幕間・災害(3)
「アハッ」
クルクマは笑う。哀れだから笑う。不運な獲物を嘲笑う。
「その名前、気に入ってるんだぁ……“さいてい”“さいあく”でしょ? ヒメちゃんとセットみたいじゃん?
でもさ、あーしがそれだって知ってる人間は、みんな消さなくちゃいけないの。すぐに来るから、ちょっと待ってね」
言葉通りうねりが近付いている。今ここにいるだけではない。もっと大きな波が彼等に迫りつつある。逃げる時間は残されてない。手段も無い。ゆえに縋るしかない男達は次々に命乞いを始めた。
「ま、待って……待って、くだ、さい……」
「誰にも、言わない……あの村も、おそ、いません……」
「たす、けて……」
「いや……いやだ、アンタに殺されるのは……それだけは、勘弁して……」
「だ~めっ」
消さなくてはならない。
災呈の魔女の正体を知ったなら、決してそいつを赦さない。
クルクマの目はどんどん狂気を帯びていく。
それが彼女の本質だから。
「あーしはあの子の傍にいたい。でも、あの子は優しいんだ。本当はものすごく優しい子なんだ。自分を酷い人間だと思い込んでるだけで、あんなに優しい子はいないんだ。
なのにあーしは最低なんだ。皆を騙して苦しめて、それで儲けて生きてるんだ。本当はあの子の傍にいる資格なんて無い。どうしようもないクズなんだ。反吐が出る」
目線はさっきからいったりきたり。身体もくるくる無意味に回って、まるで踊っているかのよう。
とっくに正気はどこかへ失せた。失わなければこんなことできるはずもないし、あの子の傍にはいられない。
「だから殺すんだあ。あーしの正体を知った奴も、あの子を苦しめる奴も、皆殺しにして全部無かったことにする。骨の一片だって残してやらない」
殺意と狂気が膨れ上がって、とうとう臨界点に達する。
ぞぞぞぞぞ──音と共に月が隠されていく。森が膨れ上がって空を覆い尽くす。地面が波打ち、黒い津波が迫って来る。
もう絶対に逃げられない。
もう絶対に逃がさない。
「ああ……あああ……ああああああああああああああああああああああああっ!?」
「嫌だあああああああああああああああああああああああっ!!」
彼等は必死に祈った。
誰か、誰か一人でいいから逃げてくれ。
報せてくれ。
この悪魔の正体を、皆に。
「いーよ、食べちゃえ」
その命令と共に天から地から数億の命が一斉に襲いかかった。絶叫は瞬時に怒涛の如き轟音にかき消され、その場にいたクルクマ以外の全ての人間が贄と化す。
数え切れない虫が命令に従い、標的となった者達にとりついて肉へ齧り付いた。骨身を削り、血を啜り、毛髪までも切り刻む。
全てが終わるまで五分とかからなかった。黒い津波が去った後、そこにもう男達の姿は影も形も存在しない。肉も血痕も骨片も身に着けていた服や武具すら消失した。一切合切散り散りになって消し尽くされ森に拡散した。最初からここには誰も何もいなかったかのように。
「ああ……」
でもたしかに彼等はいたし、いなくなった。また殺してしまったわけだ。命令したのは自分だもの。あの子からより遠い存在になってしまった。
けれど、こうする他に無い。邪悪な自分が邪悪でない彼女の横に立つには、醜い本性を徹底的に隠し続ける以外、方法が無い。
「アハハ、汚いなあ、あーし」
それでもあの子は、いつもと同じ目で自分を見るだろう。
あの純粋で真っ直ぐな眼差し。
その輝きに射抜かれるたび、心に安らぎを感じる。
彼女がいれば、何度だって救われる。
「だから、君のことも見逃してあげるよ、モモハルくん」
三年前、ヒメツルから彼女が小さくなってしまった経緯を聞かされた時、内心では腸が煮えくり返った。あんな魔導書を託した愚かな自分に腹が立ったし、罠を仕掛けた師にも殺意が湧いた。
