【35】悪者はさようなら
「体調不良って……」
俺のつぶやきに、ムクさんはスライスをじっと眺めてから答えをくれた。
「アイリスもリオンも頭痛と吐き気。リオンに至っては腹痛もセットらしい。原因は?」
ムクさんは俺が原因を知っているのを前提に、そんな問い方をしてくるのだろう。
ここでコーヒーを飲んだと言えば、俺だけじゃなくリオンやアイリスの立場も悪くなるのではないだろうか。ただでさえ、二人には「逮捕」なんていう指令が出ているらしいし。
俺が答えに窮していると、ムクさんが俺の名を呼んだ。
「原因がわからないと、適切な処置ができないんだが」
「……コーヒー。コーヒー飲んだからだろ。ムクさんが言ってたカフェインのせいだよ」
治療を持ち出されたら言わないわけにはいかない。俺がムクさんから視線を逸らしたままそう言うと、ムクさんかは「やはりな」と言ってため息をつく。
「リオンとアイリスには点滴が投与されており、ここから数時間は水分の適量摂取が指導される。まあ、大事には至らないさ」
その口ぶりにカチンときた。
「誘導尋問じゃん。人の体調をネタにするのは悪趣味じゃね?」
「状況からカフェイン摂取を疑うのは当然だろう。だが、100パーセントの確信があったわけじゃない。柊への確認は必要事項だよ。適切な治療のための」
俺が強く言っても、ムクさんにはなんの効果もないようだった。相変わらずの飄々とした仕草と声音でそんな風に返される。
「アイリスとリオンはどうなるんだ?」
俺はムクさんと言い争うのを諦めて、そう言った。
逮捕ってどういうことなのだろうか。
「特にどうにも。だが、もう会えはしないだろう」
「会えない? 逮捕されても面会とかって出来るんじゃないの?」
急に雲行きが怪しくなってきた。会えないって言うのはどういうことだ。
「二人がこういったことで罰則を受けるのは初めてじゃない。それにそもそも二人とも異端視されていたからな。スーツの色も変わってた」
「スーツは好きな色で良いって言ったじゃんか。俺だって真っ青だぞ」
俺は目の覚める青い生地をつまみ上げてそう言った。
「好きな色で良いさ。だが、普通の人はこのグレーを選ぶ。それ以外を選んだ時点で変わってると思わないか」
ムクさんは当たり前のことを当たり前のように口に出している、そんな表情だ。
「アイリスはグリーンのスーツを着ていたし、リオンも濃いグレーのスーツを好んでいた。ヒイラギはまあ、事故でそうなったと言えなくもない」
「だけど!」
「とにかく、だ。アイリスとリオンは強制スリープ処分を受ける」
俺は思わずムクさんを見あげて口をポカンと開けてしまった。
「強制、スリープ?」
「ああ。このままスリープ機に入れて船外に放出する。放出機は次の循環船が回収することになる。次の循環船の航行予定は144日後だ」
放出ってなんだ。みんな命を大事にするんじゃなかったのか。
放出されたらどうなるんだ。
「次の循環船の目的地は、ここから反対方向に300日ほどのベグラット星だからな」
「放出されても、安全なのか」
「安全だぞ。アンカーも付けるし。手術後の融合もその間に十分済むだろう」
「は?」
またしても不穏な単語が飛び出してきた。
手術って。
俺の表情から何かを読み取ったのだろう。ムクさんはことさら優しげに口を開く。
「……チップを埋め込むだけだ。ヒイラギ、二人は常習犯なんだ。歴史をひも解いて過去の過ちに魅入られたのも、実行しようとしたのも今回が初めてじゃない。だから二人にはそう言ったことをやめるよう、治療が必要なんだよ」
ムクさんは笑ってそう言うが、俺にはその笑顔がやけに恐ろしく見えていた。
たかがコーヒーだ。それに過去を知ったからって、それに心惹かれたからって、何をするって?
俺は何度か口を開きかけたが、それ以上の言葉が出てこなかった。
チップを埋め込む。
それは、チップでもってリオンやアイリスの大事にしていた、あれほどまでに熱心に追い求めていたものを強制的に奪うことじゃないのか。
その追い求めていたものは歴史だ。過去の自分たちの記録を知られることがどうしてそんなに恐ろしいのか。たとえそれがどんなに血塗られた、愚かな歴史であっても、知ることすら出来ないなんて言うのは。
「俺には……全然理解出来ない」
「ヒイラギ?」
「俺には、理解なんて出来ない。禁止されているから考えるな? そんなこと出来るもんか。俺の国にはさ、心の中は自由だっていう法律があったよ。この世界は整っていて清潔で、きっと俺の居たところより何倍も何千倍も快適で安全なんだろうけど」
何を言いたいのか自分でもわからなかった。
「でも、この世界は生きにくいよ」
支離滅裂な言葉を、ムクさんはじっと受け止めていた。
受け止めてなお、小さく首を振る。
「ヒイラギの言っていることこそ、俺にはわからん」
その時、ピピと小さな音が鳴った。
「時間だ。ヒイラギは初犯になるから、これから会議での申し開きが許される。その場での回答如何では、リオンたちと同じ措置がとられることも考えられる。俺に、意見を言うのは構わんが、会議では自分のこれからも考えろ。リオンたちは、人口減少の危険を冒した犯罪者とされているんだ。擁護した結果がどうなるのかは、俺には想像がつく」
ムクさんの言いたいことはわかる。そして、ムクさんが仕事とは別に俺を心配してくれているような気配も感じる。
「なあ、ムクさん。ムクさんはさどう思ってるの」
俺はゆっくりと立ち上がって、ムクさんの顔を見つめた。
「どうって……?」
「リオンとは少なくとも、同僚? 先輩? ちょっと丁寧な言葉遣いしてたよな」
ムクさんはふっと笑みをこぼした。
「リオンは俺の2つ年下だがたたき上げのパイロットでな。保安部歴では3年先輩に当たる」
「そっか。それじゃあさ」
俺はわざとムクさんを睨みつけるようにして口を開いた。
「ムクさんは、ムクさんの心はさ、数とかそういうの一切無視して、リオンを助けたいとは思わないの? チップってやつを埋め込まれて、今まで熱心に調べていたものをとりあげられたリオンでいいの? ムクさんだって」
俺は確信を持って、一度言葉を切った。
親しいならば、そして過去を知っていたならば。
「リオンのやってること、知ってたんじゃないの?」




