序章・行方知れずの魔女(1)
「あら、ごきげんよう」
──少しばかり昔のこと、巷の人々から“最悪の魔女”と呼ばれる齢十七の少女がおりました。名はヒメツル。負けず嫌いで我が強く、そしてなにより自由が好き。だから邪魔する者には容赦無い。血の気の多い悪い子ちゃん。
「私、そこを通りたいんですけど。どいてくださいません?」
極上の絹より輝く薄桃色の長い髪。切れ長の瞳は海を思わせる深い青。まだ幼さの残る顔立ちは、それでも皆が目を見張ります。この世で最も美しいのは誰かと訊ねれば、誰も彼もが「顔だけならヒメツル」と答えました。肌も白く滑らかで均整の取れた体型。万物の母たる女神ウィンゲイトに最も近い者は誰かと問うたなら、やはり百人中百人が「見た目だけならヒメツル」と返すでしょう。
「わからない人達ですね。貴方がたの都合など存じません。この私がそこを通ると言っているのです。だからこれは決定事項。どかないなら、どかすだけでしてよ?」
恵まれたのは容姿だけではありません。彼女には世界最強にして最大とも言われる飛び抜けた魔力が宿っていました。お城を一撃で粉砕できる大出力と、いくら使っても尽きることなき大容量。
当然、並の魔法使いや、そんじょそこらの軍隊程度じゃ太刀打ちなんてできません。
「ぎゃああああああああああああああああああああああああっ!」
「やっぱり無理だったああああああああああああああっ!?」
「お~、頭の軽い方々は、よく飛びますわ~」
こんな風に、適当にぶっぱなした雑な魔法で人が宙を舞うなんてことは、彼女にとって日常茶飯事。街中で猫を見かけるくらい見慣れた光景でした。
そういえば植物の育成を助ける魔法を古い魔導書で見つけ、試しにその場で使ってみたこともあります。
結果、一つの都市が一夜にして草木に飲まれる大惨事に。
「失敗失敗」
彼女は魔力こそ世界一でしたが、魔法は独学な上、コントロールは大の苦手。こういう失敗もまたいつものこと。怒って落とした雷でうっかり山を真っ二つにしてしまったこともあります。なんの変哲も無い普通の山が観光名所になったと、その地域の領主には大変喜ばれました。
そんな彼女もお年頃。荒事ばかりにかまけてなんかいられません。時には黒いローブをドレスに着替え、街へ遊びに出かけていました。お洒落が大好きだったのです。
ただ、めかしこんでも結局やるのは犯罪行為。
「ほ~ら、もう何もわからなくなってきたでしょ? これで貴方も私の下僕。今後は私の望むものを何でも無条件で差し出しなさい」
「はい、はい、そういたします」
──と、このように言い寄って来た男達を片っ端から洗脳し、財を貢がせていたのです。貢ぐことさえできなくなったら即座に切り捨て、以降は気にも留めません。
「ヒメ、こちらをどうぞ。南国より取り寄せた果実です」
「ヒメ、貴女のために、この劇場を貸し切りました」
「ヒメ、どうか私を見捨てないで!」
「お生憎様。一文無しなら用も無し」
もちろんそんな悪事を繰り返す内、同性からはふしだらな子と罵られ、異性からは多くの恨みを買う羽目に。それでも彼女は悪びれることなく言いました。
「彼等が勝手に貢いできたの。私は悪くありません」
魅了の術は禁止魔法。もちろん知ってて使っています。さらには鍵開け透明化、やはり違法な魔法を使い、盗みに覗きにドッキリ等々やりたい放題やらかしました。
当然、周囲は黙っていません。あの悪童を放っておけば魔法使いの沽券に関わる。そう声高に訴えて、掟破りを罰してやらんと意気込み勇んで来る者達も次から次に後を絶たず。時には数人がかりで徒党を組み、奇襲を仕掛けることさえも。
けれど、やっぱり敵いません。十人いてもコテンパン。それだけ魔力が圧倒的。敗者は裸で吊るされて笑いものになりおしまいです。
「あら、小さくておかわいい。貴方の魔法とおんなじですわ」
