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black knight

「ふふっ」

「どうした?」

「こうして一緒にいるのが嘘みたいで……嬉しい」

「何回言う気だよ。ま、それだけ嬉しいのは理解できるが」

「その言い方だと理解できてないように聞こえるんだけど?」


 絢澄と和解し、例の試合を超えて俺たちはより親密になった。しかし、俺はとても気がかりなことが一つあり彼女の動向を少しずつ監視するようにしている。我が母、アルフォリオン・エレノア・シルバーナの死を看取り、俺は女性との付き合いを完全に遮断するようにもなっていた。母は父である藍緋(あいひ) 荒神(こうじん)の過激な行動から来る波を一身に受けてその心労から亡くなったと俺は思っている。死因は元から体が弱かったことからの衰弱だが……その衰弱を招いたのは言うまでもなく幼く無垢で母のことに気づくことができなかった幼き日の俺と、周囲に気を配れなくなるほどに切迫した状況下に投げ出され家族を捨てる他なくなった父のせいだ。

 そう、俺も男で父の性格を受け継いでいる。彼は……本当は素晴らしい科学者だった。キューブ機構の基礎理論はオーバーテクノロジーとしてコンピューター時代から存在はしたがそれを実現するまでにはどんな科学者でもいたらなかった。それを逆転の発想でやり遂げたのが荒神だ。だが、やつにはやり残したことがある。それはキューブの危険性を排除しきれなかったこと。国と国とが争うようにキューブが意思を持てば人間と摩擦を起こしぶつかる。それがあり結果的に俺の体や昔に精神治療を受けたことのある錦の体には大きな変容が現れてしまった。もっと言えば世界にはもっと……もっとたくさんの変容事象で苦しむ患者がいるに違いない。


「今日もあるよ」

「毎日ありがとう」

「へへ、私も美味しそうに食べてくれるなら嬉しいかな」


 悲しく、虚しくも俺は荒神の息子。それだけにやつと酷似している所も大きい。だから……母と同じような状況下に置かれるであろう錦をこのタイミングで近くに置いておきたくはなかったのだ。俺は父と同じことをせぬように周囲の人間との関係を絶つ事を選んでいた。俺は……どうすればいいのだろう。他にも要素はいくつも転がっていた。錦は俺と関わってしまった事で国家に目を付けられたに違いない。だからと言って今すぐにどうとかはないだろうから今のうちは思案する時間も残ってはいるだろう。

 錦を危険に晒すくらいならいっそのこと俺がこの学園を辞め、放浪するのもひとつの手段だと思い始めている。だが、……。もう、錦の泣く顔を見ることや切なそうに表情の一部に寂しげな影を落としていることだって耐え難い。それだけ俺の中に錦が浸透してしまったのだ。何故彼女のことを好きになってしまったかはよく理解しているつもりだ。俺は『笑顔』に惹かれてしまう。母の死に際、俺は彼女の笑顔を見た。彼女は死に際にこういったのだ『お父さんによろしく』と。


「修羅君」

「ん?」

「お母様はどんな人だったんですか?」

「母さんか?」

「はい」

「聡明で美しく、決断力があり包容力に満ちた至高の女性だと俺は思う」

「お父様は?」

「俺と同じ、軟弱で卑怯で心の小さな人間だよ。愚か者さ」

「……」


 錦は俺の母に本当に深い興味を示している。シルバー・ローズに行ったことがあるならば面識を持っただろうエリューゼの事で彼女はその方向性へと足を進めたのだ。エリューゼは母の妹の娘でオッドアイはヴォルサリオンの影響だ。確かに見た目はそっくりである。しかし、彼女は母と違いユーモラスな所はなく少しばかり辛辣だ。さらに言えば彼女は笑顔を作りはするもそれは眩しいだけで内面は真っ黒……本人は自覚しているかどうかは知らないが彼女は羊の皮を被った狼で……もっと言えば天使の容姿をした悪魔だ。似ても似つかない。璃梨はその点に関しては近いところがある。ただ、性格云々を抜きに彼女の場合は俺に異性としての意識が芽生えても実の兄妹であるが故に結ばれることは絶対にありえない。香館は昔の姿を知っていることから俺は彼女にはあまり触れることをしたくないのだ。過去を知る人間は極力外側に回すべきだとも思う。とくに彼女も親なしで悲惨な運命を歩んでいる。彼女も大切だから俺は遠ざけた。だが、錦とは違いなぜか彼女を受け入れることを俺はしなかったが。

