二章・幼き君と(1)
ところが、あの婆さんに大見得切ってから数日後、私の心は早くも折れかけていました。
(……死にたい)
赤子とはなんと不自由な生き物でしょう……自らの意志では何もできず、全てを他人に委ねるしかない。その生活がこれほど辛く苦しいものだなんて今まで想像もしていませんでした。するはずがないですけど。
何より辛いのは、文字通り下世話な話ですが下の世話まで他人に頼ることです。
(この歳でオムツ……屈辱、そして恥辱……)
これは聖騎士達に下剤を飲ませた報いでしょうか? 意識は大人なのに、大小どちらも自分の意志では制御不能。何もできず無力感に苛まれながら粗相し、オムツを取り替えられていると、だんだん介護される寝たきり老人の気持ちもわかってきます。人生の始まりと終わりは同じところへ行き着くのですね。
嗚呼、あと何年こんな状態が続くのでしょう? これまでの人生で赤ちゃんに関わったことなんて無かったから想像もつきません。絶望的な気分ですが、知ったら知ったでより落ち込むような予感もします。
(一年……いえ、二年もすれば動けるようになるでしょうか?)
退屈なのも辛いです。産まれたばかりの赤ちゃんは本当にすることがありません。歩けない起きれない話すこともできない。こんな境遇でよく世の中の赤子達は耐えているものですわ。
(偉い! あなた方も私も、とっても偉くってよ!)
退屈すぎて、そんなアホな考えで自分を励まし始めました。駄目ですわ私、もう本当に末期です。新たな人生はまだ始まったばかりなのに。
そういえば、あの産婆さんが神子のお母様に説明していた話によると、赤ちゃんは生後しばらく自力で首を支えられず、安定するまで約二ヶ月の時を要するのだとか。
つまり、あと六十日ほどの間、こうして仰向けに寝ていることしかできません。そんな長期間じっとしていた経験なんて生まれてこのかた無かったですわ。
いえ、私にも本当の赤ちゃんだった頃はあるのでしょうけれど、なにせ自分では覚えていませんからね。実質これが初めて。
(ところで私は知りました。人は生まれながらに不平等であると……お隣さんはもうあんなに動けていますもの)
神の祝福の効果でしょうか? 並んで寝かされている神子はすでに結構な運動量で手足をバタバタさせています。声も私以上に出せていて、今は「だーうーぶぶぶ」と意味不明なことを発言中。虚空の何かを掴もうと頑張っているようにも見えます。私には見えないものが見えているのかもしれません。
(精霊か何か?)
なんといっても神子ですので、そのくらい稀有な素養があったとしてもなんらおかしくありません。この子の力の詳細は不明。今後のためにもよく観察しとくべきですね。退屈しのぎにもなります。
ちなみに私も幽霊なら見えます。呪われた品の蒐集癖。あれが高じて第六感に覚醒しました。この家には悪霊などいないので、宿屋にありがちな殺人事件が起こったことなどは無さそう。
(それにしても、なかなか帰ってきませんわ)
誰がって神子のご両親のことです。名前はサザンカさんとレンゲさん。旦那さんがサザンカさんで奥様がレンゲさん。二人の会話で覚えました。先程「すぐ戻るから」と言って出かけてしまってから十分ほど経っています。育児経験の無い私が言うのもなんですけど、子供からはなるべく目を離さない方がいいのでは?
そんな益体も無いことを色々考えていたら、やがて二人が帰ってきました。
あら? でも四人いますわ。顔はよくわかりませんけど。
赤ちゃんになって以来、視界がぼやけているのです。先天性の障害でしょうか? だとしたら将来はクルクマのようにメガネのお世話になるのかも。
「いやあ、可愛いなあ、二人とも」
「こっちは女の子なのね」
やっぱり聞き覚えの無い声がします。声の張りから察するに、まだお若い男女でしょう。おそらくサザンカさんレンゲさんの同世代。会話の内容から察するに近所の友達を招いたようです。
すると、きょとんとしている私を見て茶色い髪の男性が自己紹介を始めました。
「はじめまして、僕は隣で雑貨屋をしているカズラだよ。そっちにいるのは僕の奥さんで名前はカタバミ。あっちにいるサザンカとレンゲも含めて幼馴染なんだ」
「いや、赤ちゃんに言ってもわかんないでしょ」
呆れた様子の栗色髪の女性。貴女がカタバミさんですね?
