六章・最悪の魔女(2)
「スズちゃん、危ないから座っ……て……」
「どうしたレン、ゲ……」
「なんじゃ? このもやもや、は……」
荷台に薄い霧が漂い、それを吸い込んだおばさま、ノイチゴちゃん、ご老人達が次々に眠りに落ちました。
「なに、どうかした? って、みんなどうし──て……」
振り返って中を覗き込んだ母も眠ります。これで起きているのは、私と魔法が効かないモモハルだけ。
「スズ?」
「モモハル、手伝って」
首を傾げている彼に協力を頼み、母も荷台に引っ張り込んで寝かせました。他の人達も途中でおかしな姿勢にならないよう横たえます。
そして私はモモハルの肩を掴み、正面からまっすぐに見据える。
「お願いがあるの」
七歳児に頼むのは酷なことかもしれません。けれどもう彼しかいません。それに相手の狙いが彼である以上、ここからは真っ先に逃がすべき存在。
「みんなを守って。私は敵をやっつけてくるから」
「う、うん」
「よしっ、頼んだわね」
頷いた彼に笑みを返し、私は外に出て二頭の馬の鼻先にぽんぽんと触れました。すると馬達は勝手に前へ進み始めます。
馬車はこのまま自動的にトナリの街まで行くでしょう。もちろんそれで彼等の身の安全を確保できるわけではありません。私が負けてしまえばゲッケイは必ずモモハルを追って行きます。それこそ世界の果てまでも追いかけるでしょう。
だからここで倒さないと。
しかし走り出そうとした私を、馬車の中からモモハルが呼び止めました。
「スズ! 待って!」
「なに?」
これでお別れになるかもしれない。そう思ったので、彼が何を言うのかちゃんと聞いておくことにしました。
彼は問いかけます。
「スズは“やっつけて”もいいの?」
「あっ」
そういえば精神世界でそんな話をしましたね。彼に“優しい人になりなさい”と言った記憶があります。
そうね、これはまさしく矛盾。彼には優しくなれと言っておいて私自身は敵を倒そうとしているのですもの。二枚舌もいいところ。
それにしてもこの子、私が魔法を使ったことには驚きません。時々思います。ひょっとすると彼は全て見透かしているのではないかと。なにせあのアルトラインの加護を受けていますし。
なら、いいかな。
「やっつけるよ。だって私は」
そう、だって私は、
「とっても悪~い、魔女なんだから」
「来るぞ、来るぞ!」
「まだだ! もっと引き付けろ!」
衛兵隊と村に残った者達は南側に即席のバリケードを構築し、決死の覚悟でそれぞれの武器を構えていた。と言っても大半が農民である。せいぜい農具や鍋で武装しているだけ。しかも老人ばかりという頼りなさ。はっきり言って絶望的だ。
その中の一人が叫ぶ。
「む、虫じゃ! あの黒いのは虫じゃぞ!?」
「本当じゃ、羽音が聴こえよる!」
「やはりか……!!」
衛兵隊長ノコンも松明片手に固唾を呑む。彼は視力が並外れていて遠目にも黒い津波の正体が小さな生物の集合体だということには気付いていた。だから即席バリケードの外へありったけの酒と油を撒いたのだ。
「ノ、ノコンさん! こんなことをして大火事になりゃせんかね!?」
「なるかもしれません! しかし今は、あれから身を守ることが先決です!」
「う、ううむ……まあ今の時期ならそう燃え広がらんと思うが……」
村長の心配ももっともだが、そもそもすでにあの虫達と戦っている何者かが派手に炎や雷を撒き散らしている。そのせいで森のあちこちから黒煙が上がり始めていた。自分達が燃やさなくたってこの森はとっくの昔に燃え出している。
「隊長! これ、左右どっちかに迂回されたら終わりですよ!?」
「そんなことはわかってる! だが全方位を守る人手も資材も我々には無い! 今は敵を信じてやれ!」
「んな無茶なっ!?」
「た、隊長! そろそろまずいです!!」
「むうっ」
ノコンは、それでもまだだと思った。黒い津波は徐々に押し込まれ村へと近付いて来ている。けれど少し遠い。こういう仕掛けは最初が肝心。一発でどれだけ痛撃を与えられるかにかかっている。
彼は慎重に待った。部下達はそんな彼の合図を待っている。もう少し、あと少し、敵の吐息が聴こえるくらいに──
「今だ!」
森の木々の隙間を抜け、大量の虫が溢れ出す。その瞬間に彼は松明を放り投げた。部下達も一斉に燃料へ着火する。一気に炎が燃え広がり、壁となってそそり立った。
が──虫達は、その手前で動きを止める。
「な、に……?」
作戦を見破られた? そう疑った時、虫群は長く伸びて空中に巨大な盾を三つ形成した。その盾にどこからか飛んで来た火球や雷光が直撃する。
「なっ!?」
今のを防いでもらわなければ村に被害が出ていただろう。ということは、まさか虫達はここを守ろうとしているのか?