 いつものようにあの海の前で俺たちは昼食をとっている。だが、今日はいつもより長めに一緒にいた。なぜなら明日に俺は用事があり少しの間彼女が求める『一緒の時間』を過ごすことができない。だから、錦にはその埋め合わせとしてここでの時間を長く取る事で我慢してもらうのだ。俺をつけまわしているのは何も国やクリムゾン・イーターのみではない。他のテロ組織や武装集団も俺を揺さぶろうと働いているのだ。しかし、俺がそんな事で巻かれるとでも思っているのだろうか? それから守る意味でも錦を近くに置いている。 

 今日の俺の要件は墓参りだ。本来ならもっと前に行かなければいけなかったのだが、あの時は俺の心が完全に荒れていた。だからどうしようもなかった。言い訳ではあるが俺も人間だったのだ。だから何かしらの事で揺れてしまう。


「母さん……俺は、どうしたらいいんだろうか。俺に関われば大切だと思う人間が傷つく……。母さんなら迷わず突き進むんだろうな。でも、俺にはそんなことできない。もう、誰も傷ついて欲しくないんだ。あんたのように死なれるなんてもう嫌なんだ」


 母はキリスト教徒であるために日本人の父や祖父たちの墓には葬れなかった。だから、特別に近くに埋葬されたのだ。その白くなめらかな石で作られた十字架の墓標には銀製の指輪のネックレスがかけられていた。それは父のせめてもの謝罪の意を表したものだと俺は思う。父はその指輪を自分として形式上は死んだことになっている。だから彼のことは公表されていないのだ。今は自らの名と、人間としての資質をすべて肉体から排除し、食いつぶしてクリムゾン・オウガとなっている。もう、アイツは人間ではない。同時に俺は……いいや、俺たちは着実にそのあとを歩んでいるのだ。

 母の墓前に向かう時は決まって正装していく。服装や礼儀に厳しかった母と語り合うのにはこれがいいという俺なりの流儀だ。母さんがくれた銀の髪留めとネックレス、腕時計、ピアス、指輪……などそれらは俺が付けられる物だけを身に付けて彼女にしっかりと生きていることを伝えるためにつけていく。母さんは帰ってこない。父も俺もそれは解っている。解っているから俺も父もそれぞれに行動を起こしたのだ。父は抑止力となりこれ以上悲惨な運命を歩む者を増やさぬように。俺は根源の打破を目指して。その後俺はこの午後にある歓迎会の予定地へと向かうために墓地にほど近い俺の元住んでいたアパートに向かう。幸いにしてアパートから歓迎会の開かれる居酒屋へは歩いて数分でいける。


「何してんだよ。錦」


 その時、俺は感じていた気配を大爆笑しそうな程に溜め込んだ呆れと共に開放する。錦が遠慮なのか羞恥なのかは定かではないが俺の三歩ほど後ろで歩いていた事にはずっと気づいていた。


「はへ!?」

「ずっと後ろにいたんだろ?」

「な、なんか、修羅君の服装が……」

「あぁ、母さんの墓参りに行ってたんだ。いつもはもっと早めに行くんだが今回は少し時間が取れなくて……今日の午前中に行ってきたのさ」


 礼服のことを気にしてきた。彼女はやはり優しい性格なのだろう。俺は錦の少し抜けているところが好きだ。だが、彼女はそこを気にしているらしく強くは触れない。そうでなければわざわざ璃梨やエリューゼに服を見繕ってもらったりせっかくアドレスと電話番号をメモした物を璃梨に渡しておいたというのに連絡をよこさないなんて気の回りすぎなことはできない。今日は前回の学校指定の歓迎会とは違い完全に先輩たちのおごりだ。錦の世間体を気にして俺も一応顔を出す。

 飲み始めるとみんなテンションがおかしくなる。錦は他の女子連中に集られて尋問されているらしく大変そうだから何も触れずにこれからについて考えるようにしていた。俺は女性が苦手だ。なんというか人にもよるが全体的に華やかさが男よりもあるためにその空気が苦手で仕方ない。


