五章・ゆうしゃモモハル(3)
扉を出ても、まだ私達は暗闇の中にいた。精神世界そのものから出られたわけではないようだ。
「モモハル、出口はわかる?」
「たぶんあれっ」
彼が指差したのは、遥か上方に小さく見える亀裂。
「あれ?」
「うん、だってぼく、あそこから入って来たもん」
「なるほど、入れたなら出られるわね」
それが道理。私はホウキを出現させモモハルと一緒に跨る。
「スズ、どうするの?」
「飛ぶのよ! しっかり掴まってて!!」
ギュッとモモハルが私の腰を掴む。それを確認してから上に向かって飛び立った。一気に加速して一直線に突き進む。
「すごい! すごく速いよスズ!」
「フフン、私のホウキは大陸一なんだから」
昔からちょっとした自慢なの。
しかし得意気になっていたところで突然、壁が行く手を阻む。
「なっ!?」
ぶつかりかけて慌てて避ける。けれど壁はどこまでも長く続いていた。通路だ。曲がりくねり、なおかつ無数に分岐しながら迷宮を形成する。
「ど、どっちがどっち!?」
道は分岐を繰り返し重力の向きまでめまぐるしく変わる。方向感覚を狂わされ、ついにその変化に対応しきれなくなった私はモモハルと共に墜落してしまった。
「あぐっ!?」
「うわっ!?」
動きを止めてしまった私達に、すかさず蠢きながら迫り来る壁。まるで生物の体内。
さらに聞き覚えのある声が響き渡った。
『逃がすものかよ!』
この声、才害の魔女!?
「生き返って……そうか、これはあの婆さんの……!!」
クルクマに眠らされたり、辛い記憶を繰り返し見せられたり、いったい何が起きているのかわからなかったけれど、ようやく合点がいった。
「まだ私を諦めてなかったの!?」
四方八方から押し寄せて来る壁を魔力障壁で押し返す。でも凄まじい圧力で今にも砕かれてしまいそう。
『手袋を投げつけてきたのはお前さんだよ、最悪の!!』
「そ、そうね!!」
すっかり忘れていた。そういえば私、この人と再戦の約束をしてたんだわ。
「はっ、八年近く前のことを、今さら……っ」
『アタシにとっちゃその程度の時間、ちょっとした余暇みたいなもんさ!!』
「く、くうううううう……三百、歳……めえええええっ!!」
駄目、これ以上耐え切れない! こうなったら一か八か強力な魔法で壁を吹き飛ばして突破口を──
「スズ! こっちだよ!」
「えっ!?」
モモハルの振った木剣が壁を切り裂く。生じた亀裂に引っ張り込まれる私。きょとんとしている間にさっきとは別の道に座り込んでいた。道の先には精神世界の出口の光。
え? なにこれ?
「ど、どうやったの?」
「わかんない」
神子の力? いや、違う。子供だからだ。子供は常識を知らない。知らないから囚われない。その自由な発想がゲッケイの想像力を上回った結果、出口への直通路を生み出してくれた。多分この道ならさっきのように改変されることはない。
「いこう、スズ!」
「うん!」
手を引かれ、走り出す私。下手に飛んだりするとこの道の“加護”を失うかもしれないのでホウキは使わない。
ところで、やっぱり!
「最近来ないと思ったら、誰かに剣を習ってたでしょ!?」
「あっ、ひみつだったのに」
慌てて剣を隠すモモハル。今さら隠しても遅い。
「勇者になんてならなくていいの!」
「やだ、なりたい!」
「モモハルが勇者になると大変なことが起きちゃうの!」
「どうして? わかんない!」
言い合いながらも私達は全力疾走を続ける。出口まであと少し。そのはずなのに何故かなかなか辿り着けない。
背後からは物凄い音を立てて何かが追りつつあった。振り返ったら捕まる気がして私はモモハルと手を繋ぎながら必死に足を動かす。
「あなたは──」
母は私を愛していた。
それでもあれは間違いだ。あの人が私を傷付けていた事実は変わらない。
苦しくて、哀しくて、誰かに当たり散らしたかったのだろう。
けれど、それでも私は母に抱き締めていて欲しかった。
それだけで十分に幸せだった。
「あなたは、剣で誰かを傷付ける人になっては駄目」
勇ましくなんかならなくていい。
モモハル、あなたは──
「優しい人になりなさい!」
ようやく届いた! 同時に亀裂から飛び出す私達。眩い光の中へ躍り出る。何かが背中を掠めた気がして振り返ると、以前と変わらぬ老婆のゲッケイがこちらへ向かって必死に手を伸ばしていた。
『お前……は……』
驚いた顔。その胸に亀裂が走り、黒い闇が溢れ出す。それは膨張し、私とモモハルの魂を飲み込んだ。
……こっち。こっちだよ。誰かがそう呼んでいる。
声のする方へ行かなければならない気がして、私はモモハルを抱いたまま濁った水の中を必死に泳ぐ。
でも──
魚?
赤い魚が流れの中を逆方向へ泳いで行った。何故か私は呼び声よりその魚の方を信じるべきだと思った。
駄目だ、こっちへ、こっちへ……。
呼び声はどんどん強くなる。細い糸が流れに紛れて近付いて来る。けれど魚は反対方向へ進み続け、私はその後を追って泳ぎ続ける。
あなたは誰?
問いかけた瞬間、魚は弾けて無数の赤い光になった。ホタルのようなその輝きが私達を包んで持ち上げる。後ろから追ってきた無数の糸を振り切り、水面まで一気に上昇させる。視界が明るくなってきた。
“起きなよ、ヒメちゃん”
懐かしい声が最後の一押しとなり、ついに私達は水面を抜けた。




