a lot of colors
『さぁ!! やってまいりました!! 注目の春季予選会決勝!! この階を勝ち上がれば次に待つのは地方本戦ですよ!!』
抑揚の強い司会者の声がスタジアム全体に響き渡る。この試合は余裕で勝てると思う。基本的に地方大会に予選などで全くと言ってよいほど手こずることはない。よって負けるこっとは絶対にありえないのだ。
『そうですねぇ。やはり今回も大きく伸ばしてきましたね。ブラッディ・オウガは。心強い限りです。ですが、対するアイリス・デイジャーの今季になってかなり実力を上げてますから彼も今回はどうなるか不安でしょうね?』
舐めてもらっては困る。確かにアイリス・デイジャーという武装は遠距離射撃も可能な機動射撃型だ。速度のある性格な射撃は確かに強い武器だし今回もやつは決勝までのし上げてきた。だが、前回の俺との戦闘で負けた理由をやつはまだ理解していないと見える。これまでの戦闘をすべて見て考察した。ひとつ前の戦いでアイリスに敗れたバレット・リリーは同じ射撃型でも防御力のある要塞型だった。それを打ち破るチャージショットをやつは積んだのだ。先回は俺に奴が敗れた理由は俺の装甲がやつの弾ではびくともしない強度を持っているからで……俺の戦闘の本質などみじんも見せていない。
『さぁ時間になりました!! レディ……ファイッ!!』
やつは途端に距離を取り、マシンガンを両手につかむ。機動するために絶対に必要になるブースターと軽量化。それを合わせたために軽装甲となっている。奴の弱点はそこにある。ブラッディ・オウガの持つ本質は先回の戦闘で見せた固さなどではない。このフラグメンツ・ファイトは俺たちファイターの体に見立てたナノトランスドールと呼ばれる最先端技術を駆使した身代わり人形のような物へ俺たちの携帯端末である『キューブ』をリンクさせることにより神経伝達を行なって動かすものだ。基本構造自体は何なのか不明。しかし、それを作った科学者がいることは明示されている。
俺のブラッディ・オウガは……本来固さなどは持たない。先回は臨機応変という言葉の合う回避を行っただけなのである。弾は俺には当たっていないのだ。あの弾が跳ね返ったように見えたのは空気の衝撃波を一点に集中させたからである。それだからこのボディにはそれだけの強度を持たない代わりのもう一つのアビリティが存在するのだ。これまでに俺をそこまで追い込んだファイターは存在しない。
「食らえ!!」
「おぉっと!! ビビットファイアだ! 高火力を圧縮した熱線砲を撃ち放ちオウガを打ち抜くつもりなのだろう!! 前回の戦闘でアイリスは弾が効果を上げなかったことが敗因だったと考えたようだぁ!! それをビームに代えてきたぞ!! さあ、オウガはどうする!!」
よける必要もない。こんな物で俺を倒せるとおもっているようだ。
「俺はテメェの攻撃なんざ効きやしない」
「強がりを!!」
光線は確実に俺の心臓を射抜いた。しかし、それはこれからの俺の猛攻を見せる合図となるのだ。俺の力は……風化だ。
喉の渇き、枯渇、足りないポテンシャル、感情、情緒、精神論……。『常識』……。これが俺の力。見せるのは力。足りないのは……止めることを考える精神だ!!
