death and sweet
この戦闘の意味するところ……それは彼女の持っている信念の分かれ道と言ったところだろう。兄上……いいえ、修羅氏はもう私とは兄弟ではなかった。何故と問われればそう答えるしかない。兄上は家を出られている事を私に告白してくれたのだ。それはほんの数時間前。錦さんと兄上が戦闘を始めるためにキューブとナノトランスをリンクさせる行程を行う直前に彼は私を控室へ呼び付け、数年前に亡くなられた家長であった祖父は受理いたのだが……。彼は既に一族からは離れていたのだ。ただし、祖父の出した条件は私を一人前に育て上げる事だった。そのためか彼は私をかなり厳しく育て上げ、尚且つ母上と父上の代より大きくなった会社の総帥として私が成り立つまでに育てたのだ。その時に、彼は本気で戦うと語った上で水からの目的を話してくださった。私は……彼がしようとしていることが本当にいいことか解らない。けれどこれだけは言える確実に誰かが悲しむことだ。
『兄上……あなたなら解っているはずだ人が人として生きるには社会を作らねばならない。脆弱だ。私たち人は』
確かに錦さんも強くはなったし私も令布さんもそれに協力した。私も彼も……もちろん彼女もオウガのことに関しての大きな知識を持ち合わせてはいない。それだが今回は錦さんに協力する上で敵対しているはずの人物からも助力は得られた。彼女は最近の変異が激しいオウガの一部を知っていたのだ。一応のこと私は彼女とも面識はある。しかし、あまり好ましい人ではない。人を束縛するというか……欲望の面が大きいというか。私は彼女を好まない。その香館 悠さん。彼女も今見に来ている。
戦闘が始まって数分が経過するところではまだまだ錦さんが善戦している。このタイルステージはプールのようなそれだ。水が張られ、水中機動のより高くなっているウンディネにとっては有利なエリアだろう。なおかつ兄上のオウガには大きく不利になるエリアだ。兄上にとってここは本当に大変なエリアだと私は思う。順応性の高い私たち生物系の属には特異な特徴を持つが多いがこれでも凄まじい……。ウンディネは水属と大きく含めば含まれるだろうが細かく分ければ生物属と水属の中間種と考えられる。それに彼女はウンディネの力を外向きに放出する方法を覚えているために今の彼女は前までの彼女とは比べ物にならないほどの強さを持っている。
『おぉぉっと! これは一方的だぁ!! エリアにも助けられてなのだろうがウンディネ、善戦しているぞ!!』
高圧の水を放つ攻撃は何も水鉄砲だけではない。それに、このエリアでなくとも錦さんは本当に強くなった。見ている限りでは訓練の際に私やこの度シャドウ・テイカーとなった彼、令布さんに見せた攻撃とは違う動きなども見せてきている。頭の回転はとてもいい錦さんのことだろう、エリアの特性を読むのは本当にうまい。ウンディネの力が内部に向かっていた時の攻撃は本当に局所的な物だった協力ではあるがあてにくい上にタイムロスが本当に大きなネックになっていた。それが今は違う。大きな攻撃と小さな攻撃をより細分化した『考える攻撃』を行い着実にオウガの動きを止めつつ彼女は円形に動いて距離を詰めている。
しかし、ここから私は彼女が何を考えているのか理解できなかった。なぜか? なぜかと言えば水属は確かに防御性能が高いことは認めなければならないだろう。だが、氷属や鉱石属などから比べれば序にも及ばぬもの。水は厚くなることで防御を増すが火力の恐ろしく高いオウガでは彼女の防御は焼け石に水となり一瞬で吹き飛ばされ二激でワン・キル……という最悪の状況さえ考えられた。それでも彼女はじりじりと彼の動きを止めつつもそれを補正しながら攻撃に転ずるタイミングを『近距離戦闘』で反そうとしているのだ。
「絢澄のやつは何を考えてんだ?」
「同感です。ですが……。彼女には私たちよりも頭があります。何をどう動かすかはリングの中にいる彼女に任せる他は無いのですし」
「まぁ、そうだが……。近距離戦闘ではアンタの攻撃に一撃ノックアウトするほど体は生身なんだぞ?」
