一章・誕生日(3)
「はあっ!?」
浴槽で目を覚ました私は、再び周囲を見回し現実へ帰還したことを確認すると、すぐに魔法で全身を乾かして新しい服に着替えました。家にいる時用の寝間着ではなく外出用のお洒落着でもなく、あの聖騎士団との戦い以来となる戦闘服にです。ローブに甲冑を組み合わせたようなデザインで、軽く硬く、動きやすく、ありとあらゆる攻撃に耐性を持っています。お金に糸目を付けず専門の職人に特注した最高級品。
「モミジ、しばらく出かけますわ!」
『いってらっしゃいませ』
モミジに留守を任せた私は、外へ出るなりホウキに跨りました。急がなければならないのです。今夜が早くも決戦だから。
あの魔導書は本物でした。今ならわかります。あれは予知は予知でも予知夢を見るための呪文。だから眠るまで発動しなかったのです。
でも、だとしたら冗談じゃありません。夢の中で見たあの未来。あんな運命を唯々諾々と享受する気は当然無しです。
“好きにせよ”
アルトラインの最後の言葉が脳裏に木霊しました。私は遠慮無くそうさせてもらいますと胸中で返答。聴こえているかはわかりませんが覚えておきなさい。私は自由を愛する女。元々自分の好きなことしかしない主義。だから言われるまでもございません。
「私は、私の意志で、あの子を殺すのです」
眼差しを細めた私は全速力で東北に向かって飛びました。予知夢のおかげで“神子”の生まれる場所と日時はわかっています。
場所は、この方角にある小さな村。
日時は正に今夜、月が頂点に来る時間。
そこで彼は産まれる。
最悪の魔女を封印できる力と共に。
馬でも三日はかかる距離を私のホウキは三時間で駆け抜けました。生まれ持った強大な魔力によるゴリ押し。飛行速度で私を上回る魔法使いは知る限り一人もいません。結構な自慢です。
村から少し離れた場所に着陸すると素早く隠形の術を発動。光学的に姿を隠蔽し音まで遮断できる優れものの禁止魔法。この状態で私の存在に気付ける人がいるとしたらそれは武芸の達人か腕利きの同業者、もしくは聖騎士だけのはず。いずれもこんな辺鄙な土地で出くわすとは思えません。だから遠慮無く突っ走ります。
(さて、あの場所は……)
予知夢で見た内容は断片的な上、全て覚えられたわけではありませんでした。夢の記憶なんて曖昧なのが常ですからね。
けれど繰り返し出てきた建物は覚えています。片方は雑貨屋のようでした。そしてもう一方は、あの外観と構造から見て宿屋でしょう。
(商店か宿……どちらにせよ、見つけるのは簡単ですわ)
宿屋とは旅人が泊まるもの。酒場を兼ねていれば地元の人間も利用しますけれど、基本的には外部の人間に向けた施設と言えます。
そして旅行者が宿を目指す際の導線となる道には自然と商店が集まります。だから宿と雑貨屋は近くにあるはずなのです。
はたして、その考えは当たりました。
(なんと、隣同士ですか)
都合の良いことに両者は軒を連ねていました。というかこの村、商店はこの雑貨屋の他に鍛冶屋が一軒あるだけ。悲しいくらい寂れています。まあ主要な街道からは外れている立地ですし、さもありなんな話ですが。
まったく、こんな辺鄙なところに封印されるなんて絶対に嫌。きっと退屈すぎて死んでしまいます。私には華々しい都会が似合っているのです。
なんにせよ、その前に脅威となる相手を排除すればいい。問題は雑貨屋と宿のどちらに彼がいるのか……。
(あら?)
