【6】騙しやがって、ありがとうございます。
食堂とやらについたとたん、俺は自分の顔辺りにあるムクさんの襟もとに縋りついた。気分としては胸倉を掴んだ感じだったんだが、体格差と言うものはこういうときだって非情だ。
俺だって日本人男性としてはごく普通の体型だと思うんだが。
「騙したな」
「何を?」
ムクさんはきょとんとした表情で俺を見下ろす。
まあ、確かに騙したとか騙されたとかの問題ではないのだろう。
彼はきっと事実しか告げていないだけだ。そう、たとえこの広い空間を埋め尽くす人々が、誰ひとり
「他の色なんて着てねえじゃんか」
「このグレーが好きな人が多いんだよ」
違う、絶対違う。これはもう「他の色を着るなんて空気の読めない人ね」みたいなノリだ。
事実目の前を通過した、ピンク色の髪を美しく結い上げたかわいらしい子も、俺を見るなり、ほら、あんな風に目をそらすじゃないか。
「騙したな」
「だから、何を?」
全く意に介していないムクさんは、俺の葛藤など無視して階段を下りていく。
食堂はホールのようになっていて、入口からゆるいカーブを描く階段を下りていくと、テーブルのある場所に辿りつくようになっていた。
辺りを見回すと階段の脇の壁にはいくつもの小さな箱のようなものが並んでおり、何人もの人がそこに立ち止まっては何かを取って降りていく。
きっと受け取ったものが食事なのだろう。正直腹は減っている。
たとえこのような辱めを受けても、俺は飯を食うぞ。
そんな決意のもと、俺はムクさんを追いかけて階段を下りて行った。
「開いているスペースに手を突っ込め」
ムクさんはそう言って、自ら箱の中に手を突っ込んだ。
直後手のひらに載るほどの箱と、ボトルに入った水を持った手が引き抜かれる。
ムクさんが手を引っ込めると、先ほどの箱は薄いガラスのような蓋が閉まり、黄色に点滅した。しばらく待っていると点滅が終わって、一度グリーンに光ってから蓋が消えた。
「なるほど。準備中の黄色にオッケーの緑ってことか。よし」
俺は先ほどのムクさんと同じように、箱に手を突っ込む。
とたん手のひらに何かが乗せられた。おそらく先ほどムクさんが持っていたセットと同じなのだが、ムクさんのでかい手だと片手で持てたものが、俺の手には少々余る。
仕方なく両手を突っ込んで件のセットを手中に収めた。
「で、これは……一体」
何処をどう見回してもグレーの集団。俺はムクさんを引きずるように壁際に陣取ると、やっとの思いで腰を下ろした。
そして手の中の物をまじまじと見つめて、先の一言を発したというわけだ。
ムクさんは俺の質問攻めにも、手の中のケースにも馴れた様子で意地悪く笑みを浮かべた。
「食事だよ。もちろん」
ムクさんの手にも俺の手にも握られているのは、デカめのスマホと同じくらいの、薄いプラスチックケースと、500ミリのペットボトルと同じくらいの大きさのボトルだ。
ケースを開けてみるとゼリービーンズみたいなちょっと透明がかったカラフルな粒が、1,2,3……10粒くらいと、ピンク色をしてざらついたシートが数枚、それに蜂蜜みたいな色をした液体が学校で使う水彩絵具のような形をしたチューブに収まったものが、きっちりとくぼみにおさまる形で収納されている。
ムクさんを見ると、カラフルな粒を手早く取り出し、一気に口に放り込んだ。そのまま水で流し込む。次いでチューブを取り出し、その細い部分を噛み切って口にくわえている。
「……サプリ?」
なんだか嫌な予感がする。
未来だから、未来だからこんなこともあるかもしれない。
栄養はサプリで管理。カロリーだって素敵サプリで調整できて。
「必要な栄養素をバランスよく窃取できるぞ」
「い、嫌だ。……心底嫌だ。……今すぐ家に帰りたい」
「……何だ、チキュウには違うものがあるのか?」
「違うものって……」
ムクさんのきょとんとした顔を見ると、じわじわと絶望感が身体を埋め尽くす。
少なくともムクさんは生まれてから今まで、ずっとこの食事と言うことなのだろう。そして、それはきっと多くの人が、同じような状況であるはずで。
「今、心底帰りたいと思ってるよ……この粒に栄養とカロリーが」
「カロリーはあまりないぞ。コレコレ」
ムクさんは行儀悪く口の動きだけでチューブを上下に動かした。