そう、彼女の装甲は私や令布さんともかなり異なる。オウガの走行はエレメントケースと呼ばれ属性を体、いいや、ナノトランスに強く受けた無機質に近いものだ。そこからアライメントケースに移行する。アライメントケースは私のようなもので人体に大きく作用する有機的な物だと思われる。人体変異系と言えば解りやすいか? これは三種あり私は一番無機に近いカオス系に含まれる。令布さんはこのタイプの中で一番落ち着いたロウタイプである。最後にヒューマニカ系。これはただのコスプレとか鎧とか考えればいい。錦さんのタイプだ。それだから特殊で無い分体に作用しないから防御力は普通の衣服と変わらない。しかし、私たちの物も言いかえれば大きなメリットがある分デメリットも大きくあるのだ。
このフラグメンツ・ファイトの中で属性というものは大きな要素だろう。身長や幅、装備の有無等は二の次でも基本的には問題ない。この属性にどう対応しステージにおいても変容するその属性をコントロールして克服するか……そこに勝利のカギが眠っている。私としては今の彼女であれば確実に兄上を押し切ってくれる。だが、彼女が慢心しないなどと保障できるか? Yesと確実に言えないが人間のあいまいさから言えば割合Noに近い。私はこれまで何十人とファーターをこのビップ席の特殊防弾ガラスの中から見ていた。しかし、どのファイターだって中身は人。慢心や他にも色々な要素がかみ合う。あるファイターは体調の急な悪化……、またある者はキューブの故障、さる者は心の驕りから……このように人には際限ない何らかの悪点や弱点があるのだ。
『錦さん。あなたは私の見てきた中でも最高の欠片です。どうか……どうか、負けないで』
彼の騎士のような重装甲はこのフィールドでは機動力を保持するなどという条件はどうにもならない。水分による変化はエレメントケースというとても強い装甲においてあまり関係ないと言いつつも……フラグメンツ・ファイトの大きなキーの二つ目である地球の物理法則という大きな要素では無力である。水は彼の足枷でしかなくどうにもこうにも越え難いものであることは確かだ。それを大きな盾で防ぐことで錦さんの高速で円を描き猛烈な勢いで攻め立てるのをしのいでいるというところ。しかも彼はだんだんと威力の調整に慣れが生じてきて、それでも慢心せずに堅実に攻め立てる錦さんの攻撃に反動からよろけている。
新たな彼女の能力はかなり能率を考えれば面白い。面白くはあるがリスクが怖い。そのリスクを消化しているから何とかできているのだろう。彼女は自由自在に彼女自身が通過していく細い水のトンネルを作って彼の背後に回ったり素早く移動するのにうまく使っていたのだ。今のところ彼女の攻撃はワンパターンでも見切りにくいものだ。単調な攻撃でもそれに無限のバリエーションが作りやすい物であるからこそ獣のような慣れをしていく兄上に頭脳で勝てているのだ。それに、彼女は上手い。先読みさせないことにかけて……彼女は本当にすごい。
「なかなか考えたな。璃梨にでも教わったか? だが……これならどうだ!!」
プールのようなタイルステージにも強度がある。オウガにあるのは体に大きく出てしまうダメージの代わりにバカげたほどの火力を持てること。しかも、その火力の矛先や遷移させる方向性を特異型の装甲だという強みを用い距離、空間、相手の順番に円滑に変えることができる。これまで彼の行動を考えた私はそう理解した。その彼が行ったのは彼の巨大な剣である腕をタイルフィールドの地面にたたきつけ地割れを起こし、水をそのもろさと区画されたように留められているタイルの間に流し込んだのだ。石膏なのかセメントなのか何なのかは建築に関する知識の少ない私では解らないけれどそれを砕き、側溝と石張の床のような形状を作り上げてしまったのだ。
もちろん、会場は沸いた。どちらの側のファンであっても思い思いの歓声が飛んだ。このフィールドは水をなくしてしまえば表面はつるつるしたタイルの床。ウンディネに関しては万事休すといったところか? さすが兄上、簡単には勝たせてくれない。彼女が簡単に勝てるなどとは思っていなかった。だが、希望も見て取れた今までの戦闘が今はそれを水と共に失った分……私の喉の渇きは大きい。手には汗がにじみ……飲み物をオーダーすることも忘れて試合に見入る。こんなことはない。焦燥はかさむ。