けれど、一番憎悪を掻き立てたのはモモハルの存在。よりにもよって自分から五年間もヒメツルを奪った相手が、誰より近くで彼女に寄り添っていた。
嫉妬のあまり殺してやろうかと思った。自分の仕業だとバレないように殺す方法くらい、いくらでも作れる。神子だからどうした。神だって必要なら殺してみせる。
でも、しばらく観察するうちにそれでは駄目だと気が付いた。今のヒメツルが幸せそうだから。以前よりずっと満たされているのだとわかったから。
その幸せな世界を構成する要素は一片たりとも欠かしてはいけない。だから方針を転換した。
「ずっと守ってあげるよ。君も、妹ちゃんも、お父さんも、お母さんも、雑貨屋のご主人と奥さんも」
もちろん、
「ヒメちゃんも……」
初めて会った日、この汚れた手を握ってくれた天使。あの記憶を思い返すだけでいつも胸が温かくなる。
親友を守るためなら自分は何でもするし、誰とでも戦う。
この技も命も金も心も、そのためだけにあるのだ。
「……ふむ」
上体を起こし、瞼を開けた。頭上に煌々と灯る魔法の光。その輝きの下、机上には丁寧に整理された様々な機器や覚書。よく見える。メガネ無しでも鮮明な視界。
「なるほど、今回はこれか」
小箱を持ち上げた。魔法で封印されていて、正しい手順を見つけない限り絶対開かない代物。それが今、開いている。
持ち上げた手を見る。若い。あるいは若い状態で固定された肉体のようだ。さらに視線を下に落とすと、彼女にとっては未知の光景がそこにあった。
「胸が邪魔で足下が見えん」
なんとまあ、乳のでかい女だとこういうことが起こるのかと感心した。
立ち上がってみると視点も高い。腰が曲がっていないのは当然として、そもそも身長が高いからだ。ここまで大きいと嫁の貰い手には苦労するだろう。男は長身で豊満な女より小柄で細身な娘を好む。無論、皆がそうだとは言わないが。
「最近では巨乳が好まれるとも聞くしね。どれ、顔はどんなものか」
室内を見渡したが姿見は無い。ならば仕方ない。短く呪文を唱えて正面に光を反射する平面の力場を作った。これなら鏡と機能は同じ。
「ほうほう、これはこれは」
美しい女だ。蜂蜜色の髪と透き通った青い瞳。全体的に印象の柔らかい顔立ちで清爽な服装と合わさり、見る者の心を穏やかにさせる。前の自分とは比較にもならない。
だが、それ以上に彼女を喜ばせたのはこの女が彼女の知っている人間だったという事実。直接の面識こそ無かったが、その名声は何度も耳にしている。
「なかなかの当たりを引いたわ」
候補者の中でも上位の魔女だ。早速記憶を探ってみる。自分のものではなく、この脳に刻まれた本人の記憶を盗み取る。
「素晴らしい」
予想以上だった。使い勝手の良さそうな術に彼女も知らなかった人体の神秘にまつわるいくつかの知識。これでまた研究は飛躍する。
「どれ、ではまず、この術の方から試させてもらうとするかね」
ひゅるりと背中から無数の糸が飛び出した。それは魔力を感知できない者にはけっして見えない魔法の糸。
どこまでもどこまでも長く伸び、ドアの隙間や窓から、あるいは換気口から部屋の外へ出て行く。
悲鳴が上がった。
物の壊れる音が響く。
「おお、済まん済まん」
まだ扱いに慣れていないせいで余計な苦痛を与えてしまう。しかし、すぐに慣れるから安心してくれ。むしろ感謝すると良い。これで悩みや迷いから解放される。
「うむ、これは使える」
この日のために温めておいた計画があった。この知識と力はその助けとなる。
さあ、いよいよだぞ“最悪”の。そろそろ適度に育ったか?
「お望み通り決着をつけようじゃないか」
才害の魔女が戻ったぞ。