもあんなもんやけどな。次の日が休みとかやったら夜中の3時過ぎまで走ることもあるし、そんな日は帰る体力もなくなって、朝まで車でシート倒して寝てから帰ることもあるわ」
「マジっすか?!」
走りに対する前田のストイック過ぎる話を聞き、ちょっとだけ『アホや』と思ってしまった良郁だったが、そこまで真剣に打ち込めるものが今では何もないだけに、そんな前田に憧れを抱き始めていた。
午前1時半頃に家に着き、家族を起こさないように静かにシャワーを浴びてからベッドに入ったが、気持ちの昂りを鎮めることができず、なかなか眠りには就けなかった。ちなみに前田は朝の7時からまた仕事である。
翌日、春休みで学校が休みであろうと普段からちゃんと早起きをする習慣のある良郁でも、さすがに目が覚めたのは午前10時を少し回った頃だった。昨夜の興奮がまだ冷めきっていない頭のままでリビングに顔を見せると、
「あんた、何時に帰ってきたん?全然気ぃ付かへんかったわ」
と言って、母親が良郁にコーヒーを淹れてくれた。
「なぁお母さん、ちょっと話があんねん」
ソファーに座って同じくコーヒーを啜っている母親に、かしこまった様子で良郁は話を切り出した。
「何?もしかして昨日何かやらかしたんとちゃうやろね?」
「な、何もしてへんよ。話っていうか、相談したいことがあるって言うたほうがええかな」
怪訝そうな顔をする母親の足元に、かしこまった態度で良郁は正座した。
「車の免許が取りたいねん。費用は自分で全額出すから、教習所に行くのを許して下さい」
と良郁は直訴したが、
「そんなん言われても、今ここではいどうぞ、とはよう言わんわ。あんたはまだ高三になったばっかりやし、お父さんが帰ってきてから相談しなさい」
と母親はやんわりと諭した。当然と言えば当然の対応だった。
この当時、満18歳の誕生日を迎える3か月前から教習所の学科の講習を受けることができるようになり、1か月前からは実技講習として教習車のハンドルを握ることができた。良郁の誕生日は6月3日だったので、とりあえず教習所への入校が認められる条件は満たしていた。夜に父親が仕事を終えて帰宅するまでに、最寄りの自動車学校のパンフレットや入校申込書を説得材料として揃えておくべく、春の暖かい日差しの中、ほぼ散ってしまった桜並木の川沿いの県道を自転車で走った。こんなにワクワクした気持ちで、あくまでも自分の意志で何か新しいことを始めたい、そう思ったのはいったい何年振りのことだろうか。もう痛みのない脚で、良郁は力いっぱいペダルを漕いだ。風が気持ちよかった。
夜になって父親が帰宅すると、良郁はテーブルの上に教習所の資料を並べ、免許を取りたいとの熱意を伝えた。良郁の父親は隣の市の市役所に勤める公務員であり、やや堅物な性格でもあったので、高校生の分際で車に乗りたいだなんて言ってもきっと反対されるに違いないと思っていた。ところが良郁の父親は、息子の申し出をあっさり了承した。
「ええの?お父さん」
拍子抜けしたような顔で訊ねる良郁に、
「別にええよ。父さんも高校生の時に免許取ったからな、おまえの気持ちはよぉわかる。男には誰でも機械とか車とかに興味が湧いてくる時期っちゅうもんがあって、おまえもそれに差し掛かったってことやろ」
と、息子の成長を喜ぶその感情を肴に、父親は満足げにグラスのビールを口に運んだ。二杯目は息子が注いだ。
「費用は自分で全部出すって言うてたけど、足りんくなった時はちゃんと言うてこい。うちは別に貧乏やないし、それくらいは何とでもしたる。そのための親やからな、遠慮なんかせんでええ」
「うん、ありがとう。でも大丈夫、自分の力でどこまでできるか試してみたいねん」
父親の優しく力強い言葉に背中を押され、俄然免許取得への意欲が湧いてきた良郁だったが、実際のところはこの時点ではまだ教習所の授業料を一括で支払えるだけの貯金が、あと4万円ほど不足していた。そしてこの4月もアルバイトに精を出し、ぎりぎりゴールデンウィークに突入する前に入校の手続きを済ませることができた。教習所へは放課後に通うようになっていたので、夕方からアルバイトに行く回数は残念ながら減ってしまっていた。しかし時々前田からの誘いで、峠に連れていってもらうことがあった。そのたびに免許取得へのモチベーションを高め、教習所通いにも気合いが入るのだった。また時には、まだ仮免許の試験にも合格していないうちに、ガソリンスタンドの先輩スタッフでもあるレビンの山田やシビックの森田が車を貸してくれて、さすがに峠では無理だったが、人気がなく見通しのよい平坦な道路や、いつもメンバーが待ち合わせの場所にしているスーパーの駐車場でこっそりと運転の練習をさせてくれたりもした。前田は、