「藍緋さん。オウガがお兄さんってほんとうなのかい?」
「えぇ、ブラッディー・オウガは私の兄である藍緋 修羅です。そして、私はアビス」
「僕も昨日に君に装甲をもらって形を作るまでには至ったんだけど……そのやっぱりああいう戦闘なんだね?」
綾太郎さんも不安なのだろう。兄上のような戦闘をするファイターはそんなにいない。むしろあんな規格外がたくさんいてもらってはゲームバランスがおかしくなる。彼の場合は特殊なのだ。彼の場合は私と彼の父である藍緋 荒神が大きくかかわっている。私たちの体にはすでにキューブが一つずつ流入しているのだ。体が弱く病弱であったという母に似たのか体が強くなく貧弱に生まれた私たちの生命維持をするにはそれが必要不可欠だったのだという。母のつたないひらがなばかりの日記にはそう記されていて兄上はそれを読み、今に彼の目的を見据えたという。兄上の昔の心内ならば何故そうしたかを父上に問いただそうとするに違いない。そして、昔の自分……素直だった自分を取り戻したいがために彼はもがき、自分と闘い、それが嫌になり堅い殻にこもってしまった。それがあの黒血色の鎧となったのだ。あれが……もともとのオウガなのである。
兄上の心がひずんだのは父、荒神のせいだと言える。しかし、すべてを彼へ向けるのは無責任。私や、病弱で彼へのケアをし切れず亡くなった母にも少なからず要因があろう。そして、生きて彼の近くにいる私には本当に大きな罪がある。だから、私は彼に求める資格はない。
『ウンディネの水が奪われたぁ!! さぁ、どうする!! 水を奪われてはあの機動力を維持できないのか!?』
その瞬間に錦さんは私たちも見たことのない彼女の力を使い始めた。彼女の見た目……外装の見た目が変わっていく。あれが……シフト? 水に包まれた体は少し高さを持ちながら形態を変える。
「外野がうるさいですけど……私だってか弱い女の子というだけじゃないんですよ? このように……新しい力を得ていますし。海威の武姫!! 『シー・プリンセス』!!」
戦闘中にまれに起きることがあるというあの大きな形態変化。どうにも彼女は兄上が何かを感じただけのそれをもっているようだ。彼は普通の雑多では何も感じないほどに目が肥えている。それが彼女を射止めたということは彼女にもやはり何かの才能があるのだと……そういうことだと私は受け取っている。美しい……。天女の羽衣を思わせる布を両腕に巻き、頭にティアラを乗せた格好に遷移した彼女の形態を目にして兄上はどのような顔をしているのだろう。鎧の目を覆う部分は格子のようになっているがこちらからは見えない。
そして、再び彼女からの一方的な攻撃が始まった。ウンディネはいきなり両手を上げると何かを口にした。いちいち技名まで口にするということは彼女の中ではこのシフトは計算ずくだったということか? なんとも恐ろしい人だ。これまではただドジな人でグズでのろま、そして無駄に考えすぎる人……そのようなイメージの濃い人であった。だが、今は違う……。美しく洗練された計算により勝利を導く女神……アテナ。戦の女神でありながら美しさと母性愛に満ちたその表情は本当に美しい。それにいつものおとなしい幼顔とは違い彼女にはオートメイクが施され大人びて見えた。
「ほぉ……、水を空中に浮き上がらせてどうするつもりだ?」
「これはただのフィールド作りですよ。フフ……。これまでは闘うことが怖かった。でも、今は違う。あなたとなら乗り越えられそう……ファンタスティック・マリナー!!」
空中に浮いたいくつもの水塊のブロック……彼女はその中に飛び込むときらびやかな体を反転させて何の前動も見せずにいきなり猛スピードでオウガにタックルを始めた。速い……。目の慣れたファイターやよほど戦闘慣れしているかでなければ見ることができない速さだ。おそらく、目算で時速150キロほどだろう。なんという人なのだろうか……。呆れて物も言えない。こういう人はまれにいる。豹変する人……。その窮地に立たされることで大きく変化をする本当にミステリアスな部類だ。こういった人たちには常識は通用しない。本当にこの二人はそっくりだと思う。
