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【19】『ありがとう』



 俺の部屋は区画の一番外側、区画以外の人間も使う公共通路に面している。

 ドアの外に特に遮蔽物は無く、ドアを開け放つ……というよりここのドアは消え去るので、出入りの際に部屋の中が丸見えになると言う特徴があるのだ。

 いわば、公道に面した塀のないアパートの一階部分。

 俺がドアを劇場俳優風に消し去ったその時も、公道には見知らぬ人がいたわけで。

 少々赤面しながら、俺は足早に自室の前の廊下を歩いてB区画へと向かっていた。



「あ、いたいた! ヒイラギ!」



 そんな俺に、明るい声とともに弾力のある柔らかくて温かい固まりが突進してきた。

 俺の腹の辺りに幸せなぬくもりを押しつけて、ダリアはにっこりと笑った。



「心配してたんだ。委員会に出頭するとか、リオンとムクに両脇ホールドで連れ去られるとか」



 言いながら、プッと吹き出すように笑いだす。

 心配と言う単語と表情が合ってない。



「あのな……」


「でもね」



 文句を言ってやろうと口を開きかけたが、それを遮るようにダリアは俺を見あげた。

 俺の腹にけしからん谷間を押しつけた状態で、さらにギュッと抱きつかれてしまうと、何と言うか嬉しいような居心地が悪いような。


 はっきりいって挙動不信。


 こういう時、女馴れしていない自分が恨めしい。



「でもね。ありがとう」



 ダリアはふっと身体を離した。

 そして数歩後ろに下がると、深々と頭を下げる。



「ありがとう。来てくれなかったら私は死んでた。そうでしょう?」



 顔を上げたダリアがやけに静かに微笑むので、俺は何と答えて良いのかわからずに喉を鳴らした。



「それが、普通だと思う。ヒイラギまでロストの可能性があるなら仕方ない。でもね」



 でもね、を繰り返しながらダリアは言葉を探しているようだった。



「来てくれてほっとしたというか、やっぱりロストって怖いとか、わかってるんだけど、わかってたんだけど、来てくれたとき涙が出そうだった。ありがとう。

 怪我、大丈夫?」


「あ、ああ。もう全然」



 言葉としてはおかしな感じだが、言わんとしたことは通じたらしく、ダリアは「良かった」とこの日一番の晴れやかな笑顔を見せた。



「明日は格納庫に来る?」


「行くつもりだよ。ムクさんが「一日休め」と言ってたってことは、明日は休むなってことでしょ」


「あはは。まあ、まだ本調子じゃないなら休んでも良いよ。その分私がヒイラギ機にチャージしてあげるよ。むしろ、そのくらいさせてほしいくらい」



 朗らかに笑いながらダリアは俺と同じ方向へと身体を向けた。一緒に歩こうという意思表示と捉えて良いのだろうか。

 思わずダリアを見ると、ダリアは小首を傾げて俺を見返す。





 ああ。かわいい。





 でも、ムクさんの妹なんだよな。


 ってことはムクさんを義兄さんなんて呼ぶ日が来るかもしれなくて。


 いや、ムクさんは良い人でイケメンだけど、なんか、こう、比べられたら困ると言うか。


 いや、それよりこんな妄想しても、ダリアとそうなるなんてことは全くわからなくて。


 いやいや、でも、自分を助けてくれた男だよ。二割増し、三割増しでイケメン補正がかかるんじゃ。


 そもそも転移のお決まりパターンだと、俺は日本ではジミメンだけど、この地味面が異世界では絶世の美男子に相当したりすると言う、不思議美的感覚だったりして。





 俺の思考はあっちこっちに寄り道しながら、ダリアの傍を離れない。





「あ、のさ。俺の顔って……その、へん?」













「へ?」


 ダリアの驚いた声に我に返った。

 なんという質問をしてしまったのだろう。

 いや、言い機会だ。聞いておいた方が良かったのだ。それがたとえ、空気も何も読まない突拍子もない発言だったとしても。

 ダリアは無邪気な笑顔を僅かに思案顔へとシフトさせてから、うーんと小さく唸った。

 顎のあたりに細い指をかけ、僅かに中空をにらむような表情を浮かべている。



「そんな真剣に考えなくてもい」


「普通」



 ダリアはまたも俺の言葉を遮って、ぱっと応えた。

 思案から一転、晴れやかな笑顔だ。






 あ、そうですか。

 ふつうですか。

 普通。





 俺は貼りつけていた笑みがポロリと崩れ落ちるのを、なんとかこらえた。

 普通で良かったじゃないか。目も当てられない不細工の可能性もあったのだ。



「ソウデスネ。俺もそう思います」


「うん? どうしたの?」


「いや……ははは」


「だって、目は二つだし、口は一つだし、鼻も大きくも小さくもないし、キバも」


「いやいやいや。キバってなによ、何の事? それに、そのレベルで普通ってことか」


「マジョリティを普通って言うなら、普通だよ」



 ダリアは当然と言う様子でそう答えた。

 そりゃ目は二つだし、口は一つだし、鼻はあってキバは無いよ。でもそうじゃない。



「一般的にイケメンかとか、ダリアの好みかとか……あ、いや」



 ダリアはまたも首をかしげた。



「イケメン? その言葉はよくわからないし、顔の好みって言われても、個体識別以外に顔を考えたことがないけど」



 出た。出たよ。このとんでもない特徴排斥。

 そういや人がどの顔や度の体型を好むかって、生存戦略的に必要な遺伝子を欲する動物の行動だとかなんとか、どっかの偉い人が言ってなかったか。

 だとしたら、人の顔を認識するのだって動物的本能のはず。好みがあってしかるべきなんじゃないか。

 こうやって特徴排斥なんてするのは、人間的な部分を失う行為なんじゃなかろうか。ねえ、応えてよ偉い人!


 俺は、自分が普通と言われたことが「異質」なのだという理由を必死にこねくり回した。


 




 が、次の瞬間




「ヒイラギのことが好きかって言われたら、好きだよ」




 俺の屁理屈は秒速で近くのゴミ箱に、自らダイブしていった。





「ありがとうございます!」



 そう言って頭を下げた俺を、またも近くの人がささっと避けるのが、視界に入る足の動きでわかる。

 わかってしまう。



 でも良いのだ。

 どうでもいいのだ。






 ありがとうございます!





 俺は体力が全回復した事を実感した。






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