六章・最悪の魔女(5)
ありえん! ありえん! ありえん! ありえん!
ようやく状態が安定し鮮明になってきたゲッケイの思考は、目の前の光景のせいで逆に混乱の極みに達した。
どうしてこんな小さな村の住民達が強力な護符を身に着けている?
どうしてただの衛兵達があれほどの武具を? あれでは最早聖騎士団のそれに匹敵する対魔道兵装じゃないか。
それでも彼女は才害の魔女。混乱しつつも相手の術式を解析し、目の前の現実を正しく認識する。
『スズラン!』
あの娘だ。あの娘が力を与えている。村全体を覆う巨大結界と同じ。あの娘からの魔力供給があって初めて成り立つ特殊な術式。それがなければ普通の武器と変わらず、真価を発揮したら長くは保たない使い潰しの特化兵装。
備えていた。あの娘はやはり備えていた。この村で愛情を受け、ぬくぬくと育てられて甘くなっていたはず。だが、だからこそ万全に備えていた。
大切な者達を“一人残らず守り切る”ため。
しかし甘い。それでも甘い。敵を誰だと思っている? この才害の魔女に打ち勝つには、その程度ではまだまだ足りない。
「あ、がっ──!?」
「なっ!?」
衛兵の一人が糸に絡め取られて動きを停める。驚くスズランの周囲で次々に味方が精神を支配されていく。
「どうして!? 護符が効いていたのにっ」
だからなんだ? この結界に穴を空けたのと同じだ。その護符に込められた術式を解析してこちらの術を通す穴を作り出せばいい。できないとでも思ったか?
さあ今度はお前の番。お前が追い込まれる番だ。自身の魔力で強化されている村人達に追い詰めさせる。お前に彼等は傷付けられない、殺せやしない。
(所詮は小娘、アタシの勝ちだ!)
「だったら……第一計画、発動!!」
勝利を確信したゲッケイの眼前で操り人形となった仲間達に包囲されているスズランが右手を掲げ、人差し指を立てる。まるで“この指とまれ”と言うように。
「みんな、私を見て!!」
『ハぁ!?』
スズランの指先から全方向に何かの魔法が照射される。とてつもない出力。ゲッケイには全く馴染みの無い術式だが、しかし知識だけなら持ち合わせていた。
あれは魅了の魔法だ。かつてヒメツルが得意とした術。
馬鹿な男を誑かすだけのつまらない小技。
『ソンナものがナンに……』
「──あ、あれ?」
「ワシら、今、何を……」
『何故!?』
わからない。わからない。わからない。わからない。わからない!
彼女のかけた精神支配が解けていく。聖実の魔女ロウバイから盗んだ繰糸魔法が強制的に解除される。男も女も糸が繋がったままなのにどうしても意識に干渉できない。
何故? どうしてただの魅了の魔法にそんなことができる?
「わからないって顔してますわね」
『!?』
スズランが再びゲッケイの正面に立つ。その背後には村の住民達が並んだ。彼等の目は一様に異様な熱を帯びている。
「スズちゃん、を……」
「守る、んじゃ……」
「ワシらの村を、ワシらが……」
「子供達を……」
「僕達の、希望を……」
「思い出を……」
「家を……」
「我々が」
「絶対、守り抜く!!」
そうか──やっと一つの可能性に思い至った。魅了の魔法は男を誑かすためのものだと、ゲッケイはそう認識していた。
けれど違う。正しくはあれは“好意を増幅する魔法”だ。自分に色目を使ってくる男にかければその感情を倍増させて言いなりにできる。だが、人が人に向ける好意とは色欲に基づくものとは限らない。
親子の情。
友人の情。
隣人の情。
それらをあの馬鹿でかい魔力で増幅してやれば膨れ上がった感情は抑制が効かなくなる。おそらくはロウバイの術による精神支配をも打ち破れるほどに強化される。
──ゲッケイは知らない。本来これは、自分に向けられた好意を増幅することで戦意を高揚させることのみを目的としていた作戦だと。
皆に愛され、信頼されること。
そがスズランの第一計画。
「まあ、私も一か八かのヤケクソでしたが!」
堂々と開き直るスズラン。
(だろうね)
わかっているとも。お前はこちらがロウバイの術を使うことなど知らなかったはずだし、知っていたとしても魅了の魔法で対抗しようなどと普通ならば考え付かない。言葉通りに土壇場の悪あがきがたまたま上手く嵌っただけ。
まるで運命で決まっているかのようだ。その理不尽がゲッケイをさらに苛立たせる。
そうなってしまうのか?
