六章・最悪の魔女(1)
山賊の襲撃、火災の発生等の危険に備え、ココノ村では三ヶ所に監視塔を設置してある。常に衛兵隊の誰かが見張りに立つ決まりなのだが、この平和な村では二時間一人で退屈に耐えるだけの仕事だった。いつもなら──
「んっ?」
その中の一人、南の監視塔に立つ小太りの若者が森で起きた異変に気付く。
「なんだありゃ……?」
何か黒い巨大なものが彼方に見えた。彼方と言っても馬の脚なら数分程度の距離でしかない。その辺りの木々の合間で“黒い波”としか形容できない何かが暴れている。
(んな馬鹿な)
ここは海から相当離れた内陸の村。この方角に大きな湖ならあるが、雨も降っていないのに鉄砲水が起きるはずはない。地震だって感じなかった。しかもその黒い波の周辺では炎や雷まで飛び交っている。
あんなことができるのは、おそらく──
「おいおい、まさか魔法使い同士が争ってるのか? こんなところで?」
特別な素養を持つ者にしか魔法は使えない。魔力持ちは希少で、さらに大半の魔法使いは都会か大陸中央の大森林にいるものと相場が決まっている。こんな田舎では存在自体が珍しい。
その魔法使い同士の争いが村の近くで起きてしまったなら大問題だ。とばっちりがここまで飛んで来ることは十分考えられる。頭に血が上っていれば村を戦場にしてしまうかもしれない。そもそも森であんな火だの雷だのをぶっ放すなんて正気なのか? 森林火災になったらどうしてくれる。
とりあえず彼は村の人々に警告を発するため半鐘を鳴らした。それから下にいる同僚に向かって叫ぶ。
「南東三マフの距離! 複数の魔法使いが関与する戦闘と思しき現象を確認!」
「なんだと!? こんなところでか!?」
「ああ! それもかなり派手にやってる!」
「わかった、隊長に伝える!!」
「頼んだ!」
同僚が伝令として走り出すのを見送り、彼は再び戦闘が行われている地点へ顔を向けた。魔法使い達が争おうが争うまいが、それ自体はどうでもいい。だが、せめてこの村に迷惑はかけてくれるなよと祈り、籠から取り出したパンにかじりつく。
「オレはこのカウレパンが好きなんだ。ここでしか食えないんだぞ……って、え?」
視線の先にさらに信じられないものが現れた。異様に長い“腕”だ。動揺のあまり好物を床に落としてしまう。
しばしそのまま硬直していた彼だったが、やがてハッと我に返ると先程より激しく鐘を打ち鳴らした。
(やばいやばいやばいやばい! ありゃ絶対人間じゃない!)
直後、
「い、ひいいっ!?」
流れ弾の直撃を受け、彼のいた監視塔は砕け散った。
「うっ……?」
「んん~っ」
私達が目を覚ますと、状況はすでに深刻な領域に達していました。それに気付かぬままぼんやりと考えます。
(馬車の……幌?)
見えたのはいつもの部屋の天井ではなく、何故か幌馬車の幌だったのです。多分我が家の馬車の荷台だと思いますが、そこで仰向けに寝かされていました。
「お、おお!! スズちゃん、スズちゃんが目を覚ましたぞ!」
「本当じゃ、良かった! おいカタバミ、スズちゃんが起きたぞ!」
「モモハルもじゃ! モモハルも起きたぞレンゲ!」
周囲には何人ものおじいさまとおばあさま達が座っていました。彼等は私と、その隣で眠っていたモモハルが覚醒したことを喜び、外に向かって報告します。
「スズッ!」
「モモ! 起きたのね!」
母とレンゲおばさまが飛び込んで来て私達を抱き締めました。何がどうなっているのかわかりません。まだ記憶が混乱しています。精神世界に囚われていた私と、操られていることを自覚していなかった表層意識の記憶が両方ともあるからです。
「あっ……」
ですが、そのおかげで重大な問題に気付きました。精神世界と現実、双方で得た情報をすり合わせた結果、確信したのです。
ゲッケイは村の近くにいる。
クルクマに眠らされた後、次に目覚めた時の私の記憶は森から出て自宅まで帰るというものでした。帰宅後すぐに昼食を取ったことを考えると、彼女と一緒に村を出てから家に戻るまでは三十分ほどしか経っていなかったと思われます。
長時間姿が見えなければ、それだけ怪しまれることになってしまう。私の人生を裏から操りたかったゲッケイには、日常を壊してはいけないという制約があった。そのため拉致しても最小限の時間で解放する必要があったのです。
徒歩で帰宅した記憶がある以上、少なくとも三十分のうち帰りの数分を移動に費やしたはず。行きはクルクマの手で運ばれたにしても、やはり数分は必要。深層意識を支配するための施術にどれだけ時間がかかるかは知りませんが、これも一瞬で終わるということはないでしょう。つまり遠方から移動してくる時間的余裕はありません。敵は必ず近い場所に潜んでいます。
では、私の人生の乗っ取りに失敗した彼女は、次にどうするでしょう?
