四章・眠れる檻の魔女(4)
「スズ~? どこー? あっれえ、おかしいわね?」
「どうしたんだい?」
「お昼出来たのに全然来ないのよ。家の中にも見当たらないし」
「遊びに行ったんじゃないかな? 最近モモハル君が来なくて退屈そうだったし」
「じゃあ、隣にいるのかしらね?」
「かもしれない。まあ、お腹が空いたら戻って来るだろう。先に食べてようか」
「う~ん……そうね。あの子ったら子供なのに変に働いてばっかりだし、たまには好きなだけ遊んで来た方がいいでしょ。遅くなるようなら迎えに行くわ」
「働き者なのは君に似たんだろうね」
「なら嬉しいけど」
「ええ働きじゃ、クルクマ」
ロウバイの肉体を乗っ取ったゲッケイが弟子を労う。単なる出来損ないだと思っていたこの娘の新たな術は、なかなかどうして使えるようだ。
「アンタにしては考えたねえ。普通、生物を操る術というのは操ろうとする対象が大型であればあるほど、知性が高ければ高いほど多くの魔力を要するものだ。
しかし、なるほど、虫などという小さい上に知性無き生物なら魔力の少ないアンタでも難無く操れるわけだ。扱う種類を厳選すれば十分に使い道はある。まさか本当に虫一匹で最悪の魔女を連れて来るとは思わなかったよ」
「彼女の油断もあったので」
「ま、そうだね。友人相手だからと気を抜かず警戒していれば、もう少し違った結果にはなっただろうさ。まったくすっかり腑抜けちまって。子供に戻って生温い環境でぬくぬく育てられた結果とは言え、流石に拍子抜けだよ」
彼女達の潜むその小さな空間には、もう一人、眠り続けるスズランがいた。硬い寝台に横たえられ静かに寝息を立てている。これから自分が何をされるか、全く知らないあどけない寝顔。
──本当に期待外れにも程がある。自分を相手にあれほど大見得切った相手、もう少し歯応えのある戦いを楽しめるものと思っていた。
あるいは、もっと成長するまではこちらから手を出すことなど無いとでも思っていたのだろうか? その方が公正だという思い込みで。
「甘いねえ。お前さんが全盛期の力を取り戻す前に片を付ける。そんなの当たり前の発想じゃないか」
まあ、これも勝手な思い込みだ。こちらが復活するタイミングは知らなかったはずだし、この小娘は小娘なりにしっかり準備を整えていたのかもしれない。それを使わせないほどクルクマの手際が鮮やかだっただけとも言える。
「そういえばクルクマ、アンタ隠蔽魔法も得意だったね」
「はい」
「隠蔽に毒虫の操作か……暗殺者でもしたらいいんじゃないか? 例のなんとかいう魔女みたいにさ」
「災呈の魔女ですか?」
「ああ、それだよそれ。アンタと同じような術を使うんだろう?」
「そう聞いています」
「ふむ」
ゲッケイは眉をひそめた。今のは確認のつもりだった。この弟子が“災呈の魔女”なのではないかという疑念を抱いたから。
しかし繰糸魔法で操られている状態でも自分がそれだと認めない。ということはやはり違うのだろう。
それがわかれば十分だ。何の憂いも無く長年温めた計画を実行に移せる。
「さあ、お眠り、お嬢ちゃん。もっと、もっと深くで」
ゲッケイの背から伸びた無数の糸がヒメツルの頭に突き刺さる。強制的に作った繋がりを通じ、あるものを彼女の中に流し込んで行く。
「そして思い出すんじゃ。お前にとって最も辛い記憶を。殻に閉じこもりたくなるようなトラウマをな。思い出して眠り続けろ。繰り返し苛まれ、二度と目覚めるな。
心配いらん。お前の代わりはおる。お前がいなくとも“スズラン”の人生はこれからも続いて行く。平穏に、平凡に、幸せに、愛されてな……」
「……ここ、は」
私は、気が付いたら見覚えのある場所にいた。
ゴミ溜めだ。とある国の、とある街の、貧しい者ばかりが寄り集まった一角の、その中でもさらに最底辺の者しかいない文字通りのゴミ捨て場。日銭を稼ぐことすら出来ず他人の残飯に集るようになった惨めな人間が行き着く場所。
スズランの──いや、ヒメツルの記憶の原点。
「なんで……どうして、私が、こんな……」
「いたい……やめて、いたいよ……」
ああ、思い出す。毎日母に叩かれていた、この頃の自分。痩せ細った実母の腕を何度も何度も叩きつけられ、ひたすら身を丸めながら暴力に耐えていた。
母がどうしてこんなろくでもない生活に陥ったのかは知らない。私が物心ついた頃にはすでにこのゴミ溜めにいた。もう少し大きくなるその時まで、私は“家”や“部屋”とは何かを知らなかった。
汚い木材と布を適当に組み合わせたテント未満の粗末な何かが、いつも私達二人の家であり寝床だった。
転機は九歳の時。
母が「もう無理よ」と言って私を“託児所”に引き渡した。劣悪な環境下で戦災孤児や親に捨てられた子供を働かせ、死んだら薪にして燃やす。そんな最低の大人達が運営していた施設。下水掃除にドブさらい。獣の死骸の処理に時には人間の死体の処理まで仕事は色々やらされた。
母よりもっと怖い大人達に何度も叩かれ、やりたくもない仕事を強制され、与えられる食事は一日に一回、固いパンが一切れと塩味のついたお湯。
同じ境遇の子供が何人も死んで、逃げ出そうとした子供がより悲惨な末路を迎えるのを見せつけられた。私もいつかはああなるんだ。そんな恐怖で気が狂いそうになっていた時、事故が起きた。