どこがどうとは申しませんが、服を剥がれ嘲笑された高名なるさる魔道士は翌日出家し僧侶の道へ。敵対したら心までをもポッキリへし折る。それが彼女のやり方でした。
凶悪。性悪。合わせて最悪。だから“最悪の魔女”と呼ばれていたのです。
一方、彼女にも嫌いなものがありました。それは宗教。信仰対象が神でも魔でも彼女にとっては同じこと。お祈りなんて無意味な行為。坊主は詐欺師の別名だ。誰に憚ることも無く、常日頃からそう公言する始末。
「お経なんて唱えたって何も良いことありません。くだらないものを頼ってないで現実を見なさい」
そして、ついにその時がやって来ました。ある日、彼女は聖王国シブヤでメイジ大聖堂に火を放つという暴挙に出たのです。そこはよりにもよって世界で最も多くの人々に信仰される三柱教の総本山。
大聖堂はあっという間に焼失し、時の教皇ノースポールは怒髪天。魔法使いの天敵たる聖騎士団に即刻あの魔女を倒すのだと、口から泡を飛ばして命じました。
「ついに聖騎士団が動く」
「やっと天罰が下る」
「これであの魔女もおしまいだな」
聖騎士は神から加護を受けています。魔法は一切通じません。炎に包まれようと吹雪に晒されようと、それが魔法によって生じた現象なら傷一つ付かないのです。強大な魔力と美貌以外取り得が無いと思われていたヒメツルにとって、まさに天敵。
ところがどっこい。
魔法が駄目なら他の手段。彼女の辞書に卑怯の二文字はありません。なにせ最悪の魔女ですもの。魔女だからって魔法にこだわる必要無し。勝てば官軍。どんな手を使おうとも勝てばいいのです勝てば。
ニヤリとほくそ笑んだ彼女は、自慢の魔力に頼らず知恵と工夫だけで敵を退けることにしました。
まずヒメツルは調べ上げました。聖騎士団の通り道。自分の家への侵攻ルート。どこの街道を使い、いつ通過するのか。独自の伝手で特定し、人足を雇って道にいくつも大きな穴を掘りました。
「魔女様、これってもしかして……」
「ええ、落とし穴です!」
落とし穴。古典的なその罠を彼女は実に楽し気に、これでもかこれでもかと掘って掘りまくり、後は優雅に待ちました。ジュースを飲みながら椅子に寝そべり読書を嗜むその姿、見目麗しき美少女です。見とれた男が何人か勝手に穴へ落ちました。
「あら、関係無い人が」
「やべっ、手前の分岐に迂回指示の看板置き忘れてやした」
「聖騎士団が来たら撤去してくださいね」
やがて来ました聖騎士団。魔女は椅子を放り投げ、茂みに隠れてわくわくしながら様子を見ます。
ここで一つ豆知識。聖騎士の目は幻術の類も見破れます。けれどこの魔女、今回魔法は使っていません。完全人力、されど巧妙。竹ひごを編んで蓋を作り、土を被せ、周囲の地面に馴染むよう丹念に偽装を施したその罠は今や全く判別不能。自分でもどこを掘ったかわかりません。
なので当然、聖騎士達は落ちました。
「うわああああああああっ!?」
まずは一人。その衝撃が伝播し、頑丈に編んだ蓋が次々破れ、他の聖騎士達も被害に。
「ぬああああっ!?」
「ごふっ!」
「なんだあっ!?」
運良く落下を免れた方々は穴の底を覗き込み、落ちた仲間へ呼びかけます。
「大丈夫か、お前ら!?」
「なんで街道にこんな穴がっ」
「やたら深いぞ!」
「うふふ」
木陰に隠れた魔女は意地悪く忍び笑い。屈強な殿方が慌てふためき当惑する様、滑稽でしかたありません。とはいえ落ちたのはせいぜい数人。聖騎士団はなんと百人以上います。これではもちろん追い払うには足りません。
そこで彼女は傍らの木箱を撫でました。
「さあ、貴方たちの出番ですよ」
中からは無数の羽音。躊躇無くそれを開け放ちます。途端、一斉に飛び出したのはミツバチの群れ。彼等は何故か聖騎士団へとまっしぐら。
馬は後ろから驚かされるのが嫌い。だから魔女は養蜂業者を訪ね、巣箱を一つ買い取りました。そして教会の厩務員も買収し、馬達の尻に花の蜜を塗らせておいたのです。ミツバチ達は匂いに引き寄せられそこへ突撃。
