三章・巡り合わせ(2)
夜も更け、母は夕飯の支度を始めました。張り切っていたので今日はご馳走になりそうです。
私は父と一緒にモモハルを隣家まで送り届け、その帰り、両家のちょうど中間の位置に来た時点で繋いでいた手を離しました。
「おとうさん、私、ちょっと裏の畑を見てくるね」
「こんな時間にかい? もう暗いし明日にしたらどうだい」
「少し気になることがあるだけ。一人で行けるから、お父さんは先に戻ってて」
「いや、流石にこんな暗い中で一人にするわけには……って、スズ!?」
返事を待たず走り出す私。そして追いつかれないうちに物陰へ入り隠形の術を発動させました。
「こら、待ちなさいスズ! って、あれ!?」
父は私の姿を見失い、名前を呼びながら畑の方へ。
その背を見送ってから近くの暗がりに向かって呼びかけます。
「ちょっと強引でしたかしら……出てきていいですわよ、クルクマ」
「アハハ、やっぱ気付いてたかあ。流石はヒメちゃん」
さっき帰ったはずのクルクマがそこにいました。
しかも私をヒメと呼びます。
「貴女こそ、気付いてましたわね」
「そりゃそうだよ、いくらなんでもそっくりすぎるもん。顔だけならともかく魔力の波形まで一致する人間なんて普通いないからさ」
「そういえば、貴女はその魔力波形とやらで他者を識別できるんでしたわ」
私も探査魔法を使えば似たようなことをできますが、大まかに辺り一帯の生物の大きさと位置がわかるだけ。個人の特定までは無理です。でもクルクマは魔力放出時の最大出力が低く術の効果範囲が狭い代わりに識別精度が極めて高い。
冷静を装っていますが、こちらは内心焦りっぱなし。彼女に見抜かれたなら、他の術者にもやはりわかってしまうかもしれません。同業者の知り合いは多くありませんでしたが、遠目から見ただけでも魔力波形の記憶は可能でしょう。
そんな私の焦燥を見抜き、クルクマは笑います。
「大丈夫大丈夫、この術の使い手ってめっちゃ少ないから。ヒメちゃんの魔力波形を記憶している人間自体が稀だし、多分あーしくらいだと思うよ見抜けるの。まあ、念のための対策は必要かもね。今度手伝うからさ、二人でなんとかしよ」
「それは……助かりますわ」
彼女の協力が得られるなら実際どうにかなるでしょう。魔力が弱く戦闘では頼りにならなくても、それ以外の部分では広範な知識とたしかな技術を持つエキスパートですもの。
「でも、どういうつもりですの?」
腕を組み、首を傾げて問いかけます。
「ん? なにがなにが?」
「とぼけないで下さいな。貴女、私の正体がわかっているのにあえてこうなる方向へ誘導したでしょう」
彼女からすれば、私は依頼を放り出して消えた裏切り者。正体がわかっている以上あの場でそれを暴露して糾弾することもできたはず。
けれど、そうはしなかった。
友情? かもしれませんね。でも彼女は魔女であり商売人。その行いには必ず裏があるはず。長い付き合いですから、それくらいわかりますよ。
クルクマはえへへと笑いました。
「わかってるね。まあ、ヒメちゃんの正体を隠したのは友達だからってのが半分さ。隠したがってるってのは見ててわかったし。で、残り半分は商談があるからなんだけど」
やっぱり、お金の絡む理由がありましたのね。もっとも、彼女らしいと言えばらしい話です。かえって安心できますわ。
「さっきお母さんが出してくれたお茶さ、あれ、かなり良かったんだよね。自家製の茶葉なんだって?」
「まさか、あれを売ると?」
「ん~、それも考えたんだけど、今はヒメちゃんとお母さんの二人だけで作ってるって話じゃない? それだと多分、需要に対して供給が追い付かなくなるんだ」
「そこまで良い出来だと?」
「そだよ~。でも、むしろ気になるのは、この土地であの茶葉を育てられる土の方かな」
「ああ」
なんとなくわかってきました。
「秘訣を知りたいと。たしかにうちの畑には私が独自に配合した肥料を撒いて土壌の改良を施してあります」
「うん、それをね、知りたいんじゃなくて、売ってあげて欲しいんだ」
「は? どなたに?」
「もちろん、この村の人達に」
それを聞いた瞬間、私もピンと閃きます。
「つまり村の畑を改良して──」
「──収穫を増やす。そうそう、そうだよヒメちゃん。わかってるう」
なるほど、今まで考えたこともありませんでしたが、他の畑も土壌を改良して差し上げれば村全体が今より豊かになります。そうなれば父の店に来る客も増えるでしょう。そこにクルクマの納入した商品を置いておけば……。
「あーしもヒメちゃん達も、どっちも儲かる。ウィンウィンでしょ?」