「へぇ、藍緋君も飲めるかんじ?」

「えぇ、一応は」

「前から気になってたんだけど。藍緋君は誰かと付き合って」

「に、錦!! 錦!?」

「はにゃれてくらはい!! ひゅらくんっは! わらいのれふ!!」

「おっと……すみません。なんかご指名かかったんで錦は寮まで責任もって送ります」


 誰だ? 飲めない奴に飲ませたバカは……、若しくは錦がすで間違えたか。背負ってあるく……。ないものと思っていたが錦も女の子なんだな。それなりに俺の背中に来る弾力は呼吸の規則正しい波と共に強さで……理性がもたん。それに、少し酒の匂いが強くとも錦の香りは俺の男としての本能を刺激してしまう。耐えろ……。部屋につけば俺は風呂に入って寝れる。錦はベッドを使ってもらえば問題ないだろうしな。俺はアパートの部屋の扉を開けて中に入る。まだ、借りていてよかった。


「あらあら、やっぱり付き合ってるんじゃない」

「今日は修羅兄のとこにぃ、ふん…ふふん~ふ~ん」

「八織ぃ? 今日はやめときなさい。修羅君もつかれてるだろうし」

「……こんな時間にかぎも開いてないか」


 シャワーを浴びていると錦の動く気配を感じ取り俺はそちらへ向かう。どれだけ遠くても雑多の中に隠れて消え入ることさえなければ一度見知った人間の気配を忘れることはない。それの関係から俺は探し物などをすぐに発見できる。その錦の様子がおかしいことが明白なのは誰にでも理解できよう。酒が入りもともと日本人はアルコールに弱い。俺は母の血を国受け継いでいるから問題なくとも錦はそうもいかないだろう。まして錦はキューブの流入者で初めて体験する事象に感じてかなり敏感だ。


「おう、どうした。錦」

「あ、えぁ……あうぁ修羅君?」

「大丈夫か? 酒飲めないのにのまされたみたいだが」


 錦の顔を見ればわかる。キューブ流入者に顕著にでるキューブの統制が取れていないという顔だ。俺はそれの原因を知っている。だから対処もできるしこれから俺たちはそれを潰そうとしているのだ。その錦に俺がこうして関与してしまうことは本当は避けなければならなかった。だが、どうにもそれは免れない。そうすれば他の手立てを考えなくてはいけないのだ。

 そのまま、錦を抱いてベッドに向かう。彼女を落ち着かせねば……。


「おはよう。修羅君」

「あ、あぁ……ん、うぅん」

「……」

「……」

「……」

「どうした?」

「幸せだなぁって。まだ、恋人同士じゃなくても……」

「何を寝ぼけたこと言ってんだ? 朝だからなんて言い訳は通じないぞ?」


 コイツもとことん義理堅いし変に鈍い。俺としてはあれだけのことがあれば十分意思の固さも見て取れたしあれでいいと思った。それに関してはあの子の伝えて来てくれるところが大きくて感銘にいたる程の出来事だったのだが? そうでなければ俺が女の子連れ込んで襲った極悪人みたいな状況も出来上がる。この子にもそういうことを考える上での機敏さを与えたい物だ。

 結局、俺が理性的にまけた結果だが……この子に涙目で乞われれば俺はためらわずに彼女の望むようにしてやりたくなるのだ。事実を言うと……錦に俺は誘われた。キューブのこと意外にも酒とか勢いとかも彼女の背を押したのだろうがな。


「これだけの事して恋人じゃないのはおかしくないかい?」

「へぁ?」

「俺としてはもうだいぶ前からそのつもりだったんだってこと」

「つ、つまりそのあのえ~と。私を彼女に?」

「あぁ、ならもう一度改めて……」

「ストップ、ストオ~~ップ!! 鼻血出そうなので今はやめてください」

「く、ははは……お前はとことん面白いな錦。ははは!」

「わ、笑わないでくださいよぉ……」


 そこから寮に錦を送るついでに璃梨から言われていたことを現実にするために数人の人間に連絡を取る。錦にはもう教えてあったがチームのメンバーの親交会も兼ねて璃梨の所有するプライベートビーチへと行きたいと思うのだ。璃梨の発案出しそれは構わない。それでも俺には気がかりなことがいくつもあるのだ。そんな時にと最初はかんじていた事でその時は渋い顔をした。だが、この子の笑顔を見られればそれに見合う……それ以上の報酬が得られると俺は思う。ここまで俺が外向きに心情展開できたのはほとんど錦のおかげだと言っていい。後の少しはそれを後押しした令布や璃梨、エリューゼのものだ。


