仮面舞踏会
本当に本心から人と向かい合っている人はいる?都合のいい言葉だけを並べた上っ面だけの言葉じゃないの?
口では、顔では、善人で聖人で献身的な正義の味方。本心では騙して蔑み利用する醜い本性。自分に都合の良い事を考えて誰しもは動く、それ自体が悪なのではなく、自制心なく際限を知らないのが悪なのだ。
誰しもが良い人の仮面を被る。その仮面の下の顔は決してわからない。わかった時は、もう手遅れだからだ。
闇夜に包まれた城。周囲は断崖絶壁に囲まれ、一寸先も見えない濃い闇に包まれている。城から漏れ出す明かりは闇を照らす月と呼ぶには余りにも頼りなく、夜中に弱々しく光るホタルの様な有様だ。その城では今パーティーが行われていた。大きなパーティー会場に沢山の人が集まっている。着ている服は千差万別、みすぼらしい格好の人がいれば高価なスーツを身に纏った人もいる。共通しているのは全員仮面を付けている事だ。その仮面は、笑顔を浮かべた如何にも人が良さそうな顔をしていた。
談笑し合い、食事を取り、ダンスを踊る楽しいパーティーに、また一人の参加者が現れた。十歳程度の少年で、色褪せた衣服を着ている。少年は目の前のパーティーに大きく戸惑ってその場から動けなかった。その少年に、仮面を付けた白いスーツを着た男が話しかけてきた。
「ようこそ仮面舞踏会へ。さぁ、この仮面を付けて楽しんでおいで」
差し出された仮面は周りの人が付けているのとそっくり同じ物だった。
「僕・・・」
「何も躊躇することはない。パーティーは君を待っているぞ」
白いスーツの男に背中を押され、少年は躊躇いながらも仮面を付けてパーティーに参加した。
まず少年は談笑し合っている人たちの中に入った。艶がありガッチリ固められた七三分けの髪と皺一つないスーツを着た男性が、周囲の人達に何かを力説している。
「この国を変えるには絶対的な力と実行力を持った指導者が必要なんです!今の政治家は自分の保身と権力に富に溺れ国民の事など微塵も考えておりません!その様な者に国の運営を任せていていいはずがありません!!
国民の事を第一に思い!国民に尽くしてこその政治家ではないでしょうか!?今こそ必要とされるのは、今こそこの国に求められるのは、他者の為に尽くし国民を第一に思う私です!!
私が政治家になった暁には、必ずや国民皆様の生活が改善され豊かになると約束いたします!その為にもどうか!私に御支持をしてくださるようお願いいたします!!」
演説が終わると周囲の聞いていた人たちが一斉に拍手をして喝采を上げた。その喝采に感謝するように男性は何度も頭を下げた。
また別の所ではこんな演説を行っている。おかっぱ頭の綺麗な服を着た女性が静かに、しかし強い口調で訴えている。
「今や貧困とはタイやアフリカだけの事ではありません。日本でもアメリカでも貧困に苦しむ沢山の子供たちがいるのです。
未来は私たちの物ではなく、子供たちの物なのです。今の子供たちを救う為に、我々に寄付をしてくれる事を願っています。たった十円でも、救える命はあるのです」
演説を聞いている人たちは共感したように目を潤ませて感心したように頷いている。
それとは別に鞄を持ったセールスマンの様な男が絢爛豪華なドレスを着ておそらく何百万か数千万はするであろう大きい宝石が付いた金のネックレスを付けた女性に熱心に何かを説明している。
「我が社が新しく生み出した化粧品の効果は従来製品の比ではありません!多くの使用者の方にその効果の程の好反応を頂いております!必ずや貴方様をよりお美しくすると補償いたしますよ!」
「そうねぇ・・・確かに綺麗になりたいけど・・・」
「今しかこのチャンスはありませんよ!更に今なら定価の二割引きでお売りすることも可能です!これを逃す手はございません!」
「・・・だったら試しに私が使用して、満足したら代金を支払うのでいいかしら?」
「え、いや、それは・・・」
「あら?品質には保証があるんじゃないの?みなさ~ん、ちょっとよろしいかしら~」