直後、聖騎士達の悲鳴が上がりました。
「はぶっ!?」
「と、止まれ、止まれ!! うああっ!?」
「玉が……オレの玉が……」
尻を刺された馬達は期待以上の大パニック。主人を振り落とし、あるいはご主人様ごと穴の底へ転落。股間を蹴られ悶絶する騎士。ハチに怯えて逃げ回る騎士。その阿鼻叫喚を楽しむ魔女。
「絶景かな絶景かな、ハーッハッハッハッハッ!!」
直後、彼女は近くの高い木の上に姿を現しました。わざわざホウキで空を飛び、そんな場所まで移動したのです。
ヒメツルは高笑いを上げ注目されると、醜態を晒す男達を見下ろし、思うさま嘲笑してやりました。
「あらあら、聖騎士ともあろう方々がなんて無様なお姿でしょう。それとも騎士の真似をしているだけのお猿さんかしら?」
くすくすくす。
「貴様あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
怒りに猛る聖騎士達。まだ動ける者全員が一斉に武器を構えます。その数は全体の半分、ざっと五十人弱。真っ向から戦った場合、一人だけでも十分な脅威。
それでも彼女は不敵に笑い、ホウキに跨りゆっくり上昇。そしてくるりと背中を向けたかと思うと自分のお尻を叩きました。
「おさ~るさんたち、こちらです~」
おしりぺんぺん。
「ぬっがあああああああああっ!! 当たれ、当たれえっ!!」
森の奥へ飛び去って行く彼女を聖騎士団は雄叫びを上げて追跡。下から何度も繰り返し矢を射かけます。でも絶妙な高度を保たれており、届きそうで届きません。木々の枝葉も邪魔でした。
そんな彼等に帽子を振り、魔女もしつこくおちょくります。
「あははは、やっぱりお猿さん。弓もまともに射れませんもの」
「くっそおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
騎士達の目は彼女に釘付け。またしても最悪の魔女は注目の的。
少女は呆れたように小さく鼻を鳴らします。
「はん。殿方って、ほんと単純」
近くで見たなら、彼女の振り回す帽子からキラキラ輝く粒子がこぼれ落ちていることに一人くらいは気付いたでしょう。実はさっきから薬を撒いていたのです。無味無臭で無色の微細な粉末ですので敵にはまだ見抜かれていません。
落とし穴の底にも同じ薬を仕込んでおきました。最初に数人落ちた時、土煙に混じって舞い上がったそれを彼等は吸い込んでしまった。樹上で高笑いしてる間にも位置が風上であることを計算し、やっぱり散布を行っていた。
その正体は興奮剤。副作用も中毒性も無く安心安全なお薬ですが、一定量を吸い込んでからしばらくは頭に血が上りやすくなる代物。
聖騎士に魔法は一切通じません。毒も同じ。けれど、こういった薬は使い方次第で人の助けにもなります。だから種類によっては神の加護を素通りできるかもしれない。彼女はそう考えました。だって薬まで完全に効かなくしてしまったら、怪我や病で治療が必要になった時に困るでしょう?
そして、その読みは当たっていました。
「ぐあっ!?」
「あらっ、ちょおおおっ!!」
「やめ、こっちに来るな! ぎゃふん!?」
挑発と薬の効果で理性を失い、考え無しに突っ走るだけとなった彼らは一人また一人と脱落。魔女が仕掛けた罠は落とし穴とこの薬だけ。けれど、それ以外は不要だった。何故なら森は天然の罠の宝庫。
木の根に躓いて倒れる者。段差に気付かず足を挫く者。斜面から転げ落ちて仲間を巻き込み気絶する者。我を失った猪武者達の末路は笑いと哀愁に満ちていました。
あっという間に聖騎士達は満身創痍。旋回しながらその様子を堪能した魔女は、やがて手を振り「ごきげんよう」と言って空の彼方へ。
聖騎士団は屈辱的な大敗を喫したのです。