「ヴァアァァァァァァァァァァァァァァァアッァ!!!!!」
「な。なんだ!?」
そして、試合は終わった。俺の圧勝という血みどろの結果で……だ。
これが当然で最初から知っていた結果論。俺の持つ力は本当に気狂い以外の何物でもない。ブラッディ・オウガ。それは枯渇に喘ぐことで力を増長させるタイプの特殊変容型の変化をする。そうだ。気づいてくれた人はそれでいいがこのブラッディ・オウガは俺が操る上で大きく体を傷つけてしまう。それが原因で俺は今いろいろと苦闘の中にいた。
オウガでない俺は普通の大学生でありそれ以外には裏も表も右も左もない。あえて言うなら俺はこの有名私立大学へ入学するほどの能や力、志など持っていなかった。ところが俺は道で倒れていた理事長を助けて病院へ運んだことから色々と彼の支援を受けている。
「きゃ!!」
「はぁ……っと」
今、俺は少しあこがれを抱いていたアクアリウムデザイナーという職業の実習をしている。アクアリウムデザイナーというのは読んでその如く水槽のデザインや育成、セットまでもを受け持つ水槽の園芸師のような人間のことだ。アクアリウムは確かに綺麗だし人の心を和ませる。どんなに魚や生き物に興味のない人間がいてもそこに綺麗な水槽があれば誰でも覗いてみたくなる。それが心理というものだとも思う。
それが美しかったりそこに合うようにデザインするのが俺の目指す水中園芸師、アクアリウムデザイナーである。余談が長くなったな。それにここは共同実験室でほかの実験をしている海洋化学環境科という研究職へ進む皆が集うところと一緒の教室を使っていた。何せ俺の所属するアクアリウムデザイニングコースとお隣のマリンサイエンスコースは募集人員も少なく狭き門で合わせて10人もいない。アクアリウムデザイニングコースが三人でマリンサイエンスコースが四人。その中で……色々と毎日繰り広げられているのだ。
「あ、ありがとうございます」
お隣のマリンサイエンスコースの女学生で絢澄 錦さんだ。可愛らしい人なのだがよく転ぶ人である。まぁ、こんなことをいうのはアレだが試験で転ぶことは全くないから驚きだ。それだけ努力しているのだろう。
今回は納入された新しい試験管の箱を運んでいたらしい。その大箱の中に何個もの試験管を詰めた小箱があったようなのだが……。まぁ、男の俺ならけして重くはない。しかし、見るからに華奢で細い腕に小さな手をした絢澄さんでは少し辛かったのかもしれないな。転んで大惨事になりかけたところを同じ身長くらいなのではあるが俺が右手でダンボール箱を……胴体と右肩で錦さんを支えてなんとかそれを抑えたのだ。日二三度あるために今ではもう慣れてしまった。
「いいよ、でも気をつけてね」
その時、絢澄さんは俺の左手に気づいた。オウガの戦闘時、基本的に熱線などの無形攻撃から打撃などの固形、斬撃などの断化ではダメージを受けることは希である。しかし、俺の唯一の弱点は俺自身が扱う風化だったりするのである。俺のボディの属性は特殊。普通の攻撃では効果を上げないのだ。それでもその攻撃に何かしらの風化や化学変化要素があると俺は途端に弱くなるのだ。アイリスの放った熱線は俺の手のひらを焼いた。それは大きくダメージにはならなくとも痛覚やリアルの体に大きくダメージを出してしまう。風化、というよりも化学変化の燃焼で俺のボロボロと砕けている何らかの特殊合金製と思われるボディはさらにもろくなってしまうのだ。
変わりというとアレなのだがこのボディは崩れれば崩れるだけ火力を増加させていく。ただし、やはり痛覚は伴う。最初のうちはやはり普通のボディだったのだ。だが、ここ最近が顕著で仕方ない。何か影響があるのだろうか? フラグメンツ・ファイトにおいて使用される特殊な電子端末、『キューブ』は俺たち使用者であるファイターとともに成長する。何かを経験するたびにそれを吸収して行くのだ。
俺にはわからないのである。風化を止める方法が全くと言っていいほどにつかめないのである。修正する気もない。それが俺であるだけだからだ。劣等感とかそういうものを持ったこともない。なぜなら俺は自分のことに誇りもなにもないからだ。最初からなにもないから最低限の守るべきものだけでよかった。
「あ、あの……いつも助けてくれてありがとうございます。そ、それで、その……な、何かお手伝いできることがあればいつでも言ってくださいね?」
「気持ちだけもらって置くよ。ほら……クスッ」
絢澄さんの到着を待つ女学生がもうひとりそこにはいた。彼女といつも一緒にいる三人のうちの一人だろう。俺は気づかれたことは抜きに少々恥ずかしさも感じている。人に感謝されることすら少ないからである。
そして、実習の時間である一時間と三十分はあっという間に過ぎた。この次の講義は俺の大嫌いなデスクワークである。実習室から出て更衣室に入ると中では同じ講義を受講している友人が作業着からジャージに着替える姿が伺えた。俺もそのとなりのロッカーを開く。
