幕間・災害(1)
「貴女、すごいですわ」
──彼女はそう言った。別に大層なことをしたわけじゃない。ささやかな商売のコツを教えてやっただけ。ほんの少しの親切。気まぐれなお節介。本当に、ただそれだけのことだった。
自慢できる才能なんて無い。親に兄に姉達に、そして師匠に散々言われてきた。お前はどうしようもない出来損ないだと。
自分でもわかっていた。だからせめて身に着けた知識と技術を金に換え、この先の長い人生に備えようと考えた。甲斐の無いつまらない生き方。
なのに、彼女は言ってくれた。
こんな汚れた手を取って。
「天才ですわね、クルクマ!」
その瞬間、暗く濁っていた世界に光が射した。まだ何も知らない十二歳の少女が、あの真っ直ぐな瞳が、どうしようもない愚か者を救ってくれたのだ。
「ありがとうございました」
スズランに見送られ、客が一人、雑貨屋から出てきた。ここらで見た記憶の無いその男は服装から察するに旅人らしい。
クルクマは入れ違いで入店し、看板娘にスマイルを見せる。
「やあ、スズちゃん。今日も可愛いね」
「いらっしゃい、クルクマさん」
澄ました態度で応じるスズラン。クルクマは店の商品には目もくれず、まっすぐ彼女のいるカウンターまで歩み寄った。
「つれないなあ、せっかく褒めたんだから、もうちょっと愛想良くしてよ。商売は愛嬌と信頼が大切だよ?」
「あ・り・が・と・う・ご・ざ・い・ま・す」
ニッコリ笑うスズランの顔には、しかし青筋が浮かび上がる。
近う寄れ。そんな感じに手招きされて素直に耳を寄せた。
「今は奥にお父さまがいるので、めんどくさい冗談はまたの機会にしてくださいな」
「冗談じゃないんだけど。まあいっか、とりあえずこれ頼まれてたやつね」
カバンから小さな箱を取り出し、カウンターの上に置く。
それを持ち上げ、ホッと息をつくスズラン。
「ありがとう。この職人さんの爪切りじゃないと駄目だってお爺さんがいて、それなのに街でも見つからないから、お父さんが困ってたの」
「ハハハ、かなり遠方の職人さんだからね。むしろここで使われていたことに驚きだよ」
「モモハルのおじいちゃん達が旅好きでね、前にお土産として買って来たの」
「あ~、なるほど」
そういえば、お隣の宿を経営する夫妻の両親は二組とも健在らしい。まだ会ったことは無いのだが、今は子供達に宿の経営を任せ、長年貯めた貯金と現地での稼ぎを使って各地の郷土食を食べるための旅を続けているという。この村の老人達は年齢の割に動ける人が多いが、その中でもモモハルの祖父母達は特に逞しい。
「まあ、難しい注文をされたお父さんには同情するけど、道具にこだわるそのお爺さんの気持ちもわかるな。あーしもメガネは毎回同じ職人に頼んで作るんだよ。これじゃないと耳が痛くなってね」
「へえ、私もその人に頼んで新調しようかな?」
唇を尖らせ、接客時には常時かけているメガネをクイッと持ち上げるスズラン。視力が低いわけでなく変装のためのものだ。彼女は年々“ヒメツル”だった頃の姿に近付きつつある。そのため素顔のままでは余所者の前に出られない。
ついでに言うと、このメガネにはクルクマによって周囲の人間の認識をほんの少しだけ狂わせるまじないがかけられている。例の魔力波形対策を兼ねて施されたものだ。これをかけている間なら、よほどの術者でない限りスズランの正体に気付けない。
「それ、気に入らなかった?」
片眉を上げて訊ねるクルクマ。
スズランは、ううんと頭を振る。
「デザインは気に入ってるし機能面でも助かってるよ。ただ、鼻当ての部分がすり減って来たのか、最近よくずり落ちてきて……あ、ほら、また」
