一章・誕生日(1)
「あら?」
新しい絵本も読み終わり、流れでモモハルと彼の妹ノイチゴちゃんの宿題を見てあげていたら、二人とも途中で眠ってしまいました。ノイチゴちゃんは算数なら得意なのですが文字の書き取りは苦手のようです。モモハルの方は勉強全般がからっきし。急に暇になりましたし、そろそろこうなった経緯をお話しするとしましょう。
私は二人をソファに寝かせて毛布をかけてやると、すっかり客足の途絶えた店内で再びカウンター裏の椅子に腰かけました。別に移動の必要は無いと思われるでしょうが、店にいる間はここが一番落ち着くのです。外ではしとしとと雨が降り続いており、来客の無い原因はどうやらそれのようでした。静かな雨だから気が付きませんでしたよ。
まあ、最近は忙しない日々が続いていましたので、たまにはこんな日があってもいいでしょう。頬杖をついて記憶を掘り返します。流石にこの姿になってから九年も経っているためヒメツルだった頃の記憶は薄れつつあるのですが、発端となった出来事は今でも鮮明に覚えていました。
そう、あれは聖騎士団との戦いから数日後──友人が私の家を訪ねて来たことが始まりだったのです。
魔法使いの森。そこは私達が暮らす中央大陸の四割を占める大森林です。その南東部にそびえ立つカエデの巨木。通称“お化けカエデ”の中が以前の私、ヒメツルの住居。
九年前の六月、そこへ来客が訪れました。自然にできたウロにドアを取り付けただけの玄関。それを開けて見知った顔が中を覗いたのです。
「ヒ~メちゃん、来たよ」
「あら、クルクマ。お久しぶりですわね」
長い赤毛を左右二本ずつお下げにしたメガネにそばかすの少女。一見、十代半ばにしか見えない彼女の正体は、実は私より二十歳ほど年上の先輩魔女です。全然魔女らしくない行商人風の恰好をしていますが、れっきとした魔女なのです。
ちなみにこの森には多数の魔法使いが居を構えており、森全体に招かれざる客を惑わす強力なまじないが施されています。術を無効化する聖騎士でもなければ力づくでの突破は不可能でしょう。
クルクマがここまで来られたのは彼女が私の友人だから。森の結界はそれぞれの屋敷の主が招いた者にだけ逆の効果を及ぼし、どんなに適当に歩いたとしても必ず目的の場所へ連れて行ってくれます。便利なものですよね。
「ヒメちゃん、自宅だと相変わらずラフな格好してんね」
「いつも同じ服を着ている貴女に言われたくありません。それに家の中では皆こんなものでしょう?」
私が着ているのは綿のパジャマです。どうせ他に誰もいないんだから、自宅では威厳を損なう可愛らしい寝間着を着たっていいじゃないですか。
「損なう威厳なんか元々無いじゃん」
「何か言いました?」
「いや、別に。それにしても昼からパジャマだなんてぐーたらだなあ。せっかくお貴族様みたいな喋り方してるのに、高貴なる義務とやらを果たしたりはしないの?」
「あら、貴族だって昼間っから寝間着でゴロゴロしてる方はいましたわ」
「そんな男は引っ掛けちゃ駄目だよ。あ、でも、そんな男だから騙しやすいのか? まあいいや、それより今日は頼みたい仕事があってさ」
「またですの?」
魔法使いにも色々な手合いがいます。
魔法を学問として捉え、その研究に没頭し、家に引きこもる学者気質。
覚えた魔法を使いたくて仕方ないので、世に出て実践に励む労働者気質。
あるいはクルクマのように、技術や知識をお金に換えようとする商人気質。