「わ、わかりました!それでご契約いたしますから!」
女性は満足そうに鼻を鳴らし、セールスマンは態度にこそ出さなかったが僅かに歯ぎしりをした。また別の所では二人の男性が肩を組み合って楽しそうに笑い合ってる。
「俺もお前も、すげぇ努力して来たよな!」
「そのお陰で二人揃って一流企業に就職できて人生安泰だよな!」
「本当だよな!お互い協力して頑張ってきてよかったよな!」
「これからもよろしく頼むぜ!親友!」
苦労と努力を分かち合った心の通い合った親友同士、それはとても暖かく眩しく見えて微笑ましかった。
少年はその場を離れ、食事をしている人たちの傍に近づいた。数人のグループに固まり、食事が盛られた皿を手に取り談笑している。
「あら、お宅のご主人あの大企業の社長なんですか?凄いわねぇ~」
「そんな事ありませんのよ。私の主人なんて親の七光りの脛齧りで、努力も苦労も全くする事なく今の地位のいるんですよ。あなたのご主人の方がよっぽど凄いわ。一から会社を立ち上げてここまで成長させるんですもの」
「本当お二人のご主人、有能そうで羨ましいわぁ~。私の旦那なんて何の才能も財力もなくて、口がうまいだけしか取り柄が無いんですよ。それでここまで伸し上がるんだから、もっと分相応の地位で満足すればいいのに・・・」
また別のグループでは白衣姿の二人の男性がこんな事を話していた。
「どうぞお飲みください先生。医療技術と細菌学の発展に大きく貢献した偉人である先生こそがこのパーティーの主役なんですよ」
「何を言うかね。確かに私はこの世の多くの細菌を解明し、医療の発展に貢献したが、それらは全てより先へ発展させる為の布石でしかないのだよ。
君の様な意欲ある若者が私の研究を元により医療や細菌に留まらず、人間と言う種を前へ進ませる事が出来るのだ。私は先人として、君たちにより多くの事を残すだけだよ」
「・・・ええその通りです。あなたの研究を引き継ぎ、必ずや人類を大きく進歩させてみせます!」
褒めて認めている様な言い合いだが、その目は鋭く笑っていない。すると二人の会話に一人の女性が割り込んで来た。
「あらあら、先生も先輩も楽しそうで何よりですね。私ももう少しお酒を飲みたいのだけど、仕事に支障が出ますので・・・」
「いやはや流石は稀代の天才、その真面目振りは私の若い頃とそっくりだ」
「あなたは本当にあらゆる学者の見本となる素晴らしいお人ですね。私ももっと精進しなければなりませんね」
口ではそう言いつつも先生と先輩と呼ばれた男性二人は忌々し気に金髪の紫色の高価なドレスを身に纏った女性を睨んだが、女性は気にも留めず食事を楽しんでいる。
少年は他にも食事をしているグループを周ってみるが、話している内容は似たり寄ったりだ。どこも互いに褒め合い謙遜しあっている。一件大人の対応の様に思えるが、少年は気持ち悪いものを感じた。
身体が震えるのを感じて、少年はその場を離れてダンスをしている集団の傍に向かった。少年が聞いた事がない優雅な音楽と共に二人一組で男女が踊っている。
「君を愛している」
「私も愛してるわ」
「君はバラの様に美しく、その心はあらゆる宝石よりも美しい」
「あなたは精悍な獣の様で、優しく頼りになるわ」
お互いを称賛しあう男女は恋人の様に思えるが、その声には抑揚が無く感情がこもっていなかった。また別の男女はこう言っている。
「今まで色々ありがとう」
「家族の為に尽くしてくれてありがとう」
「お前がいたから俺の人生は大きく満たされた」
「あなたがいたから私の人生は幸せだったわ」
「これからも家事とか色々頼むな」
「これからもお仕事頑張ってね」
夫婦と思われる男女が優雅に踊りながら感謝と苦労を労う言葉をかけるが、その言葉にはどこか棘が感じられた。
踊る相手がいなかったし、そもそも踊る気になれなかった少年はダンスをしている人たちから離れ、入って来た入り口に戻った。白いスーツの男は戻って来た少年を見て怪訝そうに声を掛けた。
