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【32】俺、未来で喫茶店に挑戦します! ③


 まずは豆を煎らなくてはならない。

 セレナの言う通りならば、豆を水分をいれずに火にかけてカラカラにすれば良いのだろう。幸い、素材が何だかはわからないが、コップをはじめとする容器類は直火OKの耐熱素材らしい。


 俺は受け取った豆の半分くらいをコップに移し替えてみた。

 コップは300ミリリットルは入りそうなやや大きめのものだが、その半分くらいを豆が埋め尽くす。

 これを外側から熱しても、煎った、と言うことにはなるのだろうか。もう少し、もう少し平べったい容れ物は無いだろうか。


 俺は辺りを見渡してみた。

 ゴミとしか思えないあれこれの山。特に衣類が多いようだ。

 サプリの入っているプラスチックのケースも、どう見たって容量不足だ。

 そうしているうちに、一つだけ目にとまったものがあった。



「あ、博士。あれは何ですか?」



 ベッドの上に放置されていたのは、見た目はプラスチックの半球体だ。俺の想像通りなら、あれはキッチンにあるべきものはず。

 それの近くに座っていたリオンが手を伸ばし、透明の物体を手にとった。

 角度を変えるとさらに予感が確信に変わる。

 どう見たってボウルだ。キッチン用品のボウル。

 だが、この世界にキッチンは無いだろうことは想像に難くない。と言うより、もちろんないんだろって気持ちに満ちあふれているのが、俺の心を正しく表現した状態だ。



「ああ、それはC1009を受け取った時の器だ。ええと……ほら」



 アイリスは辺りをごそごそと掻きわけて、同じものをもう一つ探しだした。

 両方を組み合わせれば確かに。



「でかいガチャポンの玉みたいだな……中はきれいみたいだけど」



 どう? とセレナに手渡してみた。

 セレナは球体を受け取って角度を変えてみたり、指をはわせてみたりしていたが



「大丈夫です。危険な物質の含有も付着もありません」



 とにっこり笑って宣言する。


 と言うことは、だ。これで豆を煎って、砕いて、お湯を注いでろ過する。これでいいはずだ。

 アイリスに聞けば、彼女の私物でよければ漏斗はあるらしい。

 俺は加熱機の焦げた皿の部分に針金のようなものを置いた。力を入れれば丁度皿の淵をなぞるような形になっているらしく、そのように置けばまるで電気コンロだ。


 どう見てもプラスチックにしかみえない半球をその上に置く。



「……溶けないよね」


「溶けるわけがないだろう。たかが数百度で溶ける容器なんて聞いたことがない」



 リオンもアイリスもそう言って鼻で笑うが、俺にしてみればガチャポンのケースを熱源の上に直置きなんだ、おののいても仕方ないだろう。

 セレナを見ると、当然と言った様子で頷くので、俺は意を決してふたを閉めてスイッチを入れた。


 とりあえず熱する。ケースの外から見ていても、しばらくは何の変化もない。

 スイッチを止めて冷まし、中身をかき混ぜてさらに過熱。

 これを繰り返した。何度も繰り返すと、やがてあのコーヒー独特の香りが出てくる。



「俺、特にコーヒー好きじゃないけど……飲めないってなると、なんか、こう……感慨深いものが」



 何度目かのかき混ぜ作業中、柄にもなくじんと来た。

 においのない生活は、思ったより俺の心を荒ませていたらしい。人は結構いろんな香りに包まれて生きているものなんだ。

 リオンとアイリスは何度も何度もコーヒーの香りをかいでいた。



「これが、カッフ……いや、コーヒーとやらのにおい」



 色も見た目も俺の知っているコーヒー豆になったところで、俺は容器ごと豆を取り出す。そして、コップの底の部分を使ってゴリゴリと押しつぶしてみた。


 これが結構硬い。とりあえず二つの容器に分けて、リオンと俺で手分けして豆を砕く作業を進めた。

 リオンはそのたくましい腕にものを言わせどんどんと豆を砕いていく。

 リオンの功績八割くらいではあるがなんとか、粗引きのコーヒー豆のようなものができ上がった。

 既に俺の額には汗が浮いていた。



「よ、よし……湯を、湯をもてい……」



 いい加減疲れた。コーヒーってこんなにすごい飲み物だったんだ。

 これからは冬場の缶コーヒーだけじゃなく、一杯一杯、作ってくれる人に感謝の気持ちを込めて味わうよ。

 そう誓う。

 だってこんなに疲れるとは思わなかったんだ。


 俺はだるくなった腕をぶらぶらさせながら、湯が沸くのを待った。

 本当ならば熱湯を注ぐのだろう。だが、今日のところは仕方がない。中途半端な温度でも何とかなるだろう。

 アイリスが手慣れた動作で湯を沸かし、それを漏斗に入れたコーヒー豆の上から注ぐ。

 思ったより漏斗がでかかったので、湯はコーヒー豆の中を時間をかけて通過し、見たことのある色合いの液体が細い管を伝ってコップの中に溜まっていく。



 黒に近い琥珀色。透明感はあれどたまる液体は深い深い色合い。

 これがコーヒー色だ。


 あんな薄い茶色じゃない。


 あれだけ苦労したにも関わらず、理想の色の液体はコップ一杯くらいしか作ることができなかった。俺はそれを四等分して手渡す。



「煎って砕いて抽出するって意味ではあってるはずだ。だけど……期待はするなよ」



 引き気味のリオンに、興味津津のアイリス、何を思っているのかわからないセレナと、期待と恐怖の入り混じった俺。その手には、コーヒー色の液体。

 リオンがまじまじと液体を見ながら、眉を寄せる。



「飲み物には見えない。こんな……こんな廃液みたいな色」


「失礼な! コーヒーは素敵な飲み物なんだぞ。サラリーマンとか受験生とかに大人気なんだぞ」



 俺は自分を納得させるようそう言って、覚悟を決めて液体を口に含んだ。



「にが!」



 飲み込みはしたものの、何とも言えない苦さとえぐみが舌を刺激する。香りはあまりない。

 それでももう一口飲んでみる。



「にが!」



 苦いし、香りは無いし、微妙な温度だし。でも。

 飲んだ後には、舌の裏に独特の味が残った。風味とでもいうのだろうか。

 これは知っている。

 いつだったか背伸びをして飲んだコーヒーの、いつだったか楽しく笑いながら飲んだコーヒーの、いつだったか勝手な決断で親を困らせた日に飲んだコーヒーの、味もわからないままに飲んだコーヒーの、あの口に残る僅かな風味。



「あー……苦いな」



 俺はなんだかこみ上げるものを飲みこんでそう言った。

 もう帰れないのかもしれない。あの日常にも、あのつまらない空気の中にも。

 それがどういうことなのかを考えたくなくて、もう一口、コーヒーと呼ぶのもはばかられる液体を飲む。

 リオンたちは俺の心境など知らず、俺が何度も口にしたことで安心したのか、恐る恐る液体に口をつけたところだった。

 そして



「にがい!」



 そう、声がそろったところで、俺は思わず笑い出していた。




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