「悪くないですわね」
私の特製肥料はそこらで簡単に手に入る材料から作った低コストの品です。けれど製造過程で独自に開発した魔法を使う必要があるので、材料だけを真似ても同じものは絶対に作れません。であれば薄利でばらまいても確実に利益は出ます。市場を独占しているわけですもの。
いえ、いっそ無料でも構いません。村の人々はモモハルの両親以外、都会帰りのうちの両親を軽視しているきらいがあります。けれどあの肥料を都から仕入れたものだと言って無償で配れば、きっと周囲の見る目も変わるでしょう。
その考えをクルクマに話すと、一転、渋い顔になりました。
「いや、すっごく安くてもいいから最低限黒字になる値段で売った方がいいよ。完全無料なんて、それこそつけあがるからさ馬鹿は」
チッと舌打ち。何か嫌な思い出があるようですね。
「まあ、魔力波形を誤魔化す手段も含めて、詳しい話は今度にしよ。近いうちに必ず来るからさ。そろそろ帰ってあげないと、お父さん心配するでしょ」
「そうですわね」
父の声がまた近付いてきました。これ以上ここに隠れているとタイミング的にクルクマが誘拐犯だと疑われかねません。
「小さくなっちゃった事情とか、あの本のことなんかも次に聞かせてね」
「それはいいですけど、クルクマ」
さっさと消えようとする友人を呼び止めます。
相変わらずせっかちですね。
「なになに?」
「その……貴女、怒っていないんですの?」
私は彼女の依頼を終えないまま行方をくらませてしまったのです。そして五年間、連絡一つしませんでした。できなかったからではありません。方法はあったけれど、今のこの状況をどう説明したらいいかわからず先送りにしたのです。
……いえ、それも言い訳。本当は怖かった、彼女に裏切られるのではないかと。小さくなってしまった私を見た彼女が友情を捨てて利に走る可能性を考え、臆病になりました。
なのに彼女は今日、私を助けてくれた。あの時、モモハルのせいで見つかってしまった直後、一瞬クルクマと目が合い──
“がんばれ”
そう言われました。声は出さず唇を動かしただけでしたけれど、ちゃんと伝わりました。だから勇気を出して両親の顔を見ることができたのです。
あの二人はとても心配していました。私が目の前からいなくなる可能性より実母の話を聞いた私が傷付いてしまったのではないかと案じていました。五年も娘をしてきたんですもの、些細な表情の違いくらいわかります。お父さまに似たのでしょう。
だから選んだのです。
以前の私より、今の家族を。
「怒ってないよ、怒れるわけないじゃん」
クルクマは困惑したように呟くと、今度は呼び止める間も無く闇に溶け、そのまま姿を消してしまいました。相変わらず見事な隠形の術。
その残像を見つめ、小さく呟きます。
「ありがとう……また会えて、嬉しかったですわ」
直後に風が吹きました。それに乗って父の声が繰り返し聴こえてきます。
私は隠形の術を解除し、その声に向かって走り出しました。
「おとうさん、ここだよ!」
私は、ここにいます。
それから数日後、予告通りクルクマは戻って来ました。
「いやあ、これは素晴らしい!」
彼女は父に相談して畑を見せてもらい、土の豊かさに感動する演技をしながら私の配合した特製肥料は絶対に売れますよと力説。父はまんまと乗せられてしまいました。
さらに母の育てた茶葉も非常に品質が高いので、まず試しに都で売ってみて、売れたらその実績を伝え、他の家にも栽培を奨めるべきだと提案。過疎化のせいで休耕地が増えており使える畑はいくらでもあります。もしも村の人達が渋ったなら自分がお金を出すからいくつか畑を買い取り、人を雇って増産すればいい。このお茶は絶対人気が出る。元などすぐに取れると言うのです。
そして実際、そうなりました。
我が家の茶葉はまろやかな口当たりと、その後に鼻孔を抜ける清涼感。そしてしっかり舌に残る深い味わいが評判となり想像以上の人気商品に。クルクマから出資を受けて増やした畑からの出荷分もすぐさま完売してしまい、一躍うちは小金持ちになりました。
それを見て他の農家の方々も次々に茶葉の栽培に参入。私の作った特製肥料も売れ行きが上がり、母は栽培方法の指導のためあちこち引っ張りだこに。クルクマは村全体と独占契約を結んで大儲け。
かくして何の特産品も無かった寂れた村は三年間で急成長を遂げ、銘茶の栽培地として大陸全土に名を轟かせたのです。
やがて、クルクマと再会してから三年後──もうすぐ八歳になるという夏、私は初めて“世界の危機”に立ち向かうこととなりました。