【42】サヨナラのじかん
タイムリミットは刻一刻と近づいていた。
俺たちは無言のままにガム採り作業を続けている。リオンやダリアは操縦席で半強制的に眠らされているようだが、俺が思い描いた時間がとまるみたいなスリープモードは搭載されていないらしい。
つまるところ、最初に提示された時間内にきれいにしてやらないと、特にリオンの体力値がやばい。
俺はムクさんに教えてもらった通りに、自分の顔を覆う部分に画面を開いて作業をしている。そこには付着物質がグリーンに彩色された戦闘機の図が浮かんでいた。あと少しで終わる。
だが、それと同時にタイムリミットまで、あと数分しかないことも記されている。
「ヒイラギ。このペースだと間に合わないわ。リオンの体力値も思ったより回復していないし」
「わかってる! 後少しだから。もう少しだから」
俺はがむしゃらに機体を磨く。
大きなものはとり終わったのだ。後は機体についた小さな粒子まで洗い流せば良いだけ。それでもタイムリミットには間に合わない。
セレナも口を引き結んで作業をしていた。中の状況は俺よりも良くわかっているのだろう。
「なので、とりあえずはリオン機の作業を完成させましょう。ダリア機はその後数分の猶予があるわ」
通信が届いていたのだろう、俺が返答もせずに必死に機体にブラシをかけていると、ムクさんが近寄ってきて作業をし始めた。あちらはジャスパー一人で作業をしている。
無言で頷きあって、俺たちは作業を分担した。
「タイムリミットになった時と、付着物の全除去が終わったら教えてくれ」
ムクさんの指示を俺は復唱するようにして、コハクに伝えた。コハクの了承をムクさんにも伝える。
そして、永遠にも一瞬にも思える十数分が過ぎるころ
「タイムリミットまで1分12秒。でも、オールクリーンを確認」
コハクがそう告げる。
「よし、セレナ、すぐに飛ばしてくれ!」
「わかった」
俺の叫ぶような声に、セレナは力強く頷いた。これまでじっと黙っていた彼女の顔に、初めてほころぶような笑みがこぼれる。
「ヒイラギ! 助けてくれて、ありがとう」
そう言って、セレナの身体から力が抜けた。倒れこむ彼女を何とか受け止めたのと、セレナ機のライトが点灯したのは同時だった。すぐに移動が開始される。
「ヒイラギ。ぼうっとしてる暇はないぞ。すぐにダリアの方をやらないと」
俺がセレナ機がバックして滑走ポイントに向かっているのを見つめていると、ムクさんのどなり声が聞こえてきた。ムクさんも焦っているのだ。
「でも、セレナが」
「モジュールだろ。必要なら移動ポッドに詰め込んでおけ!」
俺はあたふたとセレナを抱えて、ポッドに移動しセレナを中へ押し込んだ。
「よ、よし」
次はダリアだ。
見れば既に二人、いや、一人と一機があらかたの作業を終えており、最後の洗浄に入っているようだった。
「後は最後部のところだけだ!」
ムクさんが俺を指差してそう言った。ホースを持って赤い機体に取りつき、洗浄液をぶちまけながら洗っていく。
「コハク!」
「後ちょっとよ。フライトの準備に入った方がよさそうね」
こっちも何とか間に合いそうだ。ダリアがコックピット内で起きたと言うことも聞き、安堵に涙が出そうになる。
近くにジャスパーがやってきて、これまたきれいな笑みを見せた。
「次は、中で会いましょ」
「ああ。ダリアをよろしく頼む」
ジャスパーは僅かに天を仰ぎみた。
「そうね。あの小生意気なライオン娘でもパイロットはパイロットよね。仲良くできるかは分からないけど、連れて帰るわ」
「何よ!」
聞いていたのか、ダリアの声が聞こえた。
「ライオン娘って誰のことよ!」
「あんたしか居ないでしょ。人のことも勝手にあだ名で呼ぶんだから、当然よ当然!」
「そ、それは……」
俺はその会話を聞きながらも最後の洗浄を続けていた。今はそれどころじゃないと思いつつも、二人の会話で心に余裕ができたのも確かだ。
「二人とも、そろそろ終わるからな! ジャスパーは余裕があるならポッドに戻ってくれ」
ムクさんの号令で、ジャスパーはわざとらしく首をすくめてから、ぽんと床を蹴るように飛び上がった。機体の影で姿が見えなくなる。
「いいわよ。完了したわ」
コハクの号令に、真っ赤な機体にも炎がともる。美しい直線の軌道でジャスパー機が滑走スペースに移動した。マジマジと見たことは無かったが、セレナは上昇線を見せないまっすぐな飛び出しであるのに対し、ジャスパー機は飛び出すと同時に上昇をするような軌道を描く。これもまた戦闘機の個性なのか、それとも状況によって変わるのだろうか。
深い黒の中に二機を見送って、俺は満足感とも安堵ともつかない気持ちで宙を見つめていた。これで二人とも助かるんだ。
洗浄液はフライトで蒸発する。後は戦闘機が通常ルートで帰船出来ればいい。
「チェックがすんだわ。洗浄液の回収は99パーセント終了。付着物質オールオーケー。洗い流した付着物質はパッキングされて廃棄ポッドへ回収済み。洗浄液は排出済みよ」
「よかった。後はこのスペースの通常洗浄作業だな」
「通常洗浄?」
俺が首をかしげると、ムクさんはふと笑って滑走スペースを指差した。
「どうしたってああいうスペースは外気にさらされるだろ。だから使用後には自動洗浄がなされるんだよ。ここも一度は外と同じ空気に充たされたからな、通常の洗浄作業は必要ってわけだ」
「なるほどね」
いろいろと考えられている。
「とりあえず、戻るぞ」
「うん」
ムクさんがポッドへ戻って行く。俺は今一度外を見てから、ムクさんの背を追おうとした。
その時だった。
「え?」
違和感としか言いようがなかった。熱くもないし、堪えられないほどの痛みに襲われたわけでもない。
ただ、衝撃はあった。
小さい拳の一撃とでも言えばいいか。それでも内臓をも叩かれたような衝撃があって、思わず喉から息が漏れたくらいだ。
何があったのかと、自分の腹の辺りを見下ろすが、取り立てておかしな部分はなにも無い。
手で問題の腹の辺りを押さえて見ても、グローブには何の色もつかない。
ただ、生ぬるい感触だけが腹から腰、そして足を濡らしていく。
「え、えと?」
揺れる視界の先で、ムクさんがこちらを振り返るのがわかった。だが、それまでだった。
吐きたくもないのに、何かがせり上がってきている。「ムクさん」と声に出そうとしたが、俺の喉から絞り出されたのは、おかしな水音だけだった。
急に力が入らなくなって、視界がぐるりと回った。