「二人でいられるのがこんなに幸せなのは初めてです」

「お前は何度もあの時のことを蒸し返すなぁ」

「だって、ホントに辛かったんですよ? 今は修羅君と一緒にバイトできるからとても嬉しいですけど」

「悪かったとは思うが知っての通りあれはお前たちを巻き込みたくなかったんだよ」

「それはも無しですよ? だって、ここまで来たら何が何でも修羅君のお嫁さんにしてもらわなくちゃ」


 さらっとすごいこと言いやがる。まぁ、俺も手放すつもりもないし逃げようとしたって縛り付けてでも逃がさない。もう、錦はこちらの人間だ。離れることは許されない。それ以前にこんな一人の人に執着するのは母以来かもしれない。薄々は感づいていたのに彼女の死を止めることはできなかった。彼女を助けたい一心でその頃は勉学にも励み品行方正に努め、母の言うことには従順に従った。彼女にストレスや心労と言われる物をかけたくなかったからだ。しかし、それも結局は彼女に負担を欠ける結果だったことはあとから知ることとなった。

 あの時程自分の無力さを痛感した時はなかった。俺がどうしたらそれだけの力を得ることができるのだろうと本気で考えた。しかし、それも無力。結局は俺は自己を守る心の壁を何重にも春結果となったのだ。自分は悪くない。人間として俺はできていない。だから、誰も俺とはかかわれない。俺と関わると不幸を招く。それが俺の自らへの評価。だから、周りの触ろうと現れる人間は辛く当たり排除したつもりだ。だが、今、俺の横には本当にしつこいやつもいる。俺の鎧へ浸透し、内側から砕いたこの女に俺は終生の忠誠を誓おうと思う。俺のオウガは騎士だ。騎士とは貴婦人に仕え、共になくなる者。俺は彼女のナイトでありたい。彼女の求める姿でいたい。彼女が俺を求めてくれているのなら。


「お前、さらっとすごいこと言うよな」

「……ふぁっ!!」

「理解してないとこがホント可愛いし」

「ふぅぅぅぅ……」

「安心しろ。そんなことは無いと思うが錦に愛想つかされなけりゃ手放す気は全くないから」


 排除できる物は排除する。俺の敵となる者があるのならば排除するのが俺の主義で堅実に物事を進めていく鍵だとも思う。錦を守るためならそれだって厭わない。それに、今日は出かけるとは言ってあるがどこに行くとは伝えずに眠そうな顔の錦を早朝に引っ張り出した。イレギュラーなことがない限り彼女は朝に弱いらしくバスのなかでもうつらうつらしていて可愛らしい。もともと童顔のこの子は本当にかわいらしくて……愛おしい。虐めがいもある。本当に可愛らしい。

 肩に寄りかかる彼女の唇をつついてやるともごもご言いながら彼女は眉間にしわを寄せるがもう一度俺の肩に体重を預ける。本当に軽い子だ。おそらくキューブの影響で一番人間から離れているのはこのメンバーでは俺だが二番目は錦か璃梨だと思われる。精神治療を受けた人間が何故キューブとのリンクが異常なまでに強いかと言えば人間にできない精神カウンセリングをキューブにさせるためキューブは彼女の本心をかなり強くインプットすることとなる。結果的にキューブは心の望む物やその人間が嫌う物を排除したり肯定することしかしない。しかし、精神治療者のキューブはその人の欲する心の形質へとその心を導こうとする。だから、キューブがそのように進化しろと命じたためにファイトの装甲と酷似した形質変化をしてしまう。心=体の最低条件がここで揃う。揃ったところでキューブは変化をおこす。彼女が願うように流入した体を変化させてしまう。


「ここが、母さんの墓だ」

「お母様の?」

「あぁ、毎年母さんの誕生日に来てたんだが今年は色々あって行けなくて。この前行ったんだ。今日は別の理由があるが」


 錦が真っ赤な顔をしている。まぁ、指輪を渡したからだ。結婚指輪とかでは泣くエンゲージリングだから本当に彼女は真っ赤だ。夢の第一歩と言ったところか?