やはり、そうなのか?
勝てないのか?
否。
そうはさせない。
自分は最強の魔女なのだ。
誰にも負けていいはずがない。
『邪魔だッ!!』
払っても払ってもしつこく群がって来る虫達を魔力障壁で弾き飛ばす。その隙に結界に開いた穴から強引に腕を四本通し、それぞれ別の魔法を発動させた。
『避けラレルもの、ナラ……!』
「避けてみろ、ですわ!!」
『むッ!?』
彼女が魔法を放つより早く、スズランがホウキを召喚して跨った。絶大な魔力を後方に噴射することで爆発的な加速を得る。
その際に受けるはずの風圧を少女は前方に展開した鋭角的な魔力障壁で受け流していた。鋭く長く太いそれはまるで突撃槍。
体内を閃光が駆け抜けた──そう感じた瞬間、すでにゲッケイの頭部には風穴が空いていた。咄嗟に張った全力の魔力障壁もまるで意味を為さない。
全てを一撃で貫き、スズランは空高く舞い上がった。
≪駄目ダ、まダ足りない≫
「えっ!?」
助っ人コオロギの言う通り、たった今ぶち抜いたばかりの風穴が見る間に塞がっていきます。想像以上に無茶苦茶な再生速度。本当にあれ治癒魔法ですの!?
「それ、な、らあああああああああああああああああああああああああああっ!!」
私はジグザグに飛び回りゲッケイの巨体を削り続けました。ホウキでの飛行は鳥の翼とは原理からして異なります。魔力障壁で自分を覆ってしまえば空力なんて関係無く急角度での反転が可能なのです。
「す、すごい……」
「まるで雷だ」
地上から私を見上げていた村の人々はこう思ったそうです。これなら本当に勝てるかもしれないと。
ですが、敵はやはり甘くなかった。
『こウルサいッ!!』
ゲッケイは八本の腕全てを私に向け、立て続けに攻撃魔法を放ちました。地面が爆発し、空中に舞った木々が無数の魔力弾で粉砕されます。上空の雲が渦を巻いたかと思うと本物の雷まで落ちて来ました。無詠唱でこれだけ強力な術を連発できるなんてデタラメもいいところです!
「うっ、くっ、あうっ!?」
しかもただ闇雲に撃っているわけではありません。こちらの飛行軌道を正確に予測して避けにくい角度から絶妙に厭らしいタイミングで狙って来る。
なんとか今のところ避け、防ぎ、凌いではいますが、これは──精神世界の迷宮で翻弄されたことを思い出します。方向感覚が混乱して上下左右もわからなくなる!
≪一旦距離を取れ≫
「言われ、なくてもォ!!」
助っ人さんのアドバイスに従い、急上昇をかけました。
でも遅かったのです。
≪違ウ、そっちジゃない≫
「えっ!?」
空に向かっている。そう思っていた私の目の前に地面が現れます。当然避けることなどできず地面を盛大に抉り、木々を薙ぎ倒しながら墜落。
「う……くっ」
幸い障壁のおかげで大した怪我はありません。けれどもまた思い出します。これも以前やられたことがある仕掛けだと。
「幻術……あの婆さん、本当に人を騙すのが好きですね……」
≪来ルぞ、逃ゲろ≫
轟音と共に凄まじい殺意が迫って来ました。ゲッケイの腕が木々を吹き飛ばしつつ振り抜かれようとしています。拳を握り締め、その周囲には厚い魔力障壁。あんなものが直撃したら私なんて塵一つ残りませんわ。
なのに膝が震えて動かない!