なるほど、話している間にも位置が下がって来た。フレームの変形や劣化の問題もあるだろうが、成長に伴って顔の形が変わったことも原因だと思う。このメガネを作ってから三年。子供にとっての三年は大人のそれと違い、心身に大きな変化をもたらす。制作時にその辺りも考慮しておくべきだった。
(まあ、専門の職人じゃないしね)
自嘲気味に苦笑しつつ提案する。
「今度、あーしと一緒に行こうか? 認識阻害の呪は掛け直せばいいだけだし」
彼女はメガネ姿の友人が気に入っている。お互いメガネだと妹みたいで余計に可愛いく思えるからだ。なのでメガネをやめてもらいたくはない。
「それは嬉しいけど、口実がいるよ」
「だね、どうしたもんかな」
カズラやカタバミはスズランの実母を“最悪の魔女”だと思っている。だから娘を溺愛しているのに仕入れなどで村を離れる際には必ず置いて行くのだ。スズランも両親を心配させてまでメガネを作りに行くつもりはないだろう。つまり彼女を外へ連れ出すためには双方を説得できる理由を考えなければならない。
(実際、まだヒメちゃんを狙ってる連中は大勢いるしね。言い訳だけでなくそいつらへの対処も考えておかないと……)
──ただ、それを打ち合わせようにも今は無理。やはりさっきの男が気になってしかたない。気がかりは先に片付けておきたい性分である。そわそわしながらクルクマは話題を変えた。表向きは平静を装って。
「ちょっと変なこと訊くんだけどさ、いい?」
「なんですか?」
「さっきのお客さんって、最近よく来たりする?」
「さっきの……ああ、あの人なら三日前から何度か来てるけど」
「隣の宿のお客さん?」
「そうだけど、日中は全然宿にいないって。南のタザー湖で釣りをしてるらしいよ」
「ふうん……何を買ってった? 釣り餌とか?」
「他のお客様のことですから、そこまでは教えられません」
「そこをなんとか」
「どうして聞きたいんですの?」
言ってから慌てて口を閉ざすスズラン。今でも気を抜くとスズランでいるべき時にヒメツルとして喋ってしまうらしい。
(昔からキャラ作ってたからな)
それはそれとして──
「単なる市場調査だよ。商人としちゃ、ここらを通る旅人が何を欲してるか詳しく知っておきたいじゃん?」
「……そういうことにしておくよ」
何かがある、スズランはそう感じ取ったようだ。でも、いや、だからこそと言うべきか彼女はこっそり耳打ちしてくれる。
「別に大したものは買っていませんわ……細々とした日用品や、ちょっとした食料品だけです」
「食料? それって一人で楽しむ量だった?」
「人によるのでは? まあ、ちょっと多目には見えましたけれど」
「ふうん……」
「貴女、何かなさるつもり?」
またうっかり“ヒメツル”が出てしまっているが、あえて指摘せずクルクマは首を横に振った。
「アハ、あーしにゃ商売しかできないよ」
村から少し離れた森沿いの小道。男が一人歩いている。
別に不審な様子は無い。けれど、彼がどうしてその場所を歩いているのかは誰にもわからない。その視線が森ではなく村の方にばかり向いている理由も。釣り道具一式を担いでいるからどこかへ釣りに行くのだろう。その程度にしか考えない。
良くも悪くも、この村の人々は平和ボケしているのだ。
ふと気配を感じた男は前方に目を向けた。
女……というか、少女が一人歩いて来る。恰好からして行商だろう。あの若さで一人旅とは珍しい。
「おや、こんなところで人に会うとは。こんにちは」
「こんにちは」
挨拶に挨拶で返し、笑顔のまま、すれ違った。
すると──
「あの、ちょっといいですか?」
「はい?」