ちなみに私は、その日その時の気分に従い自由に生きるのが好きな遊び人気質。研究に没頭することもあれば、猛者との戦いに楽しみを見出すこともあります。
ただし商売には積極的じゃありません。貢いでくださる男性が多いのでお金には困っていないからです。
なら何故クルクマと組んでいたのかというと……まあ、それは後々わかりますわ。ともかく彼女を椅子に座らせ、お茶の支度を始めました。
「あら、お茶菓子が無い」
「そりゃ残念。ヒメちゃんの作るお菓子、美味しいのに」
言いながらカバンの中をまさぐる彼女。その姿を見て先日の一件を思い出します。
「そういえば、この間は助かりました。効果てきめんでしてよ、あのお薬」
「あ~そう? そりゃこっちとしても有益な情報だよ。魔法を一切使わずに調合したとはいえ、聖騎士に有効かどうかなんてわかんなかったからさ。急ぎでって言われたんで試す時間も無かったし」
何のお話かというと、森での追いかけっこの時のあれです。風に乗せて散布した興奮剤。あれはここにいるクルクマのお手製。塗った場所がかゆくなる軟膏でも素材の選定などをアドバイスしてもらいました。
彼女は二つ名持ちでこそありませんが、薬剤と呪物の扱いに長けた魔女として同業者間ではそれなりに有名な存在。名が売れている主な理由は彼女の師匠が悪名高い魔女だからですが、本人の実力もけっして低くはありません。
彼女は他にも隠蔽魔法と探査魔法を得意としており、商売でも成功しています。欲しい物があって、それが手に入れにくい品なら、彼女に頼むのがオススメですわ。相応の代価さえ払えば確実に用意してくれますもの。
「あーしの薬がヒメちゃんの役に立ったんなら良かったよ。ともかく今回見て欲しいのは、これなんだけどさ」
と、彼女がようやく引っ張り出したのは分厚い本でした。
「魔導書?」
「そ。それも“未来予知”の魔法が書かれた本」
「なんと、それはびっくりですね」
「いや、その表情は信じてないでしょ? ま、あーしだって半信半疑だけどさ」
なら何故そんなものを持ってくるのでしょう? 不思議に思いながら私はやっとお茶を出します。最適な蒸らし時間ですわ。
問題の魔導書は黒い表紙に銀細工で不気味な目玉が象られていました。タイトルはどこにも書かれていません。こういう本にはありがちですけれど、センスの良いデザインとは思えませんね。
「信じるも何も、そんな本も魔法も聞いたことがございません」
「あーしも無い。だから持ってきた」
だから、どういうことですの? ジトッとクルクマの顔を見つめます。この友人は時々こうしてよくわからないものを私のところへ持ち込むのです。この家を危険物保管所だとでも思っているのでしょうか?
「ここは貸し倉庫でも銀行でもありませんわ。それとも、まさか実験台になれと?」
「いやいや違う違う、解読して欲しいんだよ。あーしはほら、薬や呪物に関しては専門家だけど、そっち方面はからっきしだし」
「ふうん……」
なるほど、開いてみると内容は神代文字で書かれていました。たしかに私はこの文字を読めますし暗号解読も得意です。それにこれが禁忌に触れる術の解説だった場合、同業者の大半は忌避するでしょう。でも私はちっとも気にしませんので頼む相手としてはうってつけ。
けれど、微妙に怪しい匂いがします。
「一応聞いておきますが、この本の出所は?」
「師匠の遺品」
「えっ?」
驚きのあまり目が真ん丸に。
「そんな、お亡くなりになりましたの? あの方」
「こないだポックリ老衰でね」
「老衰って……」
二百年ばかり遅くありません?