彼女の突き出した腕は最初の一撃でオウガの盾を砕いた。正しくは水を何らかの形状や質を変化させて切り裂いたのだと思う。それから兄上は神業を何度も使って彼女の攻撃の流動を何度も何度もミリ単位で調節して直撃を避けているのだ。ここまで追い込まれたオウガは見たことがない。今はまだ攻撃のタイミングを見ているのかも知れないけれどそれにしてもオウガにしては時間がかかりすぎで私は驚いている。錦さんがここまで押せておりことにも私は驚いているけれどどうしたってここまでの戦闘になることはまれだ。
「ちっ」
「まだまだ速くなるんですよ?」
彼女はさらに羽衣のような布についている大きな藍色の宝石らしき武装を使い、原理は不明だけれど加速していく。どんどん加速し、ついには見えなくなる。あれが水中生物に帰依しているタイプのファイターの動きだろうか? あれはもう特異な装甲であると私は判断してもいいと考えた。それに、彼女の微細な動きに注目すればまだまだ何らかの動きさえ見て取れる。そして、当人同士の中でまだ一度も互いに攻撃を受けていなかった二人の内、一人が被弾した。
これは誰も予想できなかった展開だろう。最初の女性の解説者もこれは予想だにしなかったことだと思う。オウガの背中側に彼女はトラップを仕掛けたのだ。あれは水の質を知っていなければできないことだと私は思った。錦さんならではとはこのことだろう。彼女はそういうことを研究している人なのだ。極度に密度の違う水や組成に違いがあるの少しの間混ざらずに表面で乖離してしまう。とは言いつつ量も極微量だし時間だってほんとに極わずか。それを物にした彼女は……天才かも知れない。
「ぐっ……やるな。だが、これでだんだんとお前の力の本質が読めてきた」
「さすがですね。やっぱり一筋縄なんてものではなかったですか」
「言っただろう? お前じゃ俺には勝てない。確かにお前の焦らしは上手いしそれ以上の何かさえある。だがな、俺にも隠している部分が多いことはお前も知っているはずだ」
兄上がついに動いた。騎士の鎧が分解され水の中に侵入する。そして動かなくなった。何がしたいのかは不明だが彼にも考えがあるのだろう。錦さんはあの高速移動を止めている。あの攻撃はスタミナを使うと見えて少し息切れしている。それでも彼女の猛攻はまだ兄上を襲う。
今度はまた別の攻撃だった。まだ砕けたタイルの隙間の側溝には水がある。どんな攻撃かと思えばあれは本当にリスキーではあるもそれ相応に攻撃力もあるものだ。彼女の力で私たちが理解しているのは水に感情を持たせること。……比喩が過ぎましたね。水に何らかの動きを持たせることができる。彼女の動かし方は水だけに限らず他の固形物に関しても可能ではあるようなのだがどうにもうまくはいかないらしい。それは最初に言ったリスクに関する点だ。固形物の組成はなかなか帰ることができない。その点、水はリスクを少なく内容物である溶質を大きく変質させたり、水自体に圧力をかけてそれ自体を変異させることが可能なのだ。だから、未だに水属の外に力を及ぼすのが苦手だという点に悩んでいるのだろう。
「水龍の舞……」
「来い……ひっぺがえしてやる」
スタミナを大きく削ってのあの攻撃……布に纏わせた水を波状に飛ばし続ける。あんな攻撃は水属の中で世界ランク最高位……8位であるマーマンもようやらない。スタミナを大きく削るというのに……。
だが、オウガの特異装甲の恐ろしい点はここだろう。初撃を受けた兄上の腕が一瞬で砕けた。もはやよけていない。ぼろぼろと崩れるたびに微量のHPゲージが微量だが削られていく。オウガの恐ろしいところの二つ目だ。最初の騎士形態であるオウガは重いことの代償に絶大な防御を持つことができていた。しかし、この形態は初めて見る。錦さんや令布さんは何度も見ているし香館さんも何度も見たというのだが……この形態は最近だろう。オウガは兄上いわく早い変化を遂げるのが難しいという。だが、そうではない。変化しているのは彼自身だ。あれが今の彼なのか?
