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pianissimo

『気安く俺に話かけるな。正直ウザいんだよ。お前みたいに間抜けなやつとは関わり合いたくない』


 それからの日々は地獄だった。藍緋(あいひ)君は急に人が変わったように私を拒絶するようになった。いいや、私だけではなく周囲の人間をかなり強く嫌煙しているように見える。自分でいうのもなんだけれど人間の感情的な意味の空気を肌で受け取りやすい私はそれが本当に辛かった。彼の刺すような寒気は璃梨(りり)ちゃんや為児手(たじた)君が仕掛けた策略が大きく影響し私に降り注ぐ様なものとなっている。それに彼は話をしてくれない。酷いは視線すらまともに合わせてくれないのだ。

 朝の食堂のバイトで彼が配膳を台に乗せるのを手伝おうとするだけで彼はどこかに行ってしまう。私は何かをしたのだろうか? お弁当も毎日作りはするがやはり食べてくれない。藍緋くんの肌が荒れていることはずっと前から知っていた。だから、一生懸命に練習して私はお弁当を作れるようになり、やっと彼に振る舞える用になったのだ。なのに……、本当に苦しい。嬉しかった。たったの数日感だったけれど彼が私の作ったお弁当を食べて美味しいと言ってくれただけで本当に嬉しかったのだ。それが今は大きな苦痛になっている。これまでの嬉しさが……、身を切るように痛くて、璃梨ちゃんの毎日目にする申し訳なさそうな目やなにも言わないけれど責任を感じているらしい為児手君の励ましの言葉もただ、ただ、辛かった。


『さぁ、やってまいりましたぁ!! さすがはオウガですねぇ』

『そうですねぇ。今回も完膚無きまでに叩きのめしての勝利。これからが楽しみですよ』


 心が埋まりそうなほどに苦しくご飯も喉を通らない。璃梨ちゃんもそれが理解できたのか私と視線を合わせることを控える用になってしまった。為児手君は次の日に酷い痣を作って足を引きずっている。彼は階段から転んだと言っていたが……嫌な予感しかしなかった。私のわがままで周りの人の波紋までもを狂わせてしまっている。

 自分の不甲斐なさと彼の言う私のウザいところが今わかった気がした。一人ではなにも決断できず、何一つすすめることができない。あれから彼は水槽展示の作業で本学の方に行きっぱなしだ。そのためか実験室だけが私の唯一の無音空間だった。もう、嫌だ。忘れよう。結局は届かないものだったのだ。私などが無駄にあがいて周りの人を引きずり回しただけのこと。その日に私は為児手君や彼の部屋に顔を出す。


「ご、ごめんください」

「あぁ、絢澄(あやずみ)さん。立ち話もなんだし入っていいよ」

「いえ、ご迷惑に……それに藍…」

「あいつはここ数日帰ってないよ」

「そ、そうなんですか……」

「さぁ」


 藍緋君はいつの間にかいなくなっていたらしい。生活用品や彼の私物は残っているからどこかに行っているわけではないらしいが彼は帰って来ていないらしいのだ。心配だ。でも、もう、この苦しさも忘れられる。

 為児手君の痣はやはり藍緋君に問いただした時に返り討ちにあったと言っている。本当に申し訳ないことをした。彼は私がいなければこんな大きな怪我をすることなく彼と親友の間までいられただろうに。


「もう、諦めようと思うんです」

「は?」

「で、ですから。私なんかが変な妄想を……」

「そう、そうかい。わかった。なら俺は何も言わねぇがあんたはどうなんだ? ホントにそれでいいのか?」


 こんな終わり方に納得できる訳がなかった。それに……本当に……、未練たらたらの自分が情けなかった。為児手君はがっかりしたようにいつも柔和で柔らかな表情を釣り上げてキツい視線を投げかけてくる。彼は冷たい視線を投げかけてくるも言葉を発することは二度となかった。私は彼に最後にお礼を言って部屋を出る。本当に情けない。これまでの私に逆戻りだった。結局は自分が不甲斐ないから周りに迷惑をかけて何もしない。……できない。そのくせ引き足だけは早いのだ。もう、自分が嫌になる。ネガティブは循環し、私の心内環境は極度に悪化した。デフレは止まらない。藍緋君のことを諦めようと考えたのに諦めきれていないことから悶々としてしまい勉強も手につかず……順位も大きく落ちた。それで教授室に呼ばれても話すら耳に入らない。