「あはは、そうだよね。でも知りたそうな顔に見えたんだ」
(当たりですわ)
なかなか勘の鋭い方です。ちょっとびっくりしました。
「今度は少し驚いてる感じだ」
「アンタの声が大きいから。もう少し抑えなさいって」
「あ、そっかそっか。ごめんね、えっと……そういえばこの子達、名前は?」
カズラさんに問われ、サザンカさんは唸ります。
「う~ん……うちの息子は、もう決めてあるんだけどな」
「その女の子は誰の子かわからないし、うちに置いて行かれた事情もまだ分からないから、勝手に名付けるわけにも……」
「ああそっか……まあ、それはそうだね」
「なんだろうと赤ちゃんを置き去りになんて……信じられない」
カズラさんとカタバミさんの声から複雑な胸のうちが伝わってきます。私がここにいる事情をすでに聞いているのでしょう。
現在私は、どこかの魔女が捨てた子と見なされています。
というのも唐突に現れた直後、どう見ても魔女のそれとしか思えない衣類と帽子が床に落ちていたからです。例の自慢の一張羅ですね。
小さくなりましたから当然、着ていた服は脱げたのです。誰もその服が目の前の赤子のものだとは思いませんでした。だから魔女が子供を置いて逃げたのではないかと推測する結果に。
それだと服が落ちていた理由は謎のままですが、どうもこの村の方々には“魔女は奇行に走るもの”という共通認識があるらしく、特に不思議には思っていません。以前ここで馬鹿をやらかした魔女でもいたのでしょうか?
より詳しく説明すると、こうです。
まず、サザンカさん達は眠りに落ちる直前に見た謎の霧の記憶と、大分短くなっているロウソクの長さから、自分達がしばらく眠らされていた事実に辿り着きました。
そして赤子になった私と床に落ちている服を見つけた彼等はこう考えたのです。事情があって育児を諦めた魔女が、自分達を眠らせてこっそり侵入し、育てられそうな相手だと思ったので赤子を託して去ったのかもしれない。孤児院の前に子供を捨てる感覚で。もしくはカッコウの托卵。
もちろん大外れなのですが、私にとっては助かりました。あの少ない情報から彼等の子を殺しに来た魔女だなんて真実に至れるはずはありません。ましてや、その魔女が赤子になっているなんて。
でも、でもですよ? もしも秘密が暴かれたなら、その時には何をされるかわからないでしょう? 最悪、今のうちに後顧の憂いを断とうとする可能性だってあります。
想像して身震いしました。赤子の身では一般人にも勝てません。そんな私を見てレンゲさんが近付いてきます。
「あら、おちっこ出た? オムツ替えようか」
(出てません! まだ出てませんから、今は放っておいて!!)
