【3】ヒイラギって俺の名ですかね
「……? そうか。……じゃあ、続けるぞ。伝染系既往症、染色体異常なし、滅菌済み」
泣きたくなってきた。滅菌済みって何よ。ヨーグルトだって滅菌されたら困っちゃうのに、人間は菌だらけなんじゃ無かったっけ。それを工場規格品みたいに。滅菌済みとか言っちゃってさ。そろそろアレでしょ、検針済とか言い出すんだろ。
布団じゃねえんだぞ。
「そんなかんじだ」
「とたんに端折ったな」
「聞いてなさそうだから、良いかと思って」
ムクさんは几帳面な雰囲気と話し方をしていたわりに、あっさりと手続きを飛ばしてタブレットでひらひらと顔の辺りをあおいだ。ますます下敷きっぽい。
「じゃあ、最後に名前と年齢を教えてくれ」
俺は一度ゆっくりと息を吐いた。
ムクさんもこちらを見る。
「柊野礼司。23歳だ」
「ヒラギノ……」
ちょっと珍しい名字だからだろう、ムクさんはタブレットの上で指を惑わせていた。
「ええと、ヒイラギに、野原の野に……」
「ああ、わかった」
ムクさんは合点がいったという表情で、操作を続けている。やがてポンという軽い音がして、画面の中央に丸い球体が浮かび上がった。
ムクさんはその円に手を伸ばし、まるで画面の中にその球体があるかのように指を折り曲げ、そしてとうとう。
「うわっ……それはすげえ。画面から物って取り出せんのか……!?」
画面から取り出した、ちょっと大きめのガシャポンの玉のようなものは、ムクさんの手から俺の手に渡された。
つるりとした球体で、つなぎ目は無い。
半透明の球体の中には何かが入っているようだったが、どうやって取り出したら良いのだろう。
「ひねれば良い」
ムクさんは俺の困惑をすくいとってそう言った。いわれた通り、ねじるような動作をすると、不思議なその玉はあっという間に分けのわからない動きをして消え去った。
手の中には銀色の板と鎖が残される。どう見てもブレスレットのようだった。
「何処でも良いが、とりあえず身に付けていてくれ。身につけている間はゲストとしてヴラドシステムが動くようになっている。詳しい事情は一番近くの港で聞くよ。とりあえずは、ようこそ「テラ」へ」
ムクさんは今まで観たどの表情よりも柔らかく笑みを浮かべた。
彼がマッチョメンな事にこれほどがっかりした事は、一生言わないでおこうと思う。
「この部屋はゲストルームなんだ。次の寄港地まではあと……600時間くらいある。1時間あたりの乗船料は一番小さな部屋の使用料込みで5ポイントだ。発見されてから既に5時間23分経っているから3,025ポイントを寄港地で支払ってもらう事になる」
「ちなみに支払えない場合は?」
「港湾警察にいく事になるな。ポイント、持ってないのか?」
俺はブレスレットをはめながら頷いた。
ポイントとは金の事だろう。もちろんなんにも持ってない。そういや異世界トリップした人たちって、結構ラッキーな事にあっという間に衣食住を安定させてたよな。俺にもそのシチュエーションが欲しいぜ。
このままだと俺は600時間後には犯罪者だ。
「そういや、ヒイラギはどうやってここへ現れたんだ。出生登録番号が無いってのも聞いた事が無い。「チキュウ」も太陽系なら条約の枠内だからシステムとかは同じはずなんだが」
「ヒイラギって……まあ、良いけど。普通さ、最初にそれ聞かない? 身長とか体重よりも大切だよね」
「そうでもないぞ。身長や体重が規格外だと、船のバランスにも関わるからな。外見は太陽系ホモサピエンス型でも密度の違うティシャール系惑星住民もいるしな。まあ、運んだ限りホモサピエンスだとは思ったけど」
自分の分類で「ホモサピエンス」という言葉を使われるのは、結構新鮮だった。その一方でティシャール系惑星住民とやらの密度ってのも気になる。話の感じからすると、外見よりも重たいって事なのだろうけど。
そういえば、飛行機に力士が乗るときには座席を指定されるって聞いた事がある。離着陸の時だけの問題らしいが、本当だろうか。
「で、まずはどうやって乗り込んだんだ? そういえばヴラドシステムが反応しないなら搭乗ゲートも開かないはずなんだが」
「……まあ、信じてはもらえないと思いますけどね」
俺はそういって、一度正面にあるモニターをみた。
暗い画面には自分の顔が映っている。
どう見たって、普通の日本人男性の顔だ。
「実は、日本……いや、俺の周りには「異世界トリップ」って言う概念がありましてね」
俺は事の説明をそんな台詞から始める事にした。