五章・ゆうしゃモモハル(4)
「ぐ、うっ……ァ……!?」
ゲッケイには信じられなかった。あの二人の子供が自分の創り出した精神世界の迷宮を抜けたことより、この裏切りがだ。
胸に短剣が刺さっている。かなり強力な呪物。恐らくはこの日のため長い時を費やして練り上げられた特別な呪詛。それが心臓から全身に広がり浸食していく。治癒魔法の連続行使で延命しているものの、いつまで保つかわからない。
「ク、クル……クマ……ァッ!!」
「はい、師匠」
彼女の胸を刺したクルクマは、しかし今も術の支配下。間違いなくそのうなじには魔力の糸が食い込んでいる。
「貴様、どうやっ……て」
「ああ、最初から操られてなんかいないんですよ」
「な、に……?」
わけがわからない。自分の頭脳でも理解できない。たしかにさっきまで操れていたはず。しかしこの口ぶりでは本当に最初から?
次の瞬間、クルクマのうなじが小さく蠢動した。その動きを見逃さなかったゲッケイは糸を操って強引に引き抜く。
「ぐうっ!?」
トドメを刺そうとしていた弟子は、流石に苦痛で動きを止めた。その首から皮膚を突き破り、糸と共に飛び出してきたのは──細長い虫。
「む、し……?」
「いてて……仕込んでおいたんですよ、スズちゃんから転生魔法の話を聞いた後に。私が対象になるとは思えませんでしたが、念の為にね」
「なん……だと……」
いや、それもおかしい。虫を身代わりにしたとして自分を欺けるわけがない。たしかに繰糸魔法を通じてクルクマの記憶を読み取り、意識を支配できた。精神を掴んだ手応えがあった。
ならば、あの虫はもしや──
「お前……アタシの研究を……」
「ええ、弟子ですからね、しっかり盗ませてもらいました」
──ゲッケイが研究していた“転生”の方法は一つではない。その中には錬金術で生み出したホムンクルスに記憶と人格を移植する技術もあった。
その試みには成功したが、どうしてもホムンクルスの体に大きな魔力を持たせることが叶わず、結局は凍結して資料も封印した。
しかしどうやって? 弟子だからといって転生の研究を手伝わせたことも教えたことも無い。使えない駒だと思っていたから。金稼ぎだけが能の愚鈍な弟子だったから。
それとも、そう思い込まされていた?
「だが、あの封印を解けるわけは……まさか、虫を使って見ていたのか……?」
「ええ、彼等の目を通じて学ばせてもらってました」
なるほど、ようやくわかった。凍結前にすでに盗み見されていたのだ。この弟子はそうやって盗んだ技術を応用した。万が一にも転生先として選ばれた場合に備え、自身の記憶と人格を転写した虫を体内に忍ばせておいた。
そしてあの時、ロウバイの屋敷で意識を乗っ取られそうになった瞬間、咄嗟に体内の虫を身代わりにした。虫の中の情報を本物の自分だとこちらに思い込ませ、操られるフリをしつつ機を窺った。
「あの場で反撃しても勝ち目はありませんでしたからね」
身代わりの虫を抜き取られたことで、クルクマは逆に距離を取った。まだ師が魔力糸を操れる以上、下手に近付くのは危険だと判断した。
その代わり壁から扉の隙間から、ジワジワと大量の虫を呼び込む。なるほど、あの整備された都より、ここの方が彼女にとっては有利な場所だ。
ここ──スズラン達の村からほんの少し離れた森の中の隠れ家。元からあった地下遺跡の一部。この場所ならばクルクマの方が“駒”は多い。
(一度にこれほどの数の虫を……個々を直接操っているわけではないのか? 身代わりの虫に仕込まれていた記憶には無かった情報じゃ。まんまと一杯食わされちまった)
仇になった。ヒメツルに、いやスズランの深層意識に自分の人格を植え付け、怪しまれない内に素早く送り返すためこんな場所まで来たこと。それが突然裏目になった。
「私も心苦しいんですよ師匠。あなたにはお世話になりましたから。でも、仕方ないですよね。仕方ないんです。だって師匠は知っちゃいましたから──“災呈”の私を」
「嬉しそうに……言いおって……」
今から師を殺そうというクルクマの顔には、薄ら笑いが張り付いている。
ゲッケイもまた声を上げて笑った。
「ヒ、ヒヒヒ、ヒヒヒヒヒヒヒヒ……ヒエヒェヒェヒェヒェッ」
絶体絶命の窮地だというのに、なんとも笑えてしょうがない。
流石だ、流石は自分の弟子だ。よりにもよって災呈の魔女?
そんなに狂えていやがったのか、この愚鈍な弟子が。
「ヒヒ、ヒッ、どうした? やれる、もんなら」
「やってみな、ですよね。そうします」
クルクマの命令に従い、虫達が一斉にゲッケイへ群がる。狭い室内が彼女の立っているほんの僅かな空間を除いて全て黒い濁流で満たされた。
削れ削れ削れ!