私のそんな懇願空しく、またも人前で下半身を曝け出されます。ああもう、本当に死にたい……いっそ正体をバラしてしまいたい……。
そんな私と彼女を横目に、他の三人は深刻な表情で会話を続けました。
「結局、本当の親は?」
「見つかってねえ……衛兵隊に事情を伝えて探してもらってるし、トナリの街の知り合いにも頼んでみたけどよ、なにしろ手がかりが少ねえ。いざとなったら領主様の力を借りるしかねえな」
「例の落ちてたって服は、どこにある?」
「ああ、そうだ、それもあってお前を呼んだんだった。えっと、ほら、これだよ。商売人なら何かわかるんじゃないか?」
そう言ってサザンカさんが持って来たのは輪郭と色合いから見てどうやら私の服と帽子。それに短剣も。ちゃんと保管して下さってましたのね。
服から手に取ってみたカズラさんは驚きます。
「これは……っ!!」
「わかるか!?」
「あ、いや、別に持ち主がわかったわけじゃないよ。ただ、使われてる生地や糸は相当な高級品だね。少なくともうちの店で扱ってるような安物とは桁が違うと思う」
ええまあ、特注の決戦装備ですから。お城が二軒建つくらいの代金は支払いましたよ。
「作りも丁寧だ……どこにもサインが無いけど名のある職人の仕事じゃないかな。その線から辿ることはできるかもしれない。僕も都の知り合いに話を聞いてみるよ」
「おう、よろしく頼む」
残念ながらそれは無理です。高名な職人の作であることはたしかですが、彼は魔法使いだけが知る有名人。一般には全くの無名なので皆さんが見つけ出すことは不可能でしょう。私とも採寸のために一回顔を合わせただけです。
「でも、ということは裕福な魔女なのよね? お金が無くて捨てたわけじゃないんだ」
やはり思うところがあるらしく、カタバミさんの声には怒気がこもっていました。
「そうとは限らないよ。借金まみれで食うにも困って子を手放した、なんて可能性も考えられる」
「まあ……それじゃあ、この子があまりに可哀想だわ」
「なんにせよ最低の親じゃない」
(いえいえ、勝手に決めつけないで下さい。私の金銭感覚がちょっと常識からズレていることは認めますが、別にお金に困ってはいませんでしたわ)
あ、でも最低の親ならいましたね。
思い出すだけでも腹立たしい人でした。
「あれ? なんだか今度はむくれてる。ごめんね、自分のお母さんが悪く言われてるってわかったのかな? 駄目だよね、そんなこと言っちゃ」
(貴方、何者ですの!?)
じっと見つめてくるカズラさんから、ついつい目をそらす私。だんだんこの人の視線が怖くなってきました。どれだけ赤ん坊の表情を読み取るのが巧みですの、この方。
面倒なことになっても困りますし、しばらく寝たフリいたしましょう。
「おねむだったんじゃない? ほら、寝ちゃった」
「なるほど、可愛いな」
「可愛いわね。それにとっても綺麗な顔立ち。将来きっと美人になる」
そう褒めちぎられると背中がむずむずします。どうしてでしょうね? お馬鹿な男達に賛美されても、こうはならなかったのに。
(今の私、そんなに可愛いんですの?)
実は赤ん坊になって以来、一度も自分の姿を見ていません。容姿は変わってしまったのでしょうか? それとも単純に若返った感じ? 正直気になります。自分の元の顔が好きなので、できれば変わっていないと良いのですが。
(あ、でも私、この間の一件で賞金をかけられてましたわ。完全にそのままだと将来的に厄介なことになる可能性も……ああっ、でも顔は同じが良い……っ)
乙女には切実な悩みです。後半はどちらかというと犯罪者としての苦悩ですけど。
「それにしても二人とも全然泣かないわね」
「そうなのよ、親としてはありがたいけど、ちょっと心配よね」
それは私も思っていました。中身が大人の私はともかく、神子もいつも笑ってばかりで全然泣く気配が無いのです。彼が泣いたのは今のところ、ここへ来た日に聞いた産声だけだと思います。
「だう、あう」
今も声を聴く限り上機嫌そう。そういえば予知夢で見た未来の姿も大概能天気に笑っていましたわ。貴方、そのうちあんな風に育ちますのね。
大人はそれからもしばらく話し合っていました。私のこと、神子のこと、全然関係無い近所のご老人の腰痛の話……私にはだんだんその声が子守唄に聴こえてきます。赤ん坊になった影響かもしれません。
次第に眠くなってきた私は、寝たフリから本当の眠りへ移ろいました。