「攻撃してこないとダメージがかさむばかりですよ?」
「いいんだ。今の状況でな。お前の覚悟がそうであるならば俺も力を尽くそう。敵に情けをかけることをするな」
そう、彼の必殺技ゲージがたまった瞬間にことは動いた。水塊が一瞬にしてすべてはじけ飛び、水がなくなったのである。何が起きたのか誰にもわからない。そして、彼のもとには砕けた欠片のようなものが集まりある程度まで鎧の形を作っていく。だが、それでは完全な鎧を作ることができないらしく彼は少し笑いを浮かべながら絢澄さんの方に剣のように変異させている腕を向けて瞬間的に詰め寄った。
近距離戦闘に持ち込んだのだ。水を奪えば近距離へと詰め寄ることが簡単になる。彼の足枷をなくし、逆に彼女のキーマターを奪うことができたのだ。どのように水を消したのかは解らない。だが、彼は物の見事にこれまでの彼女の善戦一本の状況を逆転させて攻撃の準備に入っている。怖い人だ。様子見でこれだけのことをする人などいない。だけれども彼の顔が真剣だということはそれだけ余裕がないともいえる。結論から言えば錦さんがそれだけ彼を『現段階』で追いつめたといえるのだろう。
私のこれまでの経験から言えば彼は及第点を彼女に出したところで彼女を沈めるつもりなのだ。ということは終わりが近い。錦さん……用心してください。そのうちに何かきますよ……。
「やぁ!!」
「その布……ただの布ではないと思っていたが。ここまでとはな」
兄上の剣と化している腕に彼女の羽衣が触れると真っ二つに切り裂いた。だが、それごときでは彼にダメージが通った訳ではない。彼の体は現在は痛みを感じているのだろうがぼろぼろともろい装甲を用いることで最低限のダメージでなおかつ再生の速い方向性というものを選んでいるのだろう。蒸気のような煙をそこから噴出させるとそのまま彼は回復させ、今度は腕をわざと砕き、その腕を変化させて握る。
錦さんがまさか近距離戦闘でも戦える武装を所持するまでになっていようとは私たち二人も考えることができなかった。そして、彼らの猛烈な打ち合いは私たちの常識を超える物であることは言うまでもない。一番驚くのが彼女の武器である羽衣……セイレーンは本当に万能だ。ガード、斬撃、打撃を円滑にこなした上での特殊攻撃までが可能な武装。ここまでのポテンシャルを隠していたなんて……この実力なら国際大会に出場しても名前を残しうるだろう。そして、お互いに後ろに飛び退く。
「やるな。どこからそんな力が湧いてるんだ?」
「大好きな人のことです。必死になりますよ」
「ほう? 俺はその大好きな人間で、俺のすべてを理解できているとでも」
「今から、それを探るんですよ」
錦さんのセイレーンが淡い光を帯びている。何かするつもりだ。水属は時間をかけるだけチャージと呼ばれる攻撃強化や硬度強化が可能だ。エネルギー波がここまで感じ取れるほどに脈を帯びている。精神統一を行うことで水属特有の躍動感ある放出攻撃が……。
「一騎討ち……どうですか?」
「もう、十分一騎打ちだと思うんだが?」
「それもそうですね。でも、この一撃にすべてを込めたいんです。私の小細工や考え付いたネタも切れちゃいましたし……あなたにこの一撃で勝てなければ私は本当に勝てません」
「そうか……じゃぁ、宣言を頼む」
その瞬間に彼女の口から出た宣言で私は凍り付いた。彼女の潔白さがここで出てしまったのだ。しかたないことではある。当人同士の神聖な闘いに私が踏み入るなんて無粋なことはしない。けれど、惜しい。本当に惜しい。彼女はよくここまで戦ってきたのに……ここで投げ捨てるのですか? 錦さん。
「デス&スイート」
『おぉっと!! でました! 今期に入りあまり出なかった一騎打ち宣言! 一撃の攻撃を行った際にHPの残量の多いファイターが勝者となる物です!!』
錦さんは決めるつもりなのでしょうが……兄上の前では通ることはかなわないでしょう。二人のHPがもう一度全快し、二人はそこから何かをするつもりだ。兄上は剣を投げ捨て、再び腕を剣のような形状に戻す。
「それでは……」
「あぁ」
空中に疑似的なコインが現われそれは審判となる人物の任意のタイミングで落とされる。周囲の人間やファイター達には解らない。そして、あの二人の火力であれば完全な一騎打ちが歓声するだろう。ただ、錦さんは水が少ない場所ではそんなに簡単には動くことができない。どうするつもりなのだろう。
「ヤアァァァァァァ!!!!」
「クルーエル・オウガ……タイプ阿修羅」
まずい……あれは。兄上も収束系の技能を……。二人が急接近しほぼ同じ距離を通り抜けた。セイレーンも兄上の剣のような腕も力を使い切り動かずにステージの中で起こる微風で揺れている。
『……』
『……』
