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四章・眠れる檻の魔女(2)

 その大事件は春の中頃に起こりました。


「駄目、これは駄目!!」

「よみたい!! それがいい!!」

「ええい、諦めなさい!!」

「うううううっ」


 一冊の本を必死で取り合う二人の七歳児。その片割れ、どうしてもこの本をモモハルに読ませたくない私は一瞬の隙をついて彼から遠ざけ、高く掲げました。しかし諦めの悪い彼は、なんと私の体をよじ登り始めます。相変わらず凄い体力。

 でも舐めるんじゃないですわ!


「ええええいっ!!」

「ああっ!?」

 なんとか片手で侵攻を阻みつつ、絵本を手の届かない高さの棚へ投げ込みました。今のところ身長で勝っているからこそできる芸当です。

「あああああ……あれがいい、あれがいいのにい……」

「ふふふ、初めて腕力で勝てた」

 これも毎日腕立て腹筋懸垂農作業という魔女らしからぬ努力を重ねてきた成果。密かな達成感に包まれます。


 ところが、


「めっ!」

「はふっ!?」

 背後からお尻に頭突き。防御力の低いスカートでは全く守りの役に立たず、けっこうなダメージを被りました。

 おのれ……私にこんなことをする子は一人しかいません。

「おにいちゃんをいじめないでっ!」

 やはりノイチゴちゃん!

 こんのブラコン……。

「ち、違うのよ。あの本はとっても悪い本で……」

「わるくないもん! カッコイイんだよ!」

「だよ!」

 反論する兄とそれに乗って来る妹。こちらは、もうすぐ五歳のノイチゴちゃん。普段はそれはそれはおとなしくて可愛いお子様なのですが、兄が絡んだ場合に限り、このように手が付けられないおてんば様と化します。

 体格的に差の無いモモハルに、さらに彼女まで加勢したら劣勢は必至。

 ですが、それでも──

「あなたにあの本を読ませるわけにはいかないの、モモハル!!」

「うーっ」「むーっ」


 真っ向から対峙し、睨み合う私達。ここからまさに戦いの第二幕が上がろうとしている、そう思った、その時です。


「コラッ、意地悪しちゃダメでしょ」

「あっ」

 せっかく安全地帯に置いた本を、お母さまが簡単に手に取ってしまいました。

 ま、まずいですわ!!

「あら“ゆうしゃサボテンのだいぼうけん”じゃない。なつかし~。あたしも小さい頃に良く読んだわよ、これ」

「だ、だめっ、それだけはモモハルに読ませたらだめ!!」

「どうして? いいお話なんだから。この本は人生にとって大切なことを教えてくれるの。お母さんが保証する」

「そ、それはそうなん……だけ、ど……」

 知っています。たしかに名著です。私も年甲斐も無く泣きました。

 けれど危ないんです。その理由をなんと説明したらいいかわからず両手をわたわたさせながら口ごもっていると、お母さまは椅子に腰かけてモモハル達を手招き。

「二人ともおいで。今日はおばちゃんが読んだげる」

「うん!!」

「うんじゃなくて!!」

 慌てて引き止めようとしましたが、さっきの攻防で疲れの蓄積していた私の足は無様にもつれる羽目に。

「はぶっ!?」

「だ、大丈夫かいスズ?」

 奥の倉庫で作業していたお父さまが転んだ私に気が付き、駆け寄って来ます。その隙にモモハルは椅子に座り、ノイチゴちゃんはお母さまの膝の上、私のベストプレイスへ。

「あ、あぁぁあぁ……」

「ちょっと、大丈夫なの?」

「鼻血が出てるじゃないか。おいで、僕が手当てしよう」

 二重の意味で絶望する私を抱え運んでいくお父さま。そしてお母さまの口からは破滅の呪文が流れ出します。

「むかしむかし、あるところに」

「やめてえっ!!」

 バタン。

 無情にもドアは閉ざされてしまいました。




「ああ……おしまい、おしまいですわ……絶望ですわ……」

 鼻にバンソーコーを貼ってもらった私は頭を抱えて懊悩しました。

「どうしたのかしらこの子? 今日はなんだかおかしいわ」

「スズも来月には八歳だし、これはいよいよ思春期かもね」


 そんなことではございません!

 お母さま、お父さま、貴方がたは自分が何をしでかしたかわかっていないのです。よりにもよってモモハルに“勇者の物語”を聞かせてしまうなんて。

 案の定──


「あのね! ぼく、ゆうしゃになる! そしたらね、わるいまものをやっつけてみんなをまもるんだよ!!」

「おにいちゃん、かっこいい!!」

 商品の杖を剣に見立てて掲げ、高らかに宣言するモモハル。大人から見たら微笑ましいその姿は、しかし私にとっては悪夢そのもの。

(モモハルが勇者に憧れてしまったああああああああああああっ!!)