突然、夜の静寂を打ち破る産声が上がりました。
なんとも元気な泣き声です。
(宿屋でしたか)
簡単に見つかりました。私の運命を縛る宿敵。神に選ばれし子供。逃がしはしませんよ、ハイハイすらできない未熟な自分を呪いなさい。
念のため確認。一階は酒場になっているようですが、深夜ということもあり人の気配はありません。なら正面からで構わないでしょう。ドアの鍵を魔法で開けます。これもまた禁止魔法。
侵入してみると予想通り一階は酒場を兼ねた食堂でした。奥には厨房があり、その手前にカウンター席。テーブルが四組。二階への階段。主人の趣味なのか壁のあちこちに魚拓が貼られています。人の姿は見えません。
(上ですわね)
外観から察するに二階は五部屋から六部屋。一階に生活空間が確保されていないことを考えると、うち一室は経営者の住まいでしょう。
階段を上がってみると、通路の左右に二枚ずつドアが並んでいて、突き当りにもう一枚ありました。左右が客室だとすると、おそらくあれが宿の主人の部屋。そのドアも開いており、中から光と話し声が漏れています。
覗いてみると奥に寝台が二つ。その片方に若干疲れた様子の女性が横たわっていました。金髪の美しい女性。彼女が赤ん坊の母親でしょう。傍らには銀髪の夫らしき男性。厳つい風貌ながら今は涙目で奥様の手を握り「よくやった、よく頑張った」と労っています。
もう一人、かなりお歳を召したご婦人の姿も。産婆さんでしょう。中にいる大人はこの三人だけ。後は──
いた。
赤ん坊のために用意したのでしょう。柵のついた小さなベッドがありました。その上で白い布に包まれた何かが動いています。その布越しに発せられる燐光を見て、心臓が跳ね上がりました。
(あれは……神の加護)
心のどこかにまだ、ただの夢だったのではという思いがあったのですが、これで確信に変わってしまいました。普通の人間には見えないあの光。まさしく聖騎士が纏っているのと同じ光輝です。本来は深い信仰心と過酷な修行の対価として授かるもの。それを生まれながらに持つあの子は間違いなく“神子”でしょう。
標的を確認した私は素早く次の行動に移ります。
「牧師が長々お説教……」
いきなり何を言っているのかと思われるでしょうが、これは呪文の一種。呪文詠唱には本来長い時間を要します。当然それでは不便極まりない。だから昔の魔法使い達は“圧縮魔法”という技法を開発しました。
少し説明が難しいのですが、端的に言うと呪文を“唱えた”状態で留めておける技です。しかも一回それを解き放ったら終わりではなく何度でも使い回せます。実際に放つのは元の魔法の複製だと思えばわかりやすいかもしれません。
そして、それを展開、つまり前述の複製を行った上で発動させるための簡易呪文を各自で設定します。これは解放呪文と呼びます。魔法を閉じ込めた箱を開ける鍵のようなものですね。
たとえば私は“酔いどれマダムの千鳥足”で風を生み出し“牧師が長々お説教”で眠りの魔法を発動させる。そういう感じです。本来の呪文ではどちらも十倍は長く喋らないといけません。
やろうと思えば“あ”とか“ん”なんて短い解放呪文でも術は発動します。ただし魔法の威力や効果には術者の思い描くイメージも強く影響するため、あまり簡単すぎてもデメリットがあります。どういう魔法か術者自身が想像しやすく、なおかつ一息で詠唱できる程度が最適でしょう。
──少し話が逸れましたが、ともかく私の魔法は薄い霧となって部屋中に拡散しました。吸い込んだ夫婦と産婆さんは強烈な睡魔に見舞われ、朦朧とし始めます。
「あ、ら……?」
「なんだ、こりゃ……」
「う、むう……」
「……」
完全に眠ったのを確認して隠形の術を解く私。今から起こることを知らない夫婦の姿を見ると流石に胸が痛みます。
「ごめんなさい……」
いくら悪党の私でも、生まれたばかりの子を親の前で手にかけることには抵抗がありました。せめてここでは殺さず、どこか別の場所に連れて行ってから始末することといたしましょう。死体も血痕も無ければ、妖精に隠されたとでも思って諦めてくれるかもしれません。妖精なんてものが本当にいるかは知りませんが。
全ては自由のため。
この時、私は自分にそう言い聞かせていました。
──今になって思えば、すでに私は“自由”を失っていたのでしょう。だって、それを守らなくてはいけないという強迫観念に囚われていたのですから。
「さあ、いらっしゃい」
両手を赤子に向かって伸ばします。産着に包まれた彼は身の危険を感じたのかじたばた手足を動かしました。産まれたばかりのくせにやたら元気な子ですね。眠りの術もやはり効いていません。
苦しませず殺すことができるでしょうか? 少しだけ同情します。神子として生まれたばかりに私なんかに殺されてしまうなんて。
すると表情に変化が。
笑ったのです。
にっこりと。
「えっ……あっ……」
この時、初めて私は自分のしていることが恐ろしくなり後ずさりました。
殺す? 自分の都合だけで、こんな赤ちゃんを? この手で?
「い、いや……」
否です。
これは神の策略。
諦めてはなりません、自由を!