 それに為児手君に話してから璃梨ちゃんからあの藍緋君に似た冷たい視線が飛んでくるようになり改善どころか悪化し続ける。もちろん、藍緋君からは存在自体を無視されているために私はもうそこに自分がいることすら不安になって来ている。恋愛で自殺しようとする人がいる気持ちがわかる気がした。これほどまでに数日間でのめり込むのだろう。自分が信じられない。彼のためならなんでもできるとさえ思った。けれど、その彼はもういないのだ。


「錦? 大丈夫?」

「へ? 何が?」

「何がじゃないよ。顔色悪いよ?」

「大丈夫。大丈夫だから」


 そして、私の体に限界が来た。もう、一週間程ご飯が喉を通らずコーヒーしか飲めていなかった。健康に気をつかって毎日ちゃんと食事をしていた私は急に食べる全体量が減ったために体が先に悲鳴をあげたのだ。結果的に私は貧血で倒れた。医務室で目得を覚ますとそこには友人たちの顔がある。そこに藍緋君の顔がないことを確認すると一気に消沈する自分がとても惨めで情けなかった。宣言もした。諦めたはずだった。もう、終わったのに……。

 だが、医務室の先生の話によると運んできたのは男子生徒だったという。しかも、為児手君とは明らかに人相から異なる人物だったのだ。私なんかと知り合いで尚且つ男子生徒となるともう、心当たりはひとりしかない。藍緋君……。


「ねぇ、最近の藍緋って妙にドライじゃない?」

「え?」

「だって前々から危ないやつだとは思ってたけどあれはないよ」

「そうそう、養殖コースの男子がひとりボコられたって聞いたけど……」

「あんた、藍緋と仲良いんじゃないの?」

「う、うん……もう、過去形だけどね」


 私の表情が曇ると周りの女の子の友達は急に藍緋君を罵倒し始めた。いわれのない噂の様なものや本当にただ罵り言葉を並べただけの物もありだんだんとムカムカしてきている。口々に言う言葉には何一つ根拠やそれに値する事実を見ていないからだ。彼女らはいい子だけれど人間の心理としてはまだまだ早急で決めてはならないところを勝手に決め付けている。大衆心理はこういった物だ。理念がまとまればそこで結論が構築されてしまう。それが事実と異なる事実でもそれがその集団内での形式上の事実と化してしまうのだ。彼女らも、私もまた俗物、それは揺らがない。でも、私は知っている。彼がどんな人で本当は優しくて……いいところがある人なのに……。

 無意識のうちに涙が頬を伝うのがわかった。なんで流れているのかが理解できてしまうから私は余計に自分が嫌になる。結局はわがままで自分勝手な嫌な女なのだ。迷惑をかけるだけかけて本当に身勝手である。こんな私が嫌いだ。自分を擁護するために分厚い水のベールを張ってしまう私のいけないところ……。私の装甲のウンディネはそうして出来上がった。お父さんとお母さんはいい人だ。だけど、そのお父さんとお母さんに似ずに心がかなり脆弱に育ってしまったのが今の私を生む結果となっている。小学校の時にうじうじして何もできない私はいじめられた。父の転勤を期に私たち家族はアメリカに渡り、私は人生を中学からリセットしようと試みた。だが、結局私は何人る変われず……残ったのは私を守る諦めや逃避という名の温室を意味する水のベール。ウンディネの基礎ができていたのだ。


「みんな、藍緋君のいいところを知らないでしょ?」

「何言ってんのよ! あんた藍緋に捨てられたんでしょ!?」

「違う!! 捨てられてなんかない……。私たちはそんな関係じゃなかった。それに、為児手君は藍緋君に助けられたんだから」


 それから震えていることがわかる唇で私は藍緋君のいいところを怒鳴り散らした。もう、得ることができないことはわかっているのに諦めきれない。環境が変わることに耐性がない私は急変することに弱い。今の私は赤道直下の海から急に高緯度地域の北極海に投げ入れられた熱帯魚の様な状況だ。このままでは自分が壊れてしまう。それに呼応して私自身が何かを放出させたがっているのだ。でも、出てくるのは彼を擁護する言葉ばかり。もうわけがわからない。何がしたいのか自分でも理解できないのだ。これではダメだと理解できているのに……できているのに動けない。