正直わかりません。モモハルの力を諦めていないなら一旦退いて油断した頃に仕掛けて来るかもしれません。別の策をすでに用意してある可能性だって考えられます。あるいは、もっと直接的に仕掛けて来るつもりかも。
たとえば力ずくで私と彼を確保しようと村へ乗り込んで来るとか──そういえば、結局どうして私達は馬車に乗せられているのでしょう?
「お母さん……私、なんでここに?」
私の質問に、抱き着いていた母はパッと離れて涙を拭いました。
「あっ、そうね、わからないわよね。あのねスズ、あなたとモモくんは、さっきいきなり倒れてしまったのよ」
「二人同時に気を失うなんて、いったい何があったの?」
「えっと……わかりません」
レンゲおばさまの質問に私は首を横に振ります。本当のことを言うわけにはいきませんもの。
「スズとおんなじ夢を見てたんだよ」
モモハルは馬鹿正直に言ってしまいましたが、そもそも自分が何をしたのか正確に理解できてないみたいなので、放っといてもいいでしょう。
でも一応、私は彼の耳に唇を寄せて囁きました。
「さっきは……ありがと」
「? 楽しかったね」
あの体験を楽しいと言えるのは、流石男の子と言ったところでしょうか。呆れ顔で嘆息する私。
「とにかく、それでお母さん達は、あなた達をトナリの街の病院まで連れて行こうとしていたのよ。でも準備中に、あれが……」
「あれ?」
「な、なんでもないわスズちゃん。あなた達はもっとゆっくり休んでて。もうすぐうちの人がノイチゴも連れて来るから。そしたら出発よ」
レンゲおばさまの顔は気絶した息子が目を覚ました割に、まだ青ざめています。私の母もです。周囲のご老人達は何かに怯えている様子。
そもそも倒れたのは私達二人だけなのに何故こんなに同行者が? ノイチゴちゃんまで一緒に連れて行く?
もしかして──
「そうじゃスズちゃん。なんも心配せんでええ。ワシらが守ったる」
「爺さん、あんた何を言うとるんじゃ」
「あっ、しまった」
「やっぱり!」
事態を察した私は母の腕をすり抜け、外と中とを隔てている幌の隙間から顔を突き出しました。そして目撃します。
「なっ……!?」
「急げ! ありったけの資材を南へ!」
「なんでも積み上げろ! あのバケモン共を少しでも長く足止めするんだ!」
「オイ、オメエら! 鍬だの鋤だのであんなのと戦う気か! ワシの店のもんはなんでも好きに使え!」
「そりゃありがたいがのツゲさん! ワシらもう剣だの槍だの振り回せる歳じゃない!」
──衛兵隊と村の男性陣が慌ただしく走り回っています。この村は北から南へ向かって緩やかな下り傾斜がついているのですが、そのおかげで北端のこの場所からは南端の様子が一望できました。
平和なこの村には村全体を囲む柵や壁といったものはありません。そのため彼等は村中からかき集めた資材や家具を山積みにして南端に即席のバリケードを築こうとしています。指揮はノコンさんが執っているようです。
そうする理由は明らかでした。南の森で異変が起きているからです。巨大な黒い何かが波のように変形しながら暴れ回り、それを爆炎や雷、衝撃や突風が吹き散らす。どっちがどっちかわかりませんが、状況から察するにどちらかは彼女である可能性が高い。
才害の魔女、ゲッケイ。
「こんなに早く来るなんて……」
むしろ私の目覚めが遅すぎました。森に見える戦闘の痕跡からすると、あれらは徐々にこの村へ近付きつつあるようです。流れ弾が当たったのでしょう、監視塔が一つ倒壊してしまっています。あそこにいた衛兵さんが無事だといいのですが。
「お、おお、スズちゃん目ぇ覚めたのか、よかった!!」
「おにーちゃんもおきてる!」
サザンカおじさまに連れられ、ノイチゴちゃんがやってきました。馬車に入るなり無事目を覚ました兄の腕へ飛び込む彼女。おじさまはもう一つ大きなカバンを荷台に載せると、おばさまとうちの母の顔を順に見つめて頷きます。
「食料と金と着替えを詰め込んどいた! 後は頼むぜレンゲ、カタバミ!」
「うん……どうか無事でね、あなた」
「気を付けて、うちの人にもそう伝えといて!!」
「おうよ! さあ行きな!!」
そう言って南へ走って行くおじさま。村を守るつもりです。お父さまもあちらにいるのでしょう。母は目尻に浮かんだ涙を拭い、御者台に座りました。この馬車で子供と満足に動けない老人をトナリの街まで避難させる。全員で逃げようにも全住民を乗せられる数の馬車はありませんし、高齢者ばかりで徒歩での避難も困難。
つまり村に残る皆は決死の覚悟。私達が逃げるための時間を少しでも多く稼ぎ出そうとしてくれている。
──そんなこと、させない。