「いくらなんでも、無免でGTーRは貸せんやろ」
と笑いながら言ったが、
「良郁が無事に免許を取得したあかつきには、何ヵ月かに一度の割合で参加してるサーキット走行会でGTーRを運転させたってもええで」
と約束してくれた。次の走行会は7月の終わり頃にあるという。それまでに何としても免許を取る、と心に誓う良郁だった。
元々根が真面目で、好きなことに打ち込むのが苦痛にならない性格な上に、先輩方からの秘密のレッスンを受けていた良郁は、学科も実技もそつなくこなし、夏休みに入った直後には教習の全過程を終了することができた。教習所の教官からは、
「五十嵐くん、運転うまいね。無免許で乗ったりしてないよね?」
と言われてヒヤリとする場面もあったが、
「先生の丁寧で熱心なご指導の賜です」
と、機転を効かせて切り抜けてきた。
ただ惜しいことに、前田たちが予定していた走行会の当日までに免許試験が間に合わなかったのだけは残念だった。良郁の運転免許取得に理解を示していた両親も、さすがに高校の中間テストと期末テストの期間中は教習所通いを禁止したからである。高校三年生の1学期の成績は、たとえ良郁が大学進学を目指してはいなくても、やっぱり親としては心配なものだ。
「学校の試験さえなかったら、走行会までに間に合ったのに・・・」
と落ち込む良郁だったが、今回は前田のGTーRの横乗りという形で参加させてもらえることになった。
4.初めてのサーキット
平成5年7月の終わり頃、ついに良郁にとって待ちに待った走行会の日が訪れた。走行会は開催するサーキットや主催者の都合によって参加の形態は様々だが、前田たちが今回参加した走行会は午前9時開始の部と午後1時開始の部に分かれていて、それぞれ二時間という時間制限があるが周回数の制限はない。参加料は1グループにつき3万円となっているので、台数が多いとひとり当たりの負担額を減らすことができる。前田たちのグループは8台で参加したが、良郁のように横乗りで参加している人もいるので総勢は12人となり、支払いは2千5百円ずつで済んだ。ここしばらくアルバイトを減らしていた良郁にとって、これはありがたかった。
走行会のエントリーは全て電話による事前予約制になっていたが、前田が電話をした時、この日はもう午後の部しか予約の空きがなかった。前田が言うには、夏は気温が高く、路面の温度も極端に熱くなるのでタイヤの消耗が激しくなる。そのために午前の予約はすぐに埋まってしまうとのことだった。実際にこの日も車のコンディションを考えると過酷すぎるほどの猛暑と好天で、天気予報でもこの夏一番の暑さだと言っていた。サーキットに到着する前、早めの朝食を摂るために立ち寄ったファミレスでも、
「今日の暑さはヤバイな」
とか、
「2時間もタイヤがもたへんで」
と心配する声が挙がっていた。ちなみに初めてサーキットを訪れた良郁の感想は、「暑い、そしてうるさい」だ。
サーキットに乗り入れた時、ざっと見ただけでもう30台近い車が先に来ていて、最終的には45台が集結した。その中にノーマルの車などは1台もなく、マフラーからの爆音は、会話すらまともにできないほどだった。多くの人はグループで参加していたが、個人で参加するリッチな人も数人いた。それぞれが割り当てられたパドックスペースに陣取り、車内の不要な荷物や工具類、冷たいジュースが入ったクーラーボックスなどを下ろし、折り畳み式の椅子に座ってコースインの瞬間を待っている。火傷するほど熱せられた路面は鏡のようにギラギラと光ながらゆらゆらと揺らめいていた。
「皆様、お待たせいたしました。ルールやマナーをお守りいただき、順次コースインを始めてください」
午後1時ジャスト、パドックに設置されたスピーカーからアナウンスの声が響いた。45台の改造車の排気音の中でも聞こえてくる、良く通る高く澄んだ女性の声だ。
「よっしゃ、行くぞ!」
「おおっ!」