相手は胸部に致命傷を受けている。呪いに蝕まれ立つことさえできない。圧倒的優位な状況、そのはず──なのにクルクマにも余裕は無かった。背中にジワリと汗をかく。
相手は自分の師だ。あの才害の魔女だ。三百年生きて、その人生の大半で地震や台風と同等の脅威として扱われてきた正真正銘の化け物。
絶対にここで倒し切らなければならない。そのために、師が隙を見せる一瞬を狙うため操られているフリをして従ってきた。あの一瞬、ついさっき見せた突然の動揺はおそらく精神世界に囚われたスズランが何かをしでかしたから。
でも、きっと二度目は無い。だからここで、今この場で完全に削り切らなければ自分は負ける。本来それだけの力の差がある。
(喰え喰え喰え喰え! 喰って砕いて糞にしろ!)
虫達は反撃の暇を与えず次々ゲッケイに噛み付き、本来ロウバイのものである柔らかい肉を食い千切った。毒液も打ち込み続けている。もはや確実に致命傷。これならいけると、そう思った。
でもおかしい──何秒経った? 何十秒経った? 普通の人間だったらとっくに跡形も無い。なのにまだ原型を留めている。
「そんな、まさか……」
「まさか……なんじゃ? この出来損ない」
喰い千切られた端から肉が再生する。
呪いと毒で浸された血も浄化されてしまう。
治癒魔法だ。魔力糸による拘束と支配に並ぶ、聖実の魔女ロウバイのもう一つの得意技。それを自らにかけ続ければ彼女は圧倒的な回復能力を得る。
でも、それにしたってこれは強力すぎる。何故ここまでの再生速度に?
次の瞬間ようやく気付いた。
「しまった!?」
師は魔力障壁を展開してない。ダメージのせいで出来ないと思い込んでいたが、あえてしていなかったのだ。守りを捨てて回復に全力を注いでいる。
虫達とて無尽蔵には喰えない。この場に集めた虫、その何割かでも腹が満ちれば攻撃は鈍化してしまう。ゲッケイが読んだ通り、クルクマは全ての虫を直接操っているわけではないのだ。
「詰めが甘いんだよ、お前は!!」
動揺のせいでさらに虫達の動きが鈍る。その一瞬、再生に注ぎ込まれていた魔力が一転、攻撃に転化された。ゲッケイの全身が輝き、爆発を起こす。
「くうッ!!」
クルクマは咄嗟に魔力障壁と虫達を盾にした。小部屋の中の空間が瞬時に膨張し、周囲の壁ごと粉砕されて弾け飛ぶ。
大量の土砂と共に高く打ち上げられた彼女は、数秒後に落下を開始。そのまま地面へと激突。肺の中の空気が一気に外へ飛び出したところで、さらに降って来た土塊や岩が背中を叩く。
「うぐっ、がっ、あうっ……!?」
障壁で急所を守り、どうにか致命傷は防いだ。でも死にそう。脇腹、左腕、背中が特に痛い。多分骨が折れている。熱い、苦しい、もう立ち上がりたくない。
いや、まだだ。まだ、まだ、まだ、まだ──
直後、地中から彼女を追って長大な“腕”が飛び出して来た。
『クルクマァァァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアッ!!』
本体を土から引きずり出し、怒声を上げるゲッケイ。その姿は大きく変貌している。
背中から八本の腕が生えていた。皮膚は醜く変色し、顔では眼球が増殖。下腹部が膨張して今にもはち切れそうになっている。唐突に“才害の魔女”ゲッケイは人の形を失ってしまった。
クルクマはすぐ、原因に思い当たる。
「ぎゃ……逆流、して……いる。あれのせい……か?」
胸に刺した短剣。その呪いが思いもよらない結果を生んだ。通常、魂は肉体に合わせて変質する。だが短剣の呪力に治癒魔法で抗い続けた結果、ゲッケイの自我が器の影響力に打ち勝ち、逆に肉体を浸食してしまった。おそらくはそういうこと。
しかもまだ終わっていない。こうしている間にも敵は傲慢さを表すようにさらに大きく、邪悪な本性のまま、より歪に変異を続ける。
『ア……あ、アァッ!?』
急激な変貌で魔力を上手く制御できなかったのだろう。異形化したゲッケイは甲高い声で叫びながら無意味に魔力弾を撒き散らした。
「うご、けっ!!」
危ういところで転がって回避し、立ち上がるクルクマ。すでに満身創痍だが、それでも脳は死んでいない。彼女の技は思考さえ出来れば戦える。
痛みは毒で麻痺させた。もしも手足が動かなければ虫を身体に潜らせればいい。筋肉の代わりに動いてくれる。
ザワザワと森が騒ぎ出す。小さな命が幾万幾億寄り集まって巨大な災禍を形成していく。黒い津波が木々をかき分け押し寄せる。
(私のミスだ。さっき倒しきれなかった、私のせいだ)
だからまだ退けない。逃げられないし臆せない。
この先にある、あの村までは進ませない。
「お元気ですね師匠! でも、こっちもまだまだいけますよ!」
森が膨れ上がる。この辺りにはいくらでも自分の“武器”が蠢いている。四方八方から虫達がゲッケイに向かって殺到する。
──それを炎が、風が、氷が、岩が、雷光が、閃光が、音が、不可視の刃が蹴散らして払う。あらゆる才に恵まれたと言われる師の背中から生えた八本の腕は異なる八つの術を同時に発動させた。
「嘘でしょ……」
クルクマの背を再び冷たい汗が伝う。異形化してもなお、あれは才害にして聖実の魔女。善と悪の三大魔女の融合体。
そんなものをどうやったら倒せる?
(ごめんスズちゃん……やっぱり、勝てないかも)




