【4】宇宙船ハローワーク
異世界トリップがはやり出したのはいつごろだろうか。多くの話は現代日本ではぱっとしない主人公が、中世っぽいファンタジー世界にアクシデントやらなんやらで飛ばされてしまい、現代の知識を用いることでその世界で重宝されたり、ゲーム世界に行ってしまったがレベルやスキルが反則級に整えられていて、苦労も無く勇者だとかそんな扱いを受けたりする物語だ。
話にはたいてい美男美女が出てきて、ぱっとしない主人公に群がるというハーレム設定がつきものだった。
フィクションだとはわかっていても、うまくいかない現代日本での生活を飛び出す話は、その物語にどっぷりとはまっている間は甘美な夢の世界と同義だった。
大抵の主人公はとても情けないスペックの持ち主で、自分と重ね合わせることも容易だし。
何一つ成し遂げられず、何物にもなれなかった自分にも、もう一度のチャンスがあるような気すら抱かせてくれる。
何度も言うがフィクションだ。
そんなことは承知の上で、そんな世界に行けたらな、なんて思いながら日々を過ごすことを誰も咎めたりはしないだろう。
俺は都内の北側にすむ23歳の男で、大学を中退して本屋でアルバイトをしていた。アルバイト先はライトノベルの聖地、池袋。ちなみに店舗は秋葉原にもあるので月に何回かは秋葉原にも顔を出すような生活をしていた。
オタクと言うには知識は足りない、それでもライトノベルは大好きだ。
趣味が高じて、インターネット上の無料投稿サイトに、異世界トリップ小説を書いてみたりもしている。そんな、取り立てて何というわけでもない一般人。
資料と言いながら、空想の中のファンタジー世界で披露するために簡単な経済書を読んだり、最近は政治の話も真面目に聞くようになった。どれもトリップ先で必要だからだ。
だから。
万が一。万が一。
異世界トリップするとしても、俺ならばチートができる。
そんな空想をしては鼻の穴をふくらませたっていいだろう。
それが、現実はこれだ。
異世界トリップ。できるか否かと言う一番の関門は突破したと言ってよいのだろう。俺は確かに「何か」を超えて違う世界に来たのだ。
それが、意にそぐわぬ……未来、だとしても。
俺は2016年の3月から、いつともわからぬ未来の、しかも宇宙船の中に「飛んで」来たことになる。
「……空間移動はマザーボートの研究テーマで、キャッチボールと言うシステムを使えば物体を空間移動させられると言う話だが、時空移動は成功例を聞いたことが無い。そもそも宇宙船に長く乗っていると有効銀河の端と端とでは時間にずれが生じ、一方の端では時間計算が合ったとしても、もう一方の端とは数年単位での体感時間差が出るというが……これもまた一般人の移動できる距離ではないので、どうにも夢ものがたりだな」
「そりゃそうでしょうよ。体験した俺だって夢かと思うもん。そもそもトリップなんて普通はしないから」
「だが、ヒイラギの国にはその概念があるのだろう?」
「ありますよ。でもそれはあくまで「フィクション」の中での話だよ。荒唐無稽であるとわかっていて、科学的根拠とは無関係に、想像力で綴った世界。そんな中の物語で、現実にはなりえない」
ムクさんは首をかしげた。
「フィクションでストーリー? よくわからないが、ヒイラギはなんだか不思議な出来事が起きて、急に倉庫に現れたってことでいいのか。そしてヒイラギの住んでいたところでは、こういったシステムやポイントは存在していなかった」
ムクさんは扉やタブレットを指し示しながらそう言う。
「タブレットはあったよ。そんなに薄くて軽くは無かったけど」
「なるほど。ヒイラギの言うことが、少なくともヒイラギにとっての事実だとして」
ムクさんがそう前置く。たしかにそれが一番正確な表現なのだろう。俺は小さく頷いた。
「ヒイラギは過去から、何か不思議な力で未来にあるこの船の倉庫に移動した」
「そう、だと思うんだけど」
ムクさんは、ちょっと眉間のあたりにしわを寄せて、顎を触りながら何かをぶつぶつと口の中で転がす。
「……あの変な服は、過去の服。出生登録番号が無いのは、その制度よりも前の人間だから。ヴラドシステムも番号制とほぼ同時に導入されたと聞いたし……つじつまはあってるんだよな」
「信じてもらえないんじゃないかなって覚悟はあるよ。なので、できればここで生活できるようにしたいんだけど。ムクさん悪い人じゃなさそうだし」
先ほど自分に対してもらった評価をそのまま返す。
ムクさんはちょっと笑ってから頷いた。
「そうだな。まあ、あまり悲観的にはならないでくれ。ノーデータの人が存在しないわけじゃないんだ」
それは朗報だ。
「もちろん、何らかの事情がある人が出生登録していないってことになるから、手続きとか調査とかは必要だけど……犯罪歴が無くて身元保証人がいれば後からでも番号はとれるし、システムも利用できるようになる。そのためにはまず、生活歴を作らないといけないんだ」
「生活歴?」
「生活実体って言った方がいいかな。仕事をして報酬を受けて平穏に生活をしているってことを、役所に証明するための客観的な事実とかそういうことだ」
この世界は意外と親切なようだ。国籍とかそれに類するデータが無くとも、真面目に生活する人間ならば受け入れてくれるらしい。
真面目さには自信がある。
「ってことは……何か、仕事はあるかな。俺にできそうなもので」
とは言っても、基本的知識にかける俺ができる仕事は限られているだろう。
「その、清掃とか、さ」
身体を動かすことなら、なんとかなるのではないか。そう思って口にした職種は、ムクさんが「まさか」と言って一笑した。
「清掃はエリート職だ。ヒイラギのところでは違うのか」
「え? そうなの? 俺のところでは……販売とか清掃は、老若男女が就ける幅広い職種ではあったよ」
ムクさんは意外そうに眼を丸くする。
意外なのはこちらも同じなのだが、思わず苦笑を返してしまった。
ムクさんと目が合うと、ムクさんも苦笑を浮かべる。
「販売は、こちらでも最初の仕事として割り振られることの多い職種だ。だが、船内の販売職種に空きは無い。今空いていて、ヒイラギができそうなのは……あ、これなんかどうだ」
ムクさんは嬉しげにそう言うと、タブレットを俺に渡す。
受け取ったタブレットは、今度は画面が消えることも無く俺の手におさまった。画面には奇麗なグリーンの線で、特徴的な形が描き出されていた。
「……なにこれ」
「戦闘機乗りだよ」
「は!?」
思わずムクさんを見た。何を言っているのだろう。戦闘機。よりによって戦闘機。飛行機なんて年に一回のりゃいい方の俺に、よりによって戦闘機。
「全自動だから座ってればいいんだ」
「全……自動?」
「そう。ちょっと疲れるけど」
「……それって、もしかして」
生体エネルギーを使ったヴラドシステム。それって、どの程度の大きさまで動かせるのだろうか。嫌な予感に、俺の背中には冷たい汗が伝わり落ちた気がした。
「座って、エネルギーを供給するだけだ」
ムクさんは朗らかにそういい「簡単だろ」と笑う。
確かに、確かに座ってるだけってのは魅力的かもしれない。何も出来ないのだ。仕方ないのだ。
俺は静かに「エネルギー」になる覚悟を決めた。