 水槽の折の中に居たのは私だったのだ。理想ばかりを夢見て結局は檻の中から出ることすら許されず人間としても未成熟。こんな私だから彼は突き放したのかもしれない。もっと強くなるために、人間としてちゃんと生きていけるように私を……。


「優しいんだよ! 藍緋君は命懸けで私を守ってくれた、ずっと一緒にいてくれて、助けてくれて……、私のために…うぅ、ぅっうわぁぁぁぁぁあぁああああ!!! あぁぁぁあああああぁぁぁ!!!!」


 それから数時間私は泣き続けた。みんな私を気遣ってくれる。重くのしかかるこの重圧に私は耐え切れなかった。結局、私は今もほぼ絶食状態であるのだ。為児手君とも顔を合わせていない。会ったところでどうにもならないからだった。それから数日し、私の所に一通の手紙が届いていた。フラグメンツ・ファイトの対戦相手の決定を意味する手紙である。

 内容は本当に簡潔で特に注意すべき所もなかった。対戦相手はアビス。テレビでは最近見ないがかなり強いと聞いている。私のウンディネと同じく一族性の遠距離戦闘機体だ。名前のパターンでファイターの特徴は多方割り出せる。特に私のように水の精霊や悪魔として扱われるウンディネをそのまま挙げられたものはかなり把握は容易だろう。アビスもまたしかり。アビスの場合は少々難しいがそのアビスは生物系の物だ。しかも、神話やそれに関係する力を持つ者には相応の特異性が伴う。特殊装甲とは違いある程度の制限が生物系にはあるのだ。それは何らかの生物の体を象っていてそれに帰依した技や武具、戦闘様式を保持しているのがある。アビスは人間型の生物系……武器は鞭だろう。情報はそうある。


「踏ん切りをつけなきゃ。本当にダメな子になっちゃうよ」


 そして、私は夜のスタジアムに足を運んだ。そこはもう超満員だった。私もなんとか上位層のファイターたちと戦い勝ち抜いてきている。それだけにこの与えりでは少々名が売れていた。それだけに期待も大きいのだろう。スタジアムはバーチャリティと呼ばれるホログラムをベースに作られた様式的障害物がある。だが、それは本物と同じ用にダメージを受けるようにホログラムのハリボテで見た目はそれなりの物に見えるが中身は超合金性の障害物だ。

 反対側にアビスが現れる。見た目は貴婦人の様な風貌で長い黒髪は美しくスタイルも抜群だ。自分が貧相なだけに悲しくなる。アビスは黒い布で顔を覆っているために素顔はわからない。私のものは顔は表に出るけれど基本的にメイクをしない私とは違いかなり盛った見た目の私の今の顔はほとんどの人にはわからない。貴婦人は杖を投げると戦闘体制をとり始める。


「やってまいりました!! 注目の第三試合は深淵の姫君、アビスと大海の皇女、ウンディネだぁ!!」

「どちらも強豪ですねぇ。これは試合が読めませんよぉ」

「そうですねぇ。どちらも攻撃はトリッキーで範囲のあるものです。どう転ぶかは時の運でしょうね」

「それでは、時間がやってまいりました!! レディ……ファイ!!」


 アビスは速かった。一瞬で私は距離を詰められガードをするまもなく初撃をモロに受ける。腹部に強烈な蹴りを打ち込まれ体はそれだけで悲鳴をあげた。これまでのファイターとは一線を画する力を持つファイターであることは間違いない。そして、アビスは一撃受けただけでよろけている私をあざ笑うように蹴りつけてリングの奥へ吹き飛ばし、なお追撃を加える。

 アビスは痛めつけるだけ痛めつけて私への攻撃をやめてしまう。もう、ヒットポイントはほとんど残っていない。意識を保つだけで本当にギリギリだった。アビスはコツコツと音を立てながら私のところへ歩いてくる。うつ伏せの状態の私を軽く蹴って仰向けにすると……顔が黒い布が影響せずに見えているところまでさらに近寄った。そして、私はゾッとした。そこには藍緋君と同じ冷たい瞳があったからだ。璃梨ちゃん……。


「ウンディネ。あなたがファイターであることはとうに知っていました。それに、あなたが甘いことも」

「う゛……り、アビス」

「あの人が、あなたに取った行為、あれが幼い頃の私へ向けられていたんですよ」


 その時、私の体は宙に舞った。私の体は人魚の様な物だ。この装甲はほとんど生身とは変わらず、機動力も水中ステージ以外では無に等しい。しかし、移動もできるし、水を使って攻撃もできる。だが、もう、私の体に動かせる程の余力などなかった。エリアの中央に叩きつけられ、ヒットポイントは残り一桁。次の攻撃で私は負ける。ストレートファイト……。完膚無きまでの敗北。私は一撃も与えられないままに彼女に痛めつけられたのだ。

 動くこともできない。アビスに杖で掌を踏み躙られ……苦痛に喘ぐこともできない。ダメージに加算されないほどの弱い痛みで私は嬲り続けられる。そして、彼女は私の首を握り、持ち上げた。


「持続攻撃では最後にHPが残りますからね。嬲り、痛みだけを味あわせることができる。あなたは理解していない。本当に辛い人間の心を。その装甲では……理解できないでしょうね。あなたのように温水に身を包まれたひ弱な人間では」

「璃梨……ちゃん」

「期待はしました。しかし、できると確実性があった訳ではない。それに、あなたの様なグズを見ていると異様なほどに腹が立つ。決めたことをするのになぜそこまで迷走するのですか? あなたは……本当はどうしたいのですか?」


 私の体は地面に落とされた。しかし、その瞬間にホログラムボードには勝利者の名前が大きく映し出されていた。私の名前? ウンディネ……だった。璃梨ちゃんはこの試合を自敗したのである。そして、私はキューブの接続は専用の機械にナノトランスを収容しなければ切断することができないために担架で運ばれた。その控え室には今、有名なブラッディ・オウガがいる。彼はすごい人だと私は思っていた。彼は体があんなに砕けている。ボロボロだ。彼はあんなに傷があるのに戦える。私とは違う。

 彼の方に無意識に手を伸ばしたその瞬間に私は……強力な悲観を感じ取った。そして、視線は向いていないが刺すようなこの寒気……この寒気は一度感じると忘れることはできない……。そんな……藍緋君はブラッディー・オウガなの? 違って欲しかった。彼がオウガ? 私は……何をどう思えばいいのだろう。


「藍緋君、大丈夫かな?」


 結局未練たらたらな私のままだった。しかし、璃梨ちゃんがあそこまでしてくれたおかげという物なのだろうけれど諦めるのではなく、これまでどうりに追いかけるという路線に切り替えることができた。為児手君にも誤り、その旨を伝えると彼はうなづいて答えてくれる。相変わらず璃梨ちゃんは口を聞いてくれないし藍緋君からは完全に無視されているけれどそれに負けるつもりはもうなかった。

 でも、私の心の中には大きな心配ごともある。私の感覚は第六感の様な物だ。だから、藍緋君がオウガであって欲しくないという心は曲げることができない。確かにオウガは心の傷と戦っているのだと思う。特殊型の装甲は過去に外部からの強烈なダメージを受けることで生まれることが多い。だから、オウガもそうなのだ。藍緋君がそうだということは彼もこれまでの過去で何かしらの大きな傷を負っている。璃梨ちゃんは両親を失ったと言っていた。でも、それではないと彼女自身がそれを断言してしまっているのでそれは線として消える。


「璃梨、お前、あいつに何かしたのか?」

「なんのことですか? 兄上」

「お前が好んで闘技場に行くことなんかほとんど無いだろう」

「兄上、あなたは私を買い被りすぎだ。確かに、一時期の彼女ならそうしたかもしれません。しかし、今回はたまたまそうであっただけですよ」


 食生活も戻りだんだんと血色も回復しはじめている。そんな時に為児手君からのリンクがあった。為児手君も実はファイターになっていたのだ。資格ををつだけの人は多い。その先に身を投じるだけの勇気を出せないのだと思う。一時期の私もそうだがやはり、人間の中には切り返しの早い人間も多くいる。それが璃梨ちゃんだと私は思った。