 その次の日は展示品の管理などもしなくてはいけないために俺は東京の方面へと向かう。


絢澄(あやずみ) 錦だな?」

「……荒神さんですか?」

「あぁ、少し出よう」

「分かりました少し待っていてください」


 水槽の景観を保つのは長くても一ヶ月が限界だ。生き物ならば成長するし水槽は自然界とは違い自然のサイクルの一部が完全に狂っている。だから、俺はそれの管理をしなくてはならないのだ。栄養の追加や植え替え、トリミングなどなど。ダメージや成長の仕方に応じて何かをせねばいけないのだ。かなり時間がかかる。俺の水槽はもう何点もここに展示されているからだ。それにずるをするようだが俺は一度も多い生物や底面への植え込みをしていない。してもダメージや貧栄養に強いシダというか藻の類くらいしか使わない。それだからかなり楽なのではあるが物によっては本当にめんどくさかったりする。


「で、修羅の様子はどうだ?」

「それはどの方面に対してのことでしょうか?」

「私生活だ。俺の事で絶対にあいつは人生を狂わされている。そのことに関しては責任を感じてはいるんだ。だが、俺はもう後戻りはできない」

「……。修羅君は幸せだと思います」

「……! そうか、そういうことなんだな」

「どうして、修羅君に直接誤解を解こうとされないんですか?」

「アイツは俺の息子だ。頑なで誰かが傷つくことを本当に嫌う。そんな俺に上乗せされてかなり大きな疑心感を持つあいつに一度でも裏切りを見せた俺は近づくだけでも難しい。見てたんだろう? 俺があいつに会いに行った日に」


 錦と俺の一緒に作った水槽は変化していてもあの中の一本がゆっくりと伸びているだけ、彼女の魔法なのだろうか……。この水槽だけ変化がとても遅い。まるで俺たちの変化を見せているようにこの水槽だけは本当に緩やかだった。いつ帰ることができるか……これだから何かにつけて特別なのはいいことがない。浮き沈みも激しいし何においても俺が変わることを束縛したがる。普通に生きることが本当に幸せなのは俺たちのように特異な常識の中に生まれた人間だけだ。それと同じように俺たちの様な非凡な人生に憧れる人間も多い。結局はないものねだりか。こんなこと行っていても作業は進まない。さて、早く帰って錦に晩飯を食わせてもらうか。

 俺も本心から父がにくいわけではない。だが、どうしても心の表面に乖離してその深層と交わることのない思いがないわけでもないのだ。何故、母の臨終の時くらい来なかったのだろうか。なぜ、母がテロとの関与を危ぶまれたかと言えば父母は連絡をしっかりととっていたのだ。オシドリ夫婦とはよく言ったもので愛妻家の父は母さんにベタ惚れだった。それが引き剥がされれば狂ってもある程度は仕方ないと思ってしまう。はは、俺もちゃんちゃらおかしいか。俺はあいつに母の最後の言葉を直接聞いて欲しかったのに。あいつは来なかった。いいや、来れなかったのかもしれない。


「ありがとう。今後ともあいつを頼む」

「荒神さん」

「ん?」

「修羅君は……多分、あなたのことを憎んでいるんじゃなくてそばにいて欲しいんじゃないでしょうか」

「どういうことだ?」

「確かにあなたの言うとおりに修羅くんは頑なです。しかし、修羅君が寂しがり屋なのも事実です。いずれ彼が柵を解くでしょう。それを待っていてくれませんか?」

「……時勢の許す限り待とう」


 俺が黒い服を着るのは鮮やかな色の服はあまり好まず目立つことを嫌うからだ。どうにも父の影響を受けていた俺はこの年になっても幼いころの空気やそれがぬけないのだ。『俺の時間はあの時で止まっている』。止まった時計はもう動くことは無いだろう。だが、俺は今を生きている。思念的なそれで言えば俺たち家族の時間は完全に止まり動かない。でも、錦と俺の時間は進んでいる。今はゆっくりとでもこれからどうなるかは解らない。その時、駅の方から歩いてくる見覚えのある影を見つける。錦の気配はもう完全に把握しているために大混乱などが起きて人の気配が一気に濃くならなければそこに一発でいける。