──クルクマのお師匠様は“才害の魔女”と呼ばれ恐れられる私以上の大悪党。たしか三百年ほど生きていたはずですし、あと三百年は平気で生きるだろうとなんの疑いも無く思い込んでいました。
さらに意外なことにクルクマは喜んでいません。彼女にとって、あのお師匠は長年目の上のタンコブだったはず。なのに人が出したお茶にも手をつけず、気難しい表情で腕組みしたまま。何か気がかりなことがある様子。
「いや、実はうちの師匠って前から“転生”の研究をしてたみたいでさ……今回いきなり不自然に死んだし、ひょっとしたらどこかで新しい体に生まれ変わってるかも……なんて思ってね」
ああ……なるほど、納得する私。
才害の魔女は魔法に関するあらゆる才能に恵まれていました。同時に好奇心と探求心の塊でもあったと聞いています。思いついたら即実行が信条だったという彼女のこと、本当に転生できるか試そうと自ら死を選んでいたとしてもおかしくありません。
つまり、死んだと思って遺品を処分したら、生き返って来た師匠に見つかりどやされる。そういう心配をしているわけですね。
「本当に大丈夫ですの?」
ますますお持ち帰り頂いた方が良い気がしてきました。重ねて言いますがここは危険物預り所でも廃棄場でもないのです。
「でもさ、未来予知だよ? もし本当なら多少のリスクは冒してみる価値があるじゃん」
「う~ん……」
言いたいことはわかるのですが、やっぱり怪しい。なんでしょう? この本自体が嫌な気配を帯びている気がします。そしてこれまでの経験から言って、私のこういう勘は良く当たるのです。
けれどクルクマは流石に私の唯一の友人でした。私という人間の扱い方を誰より心得ていたのです。
「解読できればヒメちゃんだって未来予知が可能になるわけだし、それとは別口の報酬も用意してあるからさ。頼むよ、ね?」
「報酬?」
「ほら、これだよこれ」
そう言って彼女が取り出したのは大ぶりのサファイア。その宝石を見た途端、私は一転して目を輝かせました。
「まあっ」
なんておどろおどろしい怨念にまみれた宝石でしょう。これ絶対呪われてます。邪悪でおぞましい呪物ですわ。
「サメクイオオイカの目玉のように透き通った青……こちらはいかほどでして?」
「十三人と一匹殺してるね。わかってる限りで、だけど」
「一匹とは?」
「最初の持ち主の飼い犬」
「素敵……」
犬まで殺すなんて、この宝石に想いを込めた人物はよっぽど相手を強く呪っていたのでしょう。想像した私は思わずうっとりしてしまいます。
──この頃の私は、呪われた宝石や装飾品の蒐集にはまっていました。もちろん自身を飾るために。
その輝きの内に秘められたドロドロの怨念を強引にねじ伏せ屈服させることに強い快感を覚えたのです。私の魔力に抑え込まれて狂ったように泣き喚く亡者の魂の叫びを聴くと堪らない愉悦を感じました。
我ながら悪趣味だったと思います。
たらり……おっといけない、涎が。この時の私はあっさり目の前の餌に釣られてしまいました。
「し、しかたないですわね」
こんな逸品を出されては断れません。断れば良かったのに。
「いいでしょう、引き受けます! なかなか魅力的な報酬ですし、それに……」
「それに?」
「もし本当に蘇るようなことがあれば、あの“才害の魔女”と一戦交えてみるのも面白いかもしれません」
「いやいやいや、相変わらず変に血の気が多いねヒメちゃんは。まあ、だからこんな仕事も頼めるんだけどさ。できればやめてよね。悪の三大魔女同士がケンカなんて、都の一つ二つ壊滅するよ」
「それは成り行き次第です」
私の最も愛するものは自由。その自由を脅かす者が現れたなら誰であろうと容赦はしません。老若男女等しく敵です。
逆に言えば、私は私の自由を認める者に対してはそれなりに寛容です。かの“才害”がどちらに回るかまでは存じませんが。
(思えば、本人とは何年か前に二言三言話したくらいでしたわ)
友人の師ということで面識はあっても、深い付き合いではありませんでした。魔法使い同士の交流なんて大概そんなものです。
魔法使いは研究者気質だと引きこもりますし、労働者気質だと競争心が強く、敵対的な関係に陥りがち。そのため他の魔法使いと上手くやっていけるのはクルクマのような商人気質の方々ばかり。
ちなみに“悪の三大魔女”とは、私とクルクマのお師匠、それにもう一人どこの誰だかよくわからない人に最近になって世間がつけたアダ名。三人ともいずれ劣らぬ大悪党だと言われていますね。
まあ“悪党ほど自由である”というのが私の持論。ですから悪者扱いされることに異論はありませんわ。とはいえ、流石に才害の魔女と一緒にされるのは心外ですけれど。あの婆さん、私でもドン引きする凶悪エピソードばかりですもの。
「じゃ、頼むね」
商談が終わると、クルクマはようやくお茶を手に取りました。すっかり冷めてしまったそれを一気に喉に流し込み、ごちそうさまと言って席を立ちます。相変わらずせっかちな性格。
「あ、それと師匠のことだから、その本にも何か仕込んでるかも。くれぐれも気を付けて。何かあったらいつもの方法で連絡ね」
「わかりましたわ」
次はちゃんとお菓子も用意しておきましょう。クルクマは甘党なのでお菓子さえあれば長居します。なんだかんだ言って私も唯一の友人の来訪は楽しみにしているのです。玄関まで出て手を振り、その背中を見送りました。