【27】悪魔
無いことの証明は出来ない。
誰が言ったのかは定かでは無いが、このことは男にとって、とても都合の良いことだった。
先人の築き上げた瑕疵だらけの歴史は、今となればごみくずのようなものだ。
文化とやらが何になる、芸術で腹がふくれるのか。
こんな簡単な事が理解できなかったとは、自分の祖先とは言え、彼らはとても愚かな動物であったと言えるだろう。
その愚かさがどれほどの命を奪っただろうか。どれほどの損失を産んだのだろうか。
正しき者としての働きは、正しき者こそが受け継いで行かなければならない。
男の目の前に広がる景色は、男の言うところの瑕疵の塊であった。
人を殺し、世界を壊した。
「これはもう、悪魔だろう」
男はそう言って笑う。
悪魔などという、過去の言葉を口に出すのは好ましく無いが、これらに今の言葉を当てはめるのはもっと好ましく無い。
名前を与えれば存在を与えることになりかねない。
名前がなければたとえ存在があったとしても、それまで。
誰も呼べなければ、ないことと同じだ。
男は悪魔の表面を撫でた。
それはざらりと皮膚を押し返し、金色の溝は美しい曲線を描いている。
色とりどり、形や大きさも区々なたくさんの過ちは、壁一面を美しく埋め尽くしていた。
「これはまた……圧巻だな。どのくらいあるんだ?」
今一人、扉から男が入ってきた。くせ毛の男だ。短身でありながら、鋭い眼光が彼の存在を強くする。
美しい足取りで女が続く。無言のまま積み上げられた悪魔を眺めて、唇を笑みの形にした。
「数など数えたくもありませんが、これまでに流れた年月程度はあるでしょうね。こんなものが世の中にあふれていたのかと思うと、無駄と過ちの多さに吐き気がします」
「……これは、全て、ゴミ、と言うことか」
「そうです。有害なゴミ。一度手にすれば汚染のおそれがある、有害なゴミ。本当ならば塵も残さず消し去りたいところです」
そう言ってこの部屋の主は、短身の男と、連れの女に席を勧めた。
テーブルの上にはコップが置かれ、理想的な分量で水が注がれる。
「それを保管するのが君の仕事と言うのも、皮肉なものだな。主任」
主任と呼ばれた男は、美しく整えられた黒髪を手のひらで撫でつけてから小さくほほ笑む。
「必要悪と言うものなのでしょう。常に過ちを前にすれば、二度目の間違いは防げるでしょう。現れた異質が進化であるのか、過去のゴミであるのかを判断するには……資料の一つも必要でしょうしね。このゴミ屑にもそういった意味での価値があるのかもしれません」
「なるほど。われらの付けた傷跡を、常に意識しろと言うことか」
「……。これが漏れ出ることは、世界に対する汚染が広がるのと同じ。僕は誰よりも臆病ですので、他の誰がこれを監視するよりも安心できますよ」
「大した自信だな」
「まさか! 言葉どおりですよ。僕は憶病なんです。この恐ろしいものが世の中に出るなんてことがあったら! またたくさんの命が失われるのでしょう。これのせいで心は惑い、これのせいで争いがおこり、これのせいで連邦銀河の認識し得る生命体は実に10%を割り込むまで減少させられたことすらあったじゃないですか。恐ろしくて恐ろしくて」
短身の男は低く笑った。
「なるほどね。それで、この恐ろしい品々の名前はなんて言うんだ」
三人の視線は、壁一面の埋め尽くす色も大きさもまちまちの物に移された。
「いろいろと呼び名はあったようですが、そうですね……悪魔でも良いですが……」
主任と呼ばれた男は立ち上がり、悪魔の一部を抜き出した。それをテーブルの上に置き、表面の一部を指差す。
「この部分。この部分がこれを表す語のようなのです」
男の指の部分をなぞるように三人の視線が動く。
ここにきて、女の美しい唇が弧を描き、そのまま薄く開かれた。
「パ、ピ、ル、ス……かしら」
「ええ。ですから、私はこれを「パピルス」と呼びたいところです」
主任は満足気にそう言った。




