【8】大丈夫、全自動だから!
どこからともなく、鈴が鳴るような透明感のある声が聞こえてきた。もしかしなくても戦闘機のシステムとは会話ができるのか。しかも、これは良い声だ。CDを買いまくり、ポスターまで買い集めた、あのアイドル系声優さんの声にそっくりだ。
これは良いぞ。
「え、ええと、戦闘機さん。登録をしたいんだけど」
「承知しました! クルーさん、お名前をどうぞ!」
本名を言おうとしてちょっとためらった。ムクさんもダリアもおれのことをヒイラギと呼んでいた。もしかしたらそう言った「仕事名」が必要なのかもしれない。
「ヒイラギ」
俺は戦闘機へそう伝えた。
「登録しました。ヒイラギ。私は貴方の戦闘機です。これからよろしくお願いしますね」
そう言う声が聞こえた直後、コックピット内の計器類がピンク色に点滅する。
「お、おう。で、君の名前は?」
「私は戦闘機です。名前は……ありません」
「間はあったな」
つい突っ込んでしまってから、機械相手に何をやっているんだと苦笑が漏れた。
「昔はありました。今は、皆好き勝手に呼びます。ですから、私は戦闘機です」
どうやら先ほどのダリアの意見は戦闘機にとってはあまり好ましくない意見のようだ。勝手に呼ばれてオコのようだぞ。後でダリアに教えてやろうと心に決め、俺は口を開く。
「じゃあ、なんて呼んでほしい?」
「……」
沈黙が何だかとても人間臭い。きっとこのシステムを作った人は人間味あふれる人だったんだろうななんて想像しながら、戦闘機の答えを待った。
「……私に名をくれた人は、もうずっと前の人ですが。その人は私をセレナイト……セレナと呼びました。できれば」
「オーケー、セレナ。これからよろしく」
とたんに計器類は先ほどとは比べ物にならないくらいの激しさで点滅した。
登録がすみ、俺のデータはセレナに組み込まれた。エネルギー量とか何とか難しい話はともかく、俺は毎日ここへきて1時間ほど昼寝をすればいいらしい。できれば食事を終えて軽い運動をしてからの方が効率がいいと言うことなので、昼食を取ってから運動して、昼寝がてら出勤することにした。
あれこれと登録して予定を組んだだけだが、少々肩のあたりが重たい気がする。
軽く首を左右に動かしていると、セレナは計器類の明度を僅かに下げたようだった。
「本日分のエネルギー供給は、登録の間に済んでいます。接続を切って、ここで休憩しますか?」
「接続を切るって?」
「計器類をスタンバイにすれば、此処にいてもエネルギーを取られることはありません。ただのふかふかソファーですよ。稼働継続のためには毎日1時間は接続していただかないと省エネモードに入ってしまうのですが」
「へえ……今まではどうしてたの?」
「ダリアさんの機体から、定期的に経由チャージを受けていましたが基本的には省エネモードに入っていました。ヒイラギが乗り込んできたときに省エネモードから覚めたんです」
お昼寝中だったってことかな。それとも眠れる森の美女的なものを想像した方がいいだろうか。そうすると俺は必然、王子ってことになり……いや、痛々しいのでやめておこう。
「もし戦闘機が動いたら、エネルギーが必要ってことになるんだよな」
「そうですね。一般的には3時間以上のフライトは危険とされています。クルーが衰弱してしまうので。そういう時は別のバッテリーを摘んだり、3時間以内のフライト計画にするなどの対応が取られますが、ここ百年くらいは3時間フライトの実績は条約国内での報告はありません」
万が一出動があっても全自動。3時間未満のフライトで、燃料の俺はカスカスにはならずに済むと言うことだろう。
食べて運動してここへきて寝る。
ちょっと疲れるかもしれないけど、何と言う好待遇。
同僚はむちむちの美女。戦闘機の声はキュンキュン萌声。
ムクさんグッジョブ!
俺がそう心の中で、8割くらいにしぼませたマッチョに親指を立てたポーズを送ったところで、急にコックピット内の計器カラ―が一斉に赤になった。
直後黒字にライトグリーンの数字が並び始める。
耳と心をざわめかせる警戒音はコックピット内だけではなく、格納庫全体で鳴り響いているようだった。
「な、何だ!」
「保安部管制塔から通信。つなぎます」
さっきよりも硬いセレナの声にこたえるように、目の前にある透明の部分の左下にモニターが現れた。
「ムクさん! 何事!?」
「すまんな。まさかと言うかなんというか、ヒイラギの運が悪いというか」
ムクさんは相変わらずの飄々とした口調でそう言ってから
「出動指令が出た。ファイヤーファイター1、2発進準備」
と続ける。
「は!?」
「了解。ファイヤーファイター2 セレナ、オールグリーン」
「了解。ファイヤーファイター1 ルビー、オールグリーン」
勝手に計器類は動きだし、触っても居ない操縦桿がゆっくりと前に倒されていく。小さな振動を伴って戦闘機は動きだしたっぽかった。目の前の光景が変わっていく。正面に同じようにゆっくりと進行し角度を変えていく赤い機体が見える。格納庫の真ん中に描かれたラインの上に二つの機体が並んだ。入れ違うようにラインの両サイドには何か大きな透明の壁が降りていく。
コックピットではもう一つモニターが開いていた。
「ヒイラギ! 何と出動よ! 出動!」
興奮に頬を染めて鼻の穴を大きくしたダリアがモニターに映る。
「き、聞いてない。何なんだ!」
「大丈夫。全自動だから!」
セレナとムクさんの声がきれいに重なった。
格納庫の後部が大きく開け放たれ、その奥には映画でしか見たことのない宇宙空間が広がった。
やけに奥行きがありすぎて、若干気持ち悪い。
「シートベルトを締めて下さい」
セレナの声に慌てて肩のあたりに手をやったところで、目の前にあった赤い機体が一気に加速して飛び出していくのがみえた。一瞬のうちに小さな点になる。
「い、いやだー」
俺の声は、加速によってかかったGによって、カエルがつぶれたと評されるような声になって俺の鼓膜を揺らしていた。