ここで無視などしては怪しまれる。そう判断した男は素直に振り返る。行商の少女は森を見つめながら問いかけてきた。やけに不安気な顔で。
「このあたりで山賊が出るかもって聞いたんですけど、本当ですかね?」
「……いえ、聞いたことがないですね。そうなんですか?」
「さっき村の人が騒いでましてね。森の中で怪しい集団を見た、あれは絶対に山賊だとかなんとか。ご覧の通り女の一人旅なもので恐ろしくて」
「本当だとしたら物騒ですね。早目にここを離れた方がいいかも……」
「ですね、そうします。さっさと逃げちゃいましょう。どうも、ありがとうございました。あなたも急いで安全なところまで。命あっての物種ですよ」
「そうします」
それきり娘は去って行った。
男はその背中を見送りながら、しばし静かに立ち尽くす。
やがて釣り具を担いだまま森の中へ入って行った。
「情報が漏れてる!?」
「はい……どうも村の誰かがここを見てしまったようで」
「嘘だろおい。見張りは何してやがったんだ!」
森の奥、男からの報告に頭目の巨漢は怒りを露にした。これでは綿密に練っていた計画が無駄になる。
だが、焦りは禁物。不測の事態にこそ冷静に対処しなければならない。
「もうちょっと詳しく教えろ。そのガキは何て言ってたんだ?」
「ええと、村の連中がそのように騒いでいたとだけ……」
「ついさっきなんだな? 噂はもう広まってると思うか?」
「狭い村ですからね、おそらくは……」
「チッ、仕方ねえ」
頭目は重い腰を上げ、天幕の外に出て手下達に呼びかけた。
「オイ、テメエら! 今夜やるぞ!!」
「なっ、マジかよ兄貴!? 襲撃は衛兵共の数が減る行軍演習の日のはずだろ?」
「予定変更だ弟よ。村の連中にバレた! 奴ら今頃トナリに援軍を頼んでるはず! だが、今からなら馬を走らせても着くのは夜中。軍隊が来るのは早くとも明日の朝だ! だから援軍が来る前に決行する!」
「なるほど、それじゃあ仕方ねえな。まっ、ほんの少し早まっただけさ」
「そういうこった、大した問題じゃねえ。こんな田舎の衛兵隊、どうせ腰抜け揃いだろうしよ」
彼等は国境を三つもまたいだ遠い地を根城にしていた山賊だ。しかし、少々仕事に精を出し過ぎたせいで警戒が厳しくなり地元ではやり辛くなった。そこへ茶葉の栽培によって急に豊かになった村があると聞き、狙い目かもしれないと考えはるばる遠征してきたわけである。
案の定、村の警備は緩かった。平和な国の辺鄙な土地だけあって防壁等の類は作られておらず、駐留している衛兵の数も二十人程度。近々演習でその数が一時的にさらに半分になるとわかったため、極力こちらの被害を減らそうとその日に襲撃する計画だったのだが、こちらは百人からの大所帯だ。全員揃っていたとしても大した脅威ではない。
「いいかテメエら、ここらの連中なんざ、ちょいと脅してやりゃあ素直に金を出すはずだ。いつも通り、まず最初に何人か殺って見せしめにしろ!!」
「待って下さい、お頭。宿の女将と雑貨屋の女房はかなりの器量でした。雑貨屋の方は娘も可愛らしい顔をしてます。まだガキですけど、その方が良いって金持ちもいるでしょう。この三人は殺すより、とっ捕まえた方が金になるかと」
「ほう、そいつぁ楽しみだ。よし、お前ら、その三人は殺すんじゃねえぞ。売っ払う前に味見もしておきてえしな。この辺は退屈だし気に入ったら手元に置いてしばらく暇潰しに使うのもいいだろう」
「へいっ、わかりやした!」
「ククッ、良い声で鳴くといいがな」
頭目が下卑た想像を脳裏に浮かべニヤついた、その時だった。
「──コケコッコー、とでも鳴かせたい?」
少女が一人、唐突に現れた。