「おや、どうしたんだい?もっとパーティーを楽しまないと損だよ?」
「・・・・・・僕は、楽しんじゃダメなんだ」
少年は下を向き今にも泣きだしそうな声で答えた。
「どうしてだい?」
「僕、悪い子だから。僕、馬鹿で人をすぐに信じる子をずっと騙してきたんだ。友達の振りをして、泥に落したり近所のおじさんに叱らせたり犬に襲わせたり、ずっと騙してきて、でもあいつは馬鹿だからずっと僕の事を友達だと信じてたんだ・・・
僕はそれが面白くて、お父さんやお母さんにやめろって言われてもやめなかった。だから、あの子は死んじゃったんだ。僕が「ウサギがいる」って言ったらあの子は疑いもせず僕が指さした方に走って行った。そこには落とし穴があって、あの子が落ちるのを楽しみにしていたんだ。だけど、あの子は落とし穴に落ちた時頭を打って死んじゃったんだ。
お父さんとお母さんからすごく怒られて、ぶたれた。「噓つきは地獄に落ちるんだ!お前は嘘つきで人を殺した!お前は必ず地獄に落ちるぞ!」って言われて、僕は初めて自分がとても悪い事をしていた事に気づいたんだ・・・
嘘つきは地獄に落ちる。僕は悪い奴だ。だから・・・楽しんじゃダメなんだ・・・・・」
話している内に少年は罪悪感と罪の意識に苛まれ涙を流し、仮面から涙が流れ落ちる。白いスーツの男は少年の頭を優しく撫でた。
「君はいい子だ。己の過ちと間違いに気が付かない人間の方が多い、仮面を付けたまま外さない人間が大多数だ」
白いスーツの男は少年から仮面を取り外した。そこには涙と鼻水を流しぐしゅぐしゅになった顔をした少年だった。
少年は白いスーツの男に仮面越しに笑いかけられた様な気がした。白いスーツの男はパーティー会場を見渡すと、大仰に手を振って大きな声で叫んだ。
「仮面舞踏会のパーティーをお楽しみの皆さん!これよりメインイベントに移りたいと思います!皆様にご満足いただける様な最高の刺激をお与えしますので、興奮しすぎて倒れない様に気を付けてください!」
くだらない冗談に苦笑と失笑が漏れたその時、白いスーツの男以外の仮面から白い煙が上がった。仮面を付けている人たちが悲鳴を上げてのたうち回る。仮面を外そうとするがどうやっても外れない。壁に床に何度も叩きつけても仮面は壊れない。少年は微かに肉が焦げる匂いを嗅いだ。
パーティーを楽しんでいた人たちが悲鳴を上げて苦しみ暴れる地獄絵図、それは一分もしない内に終わり、仮面を付けていた人たちは全員床に倒れ動かなくなった。
「自分の本性を隠し仮面を付け続けた人は仮面に殺される。仮面を付ける事が悪い事じゃない。仮面がないと人間は生きていけないだろう。問題は、自分で仮面を取り外せなくなる事だ」
少年は今目の前で起きた惨劇に声が出ない程に怯え、腰を抜かして震えていた。白いスーツの男の声など耳には入っていない。
「だが君は自分で自分の仮面を取り外す事が出来た。いや、ここに来た時にもう外していたのかな?そうだとしても、形式上パーティーに参加してもらうんだけどね。
自分で自分の仮面を取り外せる人は少ない。それが自分自身に良い気持ちをもたらしてくれると味を占めてしまったからね。酒や麻薬がやめられない様に・・・・・・人間は賢く、そして哀れだ。
君はお家にお帰り。そしてこの事は忘れちゃ駄目だよ?仮面に依存したらまたここに来る事になっちゃうからね。仮面とうまく付き合って、素直に生きて行けばそれでいいんだよ」
白いスーツの男が指を鳴らすと少年は目の前が真っ暗になって行った。昼間から夜に早く変わる様な感じだ。パーティー会場も、白いスーツの男も次第に暗くなった見えなくなった。
少年はあの日以来闇を非常に怖がる様になっていた。どこからかあの子が自分の事を見ている様な気がして、もうほとんど寝る事が出来ない日々を過ごしている。だが、何故かこの闇は暖かく春の陽気の様な感覚で心地良く、少年は母の腕に抱かれる様な感覚に陥り安らかに眠りについた。