「……これ?」
俺はチューブを取り出して、上から下から眺めてみる。
どう見ても蜂蜜。ちょっと押してみたけどやっぱり蜂蜜。
「カロリーはこのチューブのやつで窃取するんだ」
「他のものは食べて無いのか?」
俺は一縷の望みをかけて聞いてみたが、ムクさんの答えは
「このケース以外の食事は知らないな」
と言うそっけないものだった。
「でもさ、でもさ……ムクさんもそうだけど、他の人も顎とんがってないよな。素敵な角度だよ。それって咀嚼してるってことだよね。顎使ってるよな」
「顎?」
ムクさんは一瞬目を丸くしたが、すぐに「ああ」と納得した様子で頷いた。
きっと他に何か食っているはずだ。
「これだな」
「これって……なに? 縁日のアレに似てるけど。あの、形にくりぬくと金くれるやつ」
「ガムだよ」
ムクさんはそう言ってケースから例のピンク色の板を取り出して口に入れる。その動きは確かに俺にもなじみのあるものだ。
「これって……板ガムなの?」
俺はしばらくの間茫然とケースを眺めていたが、ムクさんのケースがとっくに空になっているのを見て、仕方なくサプリとやらを口に入れた。もちろん味は無い。
水で流し込む。
「味覚とかってどうなってんの。甘いとかしょっぱいとか辛いとか感じてる?」
俺はチューブのどこを噛もうかと手の中でチューブをいじりながら聞いてみた。
こんな食事なら味覚は到底育たない。あの複雑な味覚システムもヴラドシステムとやらで補完できるというのだろうか。
「失礼な。感じてるさ。エネルギーチューブは甘いし、ガムはしょっぱいのと甘いのが一枚ずつ入ってる。何回かに一度は何と言うかコクのあるものが配られる」
「コクのある……ガム、ね」
いつだったが製菓メーカーが希望通りの味のガムを作る規格なんてのがあって、スルメ味だかのガムが作られたと聞いた時は食べてみたいとも思ったが、こうして唯一の味として提示されると途端に俺の冒険心は引きこもりになる。
「あ、ほんとだ。甘い……っていうか、やっぱり蜂蜜じゃん。蜂蜜」
祖母の家にはこういう蜂蜜が置いてあった。一回分ごとのチューブで、これが何本か透明の筒型ケースに入って売ってるのだ。子供の頃これをおやつ代わりにしていたことをしみじみ思いだす。
「でもさ、こういう食事なら部屋で、それこそ画面から取り出せるんじゃないの」
俺は意外と美味いエネルギーチューブとやらを熱心に吸いながら、ムクさんに聞いてみた。
もし、部屋で食事がとれるならこのグレー集団の中に、真っ青の男が入り込む必要は無かったんじゃないだろうか。
「ああ。その通りだ」
「じゃあ、なんで」
顔を上げるとにやにやと笑うムクさんと目が合う。
そうだ、わかってて連れてきたにきまってる。きっと何もかも都合よく、この男の思い通りになっているのではないだろうか。俺は思わず立ち上がりかけた
「あ、あんた、騙しやがって! 俺が、こん……な?」
「お、真っ青のスーツ。はじめて見た!」
俺が言葉を切ったのにはわけがある。にやにやと笑うムクさんの頭の上に、突然耳ができたからだ。それも某王国の主のような丸い二つの耳が。それも何だか柔らかそうな、肌色の。
その幸せな何かの上からは、かわいらしい声が聞こえる。
「この声は……ああ、ダリアだな。ヒイラギと同じく戦闘機乗りのダリアだ。今は戦闘機乗りは二人しかいないから、唯一の同僚だな」
ダリアは輝く金色の髪を高いところでひとまとめにし、その光の波は、前のチャックを大胆に開けた胸の谷間に幾筋かが吸い込まれていた。
ムクさんの頭の上に乗せられた二つのふくらみの間だ。
ムクさんと言えば、まったくそれに反応せずに飄々とした様子でボトルのキャップを開けている。
「ヒイラギっていうの? よろしく。戦闘機乗りって船に一人が相場だから、同僚がいなくてちょっと残念だったんだ。嬉しいよ」
にっこりと笑うダリアは、大きな瞳を笑みの形に変えた。化粧をしているわけではなさそうなのに、密度の濃いまつげと、僅かに下がった目じりがとても愛くるしい。それに何より、その下には素敵なラインが待ち構えているのだ。
「騙しやがって?」
ムクさんは俺の方を見て小さく笑う。
「ありがとうございます」
そう言うしかないじゃないか。