【15】古文書
リオンの部屋は食堂へ向かう途中を船の中央に降りていく形で広がる、E区画と呼ばれる場所にあった。
壁と床の境目のいわば幅木部分が区画によって色分けされている。
自分にあてがわれた部屋はG区画、色分けでいうと青の区画だが、ここの色は黄色のようだ。
リオンはこの区画を取りまとめる地位にいるらしく、部屋は区画最奥に位置し、地図上ではほかの部屋よりも一回り大きく書かれていた。
俺は一つ溜息をついてから、リオンの部屋とされた部分の前に立った。
数秒待つと、ドアの枠が一度光る。どうやらこれがインターホンの役割を果たしているらしい。すぐにドアに小さな画面が現れ、そこにリオンが写り込んだ。
「入ってくれ」
リオンがそう言うのと同時に、ドアはもう一度光ってから消え去った。
「何度見ても馴れないな……」
思わずそうぼやくが、ぼやいてもドアが消えると言う非日常的なこちらの日常が変わってくれるわけではない。
もうひとつため息を落として、俺はリオンの部屋へと足を踏み入れた。
「見てほしいのはこれなんだ」
部屋に入るなり、中央のテーブルに手招きされた。手のひらで進められるがままに椅子に腰を下ろす。
コーヒーテーブルに広げられていたのは、懐かしい大学ノートだった。
ただし、やけにボロボロで、しかも何か透明なシートのようなもので一枚一枚ページがコーティングされている。
「これって……ノート? なに? 落書き?」
覗きこんでみると鉛筆だかシャープペンだかで書かれた文字が見える。決してきれいとは言えない筆跡で、たまごM1個とか、イチョウ切りとか書かれている。
「そう! 「のーと」だ。やはりこれを知ってるんだな。「かみ」でできた古い「ほん」のようなんだが」
リオンが急に顔を上げてこちらを見た。
心なしか顔が上気しているような。目が輝いているような。
ムクさんほどではないけれど、そこそこマッチョな男にそんな顔をされても嬉しくなんかないぞ。
俺は眉を寄せて首を振った。
「これは本じゃなくてノート。ノートって無いの?」
「ノートと呼ばれている記述用システムはスライス……ええと、この端末にも入っている」
そう言ってリオンが手に取ったのは、ムクさんが良く携帯しているタブレット端末だった。正式名称を知らなかったが、こちらでは「スライス」と呼ぶらしい。
「だが、「かみ」はもはや生産されていないし、現存する「かみ」は連合博物館所蔵の数冊の「ほん」や「のーと」「ぺーぱー」のみと言われている。オレも現物は見たことがない」
「現物って、これは?」
「レプリカの立体投影だ。触れないが中身を見たりすることはできる」
リオンの手がノートを撫でるように動いた。すると勝手にページがめくれる。
まるでマジックのようだが、どうやらまるで本物のようにテーブルの上に乗っているこのノートは、立体投影とやらで実体はこの場に無いらしい。
目を凝らしても、此処に実在するようにしか見えない。
「……すごいな……立体投影って」
「すごいのはそこじゃない。「のーと」だ」
リオンはそう言い切った。
「何年何十年何百年前……いや、何千年も前のものが残っているんだぞ」
リオンは眼を輝かせるが、俺にとっては家の片隅に表紙もひしゃげた形で転がっている代物だ。すごいと言われても困る。
俺が苦笑を返していると、リオンはさらにぐっと俺に顔を近づけた。
近すぎる。
「なあ、ヒイラギ。その様子だと、「のーと」はヒイラギにとって身近なものなんだろ」
「ああ、まあ……普通にコンビニとかでも売ってるしね」
「こん……いや、じゃあ、書いてあるこの文字は? この文字は読めるのか?」
俺はもう一度ノートに目をやった。
消えかけていたり、ボロボロ過ぎて一部欠損していたりするが書かれている単語はどれも日本語だ。
卵、だし、かまぼこ、鶏肉、みつば、ぎんなん。
「……茶碗蒸しかな」
そうつぶやいたとたん、リオンはがっと俺の肩を掴んだ。
「もう一回言ってくれ」
「え?」
「今の単語をもう一回」
やけに真剣なリオンにたじろぎながら、俺はもう一度口を開く。
「ちゃ……ちゃわんむし?」
リオンは何度も口の中で「ちゃわんむし」と反復してから、じっと俺の顔を見た。
「今のは、名前か」
「うん。料理の名前」
「りょうり」
なんとなく察しはついてきた。リオンが見ていたこのノートには茶碗蒸しの作り方をはじめとして、いくつかレシピのようなものが記載されている。
だが、この世界に「料理」は無いらしい。
となると次の質問は想像がつく。
「りょうりってのは、どういうものだ?」
だが、食がタブレットとガムと水なのだ。どうやって説明をしたらよいのだろうか。
「俺の、いたところの食事は、料理を食べるって意味でさ。食材……原材料を加工して栄養だけじゃなく味とか香りとか食感とかも楽しむのが食事で」
俺はたどたどしく料理の説明を始めることになった。
だが、このことが一つ大きな引き金を引いていたことに気づくはずもなく。
俺は後々リオンに料理について語って聞かせたことを大きく後悔する羽目になるのだが。
それはまた少々先の話。
今は、リオンが猛烈な勢いでスライスというタブレットをいじるのを見ながら、知っている限りの料理に関する知識を披露するだけだった。