「駄目、間に合わない……っ」
≪なんとかしてやル、防御に専念≫
「お願い、します!」
助っ人の言葉を信じて全周囲に全力の魔力障壁を展開。その瞬間、巨大な拳が障壁ごと私を殴り飛ばします。
強烈な加速と衝撃。ゲッケイの恐らくは全力を込めた一撃を受け、私の自慢の魔力障壁も流石に空中で砕けました。剥き出しになった私はそのまま背後にあった村の巨大結界へ叩き付けられてしまいます。
しかし、そんな私と結界の間に虫達が割り込んでクッションに。彼等はそのまま素早く私を掴むと大急ぎでゲッケイの空けた穴から中へ逃げ込みました。
『ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』
仕留め損ねた怒りからか、さらに猛り狂うゲッケイ。その拳が巨大結界に繰り返し叩きつけられ再び亀裂を走らせました。拳という小さな面に魔力を集中させることで破壊力を上げたようです。オマケにあの質量。下手な大魔法より強力でしょう。
「スズラン!?」
「そんなっ」
「うぶっ……」
優しく地面に下ろされた私を、駆け寄って来た父と母が抱き起こします。口からかなり血を吐きましたが、同時に自分に治癒魔法をかけているので大丈夫。
「ま……まだ、いける」
「何を言ってる!? 大怪我したんだぞ……!!」
「そうよ、あなたはもう休んでて! お母さん達が守るから!」
「そうだ、僕らが!!」
立ち上がり槍を構える父。私を抱いたままゲッケイを睨みつける母。そんな私達の周囲に自然と集まって来る皆。レンゲおばさまに支えられてクルクマも前に立ちます。
「だめか……スズちゃんでも、虫達と一緒でも、まだ削り切れないか……」
その視線の先にいるゲッケイは早くも完全に回復していました。たしかにあの理不尽な再生能力をどうにかしない限り勝ち目は無さそうです。
けれど手持ちの魔法全てを頭の中で並べてみても、それが可能な術はありません。あの怪物は障壁で守られた城砦。しかも自動修復機能付き。どう考えてもあんなものを倒せる火力なんて──
「あっ」
いえ、ありました。一つだけそれを可能としそうな魔法を思い出せました。でもあれを使うには皆の協力が不可欠です。
「みんな……」
「どうしたのスズ?」
心配そうに顔を覗き込む母の眼前で、私は人差し指と中指だけを立てて右手を持ち上げました。
「二分……二分だけ私を守って……」
≪なんダ? それデドウなル?≫
助っ人コオロギの問いかけに、キッパリと断言します。
「勝てる」
その一言に全員が沈黙しました。何故とかどうやってとか、訊きたいことは色々あったはずです。
でも皆、何も言わずにゲッケイの方に振り返りました。
「二分だね、スズちゃん」
「うん……」
「任せろ、スズラン君」
「僕達、皆で」
≪二分間≫
「全力で君を守る!!」
『ヤッテミナ』
ゲッケイは拳で結界を叩き続ける。どんどんヒビ割れが広がり、ついに村全体を覆っていたそれは完全に砕け散った。
同時に私の唇は歌を口ずさみ始める。それは未知の言語による呪文詠唱。私自身にすら意味はわからない。なのにどこか懐かしい音の繋がり。
記憶の通りなら、この詠唱の終わりまでにかかる時間が約二分。
「正念場だ!」
ノコンさんが剣を掲げる。一歩も退かずにそれぞれの武器を構える皆。
魔力糸が、八本の腕が、様々な術が次々に私めがけて放たれる。そして長く短い濃密な二分間が始まった。