会場のすべての人間の言葉や歓声が消える。静まりかえった会場の内部で動きが起きたのは数秒後だ……。私も驚いた。一騎討ちで彼が一撃でも浴びせられるなんてことはなかったからだ。そして、私も会場の他の人間のほとんどが彼女……錦さんが勝利を治めた瞬間だと思った。だが、次の瞬間に皆は異変に気付いたのだ。オウガのHPゲージは急激に減ったものの……1残っている。それは彼女にも攻撃が通っていたというしるしだ……。
最初にオウガの腕が落ち、急激にマックスまでHPが回復していたために落ちていく。残ったHPが……それが止まった瞬間に錦さんの、いいや……ウンディネの体は一瞬宙を舞って鈍い音を立てながら地面に落ちる。そして……。
『あ、え…あと………えぇーー……しょ、勝者……ブラッディー・オウガ』
やはり……こうなってしまったか。彼女は本当に健闘した。あの兄上に対してよくもあそこまでの結果を残せた……。そして、兄上はひじから下を落とされているがなんとか抱きかかえることはできるらしく……ウンディネこと錦さんを抱き上げて彼女の控えまで送っていく。これまでのオウガにはあり得ないことだ。こんな理性的な闘い方は。彼はいつも危険な闘いしかしなかった。かみつき、引き裂き、嬲り殺す。素養に危険で残忍なことしかしなかった。なのに……今回は違った。やはり、彼女には何かあるのだと思う。これだけ長引いたことなど無かったのだ。戦闘においても最後の幕引きしても……。
「大丈夫か? 錦」
「……あ、あの? もう一度お願いできますか?」
「大丈夫か? 錦」
「え、あ、はい。大丈夫ですけど大丈夫じゃないです」
兄上が部屋から出てきた。そして、帰ろうとするところを令布さんに止められていた。彼だって病院で専門の検査を受けるほどに傷ついているはずなのだ。マーマンとの試合の後も病院へは行かなかったと言っている。何ともタフな人だ。錦さんは放心しているし何かあったのは間違いない。なのだが……何があったのだろう。私は全然気にならないけれど彼らは本当に何かを二人で乗り越えたのかもしれない。
本当に嫌味な人たちだ。人の気も知らないで各々に空気を読まない。兄上はいつものマイペースさでそのまま令布さんに悪口をつかれながら後処理をせずにどこかへ消える。彼女をどうしてよいものか。複雑だ。彼女からは申告を受けていた。彼女には昔の兄上への気持ちに関することを告げてある。だから、彼女は私にそういうことをするのだが問題ないか? などと断りを入れてきたのだ。おめでたい人だと最初はあきれたがそれがこの人なのだと思う。何事にもクッションを入れて和らげる。人によってはそれがうっとうしい人もいるだろうけれど私はそれにも慣れた。
「璃梨ちゃん……」
「はい?」
「私が仮にお義姉さんになったら……どう思う?」
「どういうことですか?」
「さっき……藍緋君が私のこと『錦』って呼んだの」
……はぁ。この人はつくづくおめでたい。この人の近くにいるせいで私まで緩くなってしまっていた。今度、彼女とお茶をしよう。その時にじっくり話してみようと思う。私と彼女なら解りあえる。感性や性格こそかけ離れて違うけれど私たちは共通の点で解りあえた。何かって? 私の素晴らしく不器用な兄上のよさについて……彼女はいつの間にか最高の理解者になっていた。彼女という人は本当に面白い。
それに私にも相談したいことが今は山のようにある。私の悩みを彼女になら相談できそうな気がするからだ。これで今の彼女と兄上は友達以上恋人未満で止まっているのだから小休止と踏んでいい。それにあのにやけ顔と言ったらまぁ……。幸せなのがありありと。どうしたものか。とりあえず、しまりのない口にリンゴを突っ込み私は彼女と談笑をした。
「はう……」
「デス&スイートですか。よく言ったものです。本来、あの場では死ぬような緊張感の中にある甘味……という含みのある意味なのですが」
「へ?」
「直訳すると……死と甘味ですよ? 今のお二人にはぴったりじゃないですか? あなたは死に目を見ましたけれど……蜂蜜なんか目ではないくらいの甘い現実」
「そ、そんなぁ……で、でも! まだ当初の目的を……」
「まぁ、あなたにはこれくらいがいいと思うんですどね」
今、兄上達は何をしているのだろうか。この人のように単純明快な甘ったるい頭の中身なら兄上も実に簡単なのだけれど。
「これでめでたしめでたしにはしてくれない訳か? 藍緋」
「まぁ、条件は俺に勝つだったしな」
「生殺しは良くないぜ?」
「だが、俺はあいつが大切だから……少し距離を置きたいんだ」
「そうかい。ハードボイルドはいいがたまにはデレてやれよ」
苦渋の後だから甘いものはより至福として受け取ることができる。錦さんはその典型なのかもしてませんね。でも、兄上の目的が本当ならば……それは本当につらい道となるでしょう。あなたは……ついていけるのでしょうか?
いいえ、私が守ります。皆まとめて……すべてを私は……死なばもろとも甘味を求む……我なれば。死と甘味こそ鞭と共に。