 これは由々しき事態です。覚えておいででしょうか? あの子には“強く願ったことを実現する”力があることを。

 つまり、勇者の冒険に憧れを抱いたあの子は願ってしまう可能性があるのです。自分が勇者となって活躍する未来を。

 魔物なんていない、この現実の世界で!!

(な、何が起きてもおかしくない……)

 私は想像しました。空想の魔物達が跋扈し、魔王が現れ、世界に宣戦布告する未来を。

 そしておそらく私は、その旅に勇者の仲間として連れて行かれるのです。たしかに有能な魔法使いなのは否定しませんけど、そんな未来これっぽっちも望んでませんわ。

(どうしたら……)

 男の子は英雄に憧れるもの。遅かれ早かれ、いつかはこうなるだろうと思っていました。けれど私の頭脳では解決策が思いつかず、それならばと先延ばしにするため努力を重ねてきたのです。だというのに育ての親がまさかの致命的失策。

(本人には言えない……家族に言うのも危険……事情を知っているのは、今のところ私とクルクマだけ……これ以上増やした場合のリスクと協力者が増えた時のメリットは……)


 さらに考えました。

 深く深く考え込みました。

 モモハル達が帰ってからも、晩御飯の間も、お風呂の中でも考えました。

 お父さまが構ってくれないと嘆くくらい頑張って考えてみました。

 そして結局、いつもの悪癖を発動させました。


「もう、なるようになれ!」

 昔から熟考するのは苦手なのです。とりあえず考え疲れましたし、続きは明日にいたしましょう。

「スズも、そろそろ一人で寝る練習をしないとなあ」

「おかまいなく」

「そうよ、まだ早いわ。ねえ、スズ」

 答える代わりに私はお母さまに抱き着きます。反対側でお父さまが笑いながらロウソクを消しました。この家にはまだベッドが一つしかありません。だから夜はいつもこうして三人で寝るのです。

「それじゃあ今日もおやすみ、二人とも」

「おやすみ」

「おやすみなさい」

 ですわ。




 ──魔物。それは実のところ空想だとは限らない存在。いるかもしれない場所のことであれば、誰もが知るおとぎ話として語り継がれています。


 北の大陸。


 嘘か真か全てが氷でできているというその大地に、遥かな昔、魔法使い達が“魔王”と呼ばれる存在を封じ込めました。

 魔王は生物の本来の在り方を歪め怪物化させる力を持っていたと言います。その異能に脅かされた当時の人々は“彼女”に戦いを挑みました。始まりの魔法使いと呼ばれる賢人達に率いられ、全人類が総力を結集して立ち向かったのです。

 苦闘の果て、魔物の軍勢と魔王を北の大陸に追い込んだ彼等は“霧の障壁”と名付けた壁で大陸全体を覆い、敵が二度と出て来られないようにしました。実際に船で北へ行くと常に濃霧が漂っている海域があり、その向こう側へ行こうとしても何故か必ず元の場所へ戻されてしまうそうです。

 もっとも、これはあくまでおとぎ話。真偽不明の伝説に過ぎず、現代では実際に魔物を見たという人間はいません。一説では地底や海底にいて封印を免れた怪物が古代の遺跡に潜んでいるなどとも言われていますが、発見できた例は皆無。

 なのに──


「これは、どういうことですの!?」

 腕をわななかせ叫びました。目の前で大陸中に魔物が解き放たれていくのです。

 大きな狼がお城に噛み付き、逃げ遅れた王様が「税を無くすからやめてくれ!」と懇願しています。

 一つ目の巨人がクルクマを捕まえて無理矢理キスを迫りました。彼女は「あーし、目は二つの方が好みなの!」と必死の抵抗。意外と普通の趣味なのですね。

 あちらこちらから悲鳴が上がります。魔物の軍勢に蹂躙される人々。村一番のカニ獲り名人クロマツさんが巨大ガニに捕まりました。常に腰痛で悩んでいるウメさんは腰の無い大蛇にぐるぐる巻きにされてしまっています。

 私はそれらの惨状をどこか高い場所から遠巻きに眺めていて──って、この足元、よく見たら全部氷です。もしかしたらここって北の大陸じゃありませんの!?


「みつけたぞ、わるいやつ!」


「へっ?」

 いつのまにか目の前に巨大なモモハルが立っていました。杖と鍋ブタ。それにシーツをマント代わりに装備して勇ましくこちらを睨みつける彼。嫌な予感しかしません。

「さいあくのまおうめ、やっつけてやる!!」

「魔王!?」

 よく見ると私も巨大でした。しかもいつもの恰好の上にやたらトゲトゲしい甲冑と黒いマントを装着中。

 ちょっと、納得いきませんわ! こんなデザイン、趣味に合いません!!


「いくぞーーーーーーーーーっ!! てやあああああああああああああああああっ!!」

「あ、こら、そんなの振り回したら駄目!! 人に怪我させたらどうするの!?」


 うろたえる私の視界に、モモハルの振り下ろした杖が迫って──

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