そんな彼等の死骸がバラバラと散らばって降って来る。今のでどうやら虫群は壊滅してしまったようだ。
「油断するな!」
ノコンはまだ部下にも村人達にも臨戦態勢を解かせなかった。虫はいなくなってもあの魔法を放った敵がいるはず。それも村を狙うような卑劣な輩だ。
(何が目的なんだ?)
偶然近くで魔法使い同士の争いが始まっただけと思っていたが、先程の攻撃にはこの村に対する明確な害意が感じられた。こんな何の変哲も無い小さな農村を敵視している者がいる。何故?
直後、右手で悲鳴が上がった。
「ひ、ひいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!?」
「何事だ!?」
そちらへ駆け寄って行くと村の老人が一人、腰を抜かしていた。周囲の者達も青ざめた顔で固まってしまっている。
いったい何が? 彼等の視線を追いかけてその先を見たノコンは、南へ続く細い旧街道に現れた“それ”を見るなり、やはり言葉を失った。
──蜘蛛だ。炎の壁越しにも見える巨大な蜘蛛。脚の代わりに八本の人間の腕が生えている。ちょっとした砦ほどもありそうなその巨体の背中には、やはり人の形をした何かが生えていた。醜く歪んではいるものの女の上半身のように見える。
沈黙が訪れた。誰も言葉を発しない。この沈黙を破ってしまったら全て終わる。そんな気がしてならない。
何故か怪物も動かなかった。村から二百ヒフ程度の距離だ。しかしそれが、この小さな炎を恐れてのことでないのは誰の目にも明らかである。周囲の木々が燃えていて、自分の腕にその炎が燃え移っても全く気にしていないのだから。
(な、治っている……? 焼けた部分が、瞬く間に……)
やはり視力の高いノコンだけが気付く。あの怪物が尋常でない再生力を有することに。
そして判断した。
無理だ。
あれに人間は勝てない。
「逃げて下さい」
怪物を刺激しないよう小声で周囲に指示する。
「え?」
「皆、脱出を……衛兵は全員ここに残れ。一分一秒でも長く、時間を稼げ」
そう言って自ら槍を構える。ようするに村の住民達を逃がすから命を捨てろという命令なのだが、部下達は誰一人文句も言わずに従った。
「一緒に戦えて光栄です、隊長」
「自分もです」
「いや、オレらも戦うぜ、ノコンさん」
「あの子達はまだ、そんなに遠くへ行っていないはずですから」
サザンカが、カズラが、他の住民達がやはり武器を構えてその場に留まった。ノコンとしてはいいから逃げてくれと叫びたかったが、彼等の表情を見て言葉を飲む。男が自分を盾にして大切な者を守ろうと決めたのだ。なら野暮を言うものではない。
「わかりました。ただし、私の指示に従って下さい」
「おう」
「了解です……!」
再び決死の覚悟を固め身構える衛兵隊と村人達。すると、それを待っていたかのように怪物が甲高い声を上げた。
『キィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』
悲鳴のようにも雄叫びのようにも聴こえるそれと共に、八本の腕のうち四本を高く持ち上げて手の平をこちらへ向ける。その全てが異なる魔法の光を産んだ。つまり、あの怪物こそがさっき村を狙って攻撃した敵。
「来るぞ! 衛兵隊は密集防御陣形! 村の皆さんは我々の後ろに隠れて!」
ノコンの指示に従い素早く密集し、盾を構えて守りを固める衛兵隊。その後ろに慌てて逃げ込む村人達。
一応、衛兵の装備している盾や鎧には対魔法戦のための護符が仕込まれている。しかし、かつて傭兵として数多くの戦場を転戦したノコンは直感的に感じ取った。自分達の装備であの攻撃は防げない。あれはかつて見たどんな魔法使いのものより強力だ。しかもそれが四発同時。
各自散開して相手をかく乱することも考えたが、老人ばかりのこの状況でそんなことをしてもあまり意味は無いだろう。
可能な限り耐えるしかない──肉を焼かれ、骨が砕けようと、一瞬でも長く村民を守る。それが衛兵の役割だ。兵士達は敵から目を逸らさず、盾を持つ手により一層の力を込めた。どうか一人でも助かってくれと祈りながらその時を待つ。
次の瞬間、彼等を狙って四種の魔法が同時に解き放たれ高速で飛来した。
そして、突如目の前に出現した光の壁によって弾かれ、消失する。
「え……?」
「な、なんだ、今の……」
呆然としている彼等の後ろで、聞き覚えのある声が奇妙な呪文を詠唱した。
「ご機嫌ナナメのハリネズミ!」
『ギィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィッ!?』
怪物の足下の地面が隆起し、無数の針となってその多腕と胴体を串刺しにする。甲高い悲鳴を上げてのたうつ巨大蜘蛛。
後ろへ振り返ったカズラも目を見開いて叫ぶ。
「スズっ!?」
「援軍到着よ、お父さん」
そう言って、雑貨屋の娘スズランは華やかに笑った。