何が原因かわからないが、私達の寝泊まりしていた建物の半分がいきなり崩れ、監視役の大人達が下敷きになった。子供達は一斉にそこから逃げ出し、私もその波に紛れて外へ出た。
そこからどこをどう走ったのか全く覚えていない。でも気が付けば、また実母と一緒にゴミ溜めで眠っていた。
数ヶ月経ち、再び転機が訪れた。
母は何故か私にばかり食事を取らせるようになった。ますます痩せ細っていくあの人を見るのが辛く、おかあさんも食べてと言ったが全く聞いてくれなかった。
そんな日々がいくらか続き、ずっと骨と皮だけのようだった体に少しばかり肉が付いたところで、母はある場所に私を連れて行った。薄暗い路地の出口だ。
大通りにはいくつもの綺麗な灯りが見えたが、それを遮るように一台の馬車が停まっていた。見たこともない立派な馬車が。
御者が私を品定めして「まあいいだろう」と言った。彼は母にお金を渡し、私はそれに乗せられた。
運ばれた先は、とても大きいお屋敷だった。中に通され、知らない女性達に体を念入りに磨かれた。何故かそれから毎日美味しい物を好きなだけ食べられるようになった。生まれて初めてのことでとても嬉しかったけれど、どういうわけか周囲の人達は誰も私と目を合わせようとしない。
おかあさんに会いたい。寂しくなってそう頼んでも、絶対に屋敷からは出してもらえなかった。綺麗な洋服を着て、美味しいごはんを食べて、毎日お風呂に入り、最初はそれが楽しかった。でも母に会えないことがどんどん辛くなっていった。まだ自分が彼女に何をされたのか理解できていなかったから。
半月ほど経った頃、それまで一度も見ることの無かった屋敷の主人が帰宅した。旦那様は仕事で遠方に出かけていたのよと、いつも世話してくれる女の人が言った。
やけに彼女が辛そうな顔をしていたので、私が「どうしたの?」と訊ねると、その人は泣き出してしまった。
何度も繰り返し謝られたが、彼女は他の使用人達に連れて行かれ、その後は一度も見ていない。どうして彼女が謝ったのかも、やはり私にはわからなかった。
夜になって別の使用人達が来て、いつも寝ていた部屋から連れ出された。
「旦那様はお仕事と長旅で疲れておいでだから、君がそれを癒してあげなさい」と男性の使用人に言われた。そこで初めて、私はそのために屋敷へ連れて来られたのだと知った。
何をすればいいのかわからなかったけれど、お屋敷ではいつも優しく扱われていたから、母や施設の大人達みたいに酷いことはしないだろうと思っていた。
無知だった。
屋敷の主だというその男は醜く肥え太っていて、そして何故か苛立っていた。その殺気立った表情に私は施設の大人達を思い出し、逃げようとした。でも出口は使用人達により塞がれていた。
繋げ、という男の命令に従い、彼等は私に鉄の手枷を嵌め、その枷から伸びる長い鎖をベッドの柵に巻きつけると鍵までかけて固定した。
いやだ、こわいと泣き叫ぶ私を助けようとする人はいなかった。みんな部屋の外に出て行って屋敷の主人と私だけになった。
男は服を脱ぎながらベッドに上がって来た。わけがわからないながらも途轍もない嫌悪感を感じた。
のしかかってくる大きな身体。乱暴に私の脚を掴む手。顔にかかる臭い息。その全てが嫌で嫌でたまらなかった。暴れて腹を蹴ったら、顔を拳で殴られた。
その瞬間、頭の中がカッと熱くなった。もういやだ。こんなのいやだ。こんなところにいたくない。あんたなんかどこにもいなくなれ! 消えちゃえ!
死ね!
私は男の死を望んだ。自分の身体の奥に黒くどろどろとしたものが湧き出して、すぐにそれが噴き出したのを感じた。
次の瞬間、男は死んだ。
上半身が弾け飛んで。
音を聴いて駆けつけてきた使用人達が何か喚いていたので、うるさいと思ったらやはり体のどこかが弾けて散った。邪魔だと思った手枷も粉々に砕けて落ちた。
屋敷中どこもかしこもうるさくなった。手当たり次第に静かにさせた。その中に、唯一泣いて謝ってくれた人がいたかもしれないが、私にもどうだったかわからない。
消えて無くなれと思った。この汚い屋敷の全て、一つも残しておきたくなかった。綺麗な洋服を一枚だけ貰って着替え、外に出て、なんとなく頭に浮かんできた歌を歌いながら振り返ったら屋敷は青い光に包まれていた。その光の柱の中で何もかもが塵となり、天へ昇って消えて行く。
汚いものが綺麗になった。
これでいいんだと思った。
そして私は母の元へ──
「……ああ、また」
気が付けば、私はゴミ溜めにいた。
五歳か六歳か、そのくらいの頃の自分に戻っていた。
「なんで……どうして、私が、こんな……」
「いたい……やめて、いたいよ……」
再び母に叩かれる日々が始まった。また、あの施設で怯える日々が待っている。やがて屋敷で醜い豚共を殺す夜がやって来る。
私はそれを繰り返す。
延々とただ繰り返す。
出口はどこにも無い。
絶対に見つからない。
「ただいま~」
「ああ、やっと帰って来たのね」
「いい匂いがする」
「ふふっ、今日のお昼はムオリスよ」
「やった、手、洗ってくる」
「ハハハ、ほら、お腹が空いたら帰って来た」
「そうね……安心したわ」
「心配性だなあ」
「うるさい。よし、みんな揃った」
「じゃあ」
「いただきます!」