「私……私は……ッ」
脳裏に浮かび上がって来たのは夢で見た未来ではなく、すでに過ぎた過去の記憶。
私から自由を奪おうとする大人達。私を縛り、抑えつけ、一方的な物言いで尊厳すらも砕こうとした醜い豚。一度も私に愛情を向けなかった唯一の肉親。
あの日々の記憶が、逃げることを許しません。
だから私は、常に自由でありたい。
「邪魔です……あなたは……邪魔なのです!」
精神の平衡を失ってしまった私は、一旦ここから連れ出すという考えを忘れ腰の後ろの短剣を抜きました。これは魔法と何の関わりも無いただの鋼。加護のせいで一撃では致命傷にならないかもしれませんけれど、それでも赤子を殺めるには必要十分な凶器。
その切っ先を彼の胸に当て、目を閉じます。
そして、震える手で──
「…………くっ……」
突き、刺せませんでした。どうしても腕に力が入りません。どうしようもない矛盾に気が付いてしまったから。
そうです、ここでこの子を殺してしまったら、私は嫌悪し軽蔑してきたあの醜い大人達と同じ存在になってしまうのです。それは自由を失うことよりもっと嫌でした。
「ごめんなさい……もう、帰ります」
赤ん坊に背を向ける私。あの未来に繋がる道を断つ方法は他にもきっとあるはず。もう一度予知夢を見てみるのもいいかもしれません。もっと鮮明に予知できれば新たな可能性を見出すことだってありえる。そんな風に考え始めました。
けれど、甘い考えだった。
「だう」
「え?」
赤ちゃんが何か言いました。まあ赤ん坊ですし特に意味の無い声が漏れただけだったのだと思います。
ところが次の瞬間、その全身がより一層眩く輝きました。
目も眩むほどに。
「えっ、なに──うっ!?」
白い光に包まれた私は耐えられず瞼を閉じました。生まれてこのかたここまで強い光を見たことはありません。
しばし時間が経ち、ようやくショックも抜けて片目を開いた瞬間、今度は強烈な違和感に見舞われます。
(なに? 天井?)
自覚はありませんでしたが、驚いた拍子によろけて倒れてしまったようです。視界には天井が映りました。
(まだ目が霞んでいますわ……とにかく起きないと……んっ、んっ……あ、あれ?)
再び困惑する私。手足に力が入りません。早くしないと魔法が切れて赤子の両親や産婆さんが目覚めてしまうというのに、どんなに頑張っても起き上がれません。
(ま、麻痺? もしかしてさっきの光にそういう効果が!?)
思わぬ形で大ピンチになりました。こんな状態で見つかったら何をされるか……子供の命を狙った悪党として衛兵に突き出される可能性が大でしょう。そのまま魔力封じの手枷でも嵌められたら、流石の私でもどうにもならなくなります。
「な、なんじゃあ!?」
(うひゃっ!?)
何もできず焦っているうちに恐れていた事態が起きてしまいました。相変わらず視界がぼやけて良くわかりませんが、声と輪郭から察するに上から覗き込んでいるのは産婆さんのようです。魔法が切れてしまいました。
(ああ、これは捕まりますね……)
潔く諦めました。状況的に突き出されるのは仕方ありません。であれば今ここで無駄に足掻くより、捕まってからどう逃げるかを考えた方がいいでしょう。人間、常に前向きであることが大切です。とりあえずは看守を誘惑して手枷の鍵を……。
しかし次の瞬間、目の前の産婆さんの口から発せられた一言に、脳内で組み立てた私の脱獄計画は儚く崩れ去りました。
「あ、赤ちゃんが増えておる!!」
(へっ?)
……まさか。おそるおそる意識を集中させ、右腕を持ち上げてみます。
動く、動きました。落ち着いて頑張れば辛うじて腕を動かせます。ですが、そのせいでちっちゃい“おてて”が視界の隅をよぎりました。
どうやら私の手のようです。
(な、なんですの!? なんですのこれっ)
「だーうー」
(ひっ!?)
なんということでしょう。よく見たら隣に“神子”がいるじゃないですか。ならここはあの柵付きのベビーベッドの中? 十七歳の私には小さすぎる、あの?
私、赤ちゃんになってる?
「こりゃあいったい……どういうこった?」
「わたし、双子を産んだかしら……?」
神子のご両親も目を覚まして異様な事態に戸惑いました。産まれたばかりの赤ちゃんの隣に何故か見知らぬ赤ん坊。床に散らばった誰かの衣服。わずかな時間飛んでいる記憶。
ああ……彼等の会話から確信してしまいました。やっぱり私、本当に赤ちゃんになってしまったようです。
同時に私は予知夢の内容も正しく理解しました。神子によって封印され、この地に長く縛り付けられる。
それはつまり、ここから人生を再スタートするということでは?
(い……いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?)
「ふぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああんっ!?」
全てを悟って絶望した私の泣き声。それはこの夜、二つ目の産声として村中に長く響き渡ったのです。




