表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

澤村愛はめんどくさい

願望

作者: 末摘花

  死にたいのかと問われて、思わず頷いてしまいそうな程に危うい人生は、果たして人生と呼べるのだろうか。そんなことばかりを考えている。

  数字の中に確実な差はなくて、あるとするならそれは、0と1以外にない。0はなく、1は僅かながらにも存在する。存在しないことを表すのは0だけで、1以上のものなら確かにある。大小なんて関係ない。だから、少しでも愛されているならそれは0ではなくて、1以上の愛なのだ。

  殺人願望と自殺欲求は似ている。ほぼ同じだと言ってもいい。殺人を犯した者はもう本当に死にたくはならなくて、自殺をした者は考える頭も命も権利でさえ与えられずに、剥奪されたことを喚きたくて現世に留まる。死人に口なんてものがあると信じて疑わないそれらの元人間は、何を糧にこの世に留まっていられるのか。知りたいとも思わない。

  例えば計量カップにお米を入れて、ぴったりになるように摩り切るとする。その摩り切られてあぶれた余りものの中に、きっと私がいるのだと思う。そんなことを考えながら米を洗って、いつまで洗えばいいのか加減がわからず立ち尽くす。一日おきの日課。

  認められたくて人を殺したのです。愛されたくて泣くのです。理屈は同じで同じくらいに愚かだ。人を殺すことが悪いことだと誰が決めた? それ以前に何故人が死ぬのか知っているのか? 最高裁判長様にお手紙を書いて送っても、きっと返事はいつまでもこないこと。それだけは知っている。

  命の尊さを知るために人は死ぬ。他人に生きることの素晴らしさを示唆させるために人が死ぬのだ。自分の死さえも利用されて骨になる。一生涯をかけて尊さを説く。人間とはひとつの宗教団体かもしれない。それなら少しは面白いのにね。

  私はきっと平然とした顔でそれを言える。望まれるなら世界中へ発信してもいい。SNSが無駄に成長してしまった現代社会において、それは大した面倒ではない。青い鳥の掲示板に投稿して、固定してしまえばいいのだ。なんの苦にも暇つぶしにもならない。

  だから私は何もしない。暇を持て余したままに、自由というものに縛られながら生きる。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