「お疲れさん。令布」
「そっちこそ。修羅」
「お前の方の調子はどうだよ。一年の頃から繁殖実習組なんだろ?」
「まぁな。それを言うならお前も学科三人の優待コースじゃねぇかよ。こちらの守備は上々だよ」
「調子がいいならそれに越したことはないな。俺の方もあとは水草がちゃんと根を張ればトリミングの作業だけだし」
そんなことを話しながら着替えを終えて汚れる事の多い俺と親友と言っても過言ではない為児手 令布はともに高校の時のジャージを着て大講義室へと向かい、用意された席番の場所へ座る。俺は高校の時の水泳部のジャージで令布は水産高校というらしい特殊な専門学科系の学校にいたらしくその時のジャージを着ていた。この席はホワイトボードの見やすさなどを公平に決定するためにくじ引きで決められている。俺はなぜか一等地である真ん中の近すぎず遠すぎずの席だったりした。声も聞こえやすいし、遠くて文字が小さいとかは全くないのだ。
俺の席の隣に白衣のままの絢澄さんが時間を気にしながら着席する。彼女のように海の関係の学科であっても化学の強く関わる専攻ではいつも白衣をきている。来ていないのはこの不便な海浜研究棟から出て少し歩くと見える本館へ食事を取りに行く時だけである。……まぁ、彼女は料理が上手なのかは知らないけれど殆どは自作の弁当のようだが。
「弁当、今食べるの?」
「え、あ、はい。よかったら食べます?」
「絢澄さんの分がなくなるよ。それに時間もあんまりないし早く食べちゃったほうがよくない?」
なぜか彼女は少し方を落とすが俺が彼女の可愛らしい弁当のことに触れたことで少し顔をほころばせていた。そのことから考えると彼女は料理が得意なのだろう。俺はその間に先日購入しておいたノートパソコンを小型化させたもの……つまりはネットノートを開いてキューブ端末を接続し現在のプロパティを調べる。
それだけではない。前回の戦闘では大きなダメージはなかったもののメンテナンスをしておくべきだと俺は感じたからだ。成長とともにキューブは何らかの課題を出してくる。キューブシステムの根源はそこにあるのだ。必要事項の研究や探求する『欲』にをベースに成長プログラムを組まれているというこれを俺たちファイターはちゃんと制御しなくてはならない。さらに言えば普通の人間ですら時たまメンテナンスをしないとキューブはへそを曲げる。キューブは生きているのだ。知能の発言と感情は本当に微弱な物しかないがやはり探求心を強く持つということはそれなりに変化を与えなくてはならない。
「……」
「ん?」
咄嗟にパソコンを閉じて俺は彼女の見つめる先を見る。彼女が見ているとしたら俺の左腕かその少し横にあるキューブだろう。このキューブは限定生産タイプで手に入れるのは容易ではなかった。ファイターいなるには最低でもこれを持つ必要がある。金があれば二つは持つのだが俺にはあいにくそれをしているほどの月々の稼ぎはない。
俺はフラグメンツ・ファイトを主な収入源とし、ファイトマネーでなんとか理事長に支援されている寮費や食費、家具代以外の生活必需品などをまかなう資金に当てているからだ。それに加えて俺はアルバイトも加えている。俺はともかく妹にはちゃんとした生活をさせてやりたい。まぁ、寮生活であるためにそこそこ保証はされるが女の子であるから彼女にも化粧品程度を持たせたいし、こう言うと少し語弊があるように聞こえるかもしれないが男で魅力の欠片もない俺におような奴は動のことないが女の子である妹には服を上限はあるにしてもそこそこ自由に選ばせてやりたいという気持ちも俺には少なからずあったからだ。
下心を言えば俺も水槽を置きたいとかそういうこともある。
「左手……どうかしたの?」
「あぁ……ちょっとね」
「言えないの?」
「バイトで子供に蹴られただけだよ」
「こ、子供に蹴られた!?」
勘違いも甚だしい。別にドロップキックとか回し蹴りとかを食らったわけではない。俺のアルバイトはスイミングのコーチなのだ。しかも、初級の幼児コースと小学生などの子供の多いコースである。まだ泳ぎのおぼつかない子供たちはなかなかに豪快に体を動かすためにたまに平泳ぎのキックの際に繰り出す足やバタフライの腕が俺を襲うこともあるのだ。子供とは言え、当たり所が悪いと結構痛い。
「あぁ……びっくりしたぁ」
不謹慎にも彼女の弁当の中身に目が行き、手を伸ばしそうになった。女子としては普通ほどの体格なのだが彼女は結構体全体が細くて華奢だ。膨張色である白一色の衣服を身につけているにもかかわらず補足見える程で……。なぜか彼女の弁当箱は小学生のようなオプションである可愛らしいキャラクターのついたフォークが付属されておりそれを唐揚げに突き立てると俺の口に押し込んでくる。
俺はそんなに物欲しそうな目をしていたのか?
確かに朝から絶食しているに近い現状ではこのような状況になってもおかしくはない。うん……
うまい。
「どおかな?」
「うまい。かなりうまいよ。これ、やっぱり絢澄さんが作ったの?」
「うん!!」
「こんなに美味いメシ作ってもらえるんだから絢澄さんに彼氏いたら幸せだろうなぁ」
またも彼女は肩を落とす。俺は何か変なことを言っただろうか? 彼女くらいの美女というか可愛らしい子ならモテているに違いない。この大学はやはり秀才や天才の類も少なくないから彼女に釣り合うくらいのやつも多かろう。彼女の好みはどうであれ本当に心からそう思う。
唐揚げを飲み込むとすかさずもう一つを口に押し込まれた。そこに彼女の友人が絡んで着てかなり茶化されている。だが、俺はあまり女子からの評判はよくない。なぜなら俺は少し前にこの大学にも出入りしているたちの悪い学生を数人再起不能に陥れているからだ。学長からも厳重注意を受けたが俺にも理由があった。俺のことはどうでもいいが俺の友人が脅されていれば俺は絶対にそいつらを許さない。さらに言えば為児手にはなんの欠点や脅される原因すらなかったのだ。たまたま目が合っただけでそんなことをされればたまったものではない。それに目撃されたのは一部始終だし、ほかの学生が通報している上に俺のプライドの関係から為児手には固く口止めしてある。あれ以来やつと俺は親友だ。
俺に得があるか? 人助けに損得など考える馬鹿がいるとしたらそいつのことを俺はこう呼ぶ『偽善者』と。人助けなんてものは基本的に自分がしたいと思うからその者の迷惑を考えずに助けることではないのか? 俺はそれをしたまで。それで弁明するようなことは何一つない。ただし、為児手にも心があり良心の呵責に駆られたのかかれが襲われた詳細は事細かに語っていた。だから俺は無罪放免とは行かぬも軽い処罰と少しの機関の監視だけでことを荒立てずに終えることができたのだ。
「なぁにいちゃついてるのよ。錦……」
「ち、違うよ。藍緋君が二限の時に助けてくれたからそのお礼だよ!」
「助ける……ねぇ」
訝しむような冷たい瞳にはなれている俺は構わず彼女に突っ込まれたフォーク付きの唐揚げを噛み砕いて飲み込んだ。今度は先手というと微妙なところだがこれ以上つっこまれないようにフォークは彼女が友人にひっつかれている間に俺が持っていた。
顔を微妙に赤らめている彼女は少し急ぐように小さな弁当箱の中身を胃に押し込んで俺からフォークを受け取ると布で丁寧にくるんでカバンにしまう。彼女の友人はそのまま少し離れた席へ移動し教授が来る前に机の上を整理し始めていた。この微妙な空気にもなれている。
「ご、ゴメンネ? 勘違いされるような事しちゃって」
「いいよ。絢澄さんなら光栄だし」
「え、そ、そんな」
「俺じゃ釣り合わないよ。もっといい男なんてどこにでもいるし。俺、応援してるから」
今度はムスっとして前を向いてしまった……なんなのだろう。よくわからないけれど俺は教科書とプリントを机の上へ出して空っぽの脳みそをフル回転させる準備に出た。
この講義はかなりむつかしい。俺は高校で文系だったために生物学を少しかじった程度であるためにそれ以上のことは全くできない。どうしたものか……。だが、努力ができないわけではない。これまでは専門学科で同じく基本的なところ以外は教養的学問を学んでいない為児手と切磋琢磨してきたのだ。最近はやつも俺もなかなか伸びがよくない。しかし、やつの強みはそれ以外の専門学科はかなりできることである。俺はできない。いろいろ手詰まりで八方塞がりだ……。
「今日はここまで! ここは中間試験でだすからしっかり予習しておくように!!」
お決まりの文句を述べるメガネで厳つい老齢の教授が退席すると同時に俺は席を立つ。荷物を抱えて更衣室に戻り再び作業着に着替えるのだ。なぜ、俺たちアクアリウムデザウイニングコースが募集人員が三人なのかと言えばそれだけの設備が整わないならである。ほかの学科も人数は制限される。アクアドクターコースと呼ばれる魚類病理学の専攻や博学系の専攻は比較的に人員は多め、マリンフィールドコースも定員設定は高めだが単位を落とす数が尋常ではないらしい。さらに絢澄さんのいるマリンサイエンスコースも本来は五人の定員なのだが今年は規定の得点へ届かない学生が多かったと聞く。ほかにも水族館勤務専属コースのアクアリウムトレーナーコース、ここは海獣などの飼育を学ぶために知識をつけているらしいが需要自体が少ないために絶対数も限られる。それから溢れた水族館勤務の学芸員系の専攻は人数が多く戦争は過激らしい。為児手のいる漁業資源育成コースは人はいるが自主転向する者が多いらしいが……。
水槽を何個も俺たちは使いいろいろなデザインを教科書通りに作るのではなく、芸術センスを強く押し出して作るのだ。
俺の得意な水槽の部類はアクアテラリウム。奇抜な作りをすることで教授たちにも有名だが案外と高評価でびっくりしている。水草と空気域の空間的ゆとりを楽しむテラリウムは俺の心を強く刺激し楽しませてくれる。
「はぁ……」
「……」
「……(カチャカチャ)」
「……」
「はぁ……」
先程からため息をつくのは転倒常習犯の絢澄さん。彼女もなぜか何もないはずなのにこの教室にいる。俺はこの楽しい学部のせいで教養学習教科がない大きなあいだができる時間帯は課題である水槽を何個も設営しているのだ。……ただ、今のように彼女がため息をつきながら試験管を洗っているときなどは集中できない。何が起きるかわかったものではないからだ。彼女のため息は危険の印だったりする。
ため息だけが大まかなトリガーというわけではない。しかし、こういう物事に集中していない彼女は本当に怖い。前例が先輩であるのだが彼女が転んでばら撒いた小さな試験管を踏んで転び、骨折している。すべてが彼女のせいではないし俺から言わせてもらえばコーヒーを飲みながら実験室に入った先輩のほうがよっぽどまずい。普通は実験室は飲食禁止だ。その法度を破ろうなどというやからが二年に普通にいた。隣に立派な休憩室まであるのに。
そして、事件は早速起きた。試験管を運んでいる彼女から目を離すと何が起きるかわからないな……。今回は誰かの忘れたメモ紙を彼女が踏みつけ、バナナで転んだ式の転び方をする手前で俺が背中から支えたのだ。たまたま水槽の細かなレイアウトではなく大まかなレイアウトでよかった……。
「うきゃぁ!!」
「おっと……」
「ご、ごめんなさ……い」
「あぁ、気にいないで。できれば上体を起こしてくれると助かる」
とっさのことで俺は情けない姿を晒すこととなった。まぁ、結果から言えば彼女が持っていた試験管立ての上を右手で抑えると必然的に彼女の上体が俺の上に来るわけだ。現状は床に座り込んだ状態で彼女を俺が抱き込んでいるというように見える。
そこから飛び退いてくれたからすぐに開放はされたし俺もすぐにたちあがれた。
「いつも、ありがとうございます」
「ん? 気にしないでよ。俺はお人好しなだけだから」
「……そういえば、藍緋君はお昼ご飯食べたの?」
「あぁ……一応」
「あの唐揚げだけ?」
痛いところを突かれた。仕方ないだろう。妹に弁当代を持たせるだけの金を稼ぐだけで今の時期は精一杯だ。先程もいったが俺の稼ぎはフラグメンツ・ファイトのファイトマネーである。ファイトマネーは選手登録さえしてあれば戦績により上下はするが試合に出るだけでもらえる。だが、それだけで稼げるなんて夢のような話があるわけがない。
確かにフラグメンツ・ファイトの選手登録にはある程度の資格試験という名の適正診断を経て合格しなければ選手証は持てない。だが、選手が少ないわけではない。地区大会の予選ごときでそんな工学のファイトマネーが降りるわけがないのだ。だから、今のうちは堅実に行くしかないのである。今月は結構厳しい。俺の食事は妹と取る夕食だけであとは一日三本まで飲める売店でやすく売られているコーヒーだけだ。それぐらい俺は厳しい。
両親を失っている俺は妹を養うことに精一杯だった。だが、苦痛に感じることは不思議となくて驚いている。その妹もこの学園に俺とともに入学し、学費が全額免除に加えて寮まで支給されている。さらに理事長のご好意で家具まである程度は支給されている。子供いない理事長は俺たちが孫のように見えるのだとか。しかし、すべてを彼に甘えるのは俺の流儀に反する。人に甘えてもいいのはある程度の限度の中だけなのだ。
「正直にいえばね」
「じゃ、じゃぁ……。これから暇?」
彼女は俺の作業着を引っ張り顔を俯かせながら小さく呟いた。ここまでくれば桃色の展開を想像するも俺は今、彼女と付き合えるだけの余裕がない。……というか、フラグメンツ・ファイトのファイターだと知れば皆俺から離れていく。基本的に好きな人間と嫌いな人間に分かれるこの娯楽は嫌いな人間のほうが多い。この娯楽は格差を生んでいるのだ。
そんなことを考えながら着替えて、彼女についていく。白衣ではない彼女も珍しいなどと眺めているとやはり見れば見るほど華奢な人だ。腕だけではなく肩も細いばかりか首や脚もひねれば折れそうなほどに細い。……ガリガリというわけではない。肉付きは普通というかそこまで肉が付いているようには見えないけれど適度というか……、だが、俺的には少し痩せているように見える。小柄なこともありやはり彼女はどこか頼りない。
彼女の案内してくれた先は林だった。ここは学園の最南端の水産系学科の集まるところだ。多くの講堂は本館に近いところにあるがここは少しほかとは離れている。それはどうにもならないところだろう。専門色が強ければ強いだけ何かしらの制限がついてまわるもは致し方ないことだ。何にでも多様できる学科の方が学問的な需要も大きいから多くを学ぶ必要がある。だから本学に近い。その本学から離れたこの静かな場所は俺も好きだ。その奥にこんなところがあったなんて俺は尻もしなかった。視野はやはり広げるべきかもしてれない。
「もう少しこの先に行くとね? 綺麗な岬みたいなところに出るの」
「岬みたい?」
彼女は嬉しそうに頷くとさらに奥へ案内してくれる。含みのある『みたい』の意味がようやく理解できた。岬は堤防のような形状なのだがここは既に波による侵食で大部分の岩が崩れて護岸工事が天然に行われたように土を守る砕けた岩とその外側にあるこの周辺特有の白い砂。ケイ素を多く含んでいるらしい。その辺りはあまり詳しくないが彼女は砂の付かない芝のような場所に腰を下ろしてカバンから少しおお振りの弁当を出している。そこには先ほどのフォークが輪ゴムでとめてあった。
「藍緋君がご飯食べてないのはだいぶ前から知ってたんだ。だから、お弁当!!」
情けない話、最初に歓声を上げたのは腹の虫だった。ここ数日の絶食少し手前のような生活のせいでかなり辛かったこともあり虫はかなり喜んだに違いない。それこそもう、狂喜乱舞くらいに。さらに、あの美味い唐揚げのような飯だ。これは期待できる。うまかった。少し子供っぽい飾り付けではあるが彼女の創意工夫が見て取れる。
そして、俺は急な襲撃に見舞われた。おそらく、狙われたのは俺ではなく絢澄さんの方だ。だが、なぜ? 兵器に転用することが危ぶまれたことからキューブのナノトランスシステムは資格試験を設けられた。そして、身代わり人形を使うことで体への直のダメージをなくす目的でフラグメンツ・ファイトはあくまで娯楽として……そういうはけ口であるがために作られた。だが、結果的にはこういうイザコザも起きている。とっさのことで変装プログラムを使用せずにガードをしてしまった……。絢澄さんに見られなければいいが……。戦闘態勢を俺は崩さずに射撃型と見えるその機体に牽制行動をとる。こんなところでドンパチすればお互いデメリットしかないはずなのだが……。