前田の号令にみんなが反応し、各々の車の運転席もしくは助手席に乗り込んでいく。良郁もGTーRの助手席に飛び乗った。
午後の部のスタートの前からスタンバイしていた他の参加者は、既にコースへと飛び出している。F1などのカーレースでよく見られるフォーメーションラップのように、コースインして最初の1周目は、路面の状況の把握や自車のタイヤの具合の確認など、情報収集のためにゆっくり走るのが暗黙のルールである。しかしそんなことを知らない良郁は、
「えらいゆっくり走るんですね」
と言って前田に笑われた。だがその1周目が終わる直前、
「悪いけど、なるべく静かにしとってな。ちょっとマジで走るから」
と言われ、初めて峠に行った時のようにシートベルトをギュッと握りしめた。
1周目の終わり、つまり実質上のコースのスタートは、長いホームストレートから始まる。前田はGTーRのアクセルを目一杯踏み込んだ。その瞬間、良郁は後ろから背中をドンッと押されるほどの加速による衝撃を受けた。走り屋をしていて改造したGTーRに乗ったりしてはいるが、普段の前田はとても穏やかな性格で、常に安全運転を心がけ、イライラしたり前の車を煽るような運転はしない。しかし2周目からの前田は、良郁が知っている前田ではなかった。そしてGTーRもまた、今までに見せたことのない顔を見せ、聞かせたことのない唸り声を上げて吠えた。峠では決して体験できないスピードで、直線的にすっ飛んでいく景色。1台前を走っていた赤いユーノスロードスターも、まるで止まって見えるくらいの速さで追い抜いていく。メーターパネルに追加で取り付けられたデジタル表示のスピードメーターは、時速172kmを表示していた。もっとストレートが長ければ、さらにスピードを出せたに違いない。
ホームストレートが終わると、次は右カーブがある。走り屋ならカーブのことはコーナーと呼べ、とシルビアに乗る中本から言われた。その右コーナーに差し掛かろうとしているのに、前田はなかなかブレーキを踏まない。良郁は声も出なかった、現実を受け入れられない自分がいた。頭の中が真っ白になりかけた途端、ようやく前田の右足の爪先がブレーキペダルに移動。と同時に、かかとがアクセルに載った。いわゆるヒールアンドトゥである。ウォン、ウォンとエンジンが唸り、シートベルトなしでは前方に吹っ飛んでいくであろう勢いで一気に減速した。と思ったのも束の間、四輪駆動のGTーRはタイヤを滑らせることもなく、極めてスムーズに右コーナーを駆け抜けていった。峠とは比べ物にならないスピードを出したと思いきや、コーナーも難なくクリアしていくGTーR。その性能は凄まじく、良郁の心を鷲掴みにした。夜の峠では暗くてわからなかった前田のペダルワークはまるで踊っているかのように華麗で、それでいて力強く、ハンドル捌きやシフトレバーの操作にも一切の無駄はなかった。モータースポーツという言葉があるが、車の運転もここまで来ればスポーツになるんだな、と良郁は心から思った。そして、免許の取得が間に合ったらGTーRの運転をさせてくれるという約束が守られなくてよかったと、胸を撫で下ろすのだった。この時良郁は、
「今はまだ無理やけど、きっといつかGTーRに乗ってみせる」
と初めて決意したのだった。
コースを何周か回って一度パドックに戻った良郁は、よく冷えた缶コーラをクーラーボックスから取り出すと首筋や額に当てて体を冷やし、それからグッと飲み干した。15分ほど休憩して落ち着くと、中本のシルビアと森田のシビックにも同乗させてもらった。前以てGTーRの本気の走りを体験していただけあって、この2台の走りはただ純粋に落ち着いて楽しめた。中本は峠を走る時のように、タイトなコーナーではドリフト走行をして楽しんでいた。森田のシビックは排気量も小さくてそんなにパワーもないので、ストレートやゆるめのコーナーではハイパワーのスポーツカーにたやすく抜かされるものの、急なコーナーではシルビアよりも速く曲がれるように感じた。それぞれの車の特色に合わせたテクニックや楽しみ方があるんだなと、改めて思い知った一日になった。
「間もなく午後3時になります。皆様、コースアウトを始めてください」
終了を告げるアナウンスの声が響き、参加者は続々とパドックに引き上げてきた。
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