 確かに彼女はかなり風変わりな女の子だとは一目見た時から思っていた。藍緋君もそうだが、何か人とは違うものを肌身に染み付かせているというのだろう。その空気が強く伺える。特に璃梨ちゃんの場合は戦国武将の様な独特な感性で私などでは到底ついて行けない。現代日本では彼女の様な人は男性でも珍しいと思う。それに彼女の思考は少し過激というか行き過ぎでもう少しオブラートに包んで角を取ることを学ぶべきだと思う程だ。それでも、彼女は私よりも美点や長所に関してはいい物を持っている。確固たる意識は線を貫くようにまっすぐだし、周りの人間をグイグイ引っ張れるあの決断力など一番憧れる。それでいて彼女は高慢なわけではなく敬うことを知っているのだ。過激な思想で周囲を圧倒させるし少しモラルを考えない反規範意識が強い女の子ではあるも彼女は本当に素晴らしい。私なんかとは比べ物にならない。


「そうか? 俺は付き合うなら断然璃梨よりも絢澄だけどな」

「そ、そうかなぁ……」

「まぁ、好みにもよるとは思うが俺は少なくともドМじゃない。あいつの旦那は尻に敷かれるぜ? 絶対に」

「う~ん……なんかわかる。簡単に想像できるかも」

「だろ? その点、女の子してるお前の方が可愛げはあるよ。少しドジなとこ抜けば家庭的だし学はあるし、優良物件だろうな」


 さらっと彼も恥ずかしいことを言う。彼の機体はシャドウ・テイカーというらしい。彼の特徴も教えてもらった。苦しいこととかはなくてもどうしてもゆったりした脳内思考をすることが先に出る彼はうごくよりも日陰に周り考えることをしてしまう。それがシャドウを生んだのだと彼は考えているらしい。けれど、私は違うと感じた。このフラグメンツ・ファイトの装甲は何も悲観するべき過去や悲しいところ、欠点、現状だけで構築されている訳ではない。

 そうだとは思わないか? 願望や欲望、これまで自分が願ってきたものやそれに合う何らかの感情的成長速度や身体的な成長速度、それに一番ナノトランスとキューブがコンタクトを取り合う中で動くのはその人間の能動的動きだ。基本的にナノトランスは体でキューブは脳。その脳は私たちファイターの意思を完全に汲み取って動く。結局はファイター自身の肯定的挙動においてキューブは指令を出す。それが否定の意思であるはずがない。工であって欲しいと願いその人が望む第一を遂行する。それが子の闘技場の中での意味合いとなる。

 フラグメンツの意味は『欠片』である。あの闘技場には無数の欠片が存在し、それがぶつかり合うという希望を集めると言う意味なのだ。そして、その王者となるものは毎年オーブと呼ばれ大きなボーリングのボール程の大きさの記念品をうけとる。それは多くのファイターの未来を背負い欠片を拾い集め大成させた者という意味合いを強く持つ。私はそのオーブを受け取ることをしたい訳ではない。私は自分が変わりたいからここにいるのだ。きっかけを誰かがくれる様な気がして……ここにいる。


「私は頭がいいわけじゃないよ? それだけの時間を勉強とかに費やすからそれだけの結果があるだけ……。そう考えると璃梨ちゃんの方がよっぽどすごい」

「もう少しモラルとかを考慮できればな」

「クスッ……。そうだね。ハハ」


 二人で電車に乗り、着いた場所はフラグメンツ・ファイトのファイターが集まる訓練施設だった。そこには璃梨ちゃんがいる。どうやら、璃梨ちゃんの指示で為児手君は私を連れてきたのだろう。私服の璃梨ちゃんは髪型がストレートであることも関係してゴスロリの服がかなりよく似合うっている。高校生にしては販促なあのビジュアルとスタイルのせいで私は何度涙目になることやら。アリーナの使用許可はもう降りているという。璃梨ちゃんについて行くと大きな戦闘用のアリーナが自動で口を開くように扉を開ける。

 中は多属性ステージ、無理矢理に色々な属性のものを詰め込んでいるステージだ。かなり手の込んだそれに私と為児手君は感嘆の声しか出ない。


「きましたね。ウンディネ」

「り、璃梨ちゃん?」

「私以外の何があるというのですか。また、あなたが0という可能性から1に戻ったことを嬉しく思いますよ。では、奥へ」


 全然嬉しそうに言われないために苦笑いしか出ない。為児手君は初めてのナノトランスとのコンタクトで少し緊張気味だが彼の慣らしを合わせて今日は訓練をするのだとか。それに、アビスである璃梨ちゃんはあまりあの闘技場システムを好かないらしくあそこに行くことはめったにないのだとか。そうなると私はかなり彼女に手を掛けさせてしまっているのだろう。


「では、錦さん。あなたの欠点をお伝えします」

「(ゴクッ)」

「力の流動が弱すぎるからです。力の流動は音楽と同じ、最低をピアニッシモ、最高をフォルテッシモ。あなたは現在、ピアニッシモです。あなたの優柔不断さはどうにも腹が立ちますからね。そこを治すために、水属性の弱点である火力増強をする方法をお伝えします」

「そ、そんなことできるんですか!?」

「簡単ですよ。地球の物理法則を捻じ曲げるタイミングと添加するタイミングさえ間違わなければね」


 彼女はかなりキツい視線で私に問いかける。私の水は要は私自身の心だと彼女は歪曲した観点から遠まわしに言い放ったのである。水属性の人間の火力が弱いのはどこかに心の柔らかいところを露出しているからというところが強い。水はそこを守り空気という変化に富んだ媒体から身を守るためにつくって しまうのだ。だから防御力はほかよりも数段高い。しかし、それ以上でも以下でもないのだ。結論からいえば私は高圧水鉄砲を打つことしか攻撃の手段を持たない。それでチクチク攻撃して勝利してきたのだ。

 次に為児手君がリンクして闘技場内部に現れた。なかなかにファンタシーな格好の為児手君の外装は暗殺者のようだ。シャドウ・テイカー……影を使う者。その割には死神の大鎌ではなく割とこぶりな双剣を持っている。彼は握りを確かめるようにそれを握るとアビスから伝えられている。


「あなたはまず基本体術とこのアリーナ内部での自身の機動力を体を動かして考察してください。それが今のあなたにとっての一番すべきことです」


 ピアニッシモ……。人と触れ合うことが怖くなって張った自らのベール。それが外に攻撃の力を放出することが苦手な私の力。ウンディネは本当に可愛らしいでも、それ以上のスペックを持たないと思っていた。でも、それは違う。私が大きく奏でようとすれば彼女は答えてくれる。ウンディネ……小の極みと思っていた。でも、そうではない。音は私が望んで強く奏でればそれほどに意思を強く汲んでくれる。

 アリーナでの特訓の中で私は確実に何らかの力を持ち出した。璃梨ちゃんは私に向き直ると手を差し出す。アビスは確かに禍々しい。しかし、アビスは彼女が自身を醜いと思う心の現れからできているのだと私は思った。彼女は話を聞いているうちに……彼女自身を嫌っていたのだ。兄に育てられその兄からは彼を助けることすらも拒まれ友人も作れない不器用な自分が嫌いだったのだ。そして、彼女の心は変異を遂げた。それは最初はやはり私と同じ小さな物だったのだとか。でも、彼女も大きく、先を求め続けた……。


「へぇ、璃梨ちゃんはバイオリン引けるんだ」

「何故この楽器を奏でることができるのかはわからないのです。ですが、この楽器を奏でると暖かな気持ちになれるんです」

「そうなんだ」

「幼い時に兄がビオラを演奏してくれた記憶はあるんです」

「藍緋君が?」

「はい。断片的ですが……。私はあの時の兄上がもう一度見たいのです」


 彼女の奏でるバイオリンの音合わせが終わるころに私も高等部の音楽室のグランドピアノの鍵盤を指で押していた。一つ一つは弱く小さな音……。でも、私のようにそれを集める術から逃げていてはいけないのだ。小さな音も収束させて大きくする。それが、私に足りなかったのだ。私と璃梨ちゃんの奏でる音が重なり威風堂々がゆったりとしたテンポで奏でられる。

 空気は湿り気を帯び始め、初夏を迎えようとしている。私の小さな小さな鼓動は今、璃梨ちゃんに温められることでどんどん大きな物へとつもり始めていた。弱かった私は……もう、いない。これからは心強い友達がいる。それにもう、私は後ろを見ない。後ろはないんだ。前を向いて歩いて行く。小さな小さな私でも積み重ねれば大きくなれる。……そう、信じて。

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