「どうしたんだよ。出不精のお前がこんなとこに」

「あ、修羅君。おかえりなさい」

「出迎え? かな?」

「うん」


 先に歩き出した錦の後ろを彼女のハンドバックを預かってから彼女に合わせながら歩く。錦の体は本当に華奢で本来ならばファイターとして戦っている方が不思議な程のそれだ。小柄で可愛らしいと言えばそれはそれだがこれから戦って行けるかと言えばそれは大問題だ。錦の歩んでく場所は明らかに寮の方向ではない。どうしたのだろう。太陽はもう橙色になり始め周りの空気も色付きは濃い。そして、辿り着いた場所で彼女は振り返り俺の顔を少し歪んだ笑顔で見つめてきた。

 あの笑顔……。あれが俺の心を折った。全ての始まりだ。母さん……。もう、言葉を放つことさえギリギリな状態であの笑顔を彼女が作り俺に放った、。そのときを思わせる表情の錦は俺に向かって歩み寄りながら恐ろしいことを口にする。


「今日、荒神さんと会いました」

「何?」

「はい。そういう反応すると思っていました。修羅君……私、あなたのことが大好きです」

「錦……何が言いたいんだ?」

「荒神さんがあなたが笑顔に引かれる理由を教えてくれました。お母様がそういう方だったんですね。私がそうなれるかはわかりませんが……私が、あなたを支えたい」


 別の方向に心が折れそうだった。その表情と生前の母の姿が重なり……もう、感情では抑えられない。体が勝手に動き出していた。少しきつく抱きしめたらしく錦は苦しそうな息遣いになっていたが拒否をしないところを見ると彼女にも何か心の変化が大きくあるらしい。父に何を聞き、何を思ったのか解らないけれど錦は錦で俺のことを心配してるのだとも気づいた。そして、手を緩めて話そうとすると錦の方から俺を抱きしめてくる。俺の身長が伸びているのか? 錦の腕の絡み合い具合が少し違っている気がする。しかし、抱かれた時の錦の腕は華奢で、俺の過去を抱きとめるには少し細すぎた。だが、懸命な彼女を俺は振り払えない。こういうときみどうすればいいのか俺には解らないのだ。人を拒絶し、ぬくもりを感じなければ暖かいところを知らなくて済む。知らなければ冷たい所にいても耐えることができる。緩急さえなければ、何も変化さえなければ……。


「どうですか? 私はやっぱり頼りないですか?」

「あぁ、華奢で、弱々しくて、暖かだ。俺の済む世界に来ることはできないだろう」

「修羅君……。それは無しですよ。私とあなたはもう一蓮托生です。私はあなたと共に変わってしまった。もう、戻れないんです。同時にあなたも……」

「後戻りはできない……か」

「はい。辛かろうとなんだろうと。あなたと生き抜くんです。未来を切り開くためにみんなと」


 震えている。……母さん。俺は……今、やらねばならないことを決めた。父にできなくとも俺はせねばならない。この小さな俺の宝物を守らねばならない。自らがどうなろうと、生きて、二人で戦い抜く。錦が無理せぬように俺は影より助け、守らねばならないのだ。そのために、俺も変わろうと思う。この子に見合う男になり、二人で理想的な時間を築くために闘う。

 騎士というと神聖なイメージが強いかもしれない。だが、俺はこれまでのことからどう改まってもダークヒーローが限界だろう。銀の鎧を着た騎士にはなれないだろう。しかし、俺は彼女を守る。この体に憎しみや憎悪をまとっても彼女だけは守り抜いて見せる。これだけは絶対に俺は守りたい。黒い鎧に身を包んで絶対に。


「約束してください。もう、どこにも行かないでくださいね?」

「あぁ」

「じゃぁ、キスしてください」

「何でそうなる? まぁ、いいが」

「きっかけがほしいんですよ! やっぱり意地悪ですよ。修羅君は」


 俺たちの学園寮に近い公園での出来事。周りには誰もいない。乙女心が読めなかったために少しギクシャクしたが錦はそんな俺の肩に手をかけて背伸びしながら唇を添える。柔らかで暖かな唇……。この繊細な少女を絶対に守って見せる。ブラック・ナイト。俺は誰とも契約はしない。彼女を守るためならば法を破ることだって厭わない。それが俺の意思だ。錦、お前が俺の心臓であり貴婦人だ。俺は永遠にお前と添い遂げる。お前を失わぬように……必ず